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マヤ暦の真実 (真実とは秘密のないこと)

2016-06-08 23:50:45 | 

久しぶりにマヤ暦に関する内容を書いてみます。

 
私がマヤ暦(当時はそう信じていた)と出会ったのは2011年7月21日でした。
伝統ツォルキン 5イミシュ
現代マヤ暦 K209
超古代マヤ暦 チチャン8年・ヤシュキン5月・キミ11日
 
この3つのマヤに関するキンを、5年後に知ることになるとは当時は思いもしませんでした。
 
当時は 教えて貰った現代マヤに没頭して、寝ないで色々な人のキンNo.を調べ、関係性を調べていました。
 
マヤ暦はマヤ文明が発展していた時代のずっと前からあったもので、それは18000年前のアトランティスの碩学者(高度な知能の科学僧)がもたらしたものです。
マヤの長老達には、マヤ文明が発展したきっかけはプレアデス星団から来たアトランティスの碩学者の教えがあったからで、時期が来たら必ず帰って来ると言って 故郷の星に帰って行った。
という伝承があります。
これはキチェマヤの長老 から直接伺った話です。http://inorinowa.org/osirase/tepo20120505_01.html

マヤ文明は16世紀にスペイン軍の侵略で滅亡した…と歴史には残っていますが、9世紀には一部衰退して突如として無くなった(居なくなった)地域もあります。
この“突如として”という部分が、現代の科学者や考古学者が理解出来ない部分なのですが、、、
 
アトランティスの科学僧達は高度なテクノロジーを使って、次元を超えた瞬間移動やピラミッドの建設なども行っていたようです。
ですからマヤの先住民が突如として居なくなった…というのは、次元を超えて見えなくなったと解釈出来ます。
 
そんな高度なテクノロジーを用いた文明では、歴史にある様な生け贄儀式はなく、とても平和的で豊かな文明だった様に思います。
 
9世紀、残された人達は 今でいうとアセンション出来なかったのでしょう。
残った僅かな天文学を頼りに、マヤ暦を伝承して来た様です。
そんなマヤ文明に カトリック教徒であるスペイン軍が侵略しに来て、大切なコデックスは焼かれ、神殿は破壊され、先住民の多くは殺されます。
 
注) 
 
 
コデックス(羅:Codex 西:Códice)とは写本の形状の一種で、古代末期から中世にかけてつくられた冊子状の写本のことである。 冊子本、冊子写本などと呼ばれることもある。 コデックスに対して、巻子本(巻物)をヴォリューム(羅:volumen)あるいはスクロール(scroll)という。

現在のマヤ暦と呼ばれている暦は、先住民から伝承されたものではなく スペイン軍の司祭が残した《ユカタン事物記》が元になっています。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ディエゴ・デ・ランダ

というのも、現在 マヤ暦 として広がっている暦は、1990年にホゼ・アグエイアス氏が出した著書《マヤン ファクター》を、翻訳した人達が “マヤン カレンダー” として広げたからでした。
ホゼ氏はメキシコのイッツァエ族の長老 フンバツ・メン氏から超古代マヤ暦を教わりますが、それとは別に独自で研究して、《ユカタン事物記》を元にした考古学者、エリック・トンプソン氏の資料からヒントを得ています。

ホゼ氏の13の月の暦 は新年が7月26日から始まり、前日の25日は“時間を外した日”とされていますが、その日こそスペインのカトリック教徒達にとって《聖なる始まりの日》とされる、サンティアゴ・デ・コンポステーラ (聖ヤコブの日)なのです。http://euro.typepad.jp/blog/2010/07/post-41cc.html

キリスト教のお祝いの日だから良いのではないか?とお考えなら、今一度キリスト ローマカトリック教を調べてみる必要があります。
過去、沢山の人がカトリック教の迫害に遭って来ました。カトリック教徒の伝道者マザー・テレサでさえ その犠牲者だったと思います。マザー・テレサが亡くなった後、彼女が如何に苦悩の人生を生きてきたのか。。http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-50/spnl-50-1.htm

マヤ文明の後を追ったアステカ帝国もスペイン軍カトリック教に滅ぼされました。現在のメキシコシティはアステカ帝国の跡に建てられた都市で、カトリック教徒の神殿(メトロポリタン大聖堂)は アステカ帝国のシンボルであった美しい神殿を破壊し、その材料で造られた建物で、僅か20年前に地下からアステカ帝国のシンボルである 《死の神》の骸骨が、初代のカトリック教司祭の棺の下に敷かれて封印されているのが発見されています。

マヤ文明やアステカ文明では 死 の概念が現代のモノとは違い、死は再生を意味するものでした。この死を克服して意識の再生を促す儀式が 秘密結社《フリーメイソン》の “秘密の儀式” でした。
当時のカトリック教皇は フリーメイソンに加わる人を拷問し殺害して、フリーメイソンは悪魔崇拝の儀式をする組織だと 内部告発の形で偽書物を出します。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フリーメイソン

それが元になって、ユダヤ人大虐殺のヒトラーが出現するのです。

とまぁ  マヤ暦を調べていたら 過去の歴史が判明して 西暦(グリゴリオ暦)が ローマカトリック教徒の為の暦だった!というのが解りました。

現在、3つのマヤ カレンダーが私の元にあるんですが、先ず13の月の暦は カトリック教の影響を受けている様に感じます。
過去にも、ホゼ氏はバチカン市国に自分の創作した暦を持ち込んで 関係者から素晴らしい暦だ!と賛辞されたそうです。これなら!とフンバツ・メン長老にマヤ暦と認めて欲しいと提示するも、メン長老からは
『これは伝統的なマヤ暦ではなく、私はそれを否定もしない。ただ 私とあなたの運命が違うだけだ。』と言われたとの記録があります。

マヤ遺跡の石碑には2011年10月28日は13アハウと記されているそうですが、先日テレビでマヤ遺跡の特集をしていた時に観たのは、西暦792年8月6日が 13チチャン・13 ヤシュと記されていると。

3つのカレンダーで調べると、伝統マヤ暦(キチェマヤ暦)が、同じ年の8月4日が13チチャン・13ヤシュでした。グリゴリオ暦はユリウス暦から改暦された暦で、ユリウス暦の時に閏年の計算を行なわない時があった様ですから、2日間の違いは納得出来ます。また2011年10月28日は13アハウになります。

この石碑がスペイン侵略前の物なのかは定かではありませんが、グアテマラが一番最後までスペイン軍に降伏しなかったという話も聞いているので、私個人としては キチェマヤ暦を基本にしながら、名前や数字の意味は超古代マヤ暦に準ずる事にしようと思っています。

ホゼ氏の現代ツォルキンですが、これはユカタン地方の超古代マヤ暦が元になっています。
20の紋章はホゼ氏が創ったものではなく、ハアブ暦の聖なる日の名前から取っています。
極性キンと呼ばれるキンNo.は、ハアブ暦の年の聖なる名前と、毎年来る年のキンNo.を現代ツォルキンのNo.に当てたものです。

マヤ暦®あすわさんが仰る様な、8次元のパカル・ヴォタンからの啓示とは とても考えられません。

それでも現代ツォルキンを意識する事でシンクロは起きます。
何故シンクロが起きるのか?  
やはりツォルキンの13の音や20の紋章を意識する事もシンクロする一因だと思います。
そして西暦が私達のDNAに無意識に影響していて それが集合意識とシンクロするからだと思います。

私達は無意識レベルで何者かから意識をコントロールされています。
そのコントロールする意識体を闇の存在としてフォーカスするか、光の存在としてフォーカスするか、
もっと分かり易く書くと、現代ツォルキンは人間として生きるエゴのコントロールに一役買っているということなんじゃないだろうか?と思うのです。

私達はエゴが本当の自分ではなく、スピリットとして肉体に宿って生きる霊的な存在が本当の自分ですから、伝統マヤ暦が出しているキンが本当の自分に繋がるものだと 感じるのです。
そして超古代マヤ暦は、それをサポートする高次元のメッセージの様に感じます。

昨年、ホピ族の長老から予言を伝授されたという方のスピリチャルセッションを受けた時、私へのメッセージは伝統マヤ暦のキンそのものでした。

ここ数ヶ月、ずっと悩んで来たマヤ暦ですが、昨日6日は伝統マヤ暦では カン7日で、判断力・良識・活力・成熟と7つのエネルギーセンターの意味がありました。

超古代マヤ暦では 記憶はフナブクの領域なので 記憶を求める時はフナブクの許可を受けること…とあり、一所懸命 太陽瞑想をしたのでした。
正しい情報はフナブクの記憶から来ていると思います。
フナブクとは13と20の両方の意味を持つ全ての中心のエネルギーのことでした。
現代マヤ暦を知っていたから伝統マヤ暦も超古代マヤ暦も理解出来る知識でした。
なので私も現代ツォルキンを否定するのではなく、3つのマヤのカレンダーを融合していこうと考えました。

暦の中には聖書暦というものもありました。
日本の太陰太陽暦と同じで月と太陽の動きを示す暦ですが、西暦も約束事などで取り入れています。西暦(グリゴリオ暦)は一年の周期の太陽暦としては優秀な暦ですが、新年に当たる1月1日も、古代ローマ帝国の紀年法が採用されています。
12月25日をキリストの誕生日として、それから7日目を新年とする。
この日は古代の国々では太陽神を祝う日です。
日本では旧暦元旦が天照が誕生した日ということになると思います。

西暦の影響は12×60の人工的時間の意味というより、ローマカトリック教をコントロールしているネガティヴ宇宙人の影響なんだと、最近感じるのです。

西暦を無視して生活する事は、改暦しない限り無理だと思います。
であれば、自らが宇宙の13×20に意識を向けるか、
日本の太陰太陽暦(昔の天保暦)に意識を向けて、四大元素や五感を磨く事が大事なのではないか?と感じています。

旧暦の復活が望ましいところだわ。
いま、何故 旧暦なのか?http://88d.jp/why/

 
 


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