平成25年1月23日、アメリカの地を踏んで4日目となり、
サンフランシスコ市街地から飛び出す日になりました。
まず訪れたのは「コルマ日系人墓地」でした。
前々日にコルマ日系人墓地を維持管理しているボランティア団体、
慈恵会事務局長の藤本さんから、日系人墓地に絡む経緯をレクチャーしてもらったので、
再びその際の苦労や、困難であった状況を胸に抱きつつ、現地に向かいました。
大きな地図で見る
大変広範囲にわたる墓地区域の一角に、コルマ日系人墓地はあります。
左門柱「日本人共同墓地」
右門柱「明治卅四年十二月建立」
正面から入ると目の前に「招魂碑」が目に入ります。
墓地の雰囲気は正に日本そのものですが、
たなびく星条旗が、ここがアメリカであることを思い出させます。
現地の寺院で僧職に就いていた方たちの墓碑。
「咸臨丸」の水夫3人もコルマで供養されています。
こちらのサイトには詳しい経緯が掲載されています。
咸臨丸の水夫の墓を訪ねて
日系人関連史跡訪問記録-コルマ日本人墓地
探し当てた水夫の墓
これは、かつて日系人墓地のあった「ローレルヒル」の墓標を移設した物とのこと。
土葬した後にコンクリートで固めた墓地。
日本では見慣れない物のように思われますが、
かつて、似たような墓地をハワイで見たことがありました。
ハワイのモロカイ島カラウパパ半島の日系人墓地です。
ここではほとんどの墓地がコンクリートで固められていました。
入口のそばにあったのですが帰る間際になってようやく気付いた建物。
内部は納骨堂になっています。
慈恵会事務局長の藤本さんには、桑港寺でのレクチャー、そして今回のコルマ日系人墓地の参拝と、
2日間にわたってお時間をいただきました。
通常の観光旅行では得られることが難しい“学び”を存分に頂戴することが出来ました。
コルマ日系人墓地を辞した私たちは、
一路、サンフランシスコの南方にあるモントレー・カーメルを目指して
バスに揺られることになりました。
サンフランシスコ市街地から飛び出す日になりました。
まず訪れたのは「コルマ日系人墓地」でした。
前々日にコルマ日系人墓地を維持管理しているボランティア団体、
慈恵会事務局長の藤本さんから、日系人墓地に絡む経緯をレクチャーしてもらったので、
再びその際の苦労や、困難であった状況を胸に抱きつつ、現地に向かいました。
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大変広範囲にわたる墓地区域の一角に、コルマ日系人墓地はあります。
左門柱「日本人共同墓地」
右門柱「明治卅四年十二月建立」
正面から入ると目の前に「招魂碑」が目に入ります。
墓地の雰囲気は正に日本そのものですが、
たなびく星条旗が、ここがアメリカであることを思い出させます。
現地の寺院で僧職に就いていた方たちの墓碑。
「咸臨丸」の水夫3人もコルマで供養されています。
こちらのサイトには詳しい経緯が掲載されています。
咸臨丸の水夫の墓を訪ねて
日系人関連史跡訪問記録-コルマ日本人墓地
探し当てた水夫の墓
これは、かつて日系人墓地のあった「ローレルヒル」の墓標を移設した物とのこと。
土葬した後にコンクリートで固めた墓地。
日本では見慣れない物のように思われますが、
かつて、似たような墓地をハワイで見たことがありました。
ハワイのモロカイ島カラウパパ半島の日系人墓地です。
ここではほとんどの墓地がコンクリートで固められていました。
入口のそばにあったのですが帰る間際になってようやく気付いた建物。
内部は納骨堂になっています。
慈恵会事務局長の藤本さんには、桑港寺でのレクチャー、そして今回のコルマ日系人墓地の参拝と、
2日間にわたってお時間をいただきました。
通常の観光旅行では得られることが難しい“学び”を存分に頂戴することが出来ました。
コルマ日系人墓地を辞した私たちは、
一路、サンフランシスコの南方にあるモントレー・カーメルを目指して
バスに揺られることになりました。