なぜ夏目漱石は「ウィンドウショッピング」を重んじたのか?

勝手、文豪・夏目漱石のもとに地方出身の学生が訪ねてきた時の事。学生が「私は小説家になりたいのです」と語ると、漱石はこんな質問をぶつけたと言う。

「君はウィンドウショッピングが好きかね?」

若者は大変真面目な学生だったので、次のように答えて、文学への情熱をアピールした。

「ウィンドウショッピングなんかして居る時間があったら、私は書斎で本を読んで居ます」

しかし、それを聞いた漱石は、「君は小説家に向かないからやめておきなさい」と諭したそうだ。このエピソードはさまざまに解釈出来ると思うが、漱石が此処で「ウィンドウショッピング」と語って居るのが、知識の「幅」を広げると言う事に通じていると思われる。

頭の中の情報量を増やそうと言うとき、あなたはどんな事をするだろうか?
書店に行って本を買う人、インターネットを検索する人、セミナーなどに参加する人、いろいろ居るだろう。

しかし、此処にも「バカの壁(無意識の思い込み)」が入り込んで居るはずだ。つまり、あなたがその本を手に取った事にも、その人に話を聞きに行った事にも、必ず何らかの前提がある。そうでなければ、「この情報が自分に役立つはずだ。学んで見よう」と言う判断が出来ないからである。

勉強する事が悪いと言いたい訳ではない。しかし、どれだけ自分で知見を広げて居るつもりでも、結局の処、それらの情報収集は、自分の経験・知識・常識の枠組みの中で行われるものでしかない。つまり、情報の総量は増えて居ても、本当の意味で幅が広がって居ないのである。

それに対して、ウィンドウショッピングと言うのは、ある意味、無目的の情報収集(正確には収集とは言えないが)だと考えられなくもない。もちろん、自分の足で歩いて居ると言う意味では能動的な部分があるが、ぼんやりとしながらフラフラと歩き回り、情報が向こうから勝手に飛び込んで来るのを待っている受動的な状態である。

これを情報流入と呼んで居る。

小説家の様な高い創造性が要求される仕事をする為には、アイデアの素材に多様性(幅)がなければならない。「ウィンドウショッピングが好きか?」と学生に尋ねた漱石は、情報流入の習慣を学生が身に付いて居るかどうかを確認して居たのではないだろうか。知識に多様性を持たせる為には、どうしても情報流入が必要である。だが、此方から情報を取りに行くのでは無く、完全に受動的な状況を作ると言うのは、意外に難しい。たとえば、マーケッターがこんな事を語って居るのを見たことはないだろうか?