今日はいい天気☀️
カーテン越しからの日差しが眩しい✨
母が癌で入院中
藤圭子さんが亡くなったと
皆が集まる談話室のTVで知った。
母とひとつ違いだったのよ。
この一週間後に
主治医に姉妹で呼ばれて
余命3週間を宣告されたのです。
3週間て・・・
トイレも歩いて行けるし
小食でも食べようとするのに?
ガリガリに痩せ細ってもないのよ。
目の前の母は冗談言いながら
見舞いの同僚達と笑ってる。
こんな元気なのに?
母が死ぬ?死んじゃうの?
母は生きたくても生きられない。
それなのに
自ら命を絶ってしまう人がいる。
とても複雑な気持ちになった。
母が亡くなるまでの数日間
母の手を両サイドから
姉妹でそれぞれ繋いで過ごした。
私が母の指をギュッギュッと握ると
母も力弱くだが反応してくれて
あぁ、お母さん話さなくても通じてる。
まだ、生きていてくれてる。
大丈夫。まだ大丈夫。
病室に泊まり込んでいたけど
トイレ行ってる間に
お遣い行ってる間に
洗濯物している間に
少し病室から離れた隙に
寝ている間に死んじゃうかも。
そう思ったら
片時も母の側を離れられない。
眠ってはいけない。
手を繋いでいたい。
最期の時まで見届けたい。
独りにさせたくない。
独りで逝かせたくない。
母の同僚や友達が交代で
私達に食事など届けてくれた。
自分達がいる間に少し休みなさいとも。
有り難かった。
そして、その時が来た。
早朝、看護師がモニターの前に。
え?
私達姉妹は目を合わせた。
うっかり眠ってしまっていた。
もちろん、母と手は繋いだまま。
しばらくして
当直医が病室に来て
臨終を告げ出て行った。
母は死んだ、死んじゃった。
「よく、頑張った!頑張ったよ!」
妹の声が病室で響く。
険悪な仲の私にも
妹が「ね?」と私に涙顔を向けてきた。
私はただぼう然とし涙も出なかった。
私も妹も母の息が無くなる瞬間を
見届ける事は出来なかった。
でも、きっと
疲れた私達を寝かせてくれたんだね。
お前達少し寝な!って。
私達姉妹は母と手を繋ぎ
母に見守られながら眠ったのだ。
子供の時のように。
やっぱり、お母さんなんだ。
看護師に促され1度病室から出て
オッサンに連絡し母の死を告げたら
「あんたも頑張ったね」と言われ
声を上げ泣いてしまった。
朝焼けの空が
霞んだオレンジのように見えたのは
とめどなく流れる涙のせい。
10年前の9月24日の早朝
母は旅立っていった。
清々しい秋晴れの日だった。
遺影写真は
母の実家前で撮影した写真。
真裏には田園が広がり、
満面の笑みの母だった。
今年1月の旅行の前日に
母の親戚から突然届いたトマト🍅🍅
お母さんにお供えし
旅先に持って出掛けた。
トマト=おじいちゃんの私。
毎朝、海を眺めながら食べました🍅
母の命日まで
3ヶ月間毎日更新する!と
6月23日からブログ再開しましたが
途中で挫けそうになって
まずは8月末まで!と
日々いろいろな思いを抱きながら
命日まで無事に更新する事が出来ました。
大袈裟かもしれないけど
私の中では重要で意味ある事でした。
お読みいただきありがとうございました🙇♀️