大龍寺は、もともとは本郷にあった「住林庵」という小庵でした。
寛文元年(1661)年、旗本の猪飼半左衛門尉正景氏が発願し
住林庵を現在の牛込に移して「大龍寺」として開創したのが始まりです。
今日、本年が353年目を数える大龍寺がこうしてあるのも、
多くの檀信徒、地域の方とのご縁が紡がれてきたのも、
そもそもは、開基さまが寺院建立の発願をされたことがきっかけです。
当山にとってかけがえのない開基さまは、
寛文5(1665)年7月14日に54歳で亡くなられました。
平成26(2014)年は、開基さまの350回忌にあたり、
報恩供養の気持ちで一座の法要を勤めようと計画が上がっております。
こちらはその墳墓で、五輪塔を主塔にすえています。
手前にある石塔は、150回忌供養で建てられたものです。
また、右手前には、石灯籠も設けられています。
写真を見ても、問題が無いように写っていますが、
第二次世界大戦の戦災によって右手前方向からの熱風を浴びており、
その方向の角が大きく損傷しているのです。
戦後すぐ、応急的にコンクリートなどで補修をしたようですが、
以来、今日までその状態のままとなっておりました。
今回、350回忌の法要に備えて、
下記の通り開基さまの墳墓の整備をさせていただいております。
(1)五輪塔の損傷部分の補修
(2)五輪塔に“心棒”を通す震災対策
(3)墳墓の区画整理
・礼拝場所の敷石設置
・境界柵の撤去
・水鉢、線香立ての補修
・150回忌石塔の再建立
(4)350回忌石塔の建立
11月20日には五輪塔・150回忌石塔などを解体・運搬し、
石屋さんに作業に入ってもらいました。
檀信徒の皆さま各家に、書院建立の折りに寄附勧募のお願いをしており、
現在も観音様お迎えのためにお賽銭を積み立ててもいますので、
特段に開基さま350回忌についてご負担が掛からないよう勤めます。
ただ、お心だけは開基さまにお向けいただきまして、
ともに礼拝の年をお迎えし、大切にご供養を勤めたく思っています。
寛文元年(1661)年、旗本の猪飼半左衛門尉正景氏が発願し
住林庵を現在の牛込に移して「大龍寺」として開創したのが始まりです。
今日、本年が353年目を数える大龍寺がこうしてあるのも、
多くの檀信徒、地域の方とのご縁が紡がれてきたのも、
そもそもは、開基さまが寺院建立の発願をされたことがきっかけです。
当山にとってかけがえのない開基さまは、
寛文5(1665)年7月14日に54歳で亡くなられました。
平成26(2014)年は、開基さまの350回忌にあたり、
報恩供養の気持ちで一座の法要を勤めようと計画が上がっております。
こちらはその墳墓で、五輪塔を主塔にすえています。
手前にある石塔は、150回忌供養で建てられたものです。
また、右手前には、石灯籠も設けられています。
写真を見ても、問題が無いように写っていますが、
第二次世界大戦の戦災によって右手前方向からの熱風を浴びており、
その方向の角が大きく損傷しているのです。
戦後すぐ、応急的にコンクリートなどで補修をしたようですが、
以来、今日までその状態のままとなっておりました。
今回、350回忌の法要に備えて、
下記の通り開基さまの墳墓の整備をさせていただいております。
(1)五輪塔の損傷部分の補修
(2)五輪塔に“心棒”を通す震災対策
(3)墳墓の区画整理
・礼拝場所の敷石設置
・境界柵の撤去
・水鉢、線香立ての補修
・150回忌石塔の再建立
(4)350回忌石塔の建立
11月20日には五輪塔・150回忌石塔などを解体・運搬し、
石屋さんに作業に入ってもらいました。
檀信徒の皆さま各家に、書院建立の折りに寄附勧募のお願いをしており、
現在も観音様お迎えのためにお賽銭を積み立ててもいますので、
特段に開基さま350回忌についてご負担が掛からないよう勤めます。
ただ、お心だけは開基さまにお向けいただきまして、
ともに礼拝の年をお迎えし、大切にご供養を勤めたく思っています。