ひとつ前の記事は漫画の感想ですが、今回はWOWOWでやっていたドラマの感想を書きます。
何とも大げさな言い方ですが、ささやかな事にでも良い方向に運命は導いてくれていたのだと思います。作者である大島弓子さんの作品が大好きで、だからこの作品も好きで、そして映画の「グーグーだって猫である」も大好きだった私は、当然のようにこの作品を見始めました。
だけれど特に深くのめり込むと言うわけでもなかったので、なんとなく見ていました。時にはジーンとしたりしみじみとしたり、涙ぐんだり、だけれど寝てしまったり・・・・・・。〈いや、たんにこの時間帯が眠いだけ。本当は寝たくなんかないんですよ。〉
そんな中で、ふと立ち寄った本屋さんで目にした「キャットニップ」の本。
それを読んで一気に「グーグー・・」の続編を読まなくてはという気持ちになってしまったと言うことは、「キャットニップ」の本の感想の中でも書きました。
その「ぐーぐー・・」の漫画の感想の中で、5巻は中古新品だったと書いたのですが〈チネネチと〉届いたのも6巻の後。だから注文してから読み始めるまで1週間が経ってしまいました。
そしてそれを読み終えてさめざめと泣いた後に、そう言えば今日はドラマの「グーグーだって猫である」をやる日だなあと思いました。
―そうか、だからか。
その時になって予告編の
「ありがと、グーグー。」のシーンの意味が分かったような気がしたのでした。
ゆるゆるとしたテンポのその癒し系のドラマが、まさか4回で最終回を迎えるとは思ってもみなかったのです。もっともっと続くものだと勝手に思い込んでいたのでした。
ちゃんと確認しときなさいよ、あなた、と言う所ですよね。
最終回でいきなり15年後。
もしも原作を読んでいなかったら、この急展開に動揺して見るべきところも見逃してしまったように思います。
そう言えば昼間、漫画を読みさめざめと泣いていると、通りかかった夫殿が
「漫画で泣くんじゃないよ~。」と言いましたが、
「ほっといて下さい。」と言っておきました。それしか言うことがないですよね。
映画版と監督は同じ犬童一心。大島弓子の作品を何度か映画化している監督だからこその描かれ方がされているように感じました。
キャストも主演の宮沢りえ以外にも長塚圭史・黒木華、田中泯 、岩松了、少女時代のヒロインに市川実和子、最終回ゲストには菊地凛子と豪華版です。
音楽もこのドラマにぴったりで挿入歌は高田漣の「パレード」。
4話を見終わって、まるで映画を見終わったような感じを受けました。
映画と言う言葉を出したので、映画版との比較をちょっとだけ書いておきます。
グーグーがやって来てそして去って行くまでの15年の間に大島弓子さんにもいろいろな事がありました。映画版では彼女の身に起きた出来事、つまり癌告知とその克服が描かれていて、その彼女を支える周囲の人とそしてグーグーとの触れ合い、前の猫のサバとの別れがメインだったと思います。その時だって凄く若かったと言うわけではありませんが、やはり仕事に対しても精力的で登場してきた男性に恋の物語を期待させるものがありました。グーグーも子猫で、病気のエピソードがあったものの映像の中でヒロインには「動」の強さを感じさせるものがありました。
ドラマ版は4巻までの漫画の感想で唯一ネタバレで書いた、たまのエピソードを用いてグーグーとの出会いが描かれていました。映画版でも私の心を突き刺した「8月に生まれる子供」が大きく取り上げられていましたし、犬童監督とはピキッ!と来るところが一緒なのかもしれません。
サバを失ってペットロスになってしまった、ドラマの中の主人公小島麻子。公園のホームレスが抱いていた猫が気になって・・・・。
「この猫、貰ってくんない。」
「えっ!?」
「この前、目があったでしょ。この猫が必要なんだと思ってね。」
それがグーグー。
最終回では病院で
「お前さん、大事にされてきたね。」とお医者さんに言われます。
このドラマの中ではグーグーは公園に捨てられていた子猫だったわけですから、それを優しい男性に拾われて麻子さんの元にやって来て15年。
幸せだったと思います。
たくさんの猫は出てくるのかなと思ったら最終回ではちゃんと出てきました。外猫に餌をやる姿も描かれました。
だけれどこのドラマは麻子さんとグーグーの物語なんですね。だからドラマの中で他の猫たちはその名前を誰も呼ばれなかったのでした。
物語は過去の自分とそのエピソードが多くの割合を占めていました。それが今のなんらかと繋がっていくのですが、それは静かに描かれた未来を指示していたように思います。
そして「グーグーだって猫である」で第12回手塚治虫文化賞短編賞受賞しました。その授賞式でかつて自分の周りにいた者たちもそれぞれの道を歩いていて、なんとなく麻子さんはぽつんと一人ぼっちなように見えるのです。そのシーンでも他の編集者に
「またうちでも描いてくださいよ。」と言われると
「なんか疲れちゃって・・・。」
「そうですね。先生のは密度が濃いから。」と言う会話が印象的に心に残りました。
2008年の映画の時とは、同じ監督でありながら描かれ方が全く違います。
人生の季節には暑い夏もあれば静かな秋の日を迎える時も来るのです。
wowowの特集記事のあらすじの言葉を借りるならば
「自由に生きることを選んで引き受けた覚悟もある。」
授賞式の帰りにふと立ち寄った公園で、幻想の中で麻子さんはかつてのホームレスの男性と再会します。
「なぜ私だったのですか。」
ふと気が付くと、目の前にはサバとグーグーが・・・。
ハッと気が付くとそこには誰もいません。
ポツンと一人に見えても、それと向き合って生きる麻子さんの強さを感じます。そしてその彼女を支えてきたのは周りにいた人々と、そしてここまで生きてきた自分自身なのでした。
彼女は家に向かって歩き始めます。その足取りがだんだんどんどん力強くなっていくのです。
「ただいま~。」とドアを開ければ、13匹の猫たちが彼女の帰りを愛らしい瞳を向けて待っているのでした。
その肉体や精神の力は加齢によって衰えるものかもしれません。だけれど人はいくつになってもゆっくり伸びる木のようにその成長を止めないものなのかも知れないと、私は最後に感じたのでした。
―夜、ドラマを見ながら「うううっ」と泣いていると、一緒に見ていた夫殿が振り向いて
「おい、ドラマ見て泣いてるんじゃないぞ!」って。
「ほっといて下さいよ。」です。
まったく~!!―
このドラマのように日をまたいでも、じわじわと心に染み渡っていくものは、本当に好きです。良いドラマだったと思います。
大島弓子様、是非また長編も描いてね。
大好きなんだから♪
素敵な画像と言葉がいっぱいのwowowの特集記事は→ ここ
映画の感想は→ここ
「グーグーだって猫である〈5〉〈6〉」の感想は→ここ