横浜の実家に帰ったのは2月が最後。
7月11日12日に行ってまいりました。かれこれ4か月ぶりの実家帰りでした。
父と母が老いて来たころから、1か月に一度は帰ろうと、意外と長々と実行してきたことでしたが、このコロナの世界侵略で頓挫せざるを得ませんでした。
最近は母に会う事ばかりでなく、横浜で暮らしているラッタさんと会う事も目的の一つになっていました。
大人になった彼には会わなくてもさほど寂しいとは思いませんが、近頃のワタクシは「過去」と言う亡霊に囚われつつあり、可愛らしかった子供たちに会いたくてたまりません。もちろん今が憎たらしいと言うわけでは全くありませんが、幼き子供たちとの再会など出来るわけもない事で、それでも今の彼らに会っていると、私の会いたかった子供たちと会っているような気持ちにもなれるのです。
こんな風に書くと、「ああ、この人子離れが出来ていないんだな。」などと思う人もいるかもしれませんが、それはまったく違います。たぶん多くの方には「分かる、それ。」と共鳴していただける事だと思いますが、分からない方にはそのままスルーして頂きたい心のひだの部分なのです。
会うのにランチにするか夕食にするかと考えていましたが、考えているうちにコロナの感染者数の数値が怪しくなってしまいました。夕食と言うと、どうしても横浜駅周辺の繁華街になる事が多いので、それは嫌だなと思いました。それで家を早く出て、一緒にランチを取る事にしたのです。
スカイビルから見下ろした風景です。
この場所は、晴れていれば富士山だって見る事が出来るのです。
スカイビル29階にある「北海道」には二回目。前に来た時の記事に富士山がばっちり映っている画像があります。
そしてお食事です。
この後は一緒に紅茶を買いに行ったり、珈琲タイムを持ったりしました。
久しぶりだったので、お土産を横浜のダイヤモンド地下街で調達しました。そこでラッタさんとは解散し、私は母と姉の家へと向かったのでした。
今回買い求めたのは「元町喜久屋」のババロアです。いつもならラムボールにするところですが、子供もいるので、今回はこちらにしたのです。
夕食後、後で散歩に行こうと思っていると私が母に言うと、「ふーん」とつまらなそうに返事をしました。
この夕食後の散歩には、姉と行く予定でしたが、私が「後で散歩に行かない ?」と姉に言うと、心無いような声で「うーん。」と言ったのです。夜は夜で忙しいに違いありません。それで、あまり乗り気ではないように私には感じたのです。
母のつまらなそうな「ふーん」と言う声を聞いて、「お母さん、今お散歩に行こうか。」と誘うと、
「行っちゃおうか。」とニコニコとしました。
それで母と公園1周でもして来ようかと、お散歩に出たのです。
すると母が
「新しいお店が出来たのよ。まだあまり買い物はしていないのだけれど、時々利用するようになったの。」と言いました。
「行ってみよう。」と言うので、どんなお店が出来たのかと行ってみました。
なんとそこは・・・・・・・・!?
「セブンイレブン」だったのですよ。
信号を渡ってそのお店に行こうとするので、
「いやいやいや、もう何のお店か分かったから良いや。」と引き留めてしまいました。
歩きながら、私は複雑な気持ちがしてしまいました。
車がビュンビュンと走る国道16号線を見て育ち、それなりに都会だと思って暮らしていた横浜。それなのにコンビニが新しく出来たら、そこに連れて行こうとするなんて、どんだけ生活弱者なんだろうかと思ってしまったのです。確かに一番近くて便利だったスーパーは改装に入り数年お休みになってしまったのです。後は老人が歩いて行くには、ちょっと距離がある所ばかりで、仕方がないからか、近頃母は生協に入ったのです。
だけど数分歩いて、私はやっと自分の失敗に気が付きました。母は、私とそこに行き、私が「お母さん、ジュースを買って。お母さん、アイスを買って。」と言ったら買ってくれようとしていたのだなと。まるで私が小さな子供のように。
その後私たちは公園の花などを見て帰りました。
「短い時間でも、けっこう汗が噴き出て来たわ。」と母が言うので
「帰ったらお風呂に入ってすぐ寝たらいいね。今日はぐっすりね。」と言いました。すると、母は
「悪いけど、毎日ぐっすりよ。」と。
「それは良い事ね。」と言い、母は帰って、いつも通り早い時間に床に就いたのでした。
部屋でのんびりとしていたら、姉が二階から降りて来て、「じゃあ、行こうか。」と言いました。
「えっ?行くの?」となったところで次回につづきます。