製作国イギリス
上映時間 108分
監督アシフ・カパディア
1994年にレース中の事故で他界したF1ドライバー、アイルトン・セナの実像に迫るドキュメンタリー。天性のドライビング・テクニックと甘いマスクでファンを魅了し、その裏に秘めた闘志で数々の名勝負を繰り広げ「音速の貴公子」の愛称で親しまれた。その栄光の軌跡と知られざる葛藤を、彼自身へのインタビューやレース関係者、家族の証言を基に浮き彫りにする。ふんだんに盛り込まれた大迫力のレース映像や、貴重なプライベート映像の数々は必見。
類い希な才能と貪欲なまでの闘争心を武器に、24歳でF1デビューを飾るや、またたくまに世界の頂点へと登り詰め、数々の栄光を手に、わずか34歳で突如この世を去った“音速の貴公子”アイルトン・セナ。今なお多くの人に語り継がれ、愛され続ける彼の輝かしいドライバー人生の光と影に迫るドキュメンタリー。
1960年、セナはサンパウロの裕福な家に生まれ、温かな家族に愛されて、好きなカートからプロの道に。
1984年にF1鮮烈デビューを果たし、
3度のワールドチャンピオンとなり輝かしい成績を残しながら、
1994年5月、イモラの空に散りました―。
日本人初のF1フルタイムドライバーが誕生した1987年に、
ようやくF1ドライバーとなった中島悟の所属するロータスホンダのエースドライバーが若きセナでした。
中島もそうでしたが、物腰が柔らかく、謙虚で、直ぐに大好きになりました。
冒頭で彼の母親が、「今日も彼は誠実だった」そのことがとても重要だというんですよね.....。
この言葉と、セナが何度か口にする、「(レースに必要なのは)お金と政治(力)」が忘れられないです。
ブラジルでは富裕層のセナにこう云わせるんですから(事実、資金不足で一度ヨーロッパ留学から帰国しています)
中島がF1デビューすることがいかに大変な道のりだったか、そしてそれを維持していくのも、どれほどの努力だったか、
きっと想像もできない大きな壁もあったことでしょう。
年齢差もあって、スタイルも違うのに、天パーの二人は(笑)ギスギス感がなくて、いいチームメイトだったように思えました。
沢山の努力と、それをみつけ評価してくれる人との出会い、
頑張っても深まる孤独感、プレッシャー、そして天才ゆえにターゲットにされることも宿命だったのか。。。
本田宗一郎との出会い、そして信頼関係を保ちながら、
一方で、ヨーロッパ各国のF1ドライバーの中で、中島とセナは言葉や文化の違いだけではないチカラに
いつもある種の脅威があったように昔から感じていました。
この作品は、たくさんの日本からの映像が含まれているので、当時からご覧の方には何も目新しいことはないですが、
それでも、セナのマクラーレン移籍と同時にホンダエンジンが搭載され、
セナの快進撃が始まるということは同時に、プロストとの確執の始まりでもあり、FISA会長の圧力との闘いの始まりでもあり、
当時のセナの置かれた状況を赤裸々に映しています。
毎年チャンピオンシップがかかっている状況で日本GPを迎え、そのドラマの中心にはセナがいました。
鈴鹿の風にゆれる日の丸に負けないくらい沢山のブラジルの鮮やかな国旗がはためいて、セナ人気の高さを現していました。
ウイニングランの途中、セナの母国への愛を知る日本のファンがブラジル国旗を手渡したことがありました。。。
心が折れそうな悲しいことも、嬉しいことも沢山あった鈴鹿。
笑っていても、怒った時でさえ、どこか悲しげなセナ。
世界中でブラジルの国旗を背負って戦った、ブラジル国民の希望の星だったセナ―。
コースの外にも内にもあった戦いが、あの日終わったのでした。――観ていました。凍りつきました。
34歳。
奇しくもその同じ34歳で中島はF1デビューしたことを思えば、いかにも早すぎる天才レーサーの生涯でした。
上映時間 108分
監督アシフ・カパディア
1994年にレース中の事故で他界したF1ドライバー、アイルトン・セナの実像に迫るドキュメンタリー。天性のドライビング・テクニックと甘いマスクでファンを魅了し、その裏に秘めた闘志で数々の名勝負を繰り広げ「音速の貴公子」の愛称で親しまれた。その栄光の軌跡と知られざる葛藤を、彼自身へのインタビューやレース関係者、家族の証言を基に浮き彫りにする。ふんだんに盛り込まれた大迫力のレース映像や、貴重なプライベート映像の数々は必見。
類い希な才能と貪欲なまでの闘争心を武器に、24歳でF1デビューを飾るや、またたくまに世界の頂点へと登り詰め、数々の栄光を手に、わずか34歳で突如この世を去った“音速の貴公子”アイルトン・セナ。今なお多くの人に語り継がれ、愛され続ける彼の輝かしいドライバー人生の光と影に迫るドキュメンタリー。
1960年、セナはサンパウロの裕福な家に生まれ、温かな家族に愛されて、好きなカートからプロの道に。
1984年にF1鮮烈デビューを果たし、
3度のワールドチャンピオンとなり輝かしい成績を残しながら、
1994年5月、イモラの空に散りました―。
日本人初のF1フルタイムドライバーが誕生した1987年に、
ようやくF1ドライバーとなった中島悟の所属するロータスホンダのエースドライバーが若きセナでした。
中島もそうでしたが、物腰が柔らかく、謙虚で、直ぐに大好きになりました。
冒頭で彼の母親が、「今日も彼は誠実だった」そのことがとても重要だというんですよね.....。
この言葉と、セナが何度か口にする、「(レースに必要なのは)お金と政治(力)」が忘れられないです。
ブラジルでは富裕層のセナにこう云わせるんですから(事実、資金不足で一度ヨーロッパ留学から帰国しています)
中島がF1デビューすることがいかに大変な道のりだったか、そしてそれを維持していくのも、どれほどの努力だったか、
きっと想像もできない大きな壁もあったことでしょう。
年齢差もあって、スタイルも違うのに、天パーの二人は(笑)ギスギス感がなくて、いいチームメイトだったように思えました。
沢山の努力と、それをみつけ評価してくれる人との出会い、
頑張っても深まる孤独感、プレッシャー、そして天才ゆえにターゲットにされることも宿命だったのか。。。
本田宗一郎との出会い、そして信頼関係を保ちながら、
一方で、ヨーロッパ各国のF1ドライバーの中で、中島とセナは言葉や文化の違いだけではないチカラに
いつもある種の脅威があったように昔から感じていました。
この作品は、たくさんの日本からの映像が含まれているので、当時からご覧の方には何も目新しいことはないですが、
それでも、セナのマクラーレン移籍と同時にホンダエンジンが搭載され、
セナの快進撃が始まるということは同時に、プロストとの確執の始まりでもあり、FISA会長の圧力との闘いの始まりでもあり、
当時のセナの置かれた状況を赤裸々に映しています。
毎年チャンピオンシップがかかっている状況で日本GPを迎え、そのドラマの中心にはセナがいました。
鈴鹿の風にゆれる日の丸に負けないくらい沢山のブラジルの鮮やかな国旗がはためいて、セナ人気の高さを現していました。
ウイニングランの途中、セナの母国への愛を知る日本のファンがブラジル国旗を手渡したことがありました。。。
心が折れそうな悲しいことも、嬉しいことも沢山あった鈴鹿。
笑っていても、怒った時でさえ、どこか悲しげなセナ。
世界中でブラジルの国旗を背負って戦った、ブラジル国民の希望の星だったセナ―。
コースの外にも内にもあった戦いが、あの日終わったのでした。――観ていました。凍りつきました。
34歳。
奇しくもその同じ34歳で中島はF1デビューしたことを思えば、いかにも早すぎる天才レーサーの生涯でした。
リアルタイムで観てました。
正直、命を落としてしまうほどの
大事故には見えず、亡くなったと知ったときは
本当にびっくりで信じられませんでした。
私ね、初めて自分で買った車がホンダの
ワンダーシビックで、
(この車のデザインは斬新だった~)以降、
ずっとホンダ車のファン。
それがキッカケというわけでもないのですが
F1にも興味を持ち、あれよあれよいうまに
ディープなファンに。
(と言っても、ホンダがF1に参戦してたとき
限定ですけど)
F1熱が昂じて、ホンダのディーラーにまで
勤めてしまいました^^;
観戦チケットが手に入りやすかったり、
F1グッズが仕入れ値で買えたりと、
魅力的な職場でした(笑)
セナ亡きあともたくさんのスターがF1の舞台に
登場しましたが、彼がいた頃ほどの
盛り上がりや、輝きを感じられないのは
私だけでしょうか。
物憂げでいつも遠くを見ているような
彼の瞳が強く印象に残っています。
この映画、近くの劇場で公開されることを
願っています。
自分は、この作品は観ません。泣くのはもう嫌ですから。
ファンひとりひとりの心の中にいてくれれば、それで十分です。
あらためて彼のご冥福を祈りたいです。
新旧交代という言葉が頭にチラ付き始めたころでした。
シューマッハとセナ。
トップを走るシューマッハをメカトラブルを抱えながらも懸命に追い縋ろうする2位走行のセナ。
それが、まさかあんなことになってしまうレースになるとは・・・。
16戦中15勝というマクラーレン・ホンダのぶっちぎりに一時はレースがつまらなくなりましたが
人間ドラマの部分で不思議と盛り上がったような感じでした。
kiraさんがF1をご覧になっていたとは、なんだか嬉しいです。
年末の総集編も楽しみの一つでした…( ̄  ̄) (_ _)うんうん
セナが亡くなった時は「残念」の一言でした( ̄ーÅ)ホロリ
本当にコクピットから放り出されているわけでもなく.....
ですが、
あのレースは予選から事故が相次ぎました。。
なのでヘリが飛び立つまでのあの長い時間が…
中島が去り、セナが去り、ホンダが去り、
急速に熱が冷めていきました。
>F1熱が昂じて、ホンダのディーラーにまで
勤めてしまいました
えぇぇ~~っ
スゴイっ!!さすがゆうさん!
一直線ですね~
観戦チケットもグッズも羨ましいです(笑)
まぁ、流石に観戦には行かなかったと思うけど
ドライバーズミーティングの模様で一部と、
プラベ映像などの他は多分既に、知ってる映像ばかりでした。
あ、セナのオンボードカメラの映像は迫力でしたね。
DVD買っても多分保存用で、観れないと思う。
そうですよね・・・
私も逡巡しました。
観るとあの頃のままのセナに、スッとタイムスリップしてしまうんですよ。
私の周りの人も(殆ど男性)静かに泣いてらっしゃいましたね。。。
途中で書くのを止めようかと思いましたよ
F1を観戦するようになった頃は、私も闘っていた頃で(笑)
まさに「金と政治」という構図は共感して観ていたものです。
中島ありき、ホンダありきでしたが、すぐにセナにも参りました。
セナプロもそうでした。セナとマンセルも面白かった。
中島ピケも、いろいろありました。
そして若い、強いシューマッハが現れて、、、
でも、あのイモラは予選から波乱があって、
マシンもアレだったし、予感がしてたんだよね、セナ。
あ、私の周りにも、プロスト派はいましたが、
これは観ないだろうなぁ~。
JUNさんはもしやシューマッハ全盛期のひとですか~?年代的に
そう!
その総集編、保存してありますが、、、VHSです
これは観るとすぐにあの頃にタイムスリップしちゃいますよ
いたのね^^
中島から見始めたのは、うちも同じです(^^)
2人とも謙虚で誠実で寡黙で、そして本当に
車が(ドライビングが)純粋に好きって言うのが伝わってきましたよね(^_-)-☆
映画は、確かにF1が好きで見ていた人には目新しい映像ではなかったですが、それでも、あらためて、F1は本当にカネと政治なんだと思いしらされました。。。そしてセナの姿が見れて嬉しくもあり切なくもありました(T^T)
PP2回とって、トップのまま散ってしまったセナ(T^T)私にとっては、永遠に最速、最高の
F1ドライバーです!
そそ、うちもVHSで録画して
あります(^_-)-☆
中島のロータス時代はまだ独身でしたので、
いつも夜中にひとりでトキメイて観ていたのよ(笑)
>2人とも謙虚で誠実で寡黙で
いつもインタビューの彼らは、
余計な言葉を削って(呑み込んで)シンプルに伝えていましたね。
そこが凄く好きでした。
武士道を感じるふたりでした。。
最期のレースは確かに気持ち的には迫られていたでしょうが、
「あそこはキケン」という抗議はしていたこと、
それが、、リアルに思い出されました。
セナが最速!
セナがNO1
VHSが観れたとしても、やっぱり手が出なかったでしょうね。