「姉妹で行こう💛仙台その2☆瑞鳳殿」の続きです。
もちろん仙台城はありません。
なぜ無くなってしまったの ?
と、ふと思いました。
それは、明治15年に二の丸で起きた大火で、大手門、脇櫓、虎ノ門を除くほとんどの建物が焼失してしまったのですって。
そして1945年にアメリカの焼夷弾により、それらもすべて焼失してしまったのだと・・・・
そして仙台城は無くなってしまったのですね。
だけどちょっと感動的だなと思ったのは、政宗像の事です。
1935年(昭和10年)に伊達政宗没後300年を記念して、本丸に政宗騎馬像が建立したのでした。
ところが1943年(昭和18年)に金属類回収令によって撤去されてしまいます。すべて溶解されていたと思っていたところ、1945年(昭和20年)に塩釜の金属集積所で郷土史家が発見し、それを自費で購入し、青葉神社に奉納したのです。なんかさぁ、ドラマチックじゃないですか?
その像はその後1986年から2023年まで、仙台博物館の中庭に胸像として(騎馬の部分は切断され溶かされてしまったから)設置されていて、2023年に仙臺緑彩館に移転されました。
それは青葉山公園内にあって、るーぷる仙台で「博物館・国際センター」前から徒歩2分なんですって。ああ、その前も通ったなぁ。しみじみ。
下の画像は地下鉄国際センター駅。るーぷる仙台から撮影。
もう一つは胸像って知っていたのですが、そんな歴史的意味があったとはつゆ知らず、知ると感慨深いものを感じました。
だから今のお城跡にある政宗像は2代目です。
1962年に騎馬像は再建されたのです。
だから金属の政宗像を探して歩く場合は、上に書いた青葉城公園とこの仙台城跡に来れば、ゲットだぜ感が達成できると思います。
岩出山城にある石の政宗像の事は、疲れたのでもう終わり(笑)
しかしなんだかんだと言っても、政宗像と言ったら、このお城跡の彼だと思います。
仙台観光の象徴ですよね。
今回私たちは、
これを使いました。
これ、本当に良かったです。
もう何もない所に、本丸の大広間が出現してきて、煌びやかな襖絵などを見ることが出来るのですよ。
そしてこのカメラを外すと、すべて幻・・・・。
ああ、なんか切ない。だけど素晴らしいです。
古きと新しさと・・・。
石垣って見るの、好きです。
そして私たちは、再びるーぷる仙台に乗って次の目的地に向かいました。
その「メープル仙台」の路線図です。
仙台城跡から仙台駅に帰るとすると、かなりの停留所を通るわけですが、運転手さんが観光案内をしてくれるので、ぐるっと市内を1周出来た感じが良かったです。
この日は月曜日だったので、晩翠草堂はお休みで未練無しです。それにお友達からこの場所を訪問した話を聞いていて、良いなと思いつつ、お話が面白かったので既に行った気分になっていました。
時間があったならば、「博物館・国際センター前」では下車したかったかもしれません。政宗の胸像に会いにというのもありますが、地下鉄の国際センター前には、羽生結弦君と荒川静香さんのフィギュアスケートモニュメントがあるのですよね。
彼のファンのお友達に聞いていたので、それで思わずその駅の前を通る時にシャッターを押したのですね。
(スマホの場合は、そのような言い方はしないかな。)
私たちの次の目的地は
定禅寺通りでした。
なんとなく「杜の都仙台」らしい風景にホッとした私でした。
仙台観光に悔いなしみたいな気持ちに成れたからだと思いました。
そして駅に戻ってきた私たち。
最後に駅で3人で、ずんだシェイクを頂き、そしてそこで解散しました。
姉と名都さんは帰途に。
そして私は一ノ関に向かったのです。
ここからはひとり旅。ひざ痛・坐骨神経痛・咳の私でしたが。
バイバイ仙台、楽しかったよ。