パリオリンピックが終わりました。
始まる前、まったく興味が無くて「ああ、今年はオリンピックがあるのか~。」みたいな感覚でいました。
ビッグイベントのスポーツは観戦することもあるのですが、元々スポーツ観戦が好きではないので、選手等の知識もなくそのまま過ぎていってしまうような気もしていたのです。だけど毎朝目が覚めると、そこに入ってくるのは選手たちの活躍の様子。
まったく興味もなく過ぎるなんてことは無理な事でしたね。
東京オリンピックの時も、日本選手たちの目覚ましい活躍には心躍るものがありましたが、何しろ母国でやっていたので、それも強みになっていたのかと思っていたのです。でもそれは全く間違った考え方だったのだと、今回のオリンピックは証明してくれたのではないですか。
次を背負う選手たちが立派に育っていてくれたのですね。
確かにメダルの数は凄かったですね。こんなに取れるなんてと驚きましたが、メダルに惜しくも手が届かなかった方も含めてみなキラキラしていたと感じました。
もちろんすべてが素晴らしいとは思いませんでした。
パリオリンピックは、かなり問題が多かったと思います。
スポーツ観戦音痴の私でも、驚くようなことが多々あったくらいです。ボルダーの競技施設の不備など、声をあげても良いのではないかと思いますし、不審に感じる審判もどうかと思いました。
またメダルの劣化、エアコン問題、食事の粗末さなども、言われていた通りでしたら、日本でのオリンピックって素晴らしかったのだなって思ってしまいました。
パリではもうこのイベントを終えて、祭りのあとと言えるのかも知れませんね。
でも私は朝に入ってくる情報などで気に留めていた程度で、あまりタイムリーには満喫したとは言えなかったと思っていて、しばらくは出来る限りの範囲ですが、ハイライトシーンなどで、この数日間を反芻したいと思っているところです。
射撃のトルコの選手ユスフ・ディケッチさんも2028年に向けて意欲的ですし、彼の姿勢を見るたびに背筋を伸ばす自分が居ます。
また槍投げの北口榛花選手からは、笑顔が強運を招くと言うことを学んだような気がしました。素敵な笑顔でしたね。
まだその位の感想かしら。
だけどスポーツ観戦に興味が無くても、エンタメに興味がないわけではないので、開会式などは楽しみにしていたのです。
ビックリしました!!
あの首を持った女性の歌から始まるパフォーマンスって、なんか凄かったですね。
良いとか悪いとか関係なくて、ただ凄かったしか言えないような気がします。
これがオリンピックの開会式でなかったら、ちょっと好みかも知れません。
だけど日本ではちょっと考えられませんよね。
これが日本の文化ですとか言って、切腹ショーやったらどうよって思っちゃった。考えただけでも顔が歪みますよね(;^_^A
アッ、でもこれ、批判ではありません。
日本じゃ無理と思っただけです。
それにギロチン女性と切腹ショーでは意味合いが違いますしね。
ビックリしましたが、私は思いました。
フランスの人たちにとって、王と王妃をその座から引きずり下ろし斬首し政権を変えたフランス革命は、本当に誇りなんだなと。
中学の歴史の授業の時、何かの資料集で、その頃のフランスの農家の女性の様子が描かれていて、30歳くらいの女性がまるで老婆のようだったとあったのです。
「パンがないならお菓子を食べたら良いんじゃない。」と言い(実際に言ったかどうかは定かではないらしい)、夫である国王の気をひくために、どんどんと華美なファッションになっていったアントワネット。だけど同じ国内で、同じ女性が30で老婆になって死んでいく・・・・
そして市民は闘って、そして勝ち取った歴史の記憶・・・・。
因みにそれは次の為政者たちに利用されたとか、今は言いっこ無しです。
またその首女はアントワネットと言われているわけですが、彼女を庇うわけではないですが、ルイ16世を思わせる太ったおじさんの首男よりも、アントワネットを思わせる女性の方がインパクトが大きいので、そちらを選択されたようなものでしょう。彼女の仕事は次の国王を産むこと。だけどいろいろと未成熟だった王は妻に見向きもしないで錠前づくりに精を出し、それ故に彼女はファッションに贅を尽くすことになるわけですが、彼女のファッションの贅沢だけで国民が飢えたわけではなく、明らかに失政によるところだったと思いますが、人々の憎しみは見えるところ、単純なところに向かうのですよね。
死んだ後も、あのように晒されて、アントワネットには相当な同情を禁じ得ないのです。
まあ、日本では映画や「ベルばら」の影響で、相当愛されている女王であるという部分もあるからかもしれませんが。
それから最後に血しぶきを思わせる赤い煙や布。
ツイッターはこんな時親切です。(Xとか言うの、面倒くさいね。日本はツイッターで良いじゃんって、時々思います。)
対訳の紹介なんかを載せてくれるのですから。
「ラ・マルセイエーズ」の対訳1番
行こう 祖国の子供たちよ
栄光の日が来た!
私たちに対して 暴政の
血まみれの旗が上がった
血まみれの旗が上がった
聞こえるか 戦場の
残酷な軍人のうなりが?
彼らは私たちの腕の中まで来て
私たちの息子や妻の 喉を掻き切って殺す!
「ラ・マルセイエーズ」の対訳(繰り返し部分)
武器をもて 市民よ
軍隊を組め
向かおう 向かおう!
けがれた血が
私たちの田畑をうるおすまで!
私はそれをツイッターで拾ったわけですが、元はこちらのサイトだと思います。
→「ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)」の解説(歌詞・和訳) (tsvocalschool.com)
こんな歌詞だったのですね。
圧政には屈しないぞ、闘うぞという歌が国家。過激な歌詞ではありますが、底辺にあるものの力強さには圧倒されるものを感じます。
あの映像とこの歌詞を見て、私はあることを思い出しました。
そのあることと言うのは、日本には革命がなかったというけれど、あの明治維新がそれに当たるのだと言う説です。
ずっと長い間、私はその説を支持してきましたが、「違うな。」と今回強く感じたのです。
思うにあれは(私自身の考えですが)、関ヶ原で外様に追いやられた者たちの国盗りの戦だったと思います。
確かに徳川幕府もかなり草臥れて末期状態ではあったかもしれませんが、倒されなくてはならない惡のような存在ではなかったので、市民に当たる江戸庶民もただ変わっていってしまった体制に従っていただけだと思います。
「勝てば官軍」と言う言葉を生み出しながら。
日本にも一揆と言うものがありました。中には時の為政者たちを苦しめた大掛かりで執拗なものもあったでしょう(一向一揆とか)
だけど政権打破までのものではなかったし、そこまでの考えもなかったのではないかと思います。(正しくないかしら)
そう考えると、やはりフランス革命は凄いです。
だけどやっぱり、その象徴にされてしまったようなアントワネットは可哀そうって思ってしまったりするのでした。
あっ、そうそう。
閉会式の前日か前々日かに客席で目撃されていたトム・クルーズさんは、やはりただのオリンピック観戦者ではなかったのでしたね。
最後に飛び降りてきて、オリンピックの旗を持ちバイクで飛行機まで走り去りと言うかっこいいことをしてくれました。
後半は映像でしたが、それでも楽しかったです。
4年後の楽しみが増えました。
未来に楽しみを持つと言うことは、とっても大切なことだと思います。