月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

越後国上寺の曽我兄弟

2012-11-16 18:00:00 | 歴史こぼれ話
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
--------------------------------------------------------------
越後国上寺の曽我兄弟

日本三大仇討の一つで有名な「曽我兄弟の仇討」、曽我兄弟の父親河津三郎祐泰が、工藤祐経に暗殺されたとき、兄の十郎は5歳、弟の五郎3歳であった。
あまり知られていないが、その時にもう一人生まれたばかりの弟がいた。

その男子は、執拗に仇討を狙う長兄の十郎、次兄の五郎とは異なり、16歳のころに国上寺にて仏門に帰依し禅司房と名乗った。

鎌倉幕府が成立して間もない、建久4年(1193年)5月、源頼朝が富士山の裾野で大規模な巻狩りを行っている最中に、曽我十郎、五郎兄弟は仇討を決行。
頼朝に随行していた工藤祐経を見事討ち果たすが、長兄の十郎は工藤祐経の家臣に切り伏せられ討死、次兄の五郎は捕らえられ後日首を刎ねられた。

仏門修行に励んでいた禅司房であったが、この事件後に幕府に召し出され鎌倉に連行中、同年7月相模国で自らの命を絶った。
禅司房 享年18歳であったとう。
山椒の花

昔々最盛期の国上寺は、修行僧だけでも1,000人~2,000人を抱えるほど、大きな寺だったという。



禅司房が見ていた国上寺は、今よりはるかに壮麗な寺であったことだろう。

関連記事
6.国上寺のボケ封じ地蔵
5.国上寺 五鈷掛けの松
4.国上寺のパワースポット
3.国上寺の曽我兄弟
2.国上寺の義経伝説
1.国上寺の紅葉
越後最古の名刹 国上寺 2012-03-27
--------------------------------------------------------------
気が向いたらポチッとな    blogram投票ボタン
--------------------------------------------------------------
<乃木神社の行事>
11月23日 新嘗祭
◆毎月1日と13日は月次祭齋行
--------------------------------------------------------------
【飲んで食べて東日本を応援】
食べて飲んで福島県を応援しよう!

たすけあおう食べて飲んで宮城県を応援!


たすけあおうNippon岩手県を応援!




2013年カレンダー

アフィリエイトで得られた金額は寄付します。ここから注文してね