感想の前に、予定確認などを(笑)
「光る君へ」の総集編は、12月29日12時15分から。一の巻から終の巻まで5話。終了が16時3分。
その後《「光る君へ」グランドフィナーレ〜まひろと道長からありがとう〜》。吉高由里子と柄本佑、そして作者の大石静香が今だから語れる撮影秘話などを。
それが16時23分まで。
その後「道長さんぽ」。道長役の柄本佑がゆかりの地をなどを訪ねます。
こんな流れで29日は、「光る君へ」の余韻に浸れますね。
あっ、そうそう。「道長さんぽ」は16時23分から33分まで。
えっ、ええー!?
これ、期待していたのに、たった10分の番組だったのですね。
そこはちょっと残念なような気がしますが、こんな風に一つ一つが終わっていくのですよね。
というわけで、「光る君へ」の感想です。
このドラマの感想は、9話まで書いていました。大好きなドラマだったので、書き続けられたら良かったのにと、少々悔いの気持ちが残ります。
止めてしまったのは、そんなに明確な理由があったわけではなかったのでした。
別に散楽の一員 直秀(なおひで)ロスになってしまったからではありません。
言えるのは、なんとはなしの体調不良に理由があったように思います。あとで検査したら白血球が異常な数字を出していました。そのくせそれを知らずあっちに行ったりこっちに行ったりとで、毎日遊んで暮らしていました。
その頃から畑も借りました。
いや、そんな話はどうでも良い事でした。10話はタイトルまでは下書きに入っていました。書く気満々だったと思います。
ただ私、好き度が高いと、大河のあとにかなりあっちに飛んだりこっちで調べたりと、時間を費やしながら余韻を楽しむ習慣があって、その時も花山天皇の出家の大事件を調べていたのです。そしてその時に『疲れ』を感じて、そのまま毎週感想を書くことから離脱してしまったのでした。
この花山天皇を本郷奏多が個性的で魅力的に演じ、惹きつけられましたね。
そして
この絵にも惹きつけられました。
花山天皇は、その後も長徳の変で登場してきて、中関白家の伊周たちは失脚する原因を作りました(原因を作ったのは伊周たちですが。)
ほんと。簡単で良いからずっと書けば良かったと、繰り返しですが思ってしまいました。
なぜならこんなにいろいろあったのに、最後にワン記事では書ききれないからです。
本当に魅力的なエピソードがいっぱいでしたね。
先に直秀ロスになったからではないと書きましたが、ほんの微かにはあったかもしれません。
彼がいた頃、私は身分の違う三人の友情物語かと思っていた節があるのです。だから彼が死んでしまって、吃驚しました。
だけど後になって彼は物語の上でも、とっても大事な役割を持って登場してきたのだと思いました。
言うなれば、道長とまひろに共通の深い悲しみを持たせ、二人の共通世界の礎の人だったのでしょうか。
道兼の最後、伊周の人生、定子の儚さ、晴明の魅力・・・・
そして彰子の成長、美しかった一条天皇、強かった倫子の魅力、道長の周りの貴族たち・・・
可愛らしかった弟の惟規、寛容だった夫の宣孝・・・
描ききれないから書かないだけですが、みな魅力がいっぱいの登場人物でしたね。
この楽しくてワクワクした一年を彩った方々に、感謝の気持ちさえ感じます。
この「光る君へ」の中の気になるエピソードなどは、また別の機会に少しだけ書いて行こうかと思います。その時はドラマの話とは離れるかもしれませんが。
このシナリオって本当によく出来た傑作だったのだなと強く感じたのは、若武者 双寿丸(そうじゅまる)の存在でした。
いったい彼は、何のために出て来たのかと思っていました。誰かの息子でもない彼は、まさかイケメン枠の補充ではあるまいなとか思ってみたりみなかったりとか(笑)
それとも賢子を失恋させ、宮中に向かわせるための要因だったのでしょうか。
それが最終回で、強くその存在意義を放ちました。
彼は次の時代の象徴だったのですね。
やがて来る武士の時代の。
「道長様・・・・」
「嵐が来るわ」
で、まひろのアップのストップモーションで終わりました。
この物語、「完」とか「終わり」とか最後に出なかったことが話題になりました。
誰かが儚く消えて行っても、みなその後の人生は続き、そして時代も川の流れのように留まることはないのでしょう。
そうのような事を隆家(伊周の弟)も言っていましたよね。
道長の守った平安の世は、やがて力でのし上がっていく武士の時代に流れていくという最後だったのでしょうか。
子供の頃、清少納言も紫式部も美しい名前だと思いながらも、実はあまり好きではありませんでした。なぜならそれは彼女たちの役職名だったと思うからです。
「蜻蛉日記」の作者は、藤原道綱の母。なんだか論外という感じ。
まるでこのブログだったら「ルート君ママ」という名前になってしまうのですよね。
ブログだとワンコ、ニャンコのママと言うハンドルネームがあるじゃないですか。まるで、そんな感じがしませんか。作品の作者名だからペンネームと思えば良いのかと思うのですが、反面、彼女たちの本当の名前は何だったのだろうかと思っていたのです。
歴史に名を遺す。その野望は男のみのものではなかったと思います。
だけど政治にも大きく影響を与えた平安文学の代表作の作者は、その本当の名前が残っていくことがありませんでした。(説はあるようですが)
そんな彼女たちに、まひろやききょうと言う名前を与え、この平安を生き生きと生かしたこの物語は素晴らしいと思いました。
そして何よりも、鳥肌ものだったのは、学校でも道長の権力を誇った歌と習った「望月の・・・」の歌が道長がまひろに贈った愛の歌にしか聞こえてこなかったところでしょうか。最終回の日、今年最後の満月で、この日を狙って最終回にしたのかと思ってしまいました。
12月15日の月です。(トップ画像も。電線邪魔。消すともっと変・涙)
どんなに離れてしまっても、かの人と同じ月を見ている―。
それは私たちにも同じことが言えるのではないですか。
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」
(月岡 芳年(つきおか よしとし)作)
石山寺にはいつか行ってみたいものですね。