先日私は横浜市営地下鉄に乗ると言う、人生で二度目の経験をした事は話したと思うの。
その時の事なんだけれどね。
まあ、街を歩けばいろいろなドラマがあるよねって話です。
市営地下鉄は優先座席が無くて、譲り合いを奨励しているんです。つまり当たり前の事を、昔ながらのやり方で当然のようにやれと言っているのだと思います。
乗った時に、「ああ、優先席がないわ。」って気が付きました。
だけど、ちょっと本当かなと思って、今調べてみたら間違えていませんでした。
「全席優先席」なんですって。
良い事だなと思うんですよ、コレって。
でもある意味微妙ですよね。当たり前の事が当たり前じゃない世の中、なかなか代わってもらえないという事も多いらしく、「譲り合いシート」なるものもあるらしいです。
そして普通に混んでいるラッシュ前の夕方・・・・。
私の前の席が空きました。
だけど私はドアの方を向いて、軽く頷き手でどうぞと合図をある男性に送ったのです。
杖を突いた中年の男性でしたが、立っているのが辛そうだったのです。
その人は深く頷くと、無言でその席にドカッと座りました。
なんだか「とーぜん」と言う感じがして、ちょっとだけ驚きました。
またその横が空いたので、私もその人の横に座りました。
そして私が降りるために席を立っても、その人はブスッとした表情で無視。
なんとなく私は寂しくそれを感じたのでした。
だけど電車を降りながら、
あれは嘘だったのかと、もうひとりの自分が私に問うてきました。
「『そう言うものに私はなりたい』って言ったでねぇか。」
なんでか心の中の私、いろいろなボキャの持ち主です。
『雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・・・』
人のために頑張っても、誰にも感謝されず、だけどそう言うものになりたいって思ったのじゃないのか自分。
席を譲ったら、にこっと微笑まれ「どうも」と言われたいのか、私。
「あー、なんてちっぽけなんだぁ、私。」
その後にあったラッタさんに、今の話をすると、
「その人、そう言う障害の人だったんじゃないかな。」と彼は言いました。
私もなんだか、その人に感じた違和感みたいなものに、それを思い始めていたのです。
最初に深く頷いた時、その人は無表情の顔の奥では、本当は「ああ、助かった。ありがとう。」と言っていたのかも知れなかったのです。
「あー、まだまだだなぁ、私。」
と、こんな年齢になっても、「まだまだの人」継続中です。
因みに『雨ニモマケズ』の詩の中には「誰にも感謝されず」なんて言葉はありません。「まだまだの人」が勝手に思い込んでいただけです。
たぶん「ホメラレモセズ クニモサレズ」が脳内で変換されていたのですね。
それでも『雨ニモマケズ』は本当に好きで、ずっと以前に記事にしていて、原文はそこに載せてあります。
こちらです→「雨にも負けず」
やっぱり人に親切にしたら、そのお礼として会釈くらい欲しいですよね。
見返りを求めない「無償の愛」。
「そう言うのって神かキリストしかいないよなぁ。あるいは「慈悲」のお釈迦様か。人間は無理だよなぁ。」と僕は思っていました。
それが人間にもあるんですよね。
相田みつをさんの「雨の日には(雨の中を風の日には風の中を)」に書いてあったんですが、
「おっぱいをあげているお母さんはただ与えるだけで、見返りなんて求めていない。」と。
「その通りだ。人間にも「無償の愛」と言うものはあるんだなぁ。」と感動したものです!!
私も、正直、普通の流れで会釈ぐらいはと期待しちゃいました。
無表情だったので驚いて、それでこの記事が生まれてきたと言うわけなんですね^^
世の中には、気持ちの表現の仕方が上手な人もいれば違う人もいるわけで、思ったような反応を期待するのは、こちらサイドの問題なのかなとも思った次第です。
見返りを求めずに、自分が良いと思った行動を実践していく事は、意外と日常の中にたくさんあるような気がします。
ところで相田みつをさんの
「「雨の日には雨の中を風の日には風の中を」
は好きな言葉で、ブログのタイトルに引用したこともあるのですよ。
その言葉のエッセイ集か何かがあるのですね。
>「おっぱいをあげているお母さんはただ与えるだけで、見返りなんて求めていない。」と。
アガペーの愛は、ちょっと高尚な香りもして、忘れたくない愛ですね♪