振り向いて
何も出来ない でくのぼう
過去の私を 私がなじる
じゃあ今を
ちゃんと生きてると 言えるのか
過去の私が 私をなじる
7月16日(土)。本当は前日の金曜日にいろいろと動こうと思っていました。ところがテレビであんまり「ゲリラ豪雨の危険」を言うものだから、止めて家の片付けに終始していました。
それで土曜日の日に小雨決行という事で、その予定の「あれやこれや」をやっていく事にしました。
一つ目は「図書館に行って本の返却と借りてくる。」と言うものです。
ツイッターで「あれやこれや」の「や」とか書きこんでいたので、図書館の部分が【あ】ですね。
日にちをずらして大正解でした。「今日返ってきた本」と言うコーナーの中に、買おうかと思っていた本が置いてありました。
「マジですか!?」と言う気持ちになって、それも借りてくる事が出来たのですから。
小雨振る図書館からの帰り道、空き地の野の花が咲き誇っていました。
マリアアザミと検索したら出てきました。この花の花の落ちた後か、もしくはこれから咲くと言うのか、この緑のポンポンのところが、とっても可愛らしく感じました。
「野の花を愛でる会」、もしくは「野の花マニア」の私の、これが「あれやこれや」の【れ】でしょうか。
因みに「野の花を愛でる会」と言いましても、会員は私一人ですが(笑)
侵略的外来種ワースト100にも選定されている、ヒメジョオン。
実はこの花が道端で群れていないで咲いている時、時々その可憐な白さに、清楚さを感じて綺麗だなと思う時があります。
本当は繁殖力が半端ない、駆除対象の花なのですよね。
ここの空き地では思う存分、繁殖してた・・・・・。
来年が怖いよ、これ。
Wikipediaに寄れば
『1個体あたり47,000以上の種子を生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっている。したがって、駆除がとても難しい。』
群れて咲き過ぎて、あまり綺麗には感じる事は出来ませんでした。
だけど下の一枚、結構好きな写真です。
何処がって言われそうですが、見る所がたくさんあってと言う所でしょうか。
若い葉っぱだなとか、
老いたものには老いたなりの美しさが・・・・とか
別の一枚からですが、(電線邪魔)、無謀に飛び出す若い花とか・・・
もっと見ていたかったけれど、もうその時時刻は12時で次の所に移動しなければと、この空き地前を離れました。
ついでながら、上に載せた短歌ですが、「昔は何にも出来なくて、そしてやろうともしなかったな。」と言う悔いの想いが胸に広がって来て、最初にノートに書き込んだのが、
振り向けば
何も出来ない でくのぼう
過去の私が 私をなじる
「いや、違うって。なんで過去の私になじられなくちゃならないのよ。いや、この方がすっきりしてるけれどさ、なじっているのは今の私よ。助詞って本当に大事よね。」となったわけです。
ですが過去の私からも反撃されました。
ちゃんと生きなきゃ。
でもちゃんと生きるって、どういうことを言うんだろう・・・。