寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

「3年前の記事から抜粋(最近の女性にまつわる事と学歴問題について)......。」

 

 

 

 

✳︎此間撮ったkiyasumeの写真です....。

 

 

 

「エッセイ」

此の間、公園でベンチに座って居たら隣に高校生ぐらいの女の子が座って、バックから弁当を取り出して食べ始めた。そして食べ終わるとお茶を買って来て飲みながら私に話し掛けて来た。「髪長いですね。何時から伸ばして居るんですか?」私は突然のことで「えっ?」と成って仕舞い。口籠って居たら。「歳、幾つぐらいですか?」と言う。私は「いや、髪はもうほぼ1年半ぐらいカットして居無いよ。歳はまあ、勘弁ね。」と言ったら、何でも自分が受験する時に勉強を教えて貰って居た、大学生のお兄ちゃんに似て居て声を掛けたと言う。私はヘェ〜今時の高校生でもこう言う純粋な子も居るのかと少し驚いた。しかし相変わらずスカートの丈は短い。よっぽど。何で君たち女子高生はスカートの丈をそんなに短くして居るの?と聞きたかったが。流石にそれは辞めて於いた。いやらしいと思われたら損だからだ。そうこうして居たら友達が迎えに来た。そしたら二人で私に頭をペコリと下げて居なく成った。まあ、少女だから大人の女性だからと言っても、色々な人が居る。純粋な女の子やら、気が利いて優しい大人の女性だとか。反対に無礼な女性だとか、ぶん殴ってやりたくなる女の子やら。前にも言ったが。行き付けの喫茶店で軽食を頼んだら。持って来た二十歳ぐらいの女の子から「おい!」と言われた事がある。「おい!」ってなんだよ。そう言って頼んだメニューを置いて行った事がある。

これも前に言ったが。私はベルトに、ハーモニカ・フォルスターを常時つけて居る。しかしこれが問題と成るのですよ何時も。バカな人は中にジャック・ナイフが入って居ると思うのですよ。現に喫茶店でもそう思われて居たから、仕方がないなと思いウエイトレスが見て居る前でフォルスターからハーモニカ取り出して見て居たら。「あれ!あの中に入って居たのハーモニカだったの?」とびっくりして居るのだ。全く無知にも程が有る。フォルスターをよく見ろと言いたい。ちゃんとホーナー 社のロゴとスペルでHOHNERと書いてあるのだ。ホーナー と言ったらドイツのハーモニカ・メーカーの名だ。まあドイツには他にサイドル社と言うハーモニカ・メーカがあるが。これが歴史的に一番古いメーカーだ。まあ、ねえ、、皆さん知ら無い人の方が多いのか・・・・。ブルースハープは他に。ブラジルのヘリングやら日本のトンボ楽器が作って居ます。あとは日本のスズキなどが作って居る。

私は何も女の子が嫌いな訳ではない。最近の女の子はどの子も非常に可愛い顔をして居る。中にはベビーフェイスと言うか。あまりにも可愛すぎてドギマギする子も居る。ある女の子から聞いたのだがそれには化粧方法があるらしい。それと美容整形だな。今は簡単にプチ整形と言うものが出来るそうです。私もこの間言われた。「もしかしてプチ整形した?」って。私は整形はして無いし、大体金が無くて出来様はずもない。整形するなら、腹の脂肪吸引だ。前に訪問看護師の女の子に言ったら。あれは辞めた方がいいと言い張るので、「だって腹から脂肪取るには脂肪の核まで取るから、2度と肉がつか無いと言うじゃない?」と言ったら、「その他の部分に今度はついていくのでダメよ。だって食べた脂肪の量はあってなくせ無いのだから」と言われて、成程と思った事がある。私は最近、此のblogに猥褻な事を書いた記事を載せる事があります。人によってはkiyasumeはドスケベなんだろうと思う人も居るかとも思いますが。私は此のblogを読んで居てくれて居る女の人たちに、如何に今、女性が危険な立場な事に成って居るのか知らせて居るつもりです。

また、言う様だけども、トイレなんか、外で入ったら殆んどが隠しカメラが女性用トイレには仕掛けてあると考えた方がいいでしょうね。だから私は訪問看護師の女の子たちにも注意する様にと言って居ます。そう言う映像はネットで垂れ流し状態です。公開されて居るのですよ。女性はまさかと思って居るでしょう?本当の事です。会社のトイレとか喫茶店のトイレとかも気を付けた方がいい。婦人用は、、どんな変態バカ野郎が仕掛けて居るか解りませんから。大体が店の経営者がカメラを仕掛けて居る場合もある。まあ、今時の若い女の子たちのすれっからしの子たちは皆んな認識して居るのだろうけど。私のblogに前に「私は最近映画館でそんなに痴漢されなくなりました」と言う女の人からの書き込みがあったけど、私はこの人頭おかしいのかと思いましたよ。まあ、私も此のblogで言いたい放題言って居るので、揶揄われたのだと思いますが。なんかの歌のセリフでしたっけ?「男は皆んな狼よ!!」と言う歌詞がありましたが。そうなんですよ。女性に言いたい。イケメンは王子様などではないのですよ。

まあね、大人の女性は分別が有るから解って居るけど。若い子たちはね。まだまだ子供ですよ。男も女も30歳過ぎて要約大人の入り口に立って。40歳廻って大人かな。私が中学の頃、母が女物の下着を窓側に干すので、(昔はそう言う家が多かったんです。今では殆んど無いですが)私が母に辞めて家干しにした方がいいと言いました。なぜなら隣の家の息子が何時も窓を少し開けて隙間から覗いて居たからです。姉さんも私に同上して言ったら、家干しになりましたが。思うに、男の子は妹とか姉さんとか女姉妹方が居た方が女性の事はよく解りますよね。女の子に変な憧憬やらの感情を持たなくなりますよ。それから言いたいけど、今の、アニメはなんですかぁ〜?ほとんどが女の子が沢山出て来て男の子が一人のハーレム状態で、その女の子たちはもの凄く短いスカートでパンチラしまくり。皆んな巨乳。それか可愛い女の子同士の友情物語。要するに百合物ですか?

勝手アニメは友情やら人としてどう生きるかなどの人生を語ってくれました。昔のアニメの主人公は孤児か風来坊です。そして確かに今よりも暴力シーンは多かった。そして主人公は必死に生きて居た。確かにお色気シーンもあったけど。今見たいに鬱屈して居なかった。まあ、最近になって硬派なアニメが出て来ては居ますが。今、仕切りにエロいと言う言葉を若者たちは使って言うけど。1970年代なんてエロだらけでしたよ。私は下宿人が居たので、大学生たちがエロ本を堂々と部屋で読んで居て、子供ながらも私も横から見て居ました😆。1970年には小川ローザー のパンチラCMなんぞもありました。

 

【高画質】丸善石油CM「丸善ガソリン100ダッシュ」オー、モーレツ!小川ローザ

 

昨年かな、男と会うために3歳児の女の子を3日間も部屋に閉じ込めて確か地方まで行って、そして男と遊んで帰って来たら3歳児の女児が死んで居たと言う事件があってその事については「雨上がりのベイブメント」さんのblogに書いたのだけども、、その書いた文を 此処にもう一度貼り付けて置きます。(勝手に転用してすみません💦   )その母親の親は若干17歳でその人を生んだそうで、しかも連れと二人でその人を虐待して居たそうで、その人も子供の頃に保護されたそうです。

 

愛されて居なかったから、、
子供を殺した・・・・・。

確かに女性一人で生きるのは世の中まだまだ
大変だとは思う。

容疑者の実の母親は17歳で結婚したそうだが、、
遊びの果ての結婚だろう、、
子供を育てる能力も無いのに産んで、虐待。

そしてそんな目に遭いながら自分もまた
3歳児の娘を虐待死させる・・・・・。

私は障害を持って居ます。今は病状が悪く、、
休み休みblog記事を書いて居ますが、、
今回のblog記事は過去のものを修正したのですが、
過去に思う処を書いたものです。

世の中、どんどんとおかしい方向に向かって
突っ走って居ます・・・・・。

ただ私は今の若者たちに、期待はして居るんですよ。

素直で良い子が多いですから、、
ただ一つ云いたいのは、親族でも弱い立場に
なったものは見放すと言う事です。

現に私は障害者になって姉と弟から絶縁され
ましたから。だからあえて云いたいです。
愛を受けてなかったなら、何故自分で愛を
作り出せなかったんだと・・・・・。

幾ら養護院育ちでも、廻りあった男性が居て、
DV男だとしても娘を儲けたのでしょう。
しかもすぐに離婚して居る・・・・・。

生活が苦しかったら生活保護だってあった
はずです。確かになかなかくれはしませんが、、

私はこの母親も被害者だったとは云いたく無い。
心の傷。体の傷を持つ人間は沢山居ますよ。

性が乱れて居ることが原因でしょうね。
子供は母親の道具でも無いし、、
またおもちゃでも無い!!

親の自覚が薄かった・・・・・。
そうとしか思えません。

世の中苦労して居る人は沢山居ます。
甘ったれるなと云いたいですね。

少しきつい文になりまして申し訳ありません。
一言言いたかったです。。。。

ーーーーーーーーーー

少し言いすぎた様です、、
すみません・・・・。

ただこの女の人はリストカットもして居るし、、
精神的な病を考えて警察病院で、、
治療を受けさせた方が良いと思います。

私が怒ったのは、、
此間、17歳の少女が、トイレで赤ん坊を出産して、
締め殺して遺体を破棄したと言う、、

陰惨で、頭に来る話を知人から聞いたからです。
ニュースでも言って居たそうです。

子供はお母さんが命なんですよ、、
どの子供達も、我が子を救えるのはお母さん
しか居ないんです。

私ははっきり言って。生活保護で暮らして居ます。
弟は亡くなり。親父も亡くなり、、
母はアルツハイマーの認知症です。

だから私は姉さんとは絶縁されて居ますし、
頼ろうとは思いません。

すみません。自分の事を書いて、、

子供を虐待する親は、、
よく考えれば、皆んな精神病ですよ。
子供を殺したりする前に、誰かが救いの
手を差し出してあげ無いといけ無いのだと
思います。

私も精神を病んで居ます。
だからよく差別を受けます。

精神病イコール心の病ですが、、
最近の医学では脳の疾患である事が
証明されて居ます。

私は親が忙しくて兄弟が多い、、
要するに母子家庭ですね。

この子らの勉強を見て、夕食を与えて居る、
団体に、月に千円ですが、寄付をして居ます。

だからと言って偉そうな事は言いたく
無いですが・・・・・・。

やはりこの女の人は子供の頃に受けた心的外傷
と肉体的苦痛を受けて、精神を病んで居るので
しょうね。だから同じ障害を持つものとして、
心の寒々とした気持ちはわかります。


しかし、自分の子を監禁して衰弱死させた罪は
消えません。この間、京アニ(京都アニメー
ションスタジオ)。に火を点けて30数人を焼き
殺した精神病患者が、決して許され無い様に。

私も精神病だから苦痛はわかるんですよ、、
痛いほど。でも、それと人を殺めるのは、
話が別ですね。

また何かきつい事を書いて仕舞いましたが。
それだけ言いたかった。
すみませんでした。

 

 

 

そうしたら、大分以前の事だが、ニュースを見て居たら。今度は母親が6歳児の子と3歳児の子を車に乗せた侭、15時間も放置して帰って来たら子供が熱中症で死んで居たと言うニュースが報道されて居た。またもや最近の20代後半から30代前半の母親だ。また、男と会って居たのだろう。私は日本人は大和魂を呼び起こさなければ、この侭ではダメになると言いたいですよ。今、セフレとか言って、男漁りをする女や女漁りをする男が多い見たいだ。まあ、私は良くは知ら無いが。道徳を忘れた自由は本当の自由ではないと言いたいです。道徳を忘れて許されるのは芸術家のみだ。それから私の悪い点でもあるけど、私は人の掲示板やら自分の掲示板に文を書いたときには必ず音楽か、動画を上げて居ます。話と関係するからだ。しかし一部の人はそれを余計なお世話であって、頭に来ると言う人も居る見たいだ。私の書き方も悪いのだろうけど。「観て見て下さいね。」とは書いてはあるが絶対に見ろとは言っては居無いし。嫌ならスルーすればいいだけだと思います。また此のスタイルは変えるつもりはありません。何故ならそう言う人よりも多くの人に「役に立った。初めて見て知ったありがとう」と言われるからです。人は自分から能動的には動こうとはしません。だからどちらかと言うと受動的です。なんでも経験ですよね。少し見て自分には合わ無いし嫌だと思えば見るのを、そこで止めればいいだけです。私は高校の頃、歴史の試験があるのに薔薇戦争とかの参考書の文献に夢中になってしまい、それ読んで夢中になり試験は散々な目にあったことがありました。薔薇戦争とはランカスター家とヨーク家による王位簒奪の戦史という程度の限られた知識しかなかった私に。その参考書は色々と教えてくれました。

薔薇戦争はプランタジネット王家のリチャード2世が独断専行と寵臣政治に走ったために大貴族たちの反感を買い、リチャードの従弟にあたるランカスター家のヘンリーが王位を奪ったことから始まります。しかしヘンリー4世はリチャードを批判して王位を得たために恣意的な課税は難しいうえに、臣下の忠誠心に経済的手段で報いようとしたため、王室財政は慢性的に逼迫していきます。参考書はこの後、薔薇戦争によっていかにイングランドが経済的に疲弊状態にありつづけたかを指摘していきます。

そもそもこの薔薇戦争の遠因になった王位簒奪事件の頃、イングランドはフランスとの百年戦争の末期にありました。ですから薔薇戦争と言うものをじっくりと百年戦争の経過から始めていきます。と言うのも百年戦争の終結は薔薇戦争期のイングランドにとって次の点で大きな意味を持つからです。王位簒奪者でもあるランカスター家の信任は百年戦争に勝てなかったために低下していきます。フランス側に所領を有していた人々が既得権益を手放すことになり、また英仏海峡間を往来するイングランドの交易商船は安全が確保されなくなります。こうして王家とは疎遠だった非主流派のヨーク家が王家側(についたサマセット公)への批判を強めることになるのです。

要するに1455年から1485年までの、百年戦争の後のイギリスの王位継承をめぐる内戦の事で、此の事はまずテストには出無いでしょうね。

しかし此の史実の話はガンダムの監督の富野由悠季氏がこの辺の歴史の史実を可也大幅にガンダムのストーリーに生かして話のベースを作って居るように思えます。何故、世界のアニメが何時まで立っても日本のアニメに追いつけ無いのかと言うのは、日本人は貪欲に歴史やら哲学、文学。昔話やら言い伝えなど、多岐に渡って世界中の文献を調べて話を作って居るからですよ。日本人以外の人はそれが出来ない。だから日本アニメの模写となるんです。

 



 

最近はそんなに差別は無いのか、もしくは皆んなある程度の人は大学に行く様に成ったから言わなく成ったのか。昔は学歴の差別は酷かった。大卒は高卒をこれ見よがしにバカにした。私は一応は大学には行ったが、高卒者を差別はしなかった。しかし周りは違って居た。大卒者は自分のコンプレックスをぶつけるか如く高卒者を差別した。まあ、そう言う人間は大学に来ても授業に着いて来れない人間たちだったが、私は思うが何か皆さん。勉強と言う物を履き違いて考えては居ないかと思うのです。大学に来て、レポートは人の写しで提出。ノートはコピーで済ます。授業をちゃんと聞いて居る学生を罵倒し、自分は遊んで居る。成績は最下位に近い学生たち。そう言った人間が高卒者を差別して居たのですよ。確かに大学を知らない高卒者たちと大学を知って居る大卒者たちの間にはある意味、差異があります、それは大卒が「こう言う事は高卒者には解らないよ」と言う、良くある言い方にあります。要するにヒエラルキーですね。

そしてヒエラルキーの最大の分断、それが学歴です。大卒は大卒同士で、非大卒はそこで固まり、それぞれまったく違う文化の中で生活をして居ます。言って仕舞えば、違う日本社会で生きて居る。自分とその周囲の視点だけで見る「日本」は可也偏って居る可能性があります。

「日本社会をケーキで例えると、下半分はスポンジ・ケーキで、その上にミルフィーユがのって居るんですよ。下は非大卒で、上は大卒ですね。大卒の人たちは細かい階層に分かれて居て、どこの大学を卒業したかを学歴だと思って居るんですね。それは『学校歴』であり、学歴ではありません。大きな勘違いです」

「学歴分断社会」などの著作がある、大阪大の吉川徹教授(計量社会学)はこう語る。吉川さんは、格差社会を読み解くための大規模面接調査「SSPプロジェクト」を率いるこの分野の第一人者だ。

大卒は勘違いしがち、学歴=学校歴ではない

吉川さんの話をもう少し細かく見て行きましょう。大卒組は学歴をこんなイメージで捉えて居る。

「1番上には海外有名大や東大が居て、その下に早稲田大や慶応大があって……。自分はどこの階層に居るのかな」。ミルフィーユの様に偏差値別に大学名が並んで、自分は何番目の層、ランクに居るかを気に掛ける。「社会に出れば学歴は関係ない」と言う言葉もミルフィーユの階層での話だ。ミルフィーユの中での学歴と、社会的な地位とが逆転した時、この言葉はリアリティーを持つ。しかし、その下にスポンジ・ケーキがある事は見えて居ません。

学歴分断は、ミルフィーユの中で生活する人たちが、スポンジ・ケーキの存在を無視した時に起こる現象だ。吉川さんは高卒(=非大卒。データ上、専門学校卒を含む)と大卒の間にある分断を「ガラスの天井」と呼ぶ。「日本社会を調査データからざっくりと見て行くと、2人に1人は非大卒です。大学の定員もありますので、今後もこの数字は大きく変わる事は無いと予想します」

 
この例えはいいと思います。私は4年前に引っ越しをした。その時に、恐らくは高卒であろう、不動産の社員に結果的に保証人会社から許可が下りなかった為に偉い差別をされた。はじめから少しそいつはおかしかった。60歳の私を老人と呼び。「老人になると身の回りの事しか出来なくなるのでしょう」と言い、学歴を聞いて来た。そして私が大学に行ったと聞くと、「何で5万3千7百円までの部屋を探して居るんだ。大卒ならばその歳で蓄えもあるだろうし、あんた大体、給料幾ら貰って居たの?」と聞くのだ。私は生活保護を受ける身だからとはその時は言わなかった。此処が高卒だなぁと思う点だ。その人は43歳でこの不動産屋の社員歴は長いと言う。自分は若いし一端だと思って居る。悪いがその人を見るに仕事を取ったら何も残らない人に見えた。要するにスポンジ・ケーキの中で生きて居るのですよね。そして、保証人会社から拒否をされた私に電話を掛けて来てこう言った。「あんたさ、どこもあんたに何か部屋貸してくれないよ。他をあたってくれ!!」「ああ、手付金返すから銀行名を教えて、何〇〇銀行?何それどんな銀行だよ。受ける〜〜。」と言って電話を切った。しかし彼は私に恥を欠かせたつもりで自分が恥を描いて居るのだ。大卒ならこう言った客をあからさまにバカにする様な事は言わない物だ。常識で考えれば分かる。物件を探して見せに行く車の中の短い話での相手の生い立ちやら世間話、学歴でその人間がどんな人間か解り様が無いからだ、大卒ならばこう言った余計な事は聞いて来ないだろう。そして部屋が決まる時も見つからない時も決まらない時も別段相手をバカにする事なく、事務的に扱うだろう。その人間に言われた事で私が切れて包丁をかざして不動産事務所に怒鳴り込む様な事だって考えられるのだ。要するにバカなのだ。その後、私は他の不動産屋に行った。そこでは預金をコピーしたものを見せたら保証人会社から電話が掛かって来て、ゆくゆくは生保になるのですねと確認はされたが。保証人会社は難なく通った。その時の不動産屋の社員は大卒だった....。これは差別では無い。

「75〜80%の大卒は大卒同士で結婚し、高卒は高卒同士で結婚する。いま日本で進んで居るのは、大卒夫婦の子供は大卒に、高卒同士は高卒にと言う流れです」

 

世情 ‐ 中島みゆき Cover XXkurage

 

 

例えば、結婚式を想像してほしい。招待された式で、大卒ばかりが集まって居るのか、高卒ばかりが集まって居るのか。双方、バランス良く居るのか。「ある式場で一つの部屋は大卒ばかり。もう一つの部屋は高卒ばかり。そんな事が現実に起きて居る訳です。それは、昭和の時代と異なり、学歴が再生産される様になったからです」かつて、昭和の時代には、自分たちは高卒でも、子供には大学を出て欲しいと言うインセンティブが働いた。それは、社会全体が好景気で、上り調子だったからだ。今よりも次の世代で社会は良くなる、ならば子供には学歴をつけさせた方がいい。しかし、現状はどうだろう。昔は少なかった大学も増え、大卒人口も増えた。なにより親も高学歴化し、大卒のメリットを知った世代が増えた。

「大卒というのは、18歳からの4年間で1000万〜1500万円くらい自分に投資をして、将来の成功のためのチケットを買う事」だ。

最初から子供に投資をするメリットを感じないーーあるいは出来ないーー家庭もある。そこで生まれた子供には親の学歴を超える動機はない。そんな子供の割合が高いのが、高卒親の家庭になる。

吉川さんは親子で大卒、親が高卒→子供が大卒、親が大卒→子供が高卒、親子で高卒——の4類型にわけて比率を分析している。

今後はこんな風に推移すると言うのが吉川さんの予想だ。

  • 親子で大卒⇨35%
  • 親が高卒→子供が大卒⇨15%
  • 親が大卒→子供が高卒⇨15%
  • 親子で高卒⇨35%

ちなみに、小中学校から受験をさせる家庭は大卒親家庭が圧倒的に多いと言う。早くから子供に投資し、大卒と言う切符を早めに買うと言うのが動機だろう。

分断線が見えて来ると「自分の学歴は自分の努力だけでつかみ取ったもので、低学歴は努力不足」と言う考え方がとても陳腐に思えて来る。そもそも、勉強に対する動機付けがまったく違う。自分の学歴は、たまたま、そういう環境に生まれた事に大きな要因がある。

「非大卒を低学歴ってバカにした様に言うでしょ。あれはとても信じられない話です。大卒エリートは大きな枠で見た時に、どう言う環境で自分が育って来たか、を考えないと行けない」

「学歴分断線は、経済力、文化、政治参加にも影響を与えて居ます。繰り返される格差社会論は、私の考えでは学歴分断のいろいろな側面を語って居るものです」

過去分も含めた大規模な社会調査から見えて来るのはこんなデータだ。まず、非大卒は、雇用や景気の影響を受けやすい。昭和の昔、「金の卵」と言われた高卒者にはこんな道が用意されて居た。大手の製造業、鉄道、電力やガスなどインフラ企業が用意した寮に大量の就職者と共に入る。ホワイトカラーが管理を担当し、ブルーカラーとして手を動かすのは高卒組。年を重ねると、社内恋愛やお見合いで結婚し、社宅に住み、家族が増え、やがて家を買う……。

中間層と言うのは「金の卵」的ブルーカラー労働者を指して居た。しかし、今は大卒ホワイトカラーが中間層だ。高卒ブルーカラーは下に押し下げられて居る。ロスジェネ世代(バブル崩壊後、就職氷河期に直面した世代)以降は、うまく就職出来ても、景気一つで離職の危機にさらされる。しかしこの定義は少し違う。昔はブルーカラーとは中卒者も含まれた。金の卵と言われたのも中卒者だった。ホワイトカラーは何時の世も大卒だ、時代は変わって今は中卒者と言う人はまず居ない。高校へはどんな人でも入るし行けるだけの下地が出来たからだ。

少し古いが2005年にあった大規模社会調査プロジェクトの時点で、自分を「下流」だと答える若者のうち、非大卒は実に7割を占めて居る。非大卒、非正規、低収入……。経歴と実際の収入が下流意識と密接に結びつく。

「先が見通せない中、若者たちは履歴書を何枚も書く時代に入って居るんですよ。そこで高校の名前を書く。同じくらいの年齢なら、大卒の方が優先して入って行く現実を何度も見せられるでしょう。自分は下層だと思う事は不思議でも何でも無い」

意欲の格差、希望格差と呼ばれた現象も学歴分断で説明が出来る。

同じ調査で、自分が頑張っても社会は良くならない、と答えた層は、「収入」や「正規社員/非正規社員」の違い以上に「大卒/非大卒」の違いで、明確な差が出て居る。

つまり、非大卒ほど、社会に対して絶望して居る。

政治参加にも影響して居る。大卒層は政治参加への意欲も高いが、「非大卒・低収入層」は政治参加への意欲が飛び抜けて低い。一番、救われないと行けない層なのに、彼らは政治からもっとも縁遠い処に置かれて居る。これも、生まれ育った環境影響が強い事を考えると、一概に自己責任とは言えない。

今の社会は、ケーキで例えるとこう成って居る。

ミルフィーユ層は会社もしくはグローバル化した経済の中で、ポジションをつかもうと椅子取りゲームをする。その下のスポンジ層では、流動化が進み、必死に職を得ようとして居るが、振り落とされて行く人が続出する。スポンジケーキはスカスカになり、やがてミルフィーユ層も沈んで行く……。

「日本経済の強みとは何かを考えると、私はボトムの高さにあったと思うんです。高卒だって世界的にみれば決して学歴としては低く無い訳です。彼らが手を動かして居るから、大卒は別の仕事に専念出来た。今の社会は日本経済の強みを手放して居ますよね」

先ほど私は高卒者のものの見方を書いたが、何時の世も高卒だからと言うことだけで信用されない。認知されないのです。

此処まで書いて来て言いますが。昔から「低学歴は自己責任だ」と言う事が言われて居ます。確かにものは言い様です。「高卒は勉強が出来ないから、頭が悪いから大学に入れないのだろう。」「それは自分がバカだからだ。悔しかったら勉強をして大学に入って見ろ!!」

良く言われる言葉です。でも見て来た通り。大学に入れないのは勉強が出来ないからだけではありません。家の事情に依る処も大いにあるのです。母子家庭で生活保護で何とか暮らして居る家庭が居ます。この場合大学の授業料は出ません。自分で働いて大学に行くと言っても、生半可な事ではありません。ですから勉強をして授業料が安い国立を目指します、結果、大学へは行けない事に成り兼ねません。それは利口ならいいでしょう、国立でもすんなり受かるだけの頭脳があれば。しかし現実は厳しいです。働きながら大学に行く。一見立派だし。聞こえはいいです、しかし、昼間働いて、夜勉強をすると成ると、アブ脚取らずに成る場合が多いのです。人間、気力と信念だけではダメな場合もあるのです。良く天才は1%の才能と99%の努力と言いますが。

 

実際は50%の才能と50%の努力と言った処でしょう。例えばあなたはピアノを習いたいとします。でもあなたの手は小さくて鍵盤を抑える事がやっとです。この場合はピアノを根性で弾くと言う訳には行きませんし、ましてやプロのピアニストになるから根性で弾くんだと言っても、根性でもし弾けても、手の大きな人は、その人が10年掛かってやる事を2年ぐらいで終えるでしょう。だから幾らあなたが根性で弾いてこれでいいと思っても。その手が大きい人はあなたの数倍の速さであなたの数倍の事が出来るのです。

 

結果、あなたは何時も日陰者で、そして何時も手の大きな人の様には弾けないのです。それでも良いと言う人も居ますね。その場合はプロに慣れずにアマチュアとして弾く様になります。すなわち趣味で弾く事になるでしょう。わたしのblogに前に書き込んでくれた60代の人が居ました。その人は中学も夜間中学で、高校も夜間高校、そして大学にも行ったが夜間大学だったそうです。働きながら昭和の激動の時代を夜間の学校で学んだので、世の中の流行。テレビが放映する番組。ラジオの深夜放送。何も知らないと言って居ました。

 

働きながら高校や大学を出ると言う事はそう言う事なのですよ。馬車馬の様に働いた身で夜疲れ切って居るのに勉強しに学校に行くのです。どれだけ大変か。そして勉強時間はありません。昼間は働いて居るのですから。勉強するのには夜遅くまで起きて勉強しなければなりません。それで出た結果は夜間高校卒。夜間大学卒にしかならないのですよ。結果遊びたい時に遊べず。趣味も持てない人間になります。思いは嫌な事だらけが残ります。。。

 

 

山谷ブルース 吉幾三

 

 

では、どうしたらいいのか。いちばんシンプルな解は分断線を越えて、学歴を付けさせると言うものだ。具体的には、高卒親→子供は大卒と言う層を増やす事。しかし、これは当然ながらうまく行かない。大学だって入学枠があり、皆んなが大卒になれる社会は現実的では無いからだ。例えば大卒親に子供が2人居たとする。子供を1人は大卒、1人は高卒にする事が、学歴再生産を手っ取り早く防ぐ方法だが、納得するだろうか?

吉川さんはこう主張する。

「私も子供が2人居ますが、多くの大卒親も納得しないでしょう。問題は、大卒と高卒を上下関係で見る事にあります、社会がうまく回る為には、私のような大学の研究者も必要ですし、ブルーカラー労働者だって必要なんです。同じ世代で、必要な仕事を分業して居る。こう言う理解が必要です」

学歴をつければ格差は解消される。こうした主張は突き詰めれば、誰かが学歴によって割りを食う社会を肯定すると言う事だ。大卒が偉くて、非大卒は下——ではなく、翼の両翼と考える。大卒だけがうまく行く社会は、不安定どころか墜落しかねない。

収入の大小ではなく、生活の基盤や安定が奪われるような格差を是正する事。これが必要なのだ、と言うのが、吉川さんの指摘だ。

キーワードは学歴分断社会から、学歴共生社会への転換だ。

 
 
「高卒者にだけ高いリスクを押しつける社会は、もう持たない」
  •  
     
     
    私は若い頃に日本出版と伊勢丹の裏方の仕事をした事がある。日本出版では、雑誌やら本を段ボールに詰めて、宛先順にその地域。例えば九州やら。北海道。東北やら関東などに分けてベルト・コンベアーに乗せて仕分けする仕事だ。今はこの様な仕事は無い。みんなオートメーション化されて居て機械がやって居る。私は当時大学を出たばかりだったが。殆んどの従業員は高卒だった。給料は月給では無くて、10日毎に支払われた。10日ぐらいで、2万幾らだった。まあ、時代背景も今とは違うし。物価も違った。当時働いて居た従業員は皆んな3万幾らかのアパートで暮らして居た。中には当時45歳ぐらいの人で実家に仕送りして居た人も居た。その人は何時もウォークマンを聞いて居たが。そのウォークマンはマルマンの安いものだった。当時、ソニー製のが1万8千円ぐらいして居て。それが買えない人はアイワの1万4千円ぐらいのものを購入して居たが、それより安い、1万円のものだった。しかし皆んな夢は持って居た、だからラジカセの紹介記事が出て居る雑誌やらカタログを休憩時間に見て、話をして居たのだ。食事は食堂が完備されて居て、毎日焼魚が食べられた、と言っても。毎日、秋刀魚だったが、それと味噌汁とご飯はお代わりし放題だった。また、ご飯の代わりに菓子パンのアンパンとジャムパンを選ぶ事も出来た。それに牛乳と簡単なポテトサラダ付きだった。食費は1日3百円を給料から差し引かれた。トイレには、日本出版を讃える落書きやら、困った事があったら相談できる団体の張り紙がしてあった。
     
    それが1970年代の後半だった。その働いて居たアルバイトの中に、少し歳が行った夜間大学の学生が居た。私とは馬が合い、彼は酒が好きだったから、良く彼に連れられて、飯田橋の酒屋に連れられて行った事がある。居酒屋では無い。あんな高級な処では無く普通の酒屋だ。ただ、店の端にカウンターバーがありそこで店主から焼酎とか日本酒、ウイスキーなどをコップに注いで貰って飲むのだ。1杯百円だった。私はある時にその人に釣られて、焼酎を一気飲みして、帰りに気持ちが悪くなり。喫茶店で横になって終電で帰って来た記憶があります。その学生とは仲は良かった。しかし彼は、ある日を境に出版社に来なくなった。私は心配したが、彼の住んでいたアパートを知らなかったから、どう仕様も無かった。それから1週間程して、彼は突然死で死んで居た事が分かった。私は吃驚して仕舞った。それから暫く経ってから私は日本出版を辞めた。それ以来私は、あの日本出版社が従業員を全員解雇と言うニュースをテレビで見て、あの人達はどこで働くのだろうと思って居たが。今から10年前に「Amazonの戦略」という本を読んで居たら、その本の中でAmazonは東京出版と日本出版を解雇されて居た人たちを全員雇ったと書いて合って、安心したのを思えて居ます・・・・。
     
     
     
     
    以下、中卒の方が書いた文を挙げて置きます。読んで観て下さいね。。。
     

    「私の私見を述べます」

     

    私も中卒ですので、仕事の面接とかその他諸々でいろんな待遇を受けてきました。中にはあからさまに貶してくる面接官もいらっしゃいまして、そこまで言うか(゚д゚)!と思うほど馬鹿にされたこともございました。家庭の事情など面接で一々話さないですから、客観的に見ればクズはクズです。

    確かに、日本は超学歴社会で、学歴が全てみたいなところがあります。特に従業員になる場合、中卒高卒が昇進することは殆ど無いですし、公務員ですら大きな給料の差がありますので、国家公認の「差別」と言ってもいいかもしれません。私の先輩が高卒で公務員になりましたが、出世する可能性は0だと言っていました。平等に扱われているように見えるだけで、歴代で一人も課長より上に出世してないそうです。それが現実でしょうね。しかも課長になれたのは一人だけ(笑)

     

     しかし、それは「区別」とも考えられます。

     

    中卒・高卒の人が何の努力もしてないとまでは言いませんが、一般的に見て、大卒者の方が+4~7年学校で勉強しているわけで、大学院卒だとあと2~3年は勉強しているのです。そう考えれば、ある程度入社段階で給料に差があるのも仕方ないのではないか、むしろ当然なのではないかと私は思います。

     高校・大学・大学院はそれぞれ相当な学費がかかります。親はそれを出しているのですが、それは将来子供が多くの給料をもらえるようにとの思いでしょう。そうすると、親からしてみれば投資なわけです。そういう期待は保護されるべきだと私は思います。現に、大卒者はピンキリではありますけども、上位大学に関してはしっかり勉強する子が多いですから、高い給料をもらうだけの資格がある。

     

     そう考えると、学歴は高い給料をもらうための資格ですね(´・ω・`)

     

    あくまで資格ですから、それを評価してくれる人がいないともらえないわけです。現に高給をもらっている人達は上の人達がその人の資格及び人格・能力等を評価したのでしょう。

     だから、私はいくら馬鹿にされても、罵られても、貶されてもあまり気にしていません。学歴が全てじゃないとか言っているのではありません。社会では超重要な要素ですし、二度とやり直せない一回限りの投資チャンスです。大人になってから大学出ても社会から見れば「は?何やってんの?無駄なことを」と言われて終わりです。18歳で現役で一発で有名大学に行くから評価されるのです。東大とかなら一浪しても許されるかもしれませんが。

     戦後は大学に行く人=超少数派エリートでしたが、今では大学に行くのが普通なので中卒者・高卒者はそりゃ下に見られます。「大学すら行ってないの?どんだけ馬鹿なの?」と言われるのが普通になってきました(笑)

    今では、大学出ているのに小学生の問題すら解らないような人がいますし、本当の意味で勉強してない人だなと思う人もわんさかいます。大卒者でそういう人がたくさんいるからこそ、高卒・中卒はもっと酷いのだろうという推測が働くわけです(๑´ڡ`๑)

    その推測は正しくて、大抵の中卒・高卒者は本当に酷いもんです。私もそうでした。本当に「どうして生きているの?」と思われても仕方ないくらいの馬鹿でした。

    家庭の事情や独学でしっかり勉強してきた一部の中卒・高卒者からしてみると、腹立たしいことかもしれません( 一一) 一緒にすんじゃねぇよ的な。

     でも、逆に有り難いことでもあります。

    中卒だからという点で、学歴主義の方々は私達に期待しませんし、小馬鹿にしてくれています。ある会社では私が一番若く、一番低学歴だったため、そりゃもう馬鹿にされました。有り難い話でした。馬鹿にされるということは、相手は自分のことを下に見ているということです。これはつまり油断してくれているということ。こんなに勝ちやすい勝負はないと思います。

    確かに出世・昇進では圧倒的不利な地位にいます。たぶん一生勝てないでしょう。中卒者・高卒者を一定以上昇進させると反対派が大きく行動を起こすようになります。学歴主義者や学閥主義者が絶対に批判して来て、職場が荒れます。だから大きな組織であればあるほど、出世は難しくなると思います。そういう弊害を考慮した上での合理的な区別なのでしょう。

     

    でも、別の世界なら勝てないことはない。学歴があまり関係ない仕事も一部ありますので、そういうところで勝負する時は、学歴がある方が過信に繋がり易く、危険ですらあります。

     

    学歴=その人の価値と思い込んでいてくれた方が私としては楽です。追い越しやすい。学歴では今から追い越すのはほぼ不可能ですし無意味ですが、実質的学力及び業績などの結果なら追い越すことは容易だと思います。

     

    ですので、肯定的に捉えた方が精神衛生上良いかなと思います。

     

    私の知り合いで、大きな組織に高卒で入った人がいました。彼はプライドが高く、自信家だったので、学歴で出世の肯否を判断されるのが許せなかったみたいで、夜間大学に行きました。数百万と4年という時間をかけて卒業しましたが、出世はしませんでした。入社時の学歴+学閥が大事なのであって、入社後にどこの夜間大学を卒業しても評価は変わらないのです。それに、組織内の出世は学歴+ゴマすりが大事です。いろいろな運も必要になる。

    彼は結局仕事を辞めました。「正当に評価してくれないような会社にいたくない」とのことでしたが、私から見れば会社の彼に対する評価は正当な評価だろうと思います。今は海外に住んでいます。とっても貧しい生活をしながら( 一一)まぁ本人が楽しいのならいいと思いますが、そうは見えないです。

     

                        以上です。これが実態ですよ....。

     

     

     

    アイス・カフェオレとホットケーキシングルを食べた。

    この喫茶店は1972年創業だそうだ。。。

     

     

    〜〜『存在と時間』〜〜

    存在と存在者

    「存在とは何か」と言う問いは、人が思考する上で最終的にたどりつく有史以来の難問で、この探求を「存在論」と言います。例えば宇宙の始まりや果てを物理学的に解明したとしても、人間のDNA構造を究極的に解析して人間の何たるかを知ったとしても、0と1の羅列で世界の構造の把握と完全な予測が可能になったとしても、絶対に解けない最後の問いが残ります。

    「では、なぜそれら宇宙や原理がそもそも存在するのか、世界があって私があると言う、この不思議はどう言う事なのか」と言う問いです。

    その何であるかを問われて究極的に答えられない存在そのものを「存在」、その他の何であるか(本質)を答えられる個別に存在して居るものを「存在者」と分類します。どんなものでも「何であるか(本質)」を問われた時、それの上位のカテゴリーによって説明出来ます。例えば「リンゴ」なら、「果実の一種⇒植物の一種⇒生物の一種⇒物の一種⇒存在の一種⇒存在…?」となります。しかし、最終的に存在の何であるかを答えるための上位概念がなく、此処で頓挫して仕舞います。

    だから「存在」の何であるかは答えられないが、その成り立ちや生成の過程は記述出来る、と言うのがハイデガーの『存在と時間』の意図です。

     

    「世界-内-存在」

    私たちは有形無形問わず、様々な存在者に囲まれて生活して居ます。机、教科書、法律、友人、インターネット、猫、青空、等々。それら存在者の総体としての「世界」の内に私は存在して居ます。その切る事の出来ないハイフンでつながる環境と私の在り方を「世界-内-存在」と言い、そしてその中心に居る、今まさに此処に在る私を「現存在」と言います。存在者の中でも「私はなぜ在るか」と自分の存在を自分に問える特別な存在者(人間)が「現存在」なのです(説明を簡単にする為、此処では「現存在」を「私」と言い換えて解説します)。

    では、私のまわりに在る世界の存在者の意味「何であるか」はどうやって決まるのでしょうか。それは私の目的「何の為か」によってです。

    目的と言ってもそれは普段は意識する事のない隠れた目的で、意図や計画と言う意味での目的ではありません。例えば、かなづちの意味「何であるか(本質)」は「(大工仕事の為に)釘を打つもの」です。大工仕事と言う目的(未来)が、かなづちの現在の意味を生み出して居ます(これを現に成ると書いて「現成化」と言います)。だから目的(未来)が変われば存在者の意味も別のものとして現成化して来ます。生活が目的の主婦にとって食パンは「食べるもの」ですが、絵を描く事が目的の洋画家にとって食パンは「線を消すもの(消しゴム)」です。生活の質の向上と言う目的を持つ平和な日本に住む私にとって犬は「可愛がるもの(愛玩動物)」ですが、戦争で困窮して生存そのものが目的になればたぶん「食べるもの」に変わります。

    何かの為(目的)は、必ず別の何かの為につながって居ます。大工仕事の為のものは家を建てる為のものでもあり、さらには大工さんの生計を立てる為のものでもあります。食べる為のものは生きる為のものですし、生きる為のものは幸福な生を送る為のものでもあります。そうやって私はすべての存在者を気遣いつつ、見えない目的を基準にして、現在ある周囲の存在者を意味付けます。そして、その意味の網目の総体が、私の「世界」観になります。

    私たちは基本的に近代科学的な時間の概念でものを見て居ます。それは直線的で、未だ来ない「未来」は「現在」になり、やがて「現在」は過ぎ去り「過去」になると言うものです。未来・現在・過去が均質な関係として成り立って居ます。けれど別の文化圏に生きる人たちはそれとは違う時間概念の中で生きており、それによって私たちとはまったく別のライフスタイルの中で生きて居ます。直線時間ではなく、円環的な時間、点的な今だけの時間、反復的な時間、等々。

    (『時間の比較社会学 』真木悠介 岩波現代文庫 参照)

    ハイデガーの場合は未来・現在・過去の代わりに、「将来」「現成化」「既在」を立てます。「既在」とは、過ぎ去った過去などではなく、いままで私はどうあったかと言う事実の引き受けによって生じる生きた過去です。考古学的に過去を間接的に類推することで認識するような「現在にある過去」です。それぞれの国によって歴史の教科書の記述内容が違うように、各個人が個人の歴史をどう解釈し意味づけ、何を捨て何を引き受けるか。それは過ぎ去り博物館の剥製のように固定化して順に陳列される過去ではなく、私の将来と現在が今まであった出来事を素材として形作る生きた過去なのです。自分は今まで「何者であったか」と言う「既在」の認識によって、「将来」の「何者でありうるか」が決断出来るのです。

    その既に在った世界の地盤の様な「既在」を土台にして、「将来」へ向かって私をプロジェクト(投企)し、その将来が生み出す目的の網が私をとりまく現在の存在者の世界を照らし出す様に意味づけ、事物が現在に成立(「現成化」)します。ハイデガーの言葉を借りれば、時間性とは「既在しつつ-現成化させる将来」となります。

    こうして存在者とその総体の世界が生成され、「存在」と言うものが人間独自のこの時間的なあり方に依拠して生じ出づることが明らかにされます。ハイデガーにとってこの時間のあり方が最も根源的なもので、客観時間とも言われる直線的な時間概念や数量化可能な時間などは、此処からの派生物と見なします。

     

    本来的と非本来的

    将来へのプロジェクト(投企)が中心となって、私の目的の網目を決定し、それが世界を生み出す(現成化する)として、究極的に最も全体的な将来とは何でしょうか。それは「世界-内-存在」の私が消滅してしまう「死」です。この全体的で究極的な将来(死)を覚悟し生きる事が、ハイデガーの言う本来的在り方であり、本来的自己です。誰と交換も出来ない、かけがえのない私の一度きりの人生を生きる、と言う事です。例えば、余命宣告を受けた患者が、それにより生まれ変わったかの様に日々を真剣に生きはじめ、今までの生活がいかにどうでも良いものに振り回され、自分を充実させて居ない生であったかに気づく事が良くあります。

    たいていの場合、そうやって私たちは全体的な将来(死)を意識せず、目先の将来に目を奪われ、目先の将来を目的として生きて居ます。いわば自分(本来的自己)を見失った、自分のかけがえのなさを忘却した生き方です。世間の意見によって動き、世間の常識に追従し、世間に流されて生きる。いわば私が誰でもない世間一般に溶かされて仕舞った様な生です。それが非本来的な在り方、非本来的自己です。

    「死」を先駆的に意識した上で自分を将来へ向けてプロジェクト(投企)し、いままで何気なく現成化して居た世界を、かえがえのない私の決断によって意味付け積極的に現成化させる事。それと同時に、望んだ訳でもなく生れ落ちたこの私と言う場所と私が背負わされた歴史(世界に投げ入れられたと言う意の「被投性」)を「既在」として引き受け生きる事。それがハイデガーの本来的在り方の本質です。

     

    良心の呼び声

    非本来的在り方では「死」は意識してはならない不安の種として、周到に隠蔽され遠ざけられます。しかし、私たちが普段の生活の中でふと抱く不安や虚無感は決してネガティブなものではなく、非本来的な在り方から本来的な在り方へと導く、良心の呼び声なのです。仕事帰り夜の車窓に映る自分の顔を見た時に不意によぎる不安、疲れて一日寝て過ごした休日の夕暮れ時に感じる虚無感、大切なものを失った時に色褪せて見えるよそよそしい世界の様。それらは一時の感情や気分としてすぐに忘れ去られて仕舞いますが、実は虚無や不安や無意味感は、私が本来的には可能性の中で将来へと自己をプロジェクト(投企)して世界を創る自由な存在であると言う事のひるがえった表現なのです。

    そしてその死や不安や虚無や絶望を転回点として、本来的に生きはじめる事を、ハイデガーは呼び掛けるのです

 

ーブルースハーピスト、「デニス・グルンリンク」の紹介ー

Gruenlingは、ニュージャシー州に生まれました。彼は家族の友人からのクリスマスプレゼントとして10代に最初のハーモニカを貰いました。音楽に対する興味で、Gruenlingはその後Harp Attackを聞きました(1990)、ジェームス・コットン、ジュニア・ウェルズ、キャリー・ベル、そしてビリー・ブランチ のハーモニカ演奏をフィーチャーしたアルバムでした。彼は打ちの目されました、「私は叔父に私のレコードを掛けて貰い、私は今までにない衝撃を受けました。私はこれまで本当のブルース奏者を聞いたことがありませんでした。」と言って居ます。さらにコットン、ウエルズ、リトル・ウォルター、ジョージ・ハーモニカ・スミス、そしてビック・ウォルターホートンなどの購入したレコードにインスパイアされたGruenlingは、熟練した標準に合わせて演奏するように自分自身で学ぶことに着手しました。学校を中退してまで彼のその後のガールフレンドと一緒にニューオリンズにまで移動し、彼は練習を続け、1994年にニュージャージー州に戻る前にブルースハープをマスターしました。彼は周りの地元の数多くのバンドで演奏するようになり。1998年に彼自身のスタイルを形成し、それから彼のデビューアルバム、Dennis GruenlingとJump Time(1999)をレコーディングしました。そしてそれはGruenling自身のレーベル、Back Bender Recordsからリリースされました。

 

The Modern Sounds with Dennis Gruenling -- Benny's Bugle

The Modern Sounds with Dennis Gruenling -- Flying Home

 

と言う事で今回は此処までです。また次回お逢いしましょう。。。

 
 

コメント一覧

kiyasume
幼稚絵NJUさん、書き込みコメント有難う御座います.......。

そうなんですよね、最近は自分の子供を平気で殺す母親が居ます。
僕は女性の事は良くは解りませんが・・・・・・・・。
邪魔に成る様なら、育てられ無いなら何故産むんだと思いますよね。

はっきり言って仕舞えば。「下す事だって出来るのに?」と思って
仕舞います。子供はおもちゃじゃありませんからね・・・・・・・・。
産んだ以上は責任を持って育てなければ行けないと思いますけどね。

特に若い母親、親の自覚が無いんですよね・・・・・・・・・。
母親の同居人が、最近はよく子供を虐待して居たとか言う事も
あります。今日もニュースで言って居ました、しかも母親も虐待に
加算して居た可能性もあるとか・・・・・・・。

日本は性教育を教えません。はっきり行って避妊具をつければ
子供は出来ませんよね・・・・・・。今時の若者に性の乱れは
無く成らないのだとしたら。せめて避妊をさせるしか手立てが
ありませんよ。望まれない子を此れ以上増やさない為にも、、

世の中がおかしいんですよね・・・・・・・。
泣くのは所詮、女の子達ですからね。。。
世の中全体で考えなければ成ら無い問題ですよね、、

書き込みコメント有難う御座いました、、
また来て下さいね。よろしくね・・・・・。(๑>◡<๑)
幼稚絵NJU
kiyasumeさんへ
こんばんは
なんか母親が幼い子供を✕✕す事件が無くならないのですね。
「どういうつもりで産んだの?
いつも子供が可愛い笑顔で自分が楽しくなると思ったから?」
と言いたくなります。

子育ては金銭面も含めて大変なので、自分の人生を
引き換える覚悟を持たないと駄目だと思います。

しかし、父親はどこに行ったんだと思う場合もありますよね...
働いているとかでは無く、母子を捨てているケースです。
その場合は母親だけを責めてはいけないと思います。

といってもやはり、子供は被害者ですよ。
「なんで産んだの?」という言葉を、✕✕した親は
一生聞こえれば良いのにと思います。
変な事を書いてごめんなさい🙇🏻‍♀️
それではまたね
(禁句は伏せ字にしています)
kiyasume
suisenさん、迷惑では無いですから、、大丈夫ですよ。。。
結構大学で苦労して居る方は多いので・・・・・・。
それから、suisenさんのお子さんは優秀な学生さんでしたね。
親孝行なんだと思います・・・・・・。

そう言う事ですから、、私の意見も書きたかったし、、
別に気にして居ませんから、大丈夫ですよ・・・・・。

それでは また来て下さいね!!╰(*´︶`*)╯♡
kiyasume
suisenさん、コメントどうも有難う御座います。
そうですね、皆大卒は当たり前の様に思いがちですが、、
母子家庭で生活保護で暮らして居る家庭の子供たちやら、、
結構、大学まで行けて居ない人たちも、未だに居るん
ですよね・・・・・・・・・。

suisenさんのご子息は国立の大学院まで、お行きに成られた
とはご立派ですよ。今日、今、美容院へ行って来たのですが、、
美容師の世界も大変で、店長さんが癌が見つかって手術をした
らしいんですけど。店を1ヶ月休んで居まして、助手の女の子の
美容師が居たのですけど、彼女じゃあ、店は任せられなかった様で
やめて国に帰ったらしかったです。何の世界でもそう簡単には
行かない見たいですよね・・・・・・・。

大学に行くのは、今や当たり前になって居ますが、、
家庭の事情で行けない人もまだまだ結構居ます。夜学に通うと
言っても、昼間、馬車馬の如きに働いて。夜、大学の講義はキツイ
です。大学にはおよそ1千万掛かりますが、卒業までに、、その
お金が払えない家庭の子は、大学進学は諦めなくてはなりません。

私のところに、来て居る30代の看護師さんですが、、、
看護大学を出ましたが、夜学だったと言うので、、
やはり大変苦労をしたと言います。頭があるだけで奨学金制度を
使って大学を出ても、卒業した次の年から返済を迫られます・・・。

その事が大学生の重しに成って居て、今、問題化して居ますよね。
だから大学に行けて居る学生は、真剣に勉強をして欲しいですね。
親が金があるからと遊んで居ないでね。そう言いたいです。。。

それでは また、来て下さいね。宜しく・・・・・。( ´ ▽ ` )
1948219suisen
kiyasumeさん、先程のコメントは取り下げてください。またkiyasumeさんにご迷惑がかかるといけませんから。
1948219suisen
今日読ませてもらった記事で少し反省しました。

私は学歴に偏見を持っていないつもりでしたが、学歴があるのが当たり前の環境でしたから、そういう意味では、偏見を持っていると言われるかもしれません。大学卒業していなくても立派な人がたくさんいることは十分わかっていますけれども出ていることが当たり前のような感覚はあるかもしれません。ですからこのkiyasumeさんの記事で反省させられました。家庭環境で行けなかった人は本当にお気の毒だと思います。が、私の次男は、我が家の経済状況と本人の希望で一度も塾に行きませんでしたが、一応国立大学の大学院まで行きましたから、こういう例もあると思っていただきたいとは思います。
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