
もしそれが誕生日なら「俺、今日、実は・・・。」なんて言い出せるのだけど、命日だと誰かが覚えていてくれないと話題にも上がらない。
今日は父の命日、早いもんでもう11年にもなる。
11年前のあの日は暑かったことを覚えている。
あの日の朝、父は病院の見回りの時にはすでに息を引き取っていたそうで、
つまり誰にも見送られることなく 天に旅出った。
実家の畳の上で家族に見守られながら往くなんて今では不可能に近い。
朝と夕に家族で仏壇に手を合わせた。
子どもたちにじいちゃんはこんな人だったと話した。
元気な頃は何故かいつも嫌っていた。避けていた。
しかし今では 話をしたくなる時がある。
大事な人がこの世にいなくなってから初めてわかることがある。
考え出すといつも反省しきり、後悔が津波のようにやってくる。
子どもたちを見ていると、「ああ俺が高校生の頃はオヤジも今の俺と同じくらいの年だったんだ。」 やけに身近に感じてくる。
いくら年をとっても、父のイメージも年をとっていく。いくつになっても お父さんはお父さんなのだ。
この世に父はいないけど、父を覚えている人が生きている間は、その人の中で生きつづける。
父が亡くなった2年後、父のことを歌った曲を作った。
親不孝をした分、後悔した分、父が生きていた証を残したかった。
最初の数年間はコンサートでもあまり歌いたくなかった。
でも最近は歌えるようになってきた。これからも長く歌って生きたい。
本当は父が大好きだったこと 誰かに伝えたい。
親は、かけがえのないもの。
元気なうちに孝行しなきゃ。
北村尚志 「おやじのバラッド」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます