今回も詳しいあらすじは大河ドラマ「功名が辻」ホームページでどうぞ
小山評定のシーンもそうですが、その前も、その後も、ずっとずっと、一豊様大活躍でしたね。
ああ、もう、「待った、待った、待った、長かった長かった長かった。」と、心の中で言ってしまいました。(これって、何気にマイ流行語に御登録)
一豊様、かっこよかったですよ。これこそ、上川隆也だわと嬉しくなってしまいました。
日曜日、外出していて間に合いませんでしたので、出先から録画を頼み、ようやく昨日朝から見ました。
心を決めた一豊が、家康を訪ねて、未開封の手紙を託します。その中にあった千代の手紙が読まれたとき、早くも涙が滲みました。
ひとたび家康に与したならば、人質等に囚われそうになったときなどは、二心ない証として、大阪の館にて命果てるという内容でした。
離れていても、その妻の身を案じている一豊にとっては、その手紙の内容は、衝撃的なものだったと思います。もちろん、家康の前ですから、その動揺は見せませんが、ドキッとした雰囲気が伝わってきましたね。
前に世継ぎ問題があったときにも書いた言葉ですが、「覚悟」―この地味な弱小戦国大名が持っていた心の財産は、まさにそれだったように思います。
妻の覚悟のメッセージはしっかり夫に伝わっていました。
堀尾吉晴の息子忠氏が、いざ大阪に向かうと言う時には、城を差し出して闘えと言う父の言葉に迷いを見せていたその時、覚悟を形になって見せると言う道が開けるわけです。
忠氏の言葉を聞いて、「そうか、そういうことか~」としみじみ悟っていた一豊、しかも
「いいアイデアだなあ。」と感心していたので、どう繋がるのかと思ったら、しっかり、小山評定で、ぱくっちゃいましたね。
え~、いいのかな。親友の子供だよとかも思ってしまいましたが、すまなかったと謝る一豊に、軍議からすでにいくさだと学んだと忠氏は言います。聡明な青年ですね。
ちょっと出来すぎだと思いますが、ここで引っ掛かっても意味ないので、サックっとながれたのでしょうね。
でも、このシーン少し可笑しかったです。
まるで、
―君言わないのなら、僕言っちゃうよ― と言う雰囲気漂っていました。
学生時代を思い出してしまいましたよ。友人から古文の参考書を借りたのですが、そこに清少納言のエピソードが載っていたのですね。
「香炉峰の雪いかならむ」と言われて、黙って簾を上げると言うアレですが、授業で先生に質問されたのに、参考書を貸してくれた友達は、手もあげなくて、じゃあ、答えちゃうよと手を挙げて答えたことがあります。その時、一豊が忠氏をちらちら見ていたのと、同じ事を私もしていたように思うのです。
後で、ゴメンねと言ったのも同じでしたよ。
そんなどうでもいい事はさておいて、豊臣から徳川に移ってきたわけですから、この夫婦の信頼を得ようとする必死さを感じてしまいました。持てる知恵を振り絞って、やらなければならない時は、死に物狂いで頑張らなくてはいけないと言う事ですね。
そして、やっぱり見せ場はここでしょう。馬上から、家来達に奮い立たせるべく演説をする所です。吉兵衛最後の時、この事を言っていましたよね。そして指導もしていました。その時素直な一豊は練習なんかしちゃったりして。。
そして、今その時が来たんだと、思いました。(ブログ書き始める時、ホームページを見たら、そのことが書いてありましたね。狙いはバッチリ伝わってきました。)
内容も良かったですね。後続の憂いを立ち、やったことが必ず報われる戦いに、運ある男についていこうと男達も奮起しますよね。また、上川さんのアイデアだったらしいのですが、名前を一人ひとり呼ぶところは、この場面をさらに盛り上げました。
今回の「功名が辻」は、朝見たのが良かったのか、何か見ていて元気が出てきました。何かをしようと動く時、それ相応の「覚悟」を持っているものに、見えない力は加担するのだと学んだような気がします。
今日の私には、その「覚悟」があるでしょうか。
それから、もう一人、この人の人物描写にも、何かの受け取るべきものがあるような気がします。
「正しき事は必ず勝つ。」と三成は言います。
私も、そうであって欲しいと思います。ただ、正しき事は何なのかが問題なのではないでしょうか。
また、その言葉は一見美しい言葉のようですが、正義=勝利ならば 勝利=正義も成り立つわけですから、
「勝った者が正義なのだ」と言うあまたの争いの理屈がそこにはあって、共鳴出来ない言葉です。
しかも、この三成にはそれ相応の「覚悟」なんかだってあったはず。そう思うと、今日の私のお勉強は根底から覆ってしまいます。
この三成は「美しき正義」と言うものに非常に拘る愚直な人で、実は一豊と通じるものがあるような気がするのです。
対比して描くのが得意な「功名が辻」ですが、いざと言う時には命はてると言う千代に対して、秀頼の姿を見せて諸侯の忠節に訴えさせようとしても、危ない所に行かせたくない母心で即答で断ってしまう淀。雨の中の演説でで士気を高める一豊、片や、夜討ちの案を責めて、仲間達からも嫌われる三成。
要するに運気開く見えざる力というのは、人の姿を借りて働くと言う事でしょうか。聡明さより人徳の勝ちと言う所なのですね。
とにかく、見たい「功名が辻」を見たという気がしました。来週も楽しみです。早くも週の半ばですが・・・
どちらに義があるかでなく、勢いのある方に、時を味方に付けた方に運気は傾いていくんだって。
三成と家康も、ここまで来て何が原因で起きた戦いだったっけ・・、と言う感じも無きにしも非ずなんですが、そもそも秀吉の遺訓を無視してやりたい放題、っていう家康のことを思うと、やりきれないものがありますね~。
歴史上の大きな戦の発端って、大体こんな事が多いのかも。
正しき事が勝つ、なんて、やっぱり言えないですね~。
残念だけど・・・。
あ、このテンプレートいいですよね。
私も密かに狙ってたんですけどね~。
いつもお世話になります。
今回は、とてもお忙しかったようですね。
録画で観るのって、なんか落ち着かないというか
もう、はやくみたくなって、みたくなって・・・
私もそんな感じです。
一豊は、さすがに貫禄がでてきましたね。
なんか、妙に落ち着いて、やはり経験豊富なのが
ここにきて、活きてきましたね!
ホントにその通りですね。正しいから勝つわけではないんですよね。悲しいけど。
どうしてそれが 頭の良い三成にわからなかったのかしら?
馬上から名前を呼ぶのは 上川さんのアイデアだったのですか? きっと、一豊が乗り移り ”一豊ならこうするはず”という考えが出たんでしょうね。とても良いシーンだと思いました。
人が人に付いていくのは,その人に魅力があるからでしょう。
その力をカリスマと称するのであれば,家康は言うまでもなく,一豊もいつのまにかカリスマ大名になっていたといったところでしょうか。
恐怖で人を従えるのは,やがて人心が離れていきますね。
嬉しいコメント、ありがとうございます♪
一豊と正反対で、落ち着いていませんね、僕は・・・^^;
今回の一豊は、本当に威厳が出ていましたね~。。。
見ていて、とても頼もしく思えました☆
今の一豊なら、家臣たちは安心して付いていけるでしょうね~。
そして、影でそれを支えたお千代さんも、立派でした。
来週はいよいよ決戦ですね!
楽しみです☆
今回は見たかったです。いよいよ佳境にはいってきた感じですね。
私も、来週はしっかり見たいと思います(*^。^*)
いよいよ最終盤の盛り上がり関が原に向けての重要な回でしたが、どうも戦う前から勝負はついているように見えました。
正義の戦いを押し出す三成に全然カリスマ性がないんですよね。
考え方の柔軟さ、人身掌握術に優れていないとトップには立てないんだなと思いました。
>正しき事は何なのかが問題なのではないでしょうか。
まさにそういうことだと思います。
この「正しきこととは何なのか」というのは、このドラマの随所で垣間見ることができましたね。
例えば信長。彼は「天下布武」を唱えて室町幕府や朝廷を否定することが“正義”という考え方でした。
一方、光秀。彼は室町幕府や朝廷を肯定することが“正義”という考え方でした。
その結果の「本能寺」です。いわば正義と正義のぶつかりあい。
そして、秀吉の場合。彼は信長に取り立てられた織田家の武将でありながら、織田家の天下を否定して、豊臣政権を確立しました。
こうしたことから考えると、やはり「正しきこと」というのは、おっしゃるように“運気開く見えざる力”というものが働いた方にあるってことなのかなァ~
う~ん・・・難しいですね。でも、人間の命題だと思います。
近頃、外出する事が多くて、生活が追いつきません。後、肉体疲労も。ない知恵を絞って時間を使えるようになりたいと思っています。・・が、むずかしいですね。
じたばた、押せ押せでのろのろですが、これからも宜しくお願いいたします。
私たちの心の中にも(教育にも拠るのかもしれませんが)手に入れた歴史が正しかったのだと言う錯覚ないですか。
私は時々、あのまま徳川の時代が続いていたら良かったのになあなどと、ありえない夢を思い描く時がありますよ。
勢い―そうですよね。疲れ果てた徳川にも、正義の旗を振りかざすのみの三成にもその勢いが感じられませんね。
この、テンプレ温かみがあって、これからの季節にぴったりかなと思って気に入りましたが、そう思われた方も多いみたいで、あちらこちらでお見かけします。思うことは、皆さん御一緒ですね(笑)