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憲法は変えにくくて当然の理由

2013-05-02 12:41:42 | 社会・時事
 安倍政権は世論調査で支持率が高いようです。それで強気になって、憲法の「改正」を一気に行おうとする気配です。
 自民党の憲法「改正」願望の要点は、9条の「戦争の放棄」と「非武装主義」を変えて、「戦争ができる国」「正式な軍隊をもつ国」にすることですが、いま安倍首相がまず変えたいと言っているのは96条です。
 96条は、憲法の改正手続きを定めた条文で、衆参両院それぞれの議員の3分の2以上の賛成がないと憲法改正の発議はできないと定めています(そのうえで国民投票にかけられる)。これを2分の1、過半数で発議できるようにしようというのです。「国会議員の半数以上が賛成していても変えられないのはおかしい」というのですが、これは憲法とその他の法律は性格が全然違うということを無視した議論です。

 憲法は、他の法律と違って、わざわざ特別に変えにくくなっているのです。
 それは、憲法以外の法律は基本的にすべて「国が国民に指示する」ものであるのに対して、憲法は唯一「国民が国に指示する」ものであるからです。これは決定的な違いです。
 一般に国民は国家の決めたことに従わなければなりません。国家は国民を従わせる権力(国会や政府、裁判所、警察など)を持っています。こうした力がなければ秩序が保てないでしょう。では、その国家の権力は、だれが与えて承認したのか? 昔の君主国ならば、「王は神から権力を授かった」で済みますが、近代国家ではそうはいきません。権力は、国民が与え、公務員はその代理・代表として権力を行使するということになっています。
 その、権力を与える根拠、権力を行使する方法を決めて、国民が国家(公務員)に、この範囲なら権力を使っていいよ、これはだめだよ、と指示して制約を加えているのが憲法なのです。
 ですから、憲法を変えるというのは、そもそも国会議員(公務員)が言い出すべきものではないのです。自分たちが縛られている法律を自分で変えるというのでは我田引水です。そうはいっても、代議員制民主主義では、選挙で議員を選んで政治を行ってもらう以外にありませんから、憲法の改正もその発議は議員の仕事とせざるをえません。しかし、それはあくまで国民の代表として仮に言い出す役割を与えられているだけなのですから、そう簡単に、時々の過半数(政権政党)の都合で言い出されたら困るのです。
 たまたま選挙で過半数の議席を得たという程度では不十分で、国民の確定的、絶対的な多数の支持を得ていることが明らかな3分の2以上の賛成がなければ憲法改正の発議ができないというのは、こういう、極めてまっとうな根拠があるわけです。こうした規定は諸外国でもごく普通で、過半数の賛成で改正ができる国の方が例外的です。

 それを、わざと他の法律と混同させて、過半数で決めるのが民主主義だと声高に言うのは、自らの権力は国民から仮に与えられたものだということを忘れた議員の傲慢です。
 まず変えやすくして、それから9条「改正」というのも姑息なやり方です。
 憲法96条は変えてはいけません。憲法は変えにくくて当然なのですから。 
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