覚せい剤使用の有名人、女性問題と不倫、政治家の必要経費の内容がとんでもない贅沢だった…
現実的に嘘がバレたりする中で、歴史の改ざん・隠蔽も徐々に明らかになって来ている様に感じるんだけど、、、
先週、今まで借りた事のないジャンルの本を借りて読んでみたんですよ。
小林文子さんの 『私の不思議な体験』
小林さんはご主人が亡くなった初盆辺りから 不思議な現象を体験してるの。
私も現在の科学では理解出来ない不思議な体験をしていたので、ちょっと興味が湧き手に取りました。
はじめは 奇妙な現象のお話を書いていた小林さんなんだけど、途中から 日本の歴史について語る様になります。
いま、NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』を観ているのだけど、時代がちょうど戦時中の苦しい時代を背景にしていて、観ていても重苦し〜くなります。
当時の日本は お国の為・天皇陛下の為と 個人の命の尊厳を無視していた独裁政治の時代。
日本人とはなんと冷酷な時代を生きていたのだろうか…と恥ずかしくなるほどです。
小林さんも 同じ戦争体験をされていて それがキッカケで神秘体験から導かれて日本の歴史をとことん調べていらした様です。
小林さんが調べた内容は、歴代の内閣総理大臣の中で近衛文磨などが、実は日本人ではなかった!という内容でした。
私は学生時代、歴史には余り興味が湧かず かなり知らない部類になります。
なので、書かれていた事を端折って書き移す事になりますが、、、
百済王族(恐らく今の北朝鮮)は、新羅(恐らく今の韓国)と長年戦い、ついに滅亡します。
そこで百済王族は日本に亡命するんですね。
日本は亡命してきた百済王族を受け入れるのですが、この百済王族の一人が 後の藤原鎌足で、その子孫が 日本の歴代総理大臣にもなった 近衛文磨だとの事。
近衛文磨は百済王族の血を継いでいて、母国を滅亡させた韓国をどうしても許すことが出来なかった。
そこで、戦争を仕掛けて行った。
しかも 百済王族が日本人に成りすました事は極秘内容で、知っている者をことごとく暗殺。
終いには天皇の暗殺も行い、すり替えが行われた。
明治天皇のすり替えがあった、というのは噂では聞いていたけど、百済王族が亡命して日本人に成りすましていた…というのは、妙に納得出来る気がします。
百済民族は日本人とは精神性が全く違い、闘争心の塊の様な民族だ!と小林さんは何度も文中に綴っていますが、戦争を経験した方だからこそ本心で言えることなんでしょうね。
この本を読む前日に、あるセミナーに参加して 同じ様な話を聞いていたんですよ。
その話がメーンではなかったんだけど、、、
北朝鮮の今の指導者 金正恩(キム・ジョンウン)の母親は、実は 拉致された横田めぐみさんだというのです。
ネットではかなり公表されていた様ですが、
つまりは横田めぐみさんは北朝鮮(百済王族)の血を継いでおり、日本の天皇の血も継いでいて(替え玉以降の天皇)、北朝鮮にすれば その血筋を絶対的に欲しかった、ということの様です。
シンクロは続いて、テレビをつけた途端に流れたのが 近衛文磨の ラジオで戦意を高めるやり方の話をしているところでした。
何故 こんなシンクロした情報が頻繁に入ってくるんだろう?と どう自分の感情を観て良いか判らなくなっていたんですが、、、
朝、とと姉ちゃん を観ていて思いました。
あの残酷な時代の指導者は、日本人ではなかったんだ!
真の日本人はやっぱり精神性が高く、愛に溢れたアイヌと琉球の先住民の血が流れているんだ!
2014年の2月
朝4時から世界瞑想に参加していた時、『柿本人麻呂』という言葉が出て来ました。
調べていく内に いろは歌に繋がったんです。
いろは歌には 暗号が込められているといいます。
『とがなくてしす』罪もないのに殺されていく。
日本の最古の歴史書 記紀(古事記・日本書紀)を改ざんした藤原不比等(鎌足の息子)は 聖徳太子の殺害を知って 無念の想いをいろは歌に込めた柿本人麻呂をも殺害した…
殺害を予感した柿本人麻呂は いろは歌に暗号として残した…と私は解釈しています。
ブログより
『聖徳太子・蘇我善徳が殺された真実が、日本書記によって捻じ曲げられたことを知った「柿本人麻呂」が、「いろは歌」の中にその真実を暗号として埋め込んだものだと考えることで、はじめてその整合性が整うのです。』
思った通り!!!
西暦645年、「蘇我入鹿」こと聖徳太子・蘇我善徳天皇を暗殺して、天皇となった天智天皇。中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺に関わった。
ブログより抜粋
『聖徳太子・蘇我善徳の長男・大海皇子・天武天皇のもとに大同団結した力が、弔い合戦・壬申の乱で勝利したのでしたが、藤原不比等の代以後、再び中大兄・天智天皇の直系の天皇が復活し、現在の皇室まで続いているというのが歴史の真実なのです。
藤原さん、佐藤さん、斉藤さん、伊藤さん、須藤さん、近藤さん、武藤さん、・・・・・・・と藤がつく人の数は、現日本人のなかでどれだけの割合をしめるでしょうか。
圧倒的多数であることは間違いないのです。
それは、1400年の時間経過の中で、百済が日本に写し替ったということに他ならないのです。
しかし、歴史の真実を求めてきた私たちが知らなければならない最も肝心なことは、聖徳太子・蘇我善徳は、自分を殺した中大兄と中臣鎌子を爪の垢ほども恨んではいないということなのです。』
真実の歴史を知ることは 日本のルーツを知ることになりますが、ここで過去に酷いことをされたからと 恨みの気持ちになると、聖徳太子が望まれていた『弥勒の世』から離れてしまうのでしょう。
ブログより
『万葉集には「詠み人知らず」といわれる歌がたくさん収録されていますが。
身分の高い天皇の歌も、名もない庶民に歌も、平等に残しているのですね。
この時代に、そのような平等の思想を体現していた人は、聖徳太子意外に該当者は見当たらない特殊な思想であったのですから。
聖徳太子は、身分が高い低いという基準ではなく、実際に能力のあるひとをどんどん登用した最初の人なのです。
聖徳太子が、何千とある仏教経典のなかから、「維摩経」「しょうまん経」「法華経」の三経典を選び出して日本の地に紹介したことからも明白なのです。
聖徳太子・蘇我善徳の現代への「蘇えり」とは将に、その思想の蘇りであるし、誰もが人間として尊重される「みろくの世」をこの地上世界に現実に顕現することに他ならないのです。』
中宮寺の如意輪観音 (聖徳太子の生母がモデルと言われています。)
追加させて頂きます。2019.2.8
昨日は聖徳太子の生誕1445年目でした。
昨日の朝から聖徳太子の事が気になって、2014年2月に瞑想して降りて来た《柿本人麻呂》と《48》の記事を探したのですが当時の記事には見当たらず、こちらの記事を読み直していました。
当時は百済が現在のどこかを探しても判らず、北朝鮮だと勝手に思ってしまったのですが、百済は現在の韓国でした。
そして藤原鎌足が聖徳太子を暗殺した首謀者だと思っていましたが、実は中大兄皇子(後の天智天皇)の家来の様な存在だった事も判明しました。
百済王の名前は聖王と呼び、日本書紀には聖王は聖徳太子だと書かれているそうですが、これも改ざんされた内容だと思います。
他にも色々判明した事があるので、おいおい書いて行こうと思います。