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本日もマインドフルネスの実践を以下テキストからやっていきます。
前回の記事でジャーナリングによって自分がどういう人間であるか認識することで、「抱いている感情と自分自身はイコールではない」ということがわかるようになるという内容でお話を致しました。
本日はその抱いた怒りや悲しみ、イライラなどの情動をいかにしてコントロールするかというお話です。
無意識では情動に振り回されるだけ
無意識で生活していれば、日々の怒りやイライラに振り回され、とても良い気分ではいられなくなります。
妬みや嫉妬にかられれば、目の前の他人が憎く思えてくる。不安や心配でいっぱいになれば恐ろしくて行動する勇気も出なくなってしまいます。
これら情動の意のままに操られている状態では、自分の理想や願いを実現することは難しくなるでしょう。
筆者はこの状態を馬に例えています。
むかしむかし、中国で馬に乗った男が、道端にたたずむ男の脇を通りかかった。
立っている男が、「そこの馬のお方、どちらに行かれる?」と尋ねると、馬上の男はこう答えた。
「わからん。馬に訊いてくれ」
つまり、馬が「情動」で男はこの馬の言いなりになってしまい、どこへ行くのかすらわからなくなっています。
情動に対して無自覚でいれば、自分の人生だというのにどこへ向かっているかわからなくなるでしょう。
そこで、自己認識することで「馬」の特性を理解し、それをコントロールできるようにする、というのが今回の主旨です。
自己統制により「情動」に流されず「選択」する
筆者は「自己統制」について以下5つの能力を挙げています。
1. 自制心 ー 破壊的な情動や衝動を抑える
2. 信頼性 ー 正直さと誠実さの基準を維持する
3. 良心性 ー 自分の振る舞いに責任を取る
4. 適応性 ー 変化に柔軟に対応する
5. 革新性 ー 新しいアイデアやアプローチ、情報を受け入れる
自己統制はネガティブな情動を否定したり抑え込むようなことではなく、状況に応じて情動をコントロールするということです。
例えば、以下のような場合は積極的にネガティブな情動を選択する場合があります。
■ 知人のご葬儀に参列している時に、深い悲しみや哀悼の意を示す
故人とあまり親しくなく心からの情動が生まれなかったとしても、ご葬儀の場でポジティブでいる人はいません。
意図的にネガティブな情動を冷静に選択しています。
■ 仕事でお客さんが困っているのを聴く際に、その感情に寄り添う
お客さんが困っているその感情(焦り、不安、怒り、不満など)に寄り添い、同じような情動を選択し、傾聴に徹します。
このように自己統制は、冷静に情動を「選択」していることがわかるかと思います。
水面に字を書くが如く
怒りを感じているときは無力感から湧き出ているので、コントロールできない。
憤りは力から湧いてくるので、冷静さを失わず、闘うということを「選択」できる。
つまり、怒りに任せて喚き散らすのと、「言うべきは言わねば」という場面で反論するというのが、憤りに基づく行動ということになるでしょう。
情動に流されるのと、情動を選択することには大きな違いがあるということです。
先の話での「馬」を乗りこなすかどうかということです。
そもそも私たち人間はネガティブな情動が湧き上がってきてしまいます。
修行を積めば、悟りの境地に達すれば、沸き起こるのを防ぐことは可能なのでしょうか。
ダライ・ラマはこれについてこう述べているそうです。
思考や情動が沸き起こるのを防ぐことはできない。
しかし、それを手放すことはできる。
ブッダはこの状態を「水面に字を書くようなもの」と例えたそうです。
つまり、悟りを開いた状態でネガティブな情動が湧き上がっても、水面に字を書くようにすぐに消えるということです。
明日はいかにしてこの状態を私たちが実践できるかを見ていきます。
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