寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

(内田裕也と言う男)「神経症的自尊心」「イタリアン・プログレ」ets

 

【still OVER THE EDGE】Vol.1「内田裕也」(後編)

 

此間、訪問看護師に「内田裕也ってどう言う人か知って居る?」と聞いた。そしたら案の定、何も知らなかった。ただ樹木希林の旦那で自称ロックンローラーのイカれた男としか言わなかった。映画に40作も出て居る事も。彼が日本のロック界のドンであった事も。また。類い稀なる名プロデューサーだった事も知らなかった。私は呆れて仕舞った。またある人は、人をバカに仕切って茶化して「〇〇さん考えなくちゃ。哲学なら考えなくちゃ。プラトンだっけ、プトレマイオスだっけ、言って居たじゃない。考えろってさ(笑)」と言うので私が、「西田幾太郎って知ってる?」と言ったら黙って居る。だから続けて言った。「京都学派の西田幾多郎だよ」と言ったら、知らないと言う。自分は何も知らないのですよねそうやって、だから説明をした。「京都に哲学の道ってあるでしょ。何で、あの道が哲学の道と言うのかと言うと。哲学者だった西田幾多郎が昔、あの道を歩きながら思索したからだよ。」と言ったら驚いて居る。

 

京都大学 西田幾多郎 無の哲人:禅の思想から日本哲学へ

 

今日も40代後半の人が久々来た。私が宇宙戦艦ヤマト2199と2202は話が良く出来て居る。脚本家が3人がかりで考えて、監督が2人がかりで演出して居るから。見応えがある。昔のヤマトと比べたら、昔のはお子様向けで今では観るに耐えないが。今回ヤマト製作委員会を立ち上げ作ったこれらのヤマトのアニメは素晴らしいと言ったら、「へっ。ヤマトが〜〜。」と言うので録画してある物を少し見せてみたら、「なんか、凄そう圧倒される(笑)森雪が今時の美人に成って居る。デスラーがカッコイイ(笑)」と言う。私は「キャラクターは昔と比べて大分今風だけども。話は哲学的だよ」と言っても、そこら辺は解らない見たいだった。私は3月15日からファミリー劇場でヤマト2202篇は全話やるから見てみたらと言ったら「へっ!」と言って居る。アニメだと思ってバカに仕切って居るのだ。その人に以前、丸山眞男。柄谷行人。寺山修司。吉本隆明。と言ったら誰も知らなかった。私は看護師なのだからそれなりの教養がある者だと思って居たが。考えを改めた。どうやら教養は持ち合わせてない様だ。ガッカリだよねぇ、、何話しても知らない事ばかり。知らなかったら私の話を参考にすれば良いのにそれすらしない。これからは付き合い方を考え様と思う。

 

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第六章までのダイジェスト

 

大体がハーモニカが12本で組みになって居て、曲のキーは12あると言う事すら知らない。だから私のハーモニカのケースを見て、言う。「こんなに沢山持って居て!お金幾ら掛かったの?何で同じのをこんなに何本も持って居るの」「こんなに持って居て贅沢だ」と言うのです。毎回呆れる。此処で言って置くがブルースハープと言うものは1本1本音階が違う。全部の音階を揃えると12本に成るのです。昔、連続射殺魔の永山則夫の「無知の涙」と言う本が有ったが....。まあねえ、永山則夫について知らない方も居るかとも思うので説明すると。1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号 ... )を起こし獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を執筆した事で有名な囚人だ。彼は1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家でもあった。1983年、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞して居る。作家の中上健次は永山のことを優れた小説家だと擁護した。永山は獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を発表したが。この印税は4人の被害者遺族へ支払い、その事が1981年の高等裁判所判決において情状の一つとして考慮され、死刑判決破棄につながった(前述の通り差し戻し審ののち最高裁の上告棄却により死刑確定)1983年には小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞した。

 

永山則夫事件

 

1990年には、秋山駿と加賀乙彦の推薦を受けて日本文芸家協会に入会を申し込むが、協会の理事会にて入会委員長の青山光二、佐伯影一など理事の一部が、永山が殺人事件の刑事被告人である為、入会させては成ら無いと反対した結果、入会が認められず、それに抗議した中上健次、筒井康隆、柄谷行人、井口時男が、日本文藝家協会から脱会すると言う出来事も起こった。なお理事長の三浦朱門とその妻曽我綾子は入会賛成で、江藤淳は反対の立場からテレビで中上健次と討論した。その一方、1996年、ドイツ・ザールライト州作家同盟には正式入会を果たして居る。

 

竹中労語る 永山則夫 / 作家論

 

さて、内田裕也です。一般的には樹木希林のダンナ、独特の風貌や奇行から、変な爺さんと思われて居るのかも知れない。新聞等の訃報での紹介を見ても、歌手、知事選出馬、仕分け会場に出没...。.と、そんな経歴ばかり。でも、違うんですよ、彼が日本のロックシーンに於いて、どれだけ凄い人だったのか。それを多くの人に知って貰いたい。そう考えて、改めて内田裕也の功績を振り返りたいと思う。

まずは、歌手としての内田裕也。寺内タケシのバンドを皮切りに、ビートルズの前座ではブルーコメッツを従えて歌うなど、着実にシンガーとしてのキャリアを築いて来た物の、歌手としてはこれと言った代表曲がある訳でも無く、ロックンロールのスタンダードナンバーを歌って居た印象しかない。まあ、あくまで個人的な印象ではあるけど。当時はロカビリーと、その後グループサウンズが流行って居た頃で、裕也さんも自分の方向性を決めかねて居たのだろう。

 

 

 

1970年代に成ると「1815ロックンロールバンド」(メンバーは当時のクリエーション)を率いてロックンロールを歌って居た。この時の時代のライブは、私も二度ほど見た記憶がある。野音だったかな。その当時の映像があった。A ROCKというアマチュアバンドのイベントにゲスト出演した時のものだ。かまやつひろし、近田春夫、皆んな若いね。この映像で、最初に歌ってるのは当時のクリエーションのボーカリスト、大沢博美。

 

 

シンガーとしての内田はご覧の通り。でも、彼の本当に凄い所はプロデューサーやイベント企画など、音楽シーンに於ける裏方としての功績だ。類まれな行動力を改めて振り返ると、つくづく凄い人だったなと思う。日本のロックシーンへの貢献は、計り知れない。

まずは、なんと言っても「ザ・タイガース」だ。大阪のジャズ喫茶で ザ・タイガースを見出し、デビューにつなげたのも、これまた内田裕也だった。しかし、内田はタイガースのマネジメントを託したナベプロと折り合わず、内田の考えて居た物とは随分違うカタチでのデビューと成ったのは、これを聴いても想像出来る。

 

The Tigers - A Necklace of Flowers (Eng sub) / 花の首飾り - ザ・タイガース

 

海外でも通用する、日本初の本格的ロックバンドといえば、「フラワー・トラベリン・バンド」の名を挙げる人が多い事だろう。ジョー山中をボーカルに擁し、当時の日本を代表するプレイヤーが結集したスーパーバンドだ。コンセプトアルバム「SATORI」は、当時大きな話題と成った。そしてカナダで大ブレイクした。そんなフラワーを生み出したのも内田裕也だった。しかし内田本人は、裏方に廻って居る。自らのシンガーとしての力量がこのバンドに相応しい物では無い事を知って居た。だから、当時ボクサーでロックバンドの天才的なボーカリストだったジョー山中を、ジャンジャンで見つけて彼をフラワーのボーカルに据え賭けたのだ....。その時に裕也さんはジョー山中に「一緒に海外で評価される名のあるバンドを作ろう」と言ったそうだ。

 

 

続いて、内田が日本のロックシーンに問うたのが、竹田和夫率いる「クリエーション」だ。内田のプロデュースで東芝EMIからメジャーデビューし、当時大きな話題となった。オリジナル曲も英語で、海外でも通用しそうな日本初の本格的ハード・ロック・バンドって感じだった。現にエリック・クラプトン率いるクリームの名プロデューサー。フイリックス・パッパラルディーと組んでアメリカ横断ツアーを行った。カナダでクリエイションのレコードはベスト4まで入った。裕也さんには初期の頃にフラワーズと言う内田が作った自身のバンドと言う先駆者があるじゃないか、と思うだろうけど、フラワーズは凄すぎて、当時まだ日本にはロックシーンなんてものは無いような時代だから、ちょっと意味が違う。

 

「ラストチャンス」ほか/内田裕也とザ・フラワーズ

内田裕也とザ・フラワーズ "1969ジャズ喫茶ライブ"

内田裕也 - 朝日のあたる家(The House of the Rising Sun) NYWRF 40th

 

「クリエーション」は、またたく間に日本を代表する人気バンドとなった。

内田がプロデューサーとして世に送り出したクリエイションのデビューアルバム。
当時、コピーするアマチュアバンドも多かったと記憶。今聴いても良く出来たアルバムと思う。余談だが、このアルバムジャケット写真は今ならアウトだ。

 

PURE ELECTRIC SOUL  CREATION / Spinning Toe-Hold

 

プロデューサーとして多くのバンドを送り出しただけでなく、イベント主催者としても、数々のビッグイベントを手がけて来た。中でも、日本のロック史に残る伝説のフェス、郡山ワンステップフェスティバル。見ての通り、まさに日本のウッドストック。こんなイベントの実現に奔走したのも内田裕也だ。この時、確かジョン・レノンを呼ぼうと画策したんじゃなかったかな。オノ・ヨーコは一人で来たけど。映像はこれまた伝説の「サディスティック・ミカ・バンド。」ワンステップには急遽出演が決まった。イベントの様子が良く判る映像だ。

 

 

他にも、日比谷野外音楽堂で、ロックファンの拡大を目論んだ100円コンサートや、日本のイキのいいバンドを集めた日比谷ロックフェスティバル、ニューイヤーワールドロック・フェスティバルなど、内田は歴史的なロックイベントを数多く手掛けて居る。また、日本でもコアなファンが多いものの、マニアック過ぎて興行的には呼び屋が二の足を踏んで居た、「フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンション」を日本に呼んだのも、これまた内田裕也なのだ。ザッパは、流石にその日本公演の映像は無さそうなので、当時のライブ映像をご紹介。

 

 

また、スキャンダラスにロックンロールしつづけた内田の芸能生活において、映画俳優としてのキャリアは重要だ。1963年の『素晴らしい悪女』で銀幕デビューを果たしたのち、18年公開の『星くず兄弟の新たな伝説』に至るまで、40本以上の映画に出演して居るのだ。自ら脚本を書き主演した『十階のモスキート』(83年)や『コミック雑誌なんかいらない!』(86年)など、映画ファンによく知られた「傑作」もある。

 

 

Dioxin from Fish!! 「魚からダイオキシン!!」

The Mosquito on the 10th Floor - 「十階のモスキート」 予告編

No more Comics 「コミック雑誌なんかいらない!」

 

 

そんな訳で、本当に凄い人だったんですよ。変な爺さんとしか思って居ない人が居たら、ぜひとも考えを改めて欲しいと願ってやまない。

 

内田裕也 - ジョニー・B.グッド [2004年、ジョー山中ライヴのゲスト]

 

ーkiyasumeー

 

神経症的自尊心

「身知らずの口たたき」と言う格言がある。身のほど知らずに大言壮語する事である。
 
よく「あの人は自尊心が強い」と言う。良い意味で言われる時もあるし、悪い意味で言われる時もある。よい意味で言われる時には誇りが高いと言う事であり、いきいきして居ると言う事であろう。悪い意味で言われるときの自尊心とは神経症的自尊心の事である。
 
自尊心そのものを悪く言う人は居ない。しかしどうも鼻につく人の事を「あの人は自尊心が強い」と言う。悪い意味で「あの女は自尊心が強い」と言ったら、その女性がいつも「私は軽い女じゃないわよ」と言う姿勢を誇示して居る等などであろう。
 
「あの女は自尊心が強い」と言うときにはどちらかと言うと悪い意味で言われる事が多い。ことに此方から「あの女はどう言う人ですか?」と聞いて居ないのにそう言う時には先ず悪い意味である。「あの人はリンゴが好きですか?」と聞いて居ないのに「あの人はリンゴが好きです」と説明する人は少ない。同じ様に聴いて居ない時にわざわざ言う時には貶して居るが多い。
 
では神経症的自尊心とはどう言うものであるか。神経症的自尊心とは巨大な自我イメージを周囲に認めても貰おうとする事であるとアメリカの著名な精神科医のカレン・ホルナイが言って居る。簡単に言えば虚勢を張って居る心理である。
 
神経症的自尊心の強い人は本当の自信を身につける機会がなかったのである。例えば、親から十分に愛撫されなかった。弱点をも含めて自分の存在を認められなかった。自信がないから神経症的自尊心で自分を維持して居るのである。
 
本当の自信は人との心の触れあいと達成感から生まれる。彼らは人と心が触れ合わないで生きて来た。信じるものが無かったから。
 
人は劣等感があると人と心が触れあえない。劣等感とはそれを知らないのに「それ知らない」と言えない心理状態である。
 
知らない事を、それ知らないと言えて相手と心が触れあえる。知らない事を「それなーに?」と聞けない。馬鹿にされるのが怖くて聞けない。それが触れあえない心理状態である。
 
触れあえない、認められなかったどころか彼らは自らの弱点を蔑まれた。小学校には居るともう受験競争が待って居た。成績がいいと誉められ、成績が悪いと叱られた。だから本当の自分を見つける機会がなかった。「私はこう言う人間だ」と言うものが掴めなかった。
 
そして親の期待を実現出来ないと言う事で子供は傷ついた。親の子供への期待こそ親の劣等感の部分なのである。自分が学生時代に、成績で劣等感のある親ほど子供が良い成績だと喜ぶ。子供の求める栄光は親の劣等感の部分である。子供が求める「栄光」は親の劣等感の部分である。それを子供は気がつかない。

 

日本の多くの少年少女は、それぞれの親とのそれぞれの関係の中で、それぞれに傷つきながら子供時代を過ごして来る。だから大人から見るとせっかくの青春を何であの様に愚かに過ごすのだと思う過ごし方をする事も多い。
 
自分の潜在的な可能性を伸ばす為に、何でも出来るのに、それをしないで煙草をすって見たり、集まって酒を飲んで見たり、自分が好きでもない職業につこうと努力したりする。
 
なかには非行に走る。自分の可能性を追及しないで、人の眼を意識した行動ばかりをする。自分を見ないで人が自分をどう思うかばかりを気にして居る。
 
そして自己無価値感に苦しみながら、自分の価値を上げようとして必死で「あいつ等は馬鹿だよ」とか「世の中は、けしからん!」とか叫ぶ。そう叫ぶのは彼らが劣等感に苦しみ、欲求不満だからである。
 
本当の自信がある人は身構えないで話が出来る。脅える良い子にはならない。楽しい生活をする。利口ぶらない、「馬鹿にされないぞ」と肩肘はらない、心の傷を癒そうと、自分の適性を殺すという犠牲を払って栄光を求めたりしない。
 
そして人を意識した行動を続けるために、カレン・ホルナイが言う様に本当の自信をつける機会がさらに無くなって仕舞う。それにも関わらず、心の底では彼等はまさにカレン・ホルナイが言う様に必死で自信を求めて居る。
 
しかし今の行動を続けても決して自信は生まれて来ない。そこが彼等の悲劇なのである。先にも書いたとおり触れあえれば自信が出来る。そして自信が出来れば、軽蔑の言葉を浴びせられても傷つかない。

当の自信をつける機会がなかった彼等は人の上に自分を引き上げる衝動だけを発展させて仕舞う。しかし虚勢によって人の上に自分を引き上げても残念ながら自信は出来ない。「こうなって皆に一泡ふかせたい」と言う願望ばかりが強くなって、自分の可能性を追及する姿勢はどんどん無くなる。自分の素直な感じ方が次第に出来なくなってくる。服を一つ着るのにも、「どうだ、凄いだろう」と言う、人を意識した事ばかりが、彼の心を支配する様になる。現実の自分の感じ方や、考えは重要でなくなる。周囲の評価を狙って居ると、何時になっても本当の自信は身につかない。
 
青年が一人前の口を聞きたがるのはこの心理である。「21歳の大学生」や「17歳の高校生」が世の中が分かって居るはずが無い。それを恥じる事など、どこにもない。しかし神経症的になって来ると、これが逆になる。自分が「21歳の大学生」や「17歳の高校生」であると言う現実を忘れて、世の中が分かった様な事を言いたがる。つまり神経症的自尊心とは、「21歳の大学生」で社会人としての何の実績もないけど、社会人として優れた実績をあげた人と同じ様な口を聞きたがる心理である。
 
「俺は、こんな苦しいことを我慢して、此処まで頑張って生きて来た」という実際の体験を元にして心の中に出来上がる心理的安定では無く、実際には何もして居ないのに、「俺は偉い」と思おうとする心理である。自信に到達するのに特別のバイパスを通って行こうとして居る。だから何時になっても本当の自信が出来ない。
 
そして彼は奥さんや恋人から特別に偉い人として扱って貰える事を期待する。彼は人から、特別の注目を獲られるものと期待する。自分を特別に扱わないと不公平に扱われたと感じる。そこで怒りだす。彼は「自分は何時も人より特別に扱われるような資格があると思っている」とカレン・ホルナイは言うが、私はそれよりも自分が生きてきた道を彼は心の底で納得して居ないから「すぐに怒る」のだと思う。
 
自分が自分の生き方を納得して居ないから、周囲の人に偉大な人間として扱って貰いたいのである。つまり神経症的自尊心の強い人は虚勢を張って威張って居るが、心の底では人が羨ましい。
 
何よりも現実の自分と内面の壮大な自我像とが調和しない。そうすると何処か現実がおかしいと思い出す。他人は自分をその様に立派な人として取り扱わない。他人は自分を普通の人として取り扱う。すると酷く侮辱された様に感じる。自分が侮辱される事には敏感だが、自分が他人を侮辱して居る事には極めて鈍感である。それは他人を侮辱する事で心が楽になるから、自分の心を楽にする事ばかりに気を取られて居るから、他人の心の傷には鈍感なのである。
 
自分が他人を扱って居るのと同じように、自分が他人から扱われると、もの凄く怒り出す。傲慢であればあるほど傷つき安いと言うのはその事である。
 
他人はその人をその人が思っているほど凄い人だと思って居ない。すると他人はその人を凄い人として扱わない。普通の人として扱う、すると、もの凄く傷つく。攻撃的な人なら、猛然と怒り出すし、内向的な人なら傷ついて自分の中に閉じこもるかも知れない。そして恨みに思うであろう。
 
こう言う人に「あなたは立派です、周りが悪い」と言う宗教があれば彼は心ひかれて入信して行くだろう。こつこつと地道な努力をして居る若者には無い心理である。

「あんな事ばかりして居るからあの会社は駄目なんだよ」とか「あんな事ばかりして居るからあの上司は駄目なんだよ」と自分では何も実現して居ないのに偉そうな事ばかり言う人が居る。そう言う人は実は自分が自分に不満なのである。人は不満な時にそう言う批判的言動をする。彼は苛立って居る。適切な目標があって自分が楽しければそんな会社や上司の事をいちいちかまって要られない。その様に会社や上司を批判する時、自分が偉くなった気持ちになる。だからそう言う偉そうな口をきくのである。
 
彼はまともな人なら自分を考えて恥ずかしくてしょうがない様な事を得意になって言って居る。しかし彼はそう批判する事で心が一時安らぐ。しかし実は彼は心の底で「その会社」や「その上司」が羨ましいのである。
 
「この人、自分の事をどう考えているんだろう?」「この人、自分の事を何様と思って居るのだろう」と思われる人が居る。何の実績も無いうちから偉そうな口ばかり聞く人である。これが神経症的自尊心の強い人々である。
 
そして「自分の事を何様と思って居るのだろう」と思われる神経症的自尊心の強い人は周囲の人とうまく行って居ない。もし周囲の人とうまく行って居れば、たとえそう言う口を聞いても「あいつも面白い奴だ」とか「可愛い奴だ」などと思われるのである。

 

こう言う人々はカレン・ホルナイが言う様に本当の自信をつける機会を持てない侭に年を取って仕舞った人達なのである。
 
農家のおじさんが改良したリンゴの種類を作って農林大臣賞を貰ったとする。そして自信を持った。自信と言うのはその人の経験が原点になければならない。その上でリンゴの木の林の中でゴザの上に座っている。だからゴザが宝石のイスになるのである。
 
神経症的自尊心を持つ人は宝石のイスに座る事で自信を持とうとするから何時になっても自信が持てない。
 
神経症的自尊心をもとにした自己栄光化は彼にとっては心の葛藤を解決する手段なのである。毎日が居心地が悪い、だから自己栄光化によって自分の城を作りたい。居心地の良い自分の場所を作りたい。
 
普通自分の城を作ろうと思えば、土台を考える。この場合で言えば例えば心理的成長、或いは人脈等などである。自分の弱点を知り、長所を知ろうとする、それで強固な城が出来る。しかし神経症的自尊心を持つ者は毎日が不安だから、それらを見ないでとにかくお金と力等などで城を作ろうとする。
 
だから失敗が恐ろしい。「失敗したら?」と恐れるのは成功によって心の葛藤を解決しようとして居るからである。「周囲の人達は、自分をこう扱うべき」と思うのは、それが心の葛藤を解決するからである。従ってこうありたいと言う目標ではなく、こうなければならないと言う事になって仕舞う。

自分が普通の人になって仕舞うと心の葛藤と直面しなければならない。つまり普通の人になれば、屈辱感を味あわなければならない。それに耐えられない。
 
しかし自己を栄光化する事が出来れば屈辱感を味あわなくてすむ。心に葛藤の無い人、心理的に健康な人は普通の人である事に耐え難い屈辱感を味わう事はない。普通の人は神経症的自尊心の強い人とは違って心が満足して居るのである。だから心の葛藤を解決するための名誉やお金や権力は要らない。心の葛藤が無いのだから。
 
普通の人は楽しむ為にお金を必要とする。しかし強迫的にお金を必要としない。食べて行かれればそれ以上はなければないでやって行かれる。しかし神経症的自尊心の強い人はそうはいかない。それ以上のお金が必要なのである。
 
神経症者が先ず勘違いをして居るのは、普通の人は心が満足して居ると言う事である。神経症者は心に空洞があいて居る。この空洞を神経症者は埋めなくてはならない。ところが普通の人はこの空洞がない。だから「空洞」に何かを入れる必要がない。
 
神経症者はこの空洞に名誉とかお金を入れなければ生きて行かれないのである。入らなければ、イソップ物語のキツネのように「あの葡萄は酸っぱい」と言い訳をしなければならない。
 
心理的に健康な人でお金とか名誉とかを持って居る人が居る。しかしそれは空洞に入れる為に獲得したものではない。して居る事が楽しいからして居る内に結果として手には入ったものである。だから「もっと、もっと」と言う際限のない強迫的要求が無い。心理的安定のために必要な権力や名誉では無い。
 
また名誉を得て、鼻持ちならない人を考えて見よう。なぜ名誉を得て、鼻持ちならなくなるのか。偉い官僚で鼻持ちならない人も居れば、普通の人も居る。大きなダイアモンドをつけて、鼻持ちならない女性もいれば、普通の女性も居る。
 
それを理解するために心の空洞を体重にならって考えてみると分かる。体重にならって心重とでも言ったらいいだろう。普通の人は心重が70キロである。しかし鼻持ちならない神経症者は空洞があるから60キロである。そして心の安定のためには心重は70キロなければならない。そこで神経症者はどうしてもあと10キロ必要なのである。
 
神経症者は名誉で10キロを得た。そこで自分は人と違って10キロ多いと思って居る。そこで普通の人と同じに扱われると怒る。もともと自分の心重が普通の心理的に健康な人よりも軽いと言う事に気がついて居ない。

そう書いて居る私自身自分の心重が普通の心理的に健康な人よりも軽いと気がついたのは、かなり年をとってからである。若い頃、なんで自分は自分の人生に心から満足出来ないのかと疑問に思って居た。なんであの人はあんなに幸せなのかと不思議であった。
 
そして心理的に健康な人は自分よりも心重が重いのだと知った時には驚きであった。もともと心理的に健康な人は、自分と違って心が満足して居るのだと知った時には驚きであった。

神経症的自尊心の強い学者は実際に自分が出来る研究をしようとするのでは無く、皆が尊敬する大学者になろうとする。すると自分の出来る研究をしなくなる。自分の出来る事をしないで、自分の能力には高すぎる事をしようとする。神経症的自尊心の強い作家は自分が書ける本を書かないで、皆が羨ましがる大作家の様な本を書こうとする。
 
自分の書ける論文を書かないで人の書いた論文を批判してばかりいる大学生が居る。そして学生のうちから大学者が書くような論文を書こうとする。そういう学生は普通の学生が書ける論文すらも書けない。高すぎる目的にこだわって自分の出来る事をしない。自分の入れる大学に入らないで、何時までも有名大学に入ろうとする受験生もいる。
 
最近、日本での勉強について行けなくなったからアメリカの高校等に留学して来る高校生が居る。日本でついて行けなくなったと言っても、日本で自分が期待する扱いを受けなくなったと言う事に過ぎない。勉強そのものが理解出来なくなったと言うのではない。
 
彼らは自己栄光化を維持する為に日本を逃げ出したのである。まさにバイパスである。そして日本の高校生を貶す。貶すのはやはり羨ましいからである。
 
そして語学の勉強で初級クラスに入った方がその人の為なのに、自分の実力を無視して上級クラスに行こうとする人も居る。神経症的自尊心の強い人は勉強の仕方も間違える。自己栄光化は神経症的自尊心で、弱さの象徴である。

要は、自分の身の程をしっかりと知り。それをごまかして生きるのではなく。自分を過大評価しないで、日々、勉強をし精進する事である。そして神経病的自尊心を持たない様にし。自分の知らない事を人が言って居たら進んで参考にし。知らない事に蓋をするのは辞めよう。知らない事は神経病的自尊心を持つ者は恐れであり。劣等感になるが。誰でも初めは知らないのです。私も物事を良く知らない。だから学んで居るのです。知性とは学問だけにあるのでは無い。漫画やアニメ。音楽の中にもあるのです。私は自分が知った事をblogでキュレーションして居る。ヘゲモニーは自分が握って居るが。人間一生勉強ですよ。。。

 

 

 

 

ーイタリアン・プログレのお薦めー

 

イタリアはイギリスに次ぐプログレ大国であり、プログレ屈指の名盤が数多く存在します。イタリアン・プログレの音楽性は非常にオリジナリティーが高く、他の国にはない独自の響きがあります。また、イタリア語はプログレとの相性がよく、語感が心地いいですよ。歌詞の意味は全くわかりませんけどね。

 

-- Biglietto per l'Inferno --

 ビリエット・ペル・リンフェルノ(Biglietto per l'Inferno)は、1972年に、イタリア北部の都市レッコで、2つの解散したバンド(Geeと、Mako Sharks)のメンバーによって結成されました。ツインキーボードとギターを中心とした、6人編成のバンドです。

1974年、『Biglietto per l'Inferno』を発表します。サウンドは、ハードロック色の濃いダークな王道シンフォニック・プログレです。攻撃的で激しい動の部分と叙情的で美しい静の部分が複雑に入り乱れて曲が進んで行きます。イギリス的でハードなギター、厚みと広がりのあるツインキーボード、効果的に入るフルート、シャウト型のヴォーカルなど圧倒的な演奏です。ハードな部分も静寂な部分も、とにかくメロディーが良いですね。叙情的で哀愁のあるイタリア独自のサウンドは素晴らしいです。このアルバムは、プログレ屈指の名盤となって居ます。

1975年、セカンド・アルバムの録音もほぼ終わって居たにも関わらず、バンドのアルバムをリリースして居たTrident Recordsの倒産の煽りで解散となって仕舞ったそうです。

1992年、セカンド・アルバムとして発表される予定だった音源が、『Il Tempo della Semina』として発表されます。基本的なサウンドは、ファーストと同じですが、緩急が少し抑えられ、まとまりが出た感じです。

2009年、オリジナルメンバーのジュゼッペ・コッサ(キーボード)、マウロ・グネッキ(ドラム)を中心としてビリエット・ペル・リンフェルノ・フォーク(Biglietto per l'Inferno.Folk)とバンド名を変えて再結成され、『Tra L'assurdo e la Ragione』を発表します。ファースト・アルバムとセカンド・アルバム収録曲をアレンジした再録曲が7曲(ファーストから5曲、セカンドから2曲)、新曲が2曲という構成です。サウンドは、フォークが名前に加えられて居る事からお分かりになる通り、かなり民族音楽の色が濃くなっています。楽器もオカリナやバクパイプなどの民族楽器が導入され、フォーク志向の大胆なアレンジがなされています。また、オリジナルメンバーのジュゼッペ・バンフィ(キーボード)が、プロデュースで、クラウディオ・カナリ(ヴォーカル・フルート)が作詞で参加しています。

2015年、『Vivi.Lotta.Pensa』を発表します。バンド名から、Folkが取れて、「Biglietto per l'Inferno」に戻って居ますが、音楽性は前作の『Tra L'assurdo e la Ragione』の民族音楽の濃い傾向から変化はありません。セカンドアルバムから3曲、ファーストから1曲、新曲1曲という構成です。

それでは、おすすめアルバムです。

 

 『Biglietto per l'Inferno』/1974

 『Il Tempo della Semina』/1992

 

以上はプログレを代表する屈指の名盤となっています。

 

Biglietto per l'inferno - Confessione

 

イタリア・プログレの真骨頂~そこには人間復興への歌

極め付け。ムゼオローゼンバッハです。。。

 

<Progressive Rock>
    MUSEO ROSENBACH  「ZARATHUSTRA」
       BMG / BVCM-37425 / 1973
       KING /  JAPAN / K32Y 2117 /1982

Zarathustra
Stefano "Lupo" Galifi / vocals
Enzo Merogno / guitar, vocals
Pit Corradi / Mellotron, Hammond organ, vibraphone, Farfisa el. piano
Alberto Moreno / bass, piano
Giancarlo Golzi / drums, timpani, bells, vocals

1970年代初めに一口にプログレッシブと呼ばれるロックであっても、それには多種多様なパターンがあった。特にイタリアでは、アレアのようなジャズ・ロックも当然一つの形であったが、矢張り何と言ってもイタリアの特徴はクラシック音楽の伝統をバックに壮大なオーケストレーションを加え、時に合唱をも取り込み、そしてドラマチックな手法や様式美を築き、しかもそこにカンツォーネの歌心が盛り込まれると言う叙情性も加味されたヘビー・シンフォニックである。そしてその代表とも言えるのが、1アルバムで消えたこのムゼオ・ローゼンバッハMuseo Rosenbachである。

 

Museo1_2

 

当時”ヘビー・シンフォニック・ロック”と言う言葉が生まれた対象ともなったこのアルバム、日本ではマニアに圧倒的人気があり、再発前は簡単に手に入らず数万円で取引されて居たもの。それもキング・レコードから「EUROPIAN ROCK COLLECTION」としてリリースされファンは歓喜した。更にCDブームで1982年には、CDのリリースもあって、ようやく一般人に広げられた。なんとそれはイタリアでのリリースから10年後であった。私も彼らの音源はそれなりに持っていたが、このCD発売の恩恵に与った人間である。

Zarathustralist 

 

ニーチェの哲学叙事詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を元にして居ると言うが、そのあたりは詳しくないので解らないが、反キリスト教的思想が貫かれていると言う事は間違いない。(イタリア、時の政権は右翼キリスト教民主党)
 

”パワフルなキーボード・オーケストレーションを駆使した、エネルギッシュかつ交響曲的高揚を持つヘヴィ・ロックの傑作”と表現されるが、まさにその通りの圧巻の一大叙情詩。当時プログレの代表楽器のキーボードであるオルガン、メロトロンが雄大に響き、それに止まらずギターのハード・ロックなプレイが絡んで重厚なる深遠なる世界を描いて居る。

スタート”最初の男”はギターによる物語の始まりで、歌心あるヴォーカル、そしてキーボードの盛り上がりと言った処。”昨日の王”は深遠な世界、此処でもカンツォーネの流れを感ずるヴォーカルが聴ける。”善悪の彼方に”はハードにスタート、ヴォーカルも力が入る。ギターとオルガンのコンビネーションによるハードロック調のヘヴィなプレイ。”超人”再び世界を歌い上げる。”砂時計の宮殿”全楽器でハードでシンフォニックな世界を盛り上げる。そして壮大なテーマのメディーが再び流れる。
 
組曲とは別の”女について”ではギターの泣き、ハードなオルガン、高らかに唄うヴォーカルと、イタリアものらしい曲である。”自然”はE.L.Pを思わせる。”永遠の回帰”は彼らの主張をハードに。

Rare 

 

とにかく当時は1アルバムのロック・グループとして重宝がられた訳だが、その後、まさにイタリアンなドラマティック・ポップで一世を風靡したバンドのマティア・バザールMatia Bzar(このバンドにも一度焦点を当てる予定)にも流れて言った訳だが、当時プログレ・ファンにはこのアルバムが忘れがたく、その為1992年には当時のレア・トラックのアルバム「Rare & Unreleasd」(→)というアルバムを産む程であった。

(社会背景からのロック)

しかし、重要な事は、当時のイタリアの社会情勢である。当時のオイル・ショック(1973年10月)は日本と同様に資源の無いイタリアには大打撃で有り、社会危機と政権交代(キリスト教民主党)などはロック・コンサートの否定と走り、イタリア・ロック界は撃沈される。そんな処を予知しての彼らの高貴な支配者を期待したゾロアアスター教(ツァラトゥストラ)への永遠の回帰を期待する世界、人間復興が歌われて居るのである。そしてこのバンドは解散。

こうした時代背景は常にロックの形を作り上げて来た重要因子であった事を知らねばならないだろう。これこそがロックの醍醐味なのだ。

そして1アルバムで消えた彼らも2000年には(Stefano “Lupo” Galifi(vo)、Alberto Moreno(key)、Giancarlo Golzi(dr/per/vo)のオリジナル・メンバー三人を中心として)再結成となってアルバム「EXIT」のリリースをみたのである。

<MUSEO ROSENBACH ~Discography>
1973  Zarathustra
1992  Live72 ,  Rare and Unreleased
2000 Exit
2012 Zarathustra- Live In Studio
2013 Barbarica

 

 

 

 
 
 
 
ー懐かし洋画劇場ー
 
 

「皆殺しのジャンゴ/復讐の機関銃(ガトリングガン)」 Preparati la bara! (1968)

 
 
 
 
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監督:フェルディナンド・バルディ
製作:マノロ・ボロニーニ
原案:フランコ・ロゼッティ
脚本:フランコ・ロゼッティ
   フェルディナンド・バルディ
撮影:エンツォ・バルボーニ
スタント監修:レモ・デ・アンジェリス
音楽:ジャンフランコ・レヴェルベリ
出演:テレンス・ヒル
   ホルスト・フランク
   ジョージ・イーストマン
   ホセ・トーレス
   バーバラ・サイモン(ブルーナ・シモネッタ)
   ピヌッチョ・アルディア
   リー・バートン(グイド・ロロブリジーダ)
   エドワード・G・ロス(ルチアーノ・ロッシ)
   ジャンニ・ブレッザ
イタリア映画/92分/カラー作品




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<あらすじ>
野心家の親友デヴィッド(ホルスト・フランク)が政界に進出し、一緒に金と権力を手にしようと誘われたガンマン、ジャンゴ(テレンス・ヒル)。しかし、最愛の妻と牧場でのんびりと暮らすことを夢見る彼は、銀行の依頼でアトランタへ金貨を届ける仕事があるからと断る。
 
アトランタの近郊には妻の実家もある事から、夫婦一緒に旅へ出たジャンゴだったが、その途中で強盗一味に襲撃され、金貨を奪われたばかりか妻まで殺されて仕舞う。復讐に燃えるジャンゴだったが、その黒幕がデヴィッドである事は知る由もなかった。
 
それから5年後。強盗一味のリーダー、ルーカス(ジョージ・イーストマン)が牛耳る町の保安官事務所で、ジャンゴは絞首刑執行人として働いて居た。町の近郊ではたびたび金塊強盗事件が起きており、無実の人々が犯人に仕立て上げられて絞首刑に処せられて居たのだが、ジャンゴは秘かに彼らの命を救って居たのだ。
 
ジャンゴが人々を助ける理由は一つ。彼らを仲間にしてルーカスの一味に復讐を果たす事。金塊強盗事件の真犯人はルーカス一味で、証人を買収して無実の人々を身代わりにして居たのだ。やがて、ラクルーセスからサンタフェへ金塊を運ぶ馬車が近くを通るとの情報が入る。ルーカス一味が動くことは確実だ。ジャンゴは仲間たちと共に行動を起こす。
 
その頃、仲間ガルシア(ホセ・トーレス)の妻メルセデス(バーバラ・サイモン)が、夫の共犯者として処刑される事となり、ジャンゴは救出に向かう。すると、その間にガルシアが別の計画を持ち出すのだった。
 
たとえルーカス一味を捕らえて無実を証明したとしても、以前のまま貧しい生活を送らねばならない。ならばいっその事、ルーカス一味を出し抜いて自分たちが金塊を奪おうと言うのだ。反対する仲間を容赦なく殺したガルシアは、残りのメンバーを引き連れて馬車を待ち伏せして金塊を強奪する。
 
一方、ジャンゴの計画を知ったルーカスは彼を拉致し、奪われた金塊の在り処を吐かせようと拷問を加える。もちろん、ガルシアの裏切りなど初耳のジャンゴが知るはずない。そこへ現れた黒幕デヴィッド。ジャンゴは初めて親友の裏切りを知った。
郵便局員オレス(ピヌッチョ・アルディア)とメルセデスの助けで脱出したジャンゴは、酒場に集っていたルーカス一味を一掃。さらに、裏切り行為の贖罪としてガルシアに協力させ、妻の仇であるデヴィッドに罠を仕掛けるのだが…。
 
 
 
 
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セルジオ・コルブッチ監督の『続・荒野の用心棒』('66)でフランコ・ネロが演じたジャンゴは、同作の大ヒットによってマカロニ西部劇を代表するヒーローとなり、イタリアでは次々と「ジャンゴ映画」が量産される事となる。その数は40本~50本とも言われており、殆どが勝手にジャンゴと言うキャラクターを拝借したパチ物。中にはフランコ・ネロ主演と言う理由だけで、配給会社が勝手に関係ない映画のタイトルにジャンゴを入れて仕舞う事もあった。実際は、ネロがジャンゴを演じた作品は『続・荒野の用心棒』と『ジャンゴ/灼熱の戦場』('87)の2本だけ。あとの自称「ジャンゴ映画」は全て別の役者が演じて居る。出来栄えも玉石混合。大半はジャンゴ人気にあやかっただけの代物だった。そうしたジャンゴ映画ブームの最中にあって、本作は恐らく”良く出来た作品”の部類に入る一本だと言えよう。
 
 
 
 

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実は本作、『続・荒野の用心棒』の正式な続編では無いものの、立ち位置的に言うと限りなくそれに近い。確かに、生みの親コルブッチは一切関わって居ないし、制作会社も配給会社も違う。その一方で、脚本には『続・荒野の用心棒』にも携わった脚本家フランコ・ロゼッティが参加しており、もともとフランコ・ネロがジャンゴ役を演じる予定だった。なので、セミ・オフィシャルな続編と呼べなくも無いだろう。ジャンゴの代役にはネロのソックリさんとして売り出したテレンス・ヒル。その後『風来坊』('70)シリーズで喜劇ウエスタンへとシフト・チェンジし、軽妙洒脱な個性でトップ・スターとなるヒルだが、本作ではネロ版ジャンゴのクールで寡黙なダーク・ヒーロー路線を踏襲。角度によってはネロ本人と見紛うくらい生き写しだ。
 
 
 
 

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内容的にも共通項は幾つかある。例えば、ジャンゴの動機が妻殺しの復讐である事。金塊強奪が絡んで来る辺りも同様だ。あ、もちろん棺桶に隠した機関銃もね。テレンス・ヒルがフランコ・ネロよりも若く見える(実際はヒルの方が2つ年上)事から、『続・荒野の用心棒』の前日譚と受け取る事も出来るし、いわゆるパラレル・ワールドでのお話とも解釈出来るだろう。監督のフェルディナンド・バルディは、『アヴェ・マリアのガンマン』('69)や『盲目ガンマン』('71)といった名作を残して居る人だが、基本的には良くも悪くも通俗的な西部劇アクションを得意とする娯楽職人。本作でも『続・荒野~』の雰囲気やイメージを随所に取り入れては居るが、しかしコルブッチ版のような残酷なニヒリズムもダークな神話性もそこには無い。
 
 
 
 

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面白いのは、絞首刑執行人となったジャンゴが無実の罪で死刑を宣告された人々を助けて仲間に引き入れ、彼らを陥れた共通の敵を倒す為のグループを組織して行く処。これはなかなか上手いアイディアである。とは言え、何しろ有象無象の寄せ集めゆえ、あっと言う間に仲間割れが起きて仕舞う。だいたい、メンバーの顔触れを見たって、エドワード・G・ロスことルチアーノ・ロッシにリー・バートンことグイド・ロロブリジーダ(あのジーナ・ロロブリジーダの従兄弟)など、マカロニ西部劇の悪役でお馴染みの連中ばかり。そりゃまとまるわけは無いだろうと(笑)。
 
 
 
 

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中でも異彩を放つのがホセ・トーレス演じる貧しいメキシコ人ガルシア。たとえ晴れて無実が証明されたとしても、夢も希望もない極貧生活に戻るだけ。どうせ、ルーカスみたいな悪人は次から次へと出て来るのだから、俺たちが奴一人を倒したって世間が良くなる事なんて無い。ならばいっその事。本当に金塊強奪をして、愛する妻や娘に楽をさせてやりたい。正義という絵に描いた餅よりも金と言う実利を選んだ彼が、恩人であるジャンゴを裏切って仲間たちをたぶらかし、さらには強奪した金塊を独り占めしようと仲間を皆殺しにする。それもこれも自分と愛する家族の幸せの為。切羽詰まった社会的弱者ゆえの愚かな浅ましさ。善と悪が混然一体となったマカロニ西部劇ならではの魅力的なキャラだ。
 
 
 
 

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そう言う意味では、ジャンゴの宿敵にして親友のデヴィッドもユニークな存在だ。ジャンゴに対して浅からぬ友情を抱きつつ、しかし邪魔だと感じれば容赦なく切り捨てる。それはそれ、これはこれ。「お前はいつまで初心な世間知らずなんだ」と呆れ気味でジャンゴに言い放つシーンがあるが、彼に取ってはそれがいわば大人の流儀なんだろう。なので、自分は妻と娘を愛する良き家庭人でありながら、妻殺しの復讐に燃えるジャンゴに対して「女なんて幾らでも代わりが居るだろう?何時迄、根に持って居るんだ」見たいな事を平然と言えて仕舞う。此処まで極端では無いにせよ、実際にこう言う思考回路の人、居るよなあ…。と思えて来る複雑かつリアルな悪人なのだ。演じるのは当時の西ドイツを代表する悪役俳優ホルスト・フランク。戦争映画やマカロニ西部劇に数多く出演し、その独特なマスクで強いインパクトを残した人だが、決定的な代表作に恵まれなかった事が惜しまれる。
 
 
 
 

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アメリカおよびイギリスでは現在、特典映像満載の4Kデジタル・レストア版がブルーレイ&DVDにて発売されて居る。

 

「皆殺しのジャンゴ Preparati La Bara!」サントラ、Soundtrack

コメント一覧

kiyasume
幼稚絵NJ Uさんコメントどうも有難う御座います。。。
「フラワー・トラベリン・バンド」はいいですよね。
最近の若者はほとんどが知らないんじゃないでしょうか?
若者以外の一般の人も知らない人の方が多いいですよ。
ジョー山中なんか単なる歌謡曲の歌手だと思われて居ますから、
海外ではあんな高域の声が出るボーカリストは居ないと言われて
居るのにね、惜しくももう3年ほど前に癌で亡くなってしまいまし
たけどね、、、惜しい人物を亡くしましたよ・・・・・・。_| ̄|○


僕は中学の頃にライブLPを買いましたけどね・・・・・・・・。
あのバンドは先進的な内田裕也の作ったロックバンド
内田裕也とフラワーズが確か元になって居ると思いますよ。
ジャンジャンで歌って居たジョー山中を引っこ抜いて内田裕也が
「一緒に世界に通用するバンドを作ろう」と言った話は有名ですよね。

イタリアのプログレは、結構有名なバンドが居ますよ。此処で紹介した
「ムゼオ・ローゼンバッハ」の他「イープー」などドラマチックな楽曲を鳴
らすバンドが多いいですよ。フランスにも「オルメ」と言うツイン・キー
ボード のバンドがいます。フランスの国民的バンドですよ・・・・・・・・・。
ドイツの「タンジュンリン・ドリーム」だとか。ボーカルが日本人だった
「カン」だとかも有名でした。ああ、「クラフト・ワーク」はご存知ではない
でしょうか、プログレはイギリスが一番有名ですがドイツなんかの
プログレバンドもいいですよ。。。。

寒いですね、、そちらも暖かくして過ごして下さいね、、
それではね、また・・・・・・・。🙏
幼稚絵NJU
こんばんはkiyasumeさん☺️
途中まで読みましたよ。フラワー・トラベリン・バンドは、何度聴いても全く飽きる事が無くとても良いと思います。日本人は、あまり知らないんですよね。
あと珍しいのでイタリアのプログレも聴きました。
良かったです…
まだ寒くなったりするのでお風邪をひかないように。
それでは、またね🤗
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