森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

たまには指を折って文字を数えてみた その2

2022-07-18 02:43:16 | 詩、小説

振り向いて

何も出来ない でくのぼう

過去の私を 私がなじる

じゃあ今を

ちゃんと生きてると 言えるのか

過去の私が 私をなじる

7月16日(土)。本当は前日の金曜日にいろいろと動こうと思っていました。ところがテレビであんまり「ゲリラ豪雨の危険」を言うものだから、止めて家の片付けに終始していました。

それで土曜日の日に小雨決行という事で、その予定の「あれやこれや」をやっていく事にしました。

一つ目は「図書館に行って本の返却と借りてくる。」と言うものです。

ツイッターで「あれやこれや」の「や」とか書きこんでいたので、図書館の部分が【あ】ですね。

日にちをずらして大正解でした。「今日返ってきた本」と言うコーナーの中に、買おうかと思っていた本が置いてありました。

「マジですか!?」と言う気持ちになって、それも借りてくる事が出来たのですから。

 

小雨振る図書館からの帰り道、空き地の野の花が咲き誇っていました。

マリアアザミと検索したら出てきました。この花の花の落ちた後か、もしくはこれから咲くと言うのか、この緑のポンポンのところが、とっても可愛らしく感じました。

「野の花を愛でる会」、もしくは「野の花マニア」の私の、これが「あれやこれや」の【れ】でしょうか。

因みに「野の花を愛でる会」と言いましても、会員は私一人ですが(笑)

 

侵略的外来種ワースト100にも選定されている、ヒメジョオン。

実はこの花が道端で群れていないで咲いている時、時々その可憐な白さに、清楚さを感じて綺麗だなと思う時があります。

本当は繁殖力が半端ない、駆除対象の花なのですよね。

ここの空き地では思う存分、繁殖してた・・・・・。

来年が怖いよ、これ。

Wikipediaに寄れば

『1個体あたり47,000以上の種子を生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっている。したがって、駆除がとても難しい。』

群れて咲き過ぎて、あまり綺麗には感じる事は出来ませんでした。

だけど下の一枚、結構好きな写真です。

何処がって言われそうですが、見る所がたくさんあってと言う所でしょうか。

 

若い葉っぱだなとか、

老いたものには老いたなりの美しさが・・・・とか

別の一枚からですが、(電線邪魔)、無謀に飛び出す若い花とか・・・

もっと見ていたかったけれど、もうその時時刻は12時で次の所に移動しなければと、この空き地前を離れました。

 

ついでながら、上に載せた短歌ですが、「昔は何にも出来なくて、そしてやろうともしなかったな。」と言う悔いの想いが胸に広がって来て、最初にノートに書き込んだのが、

振り向けば

何も出来ない でくのぼう

過去の私が 私をなじる

 

「いや、違うって。なんで過去の私になじられなくちゃならないのよ。いや、この方がすっきりしてるけれどさ、なじっているのは今の私よ。助詞って本当に大事よね。」となったわけです。

ですが過去の私からも反撃されました。

ちゃんと生きなきゃ。

でもちゃんと生きるって、どういうことを言うんだろう・・・。


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