11月11日に読了。
なんだかんだと、今年の私は源氏と平家の間を行ったり来たりしているような気がします。
「吾妻鏡」を読んだのなら、こちらも読んでおこうと思いました。(「マンガ日本の古典 吾妻鏡 上・中・下」)
横山光輝氏のあとがきに
「学ぶことが多かった。」と言いつつも
「しかし貴族の生活ぶりがもう一つぴんとこないのである。いったい公家や殿じょうびとと言われる人々は、どの程度の力を持ち、どの程度の贅沢をしていたのだろうか。家来は雇人はどれほどいたのだろうか。どうもつかみきれない。」とありました。
それは正確な数字をもとにして描かれた歴史軍記ではなく、これは琵琶法師が伝えた諸行無常の物語だからだと思いました。そして人々がわずかなエピソードで消えていくのも、そのためかと感じました。
「平家物語」は、地下人と言われ貴族の番犬的存在であった武士が、ついには貴族をしのぐ立場になりくらいを極め、そして滅んでいく物語。
敗者の、そして滅びの美学が、そこにあるのかも知れません。
この「マンガ 平家物語」は、如何に平家が台頭し滅んでいったのか、凄く分かりやすく描かれていて、私自身も深く学んだように思います。
僧兵の強訴、以仁親王の乱なども。
また人は傲慢・非道になった時、必ずその報いを受ける様な気もしました。
長い「平家物語」で、どこの部分を切りどこの部分を取り上げるのかは、その人に寄るのだと思いました。
この本は、古典「平家物語」ではありますが、歴史物語に重点が置かれているような気がしました。
もしこれを女性が描いたら、ちょっと違う視点になったのではないでしょうか。
中学生の頃、少年少女版と言うような「平家物語」を読みました。
その時印象深かったのは、鹿ケ谷の陰謀で徳利が転がってみんなではしゃぐ姿に愚かさを感じたことで、それは今回も同じでした。
だけどその結末は、この漫画の方が詳しく描かれていました。
だけどみんなが恩赦によって国に帰されても、俊寛は帰されず、ボロボロになって死んでいく、漫画ではそんなシーンは無しです。
また平家の人々は、明日は戦いと言う時、必ず毎回、それぞれが妻たちと今生の別れと来世での契りの約束をして別れていくという事が、その少年少女版では書かれていましたが、もちろんこの漫画では無し。
祇王・祇女・仏御前の話も皆無・・・・・。
横山光輝氏は、そういうのは苦手だったのか、もしくはあえて軍記ものに特化させたのかも知れませんね。
最後に平家にとって、人格者であった後継者の重盛が若くして亡くなってしまった事が、一番の痛手だったのかも知れないと思いました。
《摂関家との牛車事件(資盛)・高倉帝と徳子の結婚・鹿ケ谷の陰謀・以仁親王の乱に向かう所まで》
《以仁親王の乱から清盛の死、そして木曽義仲に敗れ押されて福原に、更には大宰府に逃げていく所まで。結構惨めな逃走劇。園城寺、三井寺、興福寺に行ってみたいな。》
《そしてクライマックス。平家は意外と粘っていました。》
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