きっと、忘れない。
そして何気ない日常の中で、当たり前のように思いだして言うと思う。
「やだ~。まるでそれじゃ「家政婦は見た」みたいじゃない。」って。
例えばこんな場面で。
あっ、ゴメン。強制フラッシュになってた。これじゃ「家政婦は見た」じゃなくて、本当は宇宙人かって言う感じになっちゃうね。
あんずさん、本当は可愛いのよ。
あっ、違う違う。そんな話をしたいのではないのでした。
「家政婦は見た」はやっぱり傑作だったのですよね。だから「家政婦のミタ」とか「家政夫のミタゾノ」なんかも、元のドラマの知名度がメチャクチャ高いから、生まれてくることが出来た作品だと思うのです。
※ ※
私、お風呂に入ると長風呂で、なんだかずっと何かをぼんやりと考えています。お湯もすっかり冷めちゃって、水風呂みたいだなと思いながらも、ボーっと入ってます。
昨日、私が考えていた事はー。
死は逃れられないすべての生き物に課せられた約束。
だけど不思議だな。
そこにいた人が、死んだらもう居ない。
父と新しい会話をしたくても、もう出来ない。
「この前、紅葉の写真をたくさん撮ったから見て。」と言いたくても、
もう言えないし見てはもらえない。
居なくなってしまった友達とスーパーの駐車場でばったり偶然に会う事は、もう絶対にない。
ぽっかりとぽっかりと、その存在していた空間に穴が開くようだな。
※ ※
まだ20代のある日、レース編みに懲りだした私に友達がレース糸をたくさんくれました。その頃既に彼女のお母さんは鬼籍の人で、そのレース糸はその方の物だったのです。その時に、お母さんが編んだ大作のひざ掛けなどを見せて頂き、凄いと感銘を受けました。
で、私がしみじみと感じいって言った言葉。
「虎は死して皮を留め、人は死して作品を残す。」
元は「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」。
だけど多くの人はそんなには名を残す事も出来ないし、作品だって何も残せない人もいるでしょう。
だいたい何かを残したとしても、たいがいは時と共にゴミのように扱われるのも、残酷な事実だと思います。
たとえそうであっても、それでも人は想い出だけは誰かの胸に残せるのですよね。
その想い出が地上に留まる長さだけは、それぞれだけど。
私が昨日、思い描いていた人たちは、世界の片隅で生きている市井の人たち。
留まれる長さはたかが知れています。
だからせめて私は忘れない。
それだけが私に出来る事なんだなと私は思いました。
※ ※
市原悦子さんが亡くなって、一つの時代がどんどんと終わって行く、そんな気がしました。
70代半ばの知り合いが、昨年から急に増えました。そうなると82歳はまだまだ頑張れるお年頃だったと思えてしまうのです。
だけれど、彼女は名を残し作品を残し、そして彼女の作品が好きだった多くの人の心に想い出を残した幸いな人であったのではと思いました。
市原悦子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
まんが日本昔ばなしのイメージが強いです。
大好きな番組でした。
母に、あの番組の出演者がたった2人と聞き、
子供心にとても驚いたのを覚えています。
幾つになっても、あの柔和なお声を耳にするとどこかホッとしていました。
人生の先輩世代が亡くなっていくのを聞くと、どこか心もとない気分になります。
目から怪光線のあんずさんいいですね!
自宅警備中みたい(笑)
昔のALSOKのCMの吉田沙保里さんみたい(笑)
いつもお返事が遅くなってしまってすみません。
私はあの「日本昔ばなし」が始まった時、予算が無いのかしらって思ってしまったのですよ。(笑)
たった二人の声優さん(声優さんではありませんが)でアニメだなんて、斬新でしたよね。
その後すっかり家中で嵌ってしまい、何でかあれの絵本まで家に有りました。読むと、ちゃんと頭の中であの二人の声が響くから不思議でした。
本当に良い番組でしたよね~。
>人生の先輩世代が亡くなっていくのを聞くと、どこか心もとない気分になります。
それ、分かります。順番に前に押し出されて行くような気持ちにもなりますよね。
自宅警備中のあんずさん。
その言葉頂きますね。なるほど~って思いました^^