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「サンセットクルーズ」番外編。
姪も含めて女五人が集合したわけですから、賑やかでない訳が在りません。
ちなみにトップの画像は、お食事のメイン「イベリコ豚のソテー」です。久しぶりにリッチなディナーでした。
← 前菜
お食事の写真をすべて撮ったわけではなく、メインと前菜だけ。だけどなんとなく雰囲気が伝わったと思います。
美味しかったですよ。
夏は山梨にお墓参りをかねて根場と言うところには行きましたが、他にはこれと言って外出もなかったからか、この日はちょっと弾けてしまいました。おしゃべりも女子トークですし、凄く楽しかったのです。
ところで近頃の私は、お酒を体がぜんぜん受け付ける事が出来ません。最初の乾杯用にと頼んだ白ワインも半分くらいでギブです。だから酔っ払うわけもないのです。
ところが姉と妹の言った言葉が可笑しくて笑い止らず。
さながらひとりで酔っ払っている人のようでした。なんだか笑いに飢えていたのかしら、私。
書くと大した事はないですよ。普通の言葉です。
妹がビールを追加で頼むと、姉が
「私には烏龍茶をいただけないでしょうか。」と言いました。
言葉は否定形・疑問形を重ねる事でより丁寧になっていくのです。
非常に丁寧に烏龍茶を注文しただけなのですが、よそ様のうちに御呼ばれしたわけでもないのに、そこまで丁寧に言うかと思ったら、可笑しくて。
加えて、疑問形で言われたら、答えに「ノー」の可能性だってありえるわけで(普通はない)、
「いや、それは断る。」とお世話してくださる給仕さんの代わりに言ってみる私。もちろんそれって心の中でですが、凄く可笑しくなってしまったのです。
それは普通に姉妹たちに、何故私が笑っているのかを話して、一緒に笑いあいましたが、どう考えても酔っ払いトークのような。
その程度で、私の脳のハードルに引っかかってしまうのに、最後の方に今度は妹がまたおかしなことを言いました。
「最後に赤ワインを一杯だけ下さい。」
でもこれも普通に聞き流せると思うのです。
だから普通は。
だって私たちは5人なのですから、注文はその中の一人だけの注文ですよ、そしてラストオーダーですよと言う親切な言い方と受け取れると思うのですよね。私が笑い出さなければ、何もおかしな所はないはずです。
でも私、妹の心の声が聞こえてきてしまったのです。
―もうみんな誰も飲んでいないわ。でも私は飲み足りないな。良しここは譲歩して、後一杯だけ飲んじゃおう。これが最後!―
で、
「最後に赤ワインを一杯だけ下さい。」
給仕様から見たら、笑っている私が変な人にしか見えないと思うのだけれど、やっぱり楽しい言葉に聞こえませんか。
女子トークですし、このお話、どこが面白いのかさっぱりわからない人も居るかもしれませんね。
まあ、私が楽しかった事だけは伝わったと思います。
やはり気のあった者たちとの集まりは楽しいものです。それにうちの家族は、内々には酷い言葉遣いをしているときもあるけれど、基本は丁寧な人たちで、いろいろ謙虚な姿勢の人たちなのだと確認しました。
この日の前日、私はトアル電話でぶち切れていましたから、この人たちの言葉の使い方が嬉しかったのかも知れません。トアル電話でぶち切れた話は、如何に私が短気なのかを晒すようなものなので書きませんが、姉妹たちには言いつけました(女子トークですから)
「しっかりそいつの名前を聞いたの。名指しで弾劾しないと、またやるよ、その人。」と、もちろん姉妹は私の味方です。
そう言う点は、はっきり言って迂闊です。「誰が」と言うのは私には余り意味がないような気がするのです。だって個人名名指しで苦情の電話をするなんて、私にはあり得ないからです。もしそれで、その人が窓際に行くようなことになったらイヤじゃないですか。いつもやってしまうと言うのなら、いつか勝手に痛い目に合いますよ。
言葉は気持ちの表れで、ちょっとした言葉の端々に出てしまうものなのですよね。謙虚さを欠いた言葉は時には傲慢に聞こえてしまう事もあるのかもしれません。
「誰が」と言うことは忘れても、案外言われた事はずっと覚えているものですよ。
ある人が保健婦さんに母乳が出ないことを嘆いたら、
「おっぱいがでない事が分かってたなら、子供なんか産まなきゃ良かったのに。」と言われたのですよ。
余りにも信じられない言葉なので、言った人には違う趣旨があったのかもしれませんが、その一言が酷すぎて、本来の趣旨にたどり着けません。はっきり言ってサイテー。
伝え辛い事、逆に事務的な連絡、謙虚な姿勢で丁寧に話していかなければならないなと思います。自戒も込めて。