このシリーズがあったこと自体、僕自身、忘れてたような…。
正直、ネタ切れ感もあります。
中世(16~17世紀)のオランダは、ヨーロッパの他国からみると、
よほど輝いた存在だったらしい。
17世紀末、はるばるロシアからひとりの20代の若者がきて、
アムステルダムで約2年間、船大工として働いた。
手先が器用な大男で、現場で丸太を運んだり、船の構造を勉強したりした。
このオランダ語読みで「ピーテル」とよばれていた若者こそ、
大帝と称されたロシア皇帝(ツァーリ)のピョートル1世だった。
ピョートル1世は、1672年、ツァーリの子としてモスクワに生まれた。
3歳で父を失い、10歳という年少でツァーリになった。
当時、ロシアは農業だけの田舎国といった印象で、
ヨーロッパ文明からみると、技術や工業の面でかなりおくれを取っていた。
ピョートルは、生まれつき技術が好きで、モスクワ郊外の外国人居留地に入り浸り、
数学・哲学・神学・機械、とりわけ軍事・海事の技術を学んだ。
はてには歯科技術までも習得し、
よほどおもしろかったのか、侍臣の貴族たちの歯をやたら抜いた。
この外国人村は、政府から招かれたり、自らのウデを売りこみにきた
西方文明の技術者や学者たちの集落だった。
知識欲が旺盛だったピョートルだが、学理よりも職人仕事のほうが好きで、その技術は群を抜いていた。
ある局地戦で、皇帝であるにもかかわらず、こっそりと前線で一砲手として戦ったこともあるらしい。
こういう技術好きの若者にとって、船大工の修行をすることは、趣味の部類に属していたにちがいない。
このお忍び修行については、東インド会社の社長だけが知っていて、
現場のだれもが、この器用な青年がロシア皇帝であることを知らなかった。
ピョートルが働いていた現場は、ロシアが注文した軍艦の建造工場だった。
ということは、ロシア海軍は、ツァーリ自らがつくった軍艦に乗っていたことになる。
黄金期オランダの許容量の大きさを書こう思いキーボードにむかったのだが、
ついピョートル1世のほうに軸足をとられてしまった。
ともかくも、ピョートルのもとでロシアは組織だった国家に成長し、領土も爆発的に拡大した。
彼がオランダで学んだのは造船術だけでなく、オランダ国家そのものだったのではないか。
のちに大帝ピョートル1世は、大貴族の特権の廃止、貴族と教会の皇帝への従属、
産業・教育の奨励、国家行政機構の近代化などの内政改革をおこない、
徴兵制をとりいれ、バルチック艦隊を新設した。
また、ロシア文字の簡素化、アラビア数字の導入、はじめてのロシア語新聞の発行、
各種学校の設立、科学アカデミーの創設など文化面での近代化もすすめた。
オランダの功績といっていいと思う。
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