8月11日、NHKスペシャル「あの日、僕らは戦場で」を見ました。
アニメと元少年兵たちの証言を基に作られたアニメドキュメントでした。
今までほとんど語られてこなかった、少年兵たちのゲリラ部隊。
ねえ、あなた !
そんな事が過去にあったなんて、知っていましたか?
この日本で。
17歳までの子供たちが大人の背後にではなく、前面に出て遊撃戦の兵士として戦っていたんですよ。
今までもいろいろな過去にあった戦争で起きたことが伝えられてきました。
でも戦後70年経って、ようやく語られ分かってきたことがまだあるんですね。
まずはその事が大きな衝撃でした。
それはかつて銃を持って戦った少年たちが、戦後70年経って固く口を閉ざしていたその事について、やっとやっと語る事が出来るようになったのかもしれません。
訳も分からず少年たちは招集されて、
「命は鳥の羽より軽い。」「一人10人殺したら死んでも良い。」と教え込まれていくのです。
暴力と共に。
まさに洗脳教育。
少年たちはお互いに強く殴り合うことを強要されたりします。
私はその話を聞いて、その場面を思い浮かべて涙ぐんでしまいました。
ちょっと話はとんでもない所に飛びますが、ポケモンの一作目の映画はルート君〈息子〉が小学生の時に一緒に見に行きました。本当はかなり嫌々行ったのです。ところがとあるシーンで、私は胸がいっぱいになってしまいました。ふと横を見るとルート君の大粒の涙がぽろぽろ流れているではないですか。周りを見ると泣いている子供がいっぱいでした。こらえ切れなくなって、私もハラハラと子供映画で情けないなとちょっと照れなが大泣きしました。
そのシーンは敵役の者に命令されて、仲間同士で殴り合わなければならないシーンだったのです。泣きながら相手を殴るポケモンたち。
本当に悲しい悲しいシーンなのでした。
それをですよ、かつて子供たちに本当にやらせていたんですよ。
崖っぷちの軍隊は。
多くの大人たちは戦場に駆り出される時に、そのほとんどは犬死であったにもかかわらず、
「お前たちを守るために、お父さんは戦争に行く。」と出征して行ったのだと思います。
お前たちと言うのは妻とそして子供たちです。
その子供たちに銃を持たせて戦わせられたら、守りたかった父親たちの心もないものになってしまうでしょう。
彼ら少年兵を教育したものの手記には
「彼らはまるで運動会に参加するかのようにはしゃいでいた。」と楽しげであったかのように記したものがあり、全く愛のないその言葉に怒りを感じました。
どんな時にも人はわずかな光を見出して、自分の周りの状況を良くしようとするものなのです。暴力に満ちた毎日の過酷な訓練の中で友達になった者たちとはしゃいでいたのは、若者らしい光の見出し方に過ぎず、そのような事がまったく分からないものが指揮していたのかと思うと、実戦に出た時に、少年たちがどんな悲惨な目にあったのか容易に想像がつきました。
沖縄の少年ゲリラ隊の名前は「護郷隊」と言いました。
沖縄は戦場になってしまったがゆえに、護郷隊の少年たちは本当に戦わねばならなかったのです。
この少年兵を遊撃戦の兵士にすると言う作戦は、日本全国で計画されていました。
私の父は立川の飛行場〈たぶん〉で、飛行機の整備のために徴用されていました。この護郷隊のアニメの物語の中心人物と同じ年でもあり、また彼と同じ飛行場で仕事をさせられていたのも同じです。
すでに訓練が始まっていたような事が資料に書かれているようなので、父は選ばれてなかったんだなと思いました。
でも本当に本土決戦になんて事になってたら、その先どうなっていたかは分からなかった事だと思えました。
男子二人の母ゆえに、14歳から17歳の頃の息子たちが戦場に駆り出されたらと、怒りがこみ上げてきました。
絶対に子供たちに銃を取らせる未来であってはならないのだと思います。
あらすじ〈NHKスペシャルより〉
「目の前で幼なじみが撃たれ、倒れた。ぼくは彼を見捨てて前進し、戦闘を続けた。あの時、ぼくの心は異常だった・・・」(当時16才)
沖縄北部の山岳地帯で米軍と戦った少年兵がいる。戦後70年経った今、30人余りの元少年兵が戦争の秘められた事実を語り始めた。証言や未公開の資料か ら、少年たちは、陸軍中野学校の将校たちからゲリラ戦の訓練を受け、凄惨な戦闘を繰り広げていたことが分かった。さらに、「本土決戦」に向け、全国各地で 少年たちによるゲリラ部隊が計画され、訓練が進められていたことも明らかとなった。彼らが、どのように身も心もゲリラ兵に変容させられていったのか。証言 をもとに、少年たちの戦闘体験をアニメにして、幅広い世代に伝える。また、日本やアメリカで新たに発掘された資料を分析。「一億総特攻」に向けて、子ども が戦争に利用されていった知られざる歴史を伝える。」