この間、昔撮った写真を見ていた。そしたら自分を写したのが結構出て来た。今は無き実家で撮ったものだ。恥ずかしながら、15年前の自分です。古いデジカメに入っているので、パソコンにアップ出来ず。ipadに表示してあるものをデジカメで再度撮影。ブレたが構わずblogにアップ。限定公開なんちゃって...しかしブサイクだ、なら何故公開するのか、まあ、kiyasumeですから・・・
限定公開なので後から消去するかもです。なんだか15年前と言えば、バンドでBluesharp吹いてた頃だ...
懐かしい。今は、単なるジジイです。。。(〜〜;
【海外の反応】日本の事が好きだと公言している親日家な世界の芸能人・ハリウッドセレブ達!【Part1】
正月3ヶ日は、撮りためた映画とドキュメンタリー番組を見ている他は、ほとんど寝てました。。。最近は眠くてしょうがない。毎日、夜11時頃には寝ているが、朝起きられない。昼まで寝ている。困ったものだ。そんな中、昨日、訪問看護婦さんが来た。何時も部屋が寒いので申し訳なく思う。暖房を入れているのだけども中々暖かくならない。だから、来た看護婦さんもダウン・コートは着たままだ。その位、寒いのです。。。。昨日は、看護ステーションはまだ休みだと思っていたので、自堕落にも、だらしない格好でテレビを観ていたら、ピンポーンとチャイムが鳴るので誰だろうと思い出てみたら、「訪看です。」と言う。慌てて洋服を羽織り、出てみた。「おめでとうございます」と言って、若い看護婦さんが部屋に入ってきた。「此処の処どうでしたか?」と言うので、「最近は昼まで寝ている」と言う事と、「訪看さんが今日来るとは思わなかった」と言ったら「今日から訪問看護が始まりましたから。』と言う。何時ものように薬をお薬カレンダーにセットしながら、風呂は入ったかと聞くので「昨日入った」と言う。「処で亀梨くんの「手紙」と言うドラマスペシャルは見たか」と訊くと「え!亀梨和也のドラマですか?」と訳が分からない様なので、「12月の末に放映されたんだけども知りませんでしたか?」と言ったら、「見逃した」と言うので、Blu-rayに焼いてあるものをラスト辺りから再生して見せてみたら、「感動しますね、涙なしには見られない」と言って観ているので、「このドラマは結構評判だったから、また、再放送されると思いますよ」と言って、「彼は大ヒットした「妖怪人間ベム」から厳しい過去を背負った青年の役が板に付いて来たのでは」と言うと、「「妖怪人間ベム」は評判は聞いていたけど見た事がない」と言うので「じゃあ、最終の終わりだけだけどBlu-rayで持っているので見せますよ」と言って再生すると、嬉しがって見ていた。帰り際に「ありがとうございました。」と言うので「正月だから良いじゃない」と言ったら「本年もよろしく」と言って帰って行った。それから鼻風邪が治らないので、近所の薬局に行って、風邪薬を買って来たのだけども、散歩がてらに古本屋に寄ってみた。まあ、買う本はなかったが、目の保養にはなった。しかし寒い。去年は10月の末まで暑かったから、年末から正月にかけてこんなに寒くなるとは思っても見なかった。。。。
子猫が捨てられてたので持って帰ってみた。(I got a cat in the forest part1)
処で、70年代の半ば、日本の女の子たちは奇妙な反復を演じた。「クイーン」というバンドに対し、まるでその10年ほど前の「ビートルズ」騒ぎを再燃するかのように、大袈裟な熱狂をして見せたのである。その騒ぎはお堅い一般紙にまで報道された。クイーン現象など本国のイギリスはもちろんアメリカでも例がなかった。無意識のうちに演じられたビートルズ現象の反復だったのか?あるいは未来の選択に関わる初めての反復だったのだろうか?おそらく後者であろう。それは初演された群集行動であり、日本に固有の出来事だった。クイーンに群がった女の子たちの行動は他の地における熱狂の模倣ではなかった。何しろ当時の女の子たちにしてみれば、ビートルズの不在をクイーンで埋めるつもりなど毛頭なかったのだから。クイーンは女の子たちにより、新たな熱狂の対象として見出されたのである。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」に寄って去年の暮れに起こったクイーンの、フレディ・マーキュリーに対する熱狂的な反復も、また新たな差異として女性たちの現在の反復として伝わった。そしてそれはサブカルチャー固有のサブ哲学というべきものであった。1972年はロックのサブ哲学が見事に開花した年でもあった。忘れてはならない、フランスではドゥルーズ=ガタリが「アンチ・オイディプス」という哲学の代表とも言える書物を発表している。暗示的なことに、ジャック・デリダの「散種」もまた「アンチ・オイディプス」と同じ年に収穫されている。それらは68年が可能にした書物だった。72年は一つの完成であり、それ自体が新たの幕開けだったのである。ロックの変容に伴い新たな思考のスタイルが出現した。デリダがサブ哲学である理由は、80年代のロック・バンドでアルスリッティ・ポリッティが彼への奇妙な賛歌を歌っている事からも明らかだろう。新たな哲学は新たなスタイルとともにやってくる。ドゥルーズはかつてフーコーについてそう語っていた。72年とは新たなスタイルの想像がいたるところで身を結んだ年である。そしてこう言っても良いだろう。ある行為が発明になる為には、ある創意を規制のコードに対する裏切り行為にまで転換しなければならない。つまり、発明と発見は文化を脱コード化する行為なのである。そして今年だ。。。
ポストモダンの特徴は、簡単に言えば、「大きな物語」、つまり道徳的な善悪や法的な正義に関しても万人に共通の普遍的な真理や規範はもはや存在せず、小さな集団の多種多様な意見があるだけだというものである。
これに対して、20世紀末頃から新たな3つの潮流が生まれた。先ず、「自然主義的転回」(ポール・チャーチランド、アンディ・クラーク他)は、20世紀の「言語の哲学」から「心の哲学」への転換を図った。次に、「メディア・技術論的転回」(ベルナール・スティグレール、ジュビレ・クレーマー他)は、コミュニケーションが行なわれる際の土台となる、物質的・技術的な媒体(メディア)から考えた。最後に、「実在論的転回」(カンタン・メイヤスー、マルクス・ガブリエル他)は、存在は思考によって構築されるという構築主義(constructivism)に対して、思考から独立した存在を考えている。
そして、現在、最も注目されているのが、「実在論的転回」であり、その中心にいるのがカンタン・メイヤスーである。彼は、現在パリ第1大学の准教授だが、1967年生まれとまだ若く、注目され始めた頃は30代だった。メイヤスーが2006年に出版し、その後「思弁的実在論」(speculative realism)の運動を形成するきっかけになったのが『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』で、この本によってメイヤスーは一躍、現代思想界の中心に立った。
そしてロックだ。2010年代になってロックは死滅状態になった。少なくともポップ音楽の表舞台からは本格的に姿を消そうとしているのではないか。スタジアム/アリーナ規模のポピュラリティを新たに獲得するバンドは、もう現れないのではないか。そんな風に感じてしまうのですが。今の時代、スタジアム/アリーナ・クラスの会場を埋められるのは、アリアナ・グランデ、ジャスティン・ビーバーやテイラー・スウィフト、のようなポップ・アクトか、ケンドリック・ラマーやカニエ・ウェストといったR&B/ヒップホップのアーティスト。あるいは、最近有名だったアヴィーチーやゼッドを始めとしたEDMプロデューサーたちではないか。だから今クイーンだったのだろうか。往年のロックバンドが反復される現象が果たして良いのだろうか?まあ、私はブルース一筋なので、あまり深くは考えたくはないが。ロックを取り巻く環境が厳しくなっているのは確かな事だ。
最近は余り吹いていないMarine bandです。
新録!ブルースハープ入門講座3!音階・メジャースケール・ハーモニカ譜について
下はSEIDEL社製のSolist Pro。その下はHOHNER社製のMarine bandです。 liveでよく使う機種です。
Weeping Harp Senoh plays Blues Harp
Weeping Harp Senoh plays Blues Harp
Talent Show Harmonica Solo
James Cotton Blues Band - Full Concert - 06/15/73 - Winterland (OFFICIAL)
下は、10ホールズでありながら、レーバーが付いていて完全に1度下の音階が出せるbluesharp。
そして半音階から1音と、要するにベンドがしやすく出来ている10ホールズ。
そして3番目は穴が12個あるBluesharpです。
さて映画です。今回は「リスボン特急」です。。。
『リスボン特急』(原題:Un flic)は、1972制作のフランス・イタリア共作のフィルム・ノワール。アラン・ドロン主演。リチャード・クレンナ。カトリーヌ・ドヌーブ共演作品。フランスのフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。この作品がメルヴィル最後の映画と成った。
主人公のコールマン刑事に扮したアラン・ドロンが強烈に個性的で、煙草を咥えながらピアノを軽く演奏する姿はダンディです。その前方で彼を見つめていたカトリーヌ・ドヌーヴ(カティ)が控え目にスッと姿を現すシーンが文字通り絵になっている。
Alain delon al piano, un flic.wmv
リチャード・クレンナ(シモン)の情婦であるがドロンとも関係を持っているカトリーヌ・ドヌーブをそっと見守っているクレンナ、そしてそれを痛い程解っているドロン、クレンナとドロンは戦友同士。二人の男に愛されるが男の世界に翻弄されながらも、どちらを取るのか、決めかねられないドヌーブ。この映画は銀行強盗の首領であるクレンナと警部であるドロンとの男の戦いと言った視点から出来上がって居る映画です。この映画にあるのはストイックな男の世界です。完全なるフィルム・ノワールの世界です。シモンの強盗団はある雨の日に郊外にある銀行を襲撃します。しかし銀行員に拳銃で撃たれて仲間の一人が重傷を負ってしまいます。悩んだ末、シモンは銀行強盗で負傷して重傷になった仲間をカティによって始末させます。緊急病院に潜入したカティはナースの格好をして緊急病棟に潜入、注射器で静脈に空気を注入して仲間を殺します。しかし、この映画は何も具体的には語られません。全てが、運命の侭にストーリーが進んでいきます。ダンディであるコールマンは鬼警部。彼に惚れている情報屋のオカマがリスボン特急で麻薬の密売が行われるという情報を教えるが、シモン達が、ヘリコプターを調達してリスボン特急に乗り込んで金を奪ってしまう。終点のリスボンでヤクの売人を捕まえるコールマンだが既に金はなく、怒ったコールマンは情報屋のおかまを平手打ちにして、「ガセを教えるとは許さん。女の格好をしている頭を丸坊主にしてやろうか!!出て行け!!」と一喝する。涙を流して警察の外に出たオカマは泣き崩れます。しかし親友との対決の時が迫ります。シモンの強盗団の仲間をレストランで待ち構え、一般客に扮したコールマンは後ろから隙をついて羽交い締めにして逮捕し、シモンとの関係を拷問に近い方法で吐かせる。その一方で、マスコミがシモンのことを嗅ぎ回っていることを知ると、警視総監に情報をマスコミに与えるのは止めてくれと、親友を庇う仕草も示す。そして夜明け前のシモンが経営するクラブから身を隠す為出て来たシモンは事前に連絡していたカティが車の中で待っている事を確認すると、スーツケースを持って車に近付こうとするが、建物の外で待っていたコールマンが「シモン!」と拳銃を構える。実はコールマンは電話局に行ってクラブからの電話を盗聴していたのだった。
名前を呼ばれてシモンはトレンチコートの懐に手を入れて拳銃を取り出す振りをする。しかしコールマンは躊躇わず引き金を引いた。仲間の刑事たちが倒れたシモンの懐を探ったところ拳銃は持っておらず。丸腰だった事が判明する。「撃つのが早かったのでは?」と言う刑事の問いに「てっきり俺を撃つのかと思った」と言うコールマン。車の前で俯向き加減に一部始終を見ていたカティを黙って見つめたコールマンは、覆面乗用車に乗り込み忙しく無線で知らせて来る、犯罪現場へと黙って、しかし親友を殺してしまったことを拭い去るかのように何遍も頭を振りながら運転をして向かうのだった。
Der Chef, Fan-Trailer (1972, Jean-Pierre Melville)
この映画が何故、ジャン=ピエール・メルヴィルの遺作になったのか?実はこの作品はメルヴィルの13本目の映画で、しかも劇場公開が金曜日だったそうです。彼は不吉にも心臓発作で亡くなりました。ドロンはこの鬼警部の役が余り気に入らなかった見たいで、メルヴィル作品では「俺は何時も暗黒街のサムライだ。」とボヤいていたそうです。ただこの映画では、「刑事はどんな存在だ...疑いと嘲りだけの存在だ」とドロンが呟くシーンがある。この言葉にメルヴィルの本意が隠されていると思います。途中、リスボン特急の麻薬の売人から、金を奪い去る為、シモンがヘリコプターを使って動いている列車に空から飛び移るのを特撮で撮って居ますが、列車とヘリコプターをミニチュアで済ましているのが、低予算のフランス映画らしいです。この映画は最後の映画ですが、評価は分かれる処です・・・
最後に、ジャン=ピエール・メルヴィルについて簡単に説明しておきます。彼はパリ出身の脚本家で映画監督です。本名はジャン=ピエール・グランバック。メルヴィルはペンネームであり、小説家のハーマン・メルヴィルから姓を取った。「ヌーベル・バーグの精神的父親」と呼ばれる映画作家のひとりとして知られる。彼はアルザスにルーツを持つユダヤ人家庭に生まれる。第二次世界大戦に従軍の後、1948に自分のプロダクションを立ち上げ、自主制作で映画を作り始める。初の長編映画である『海の沈黙』を見て感銘を受けたジャン・コクトーから、自身の小説『恐るべき子供たち』の映画化に際して、脚本・演出を依頼された。また、撮影所のシステムから抜け出たインディペンデントシステムと、長年コンビを組んだカメラマンのアンリ・ドカエによる自然光を取り入れた映像は、後のヌーヴェルヴァーグの作家に大きな影響を与えた。フランスにおけるフィルム・ノワールに独自の洗練を重ねてゆき、自身の第二次大戦中のレジスタンス活動の経験を反映させた『影の軍隊』などの戦争映画にもその作風は活かされている。
「人生は3つの要素、つまり、愛と友情と裏切りで成り立っている」というメルヴィルの人生観の基盤にあるのは、レジスタンス時代の体験である。戦争中、ユダヤ人だった彼は自由フランス軍に参加し、レジスタンスの闘士として活動していた。
友情と裏切りと死が入り乱れる世界で培われ、磨かれた観察眼を以て、メルヴィルは映画を撮り続けた。メイン・テーマは、男の宿命。ほとんどの場合、映画の中心にいるのは男だ。彼らの関係性はストイックである。のちの映画人たちにも影響を与え、北野武監督は彼を崇拝する。「キタノ・ブルー」と命名された彼の映画のトーンは、「メルヴィル・ブルー」からの影響です。
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