寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

過去記事の抜粋。もう一度読んで下さいね。「エッセイ1」と「エッセイ2」

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私が好きで応援して居る青木志貴ちゃん。彼女は声優で、モデルで、舞台俳優で、コラムニストで、アパレルメーカーのオーナーで、歌手で、YouTuberです。皆さんも応援してね・・・・・。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
 
 

 

 

 

 

 

 

母方の従兄弟の純也は、何だか知らないが何時も私をライバル視して居た。そうだろ純也?そして言い気になって何と親父のお通夜の席で私にこう言った。「前厄〜後厄どっちぃ〜〜!!」純也、俺はお前を生涯許さないぞ、彼は、何時も「自分が大学に行けなかったのは、叔母さんの家で自分の面倒を見て貰えなかったからだ」と他力本願な事を言って居た。自分で受験勉強をしたのか?成程。大学へ入ったよなぁ〜〜。寄りにも依って、「法政大学の法学部?」。しかもスクリーミングだった。そして勉強に付いて行けなくて辞めた様だ。私が前に間違えて、宇都宮って神奈川だったっけ?と言ったら「心配要らないよ俺はもっとバカ!!」と言うのだ。そして「ジグムント・フロイトの書籍読んで見たらいいよ」と言ったら。「あんな話は嘘なのだ頭おかしいんだ!!僕の海馬はブルンブルン音を立てて怒り狂って居る!!」と言うのだ。彼は何時も私の家を金持ちだと思って居て。自分は私と姉さんと共に生活が出来て居たら。自分はいい大学に行けたはずだ。何も面倒を見てくれなかったと思って居る。どこまで自分本位の都合のいい事を思って居るのかと思う。

私の家が学生を置いて、母が下宿をして居たと言うのにね・・・・・・。

そして、こう言うのだ。「〇〇ちゃんが行った、最低な大学でさえ僕は入れなかったバカ!!」と言う。でもいいでは無いか今は親父の材建問屋を引き継いで、社長だろう。いい暮らしが出来て居るはずだ。彼はバイクはハーレー・ダビットソンを乗り廻して居る。私は一体何なのだ。何時も飛んだ馬鹿野郎から嫌がらせをされる。彼の姉さんが前に仕切に私にメールで連絡を入れて来た事があった。私が今から30年程前に見せた「惑星ソラリス」を一緒に観たのが忘れられないと言うのだ。しかし、私は彼女にもいい思い出は無い。何故なら、当時。私はビデオソフトと録画したビデオテープ合わせてほぼ2千本は所有して居た。私がその中から「惑星ソラリス」を見せようと棚から取ったらこう言われた。「あら、こんなにあるんだから。私は勝手に選んで好きなの見るわよ!!」何でお客として人の家に来て居るのに。勝手に選んで好きに見られるのだ?何故そう思う。礼儀も何も成って居ない。

そして突然。私の姉見たいに、怒り気味に電話が掛かって来て。こう言われた。「パソコン買ったからぁ😤!!」だから私も丁度買い替えた所だったから。「ああ、俺も買い替えたよ」と言ったら。「何で買うのよ!!私が買ったのに?持ってたでしょう!?」と言うので言った。「あのね、パソコンはすぐに型落ちして使えなくなるんだよ」と言ったら怒りだした。何なんだろうか?私には余程に言いたい放題を言ってもいいと。皆んな思って居るらしい。私はなぁ、余りに嫌な事を言われると。もうその人間は一生相手にしないんだよ。あとで、幾ら言い訳してもね。処で、、此間、訪問看護師に、、Blu-ray1枚を38歳の男の看護師に上げた。まあ、なかなか時間が無くて見られないのだろうけど。私は人にモノを貸す時には返って来ないものだと思って居る。だから上げたつもりだから良いが。見たと聞いても。「まだ」としか言わない。もらった例は遂に言わなかった。私は最近もう、人に映画を録画したBlu-rayを上げるのは辞めようと思って居る。上げた甲斐が何時も無いからだ。酷いやつになると「ああ、あんな古い映画見ないから捨てた」と言う奴まで居るから。

 

 

パーマ掛けてて、厄介な事は固まって仕舞い、クシが通せないと言う事でしょうか。クシ通すとパーマが解けて仕舞うから。それに私は髪洗うと、よくバスタオルで水気を取って。その侭で乾燥するのを待ちます。そうするとパーマが蘇ります。人に拠ってはドライヤーを掛けると言う人も居るけど。それだとパーマの復活が弱い様な気がしますよ。そしてクシを通すので無くて手グシで髪を解しますが。この時に結構、毛が抜けたり毛が途中から切れます。何故ならばパーマ掛けて染色して居るからです。何せ私はパーマ代9千円と染めるの8千幾らか掛けて居ますからね。まあ、ロン毛だからカットは余りしませんが。カット代は普通美容院では2、3千円取られますからね。だから全てやると1万9千円に成って仕舞います。だから明日カットだけ行って来ようと思って居ます。3センチぐらい切って貰おうかと。また、こう言う風に書くと「金があるから掛けられんだ。」「あたしなんかは伸ばしっぱなしだよ!!」と難癖付けて来る人がたまに居ます。はっきり言って人の勝手ですよ。私は食費詰めてパーマ掛けて居るんです。染めるのもそう。自分では染められないから。そして最近通って居る美容院の美容師さんから「kiyasumeさん白く染めたらどうでしょうか?良い雰囲気になりますよ。」と言われたが。白髪が嫌で染めてもらって居るのに全部髪が白いのではなぁと思います。そうだ。銀髪などどうだろうか。いや、歳変えもなく今からほぼ10年前のTVドラマ「妖怪人間ベム」で亀梨くんが長髪の銀髪だったから。白いのより良いかなとも思うけど、、ただ白いのも。真っ白に髪の毛が全部染まると言うのは、白髪では無くて、染めて白いと言う人は芸能人には多く居ますよね、確かに見栄えがする人はカッコイイけどね。私がしたんじゃ、単なる老人に見えるのじゃないかなと思って・・・・。

 

 

私が此処の処で、人の様子を見て居て危惧して居る事は、皆んな、物事を全然深く考えないで、発言をして仕舞ったり。知らない事なのに、深く考えずに、その事に蓋をして生きて居ると言う事なのですよ。連続射殺犯の永山則夫は親に人生の投資をして貰えなかったかも知れないし、、また、自分で自分に投資を与えなかったと思うのです。私の弟の事で恐縮なのですが、弟は親から医大の大学教育と言う投資を得ましたが、それ以上に投資を自分で自分に与えました。一旦、卒業して医者となり仕事をしながら、また医大の大学院を出て、また、麻酔科をも出ました。

処がこう言う人は、まれで、人は自分への投資を考えない人の方が多い。例えば、私は良くケーブルTVに加入する事を人に勧めるのですが、、大抵の人が、金を出すのを嫌がりますね・・・・。

自分への投資なのにね、、其れで居て、私の様にCS/BS見られて居ると。人を羨んで色々と言います。最近ではモノを増やしたく無いと言う人が居るけど・・・・。今流行の断捨離の影響でしょうけど、そのせいで、自分への投資が疎かに成って仕舞って居ます。確かに投資にはお金がかかりますが、、

後に、成れば、それに寄って自分の環境が、未来が開けるのですよね。

そして自分への投資は金を掛けなくとも十分に出来る場合もあるのですよ。今は図書館があります。此処はタダです。タダで自分に合った知識が手に入ります。今はモノを集めるのが嫌いと言う人には打って付けの世の中ですよ。図書館ではDVDやらCDも貸し出して居ます。現に、永山は刑務所に入って、本を良く読むように成ったら、自分でも文章を書き出して、それが本になり出版されて、小説家に成った。永山は小説家としての才能があったのですよね・・・・。

彼は、もっと若い頃にその事に気づけば良かったのです。

私も、親から投資を余り受けなかった。そして唯一の投資である大学時代に精神を病んでその後は燦々たる有様でした。ただ、私は病気発症後の会社勤めでの労働の対価の殆どを(親から貰う3万円の小遣いでしたが)、自分への投資へと廻しました。哲学書を片っ端から読み漁り、音楽を聴き。テレビの教養番組、特にNHKにはお世話に成った。昨今程、道徳復権が言われて久しい時代ではありますが、、皆さん、故意に避けてますよね。何故、NHKも嫌うのでしょうか?NHK何かは見ないから受信料は払わない。アイドルもイケメンも出ない辛気臭い番組しかやって居ない。だから観ない。


大体が学びの場である学校が崩壊して仕舞って居ます。先生が女子高生と援助交際をして、いじめは蔓延って居るは、日本の教育自体が海外の学校と比べたら数段と落ちる。

女性の皆さんには、こんな話をするのはどうかとも思われますが。ネットで垂れ流しになって居る猥褻画像が蔓延って居ます。女性の下着のキーワードを入れただけで何万と言う猥褻画像が出て来ます。だから世の男どもはそれを観て腑抜けになって居る。道徳もクソも何もありません。何時から日本はポルノ大国になったのだと思えるほどです。最近の大人は、いや子供も、親もその様な映像を見て喜んで居る男が沢山居るのです。まあ、男はどうしようも無いのですが。

最早、道徳は地に落ちて居ます。

だから、学びなのですよ、人間自分に投資して学んで居れば、自ずと道徳心は付いて廻るモノだと思いますよ。理想を追い掛ければ、理念を持ちます。その理念は道徳をも携えて居ると思うのですよ。永山則夫は理想を追わなかった。だから理念は生まれなかった、だから、道徳も得られなかったのでは無いでしょうか・・・・。

永山則夫は今の私たちです。

人の優しさが気薄です。でも人が優しくなれるのは相手の事を、どれだけ、思いやる事が出来るのかと言う事です。そしてそれは理念の中にある物だと思います。人は苦労しないと人には優しく出来ない物です。物事をしっかり見て、何が正しいのか、自分は此れで大丈夫なのか?いい加減な知識ではなく。確かなちゃんとした知識を学び、そして、人を差別せず。己の自己開発に躍起に成れるとしたら、こんないい事はないと思います。

まずは、行動を起こしましょうと言いたいです。

不確かな事で自分の知識を覆うのでは無くて、しっかりと裏付けのある事を言い。人を軽々しく笑いバカにするのでは無く、自分の道を進めたらこんなに良い事は無いではないでしょうか。

 

 

 

「エッセイ1」

障害を持つ様になってから、何故か親に働けと言われて親父の会社に入った。しかしそこにも私の居場所は無かった。此れはその時分の回想録です。。。

私が会社で倉庫番をして居たら。前に勤めて居た、筋萎縮症で入院して会社を休んで居た。岡本と言う男が突然やって来て。「おらさは倉庫番をやるんだ。お前は出て行け!!」と言うのだ。私はその日は帰ったが親父に言ってやった。「あんたが無理やり俺を会社に入らせたんだろ!!それを何だあのバカは!!良い加減にしろ!!」と怒鳴ったら。親父がその男に言ったら、そいつは「なら。おらさは会社にはもう来ません。お世話になりました。」と不貞腐れる。結局。その小学校中退の男と2人で倉庫番をやる事になった。その男はもう53歳だと言うのに常識も何も無かった。倉庫で社員の配送の人間が6人程。昼飯を食べて居ると。その男は欲しそうに見て居て。誰かがトイレにでも立とうものなら。食べかけのご飯をその人間が食べて居た箸で「おらさが、少し食ってやる〜〜。」と食べ散らかした。そして缶コーヒーを半分飲んで於いて置くとそれを口をつけて飲んだ。そして机の引き出しの中には醤油、ソース。ふりかけ。ごま塩と入れて置いて居る。社員たちは皆んな怒っては居たが。先輩社員と言う事もあり苦々しくは思って居たが、口にする人間は居なかった。

社員と言えば、菅原留五郎と言う男が居た。その男は当時45歳ぐらいで、病気で全身の毛が抜け落ちて仕舞ったと言う嫁さんと暮らして居た。歌手に成りたくて東京に出て来たと言う。出身は秋田だった。成程、歌はまあまあ上手かった。いろいろな職を転々とし最後に学歴不問のうちの会社に入って来たのだった。倉庫番の私に、ある日こう言った「〇〇さん、飯盒で炊いた飯を食った事ないですか...。」私は、いきなり何だと思ったが、「俺は登山もキャンプもしないので飯盒のご飯は食べた事がないよ?」と言い、「ああ、小学生ぐらいに一度だけあったかな・・・。」と言った。すると「飯盒の飯食べた事無い・・・。」と俯いて居る。そしてこう言った。「普段飯は何で炊くのですかぁ....」私は何なんだろうと思い「普通。炊飯器じゃ無い?」と言うと「飯盒の飯食べた事無い....。」と言って「ボンボン振りやがって!俺はボンボンは大嫌いだ!!」と言って、いきなり私の首を思いっきり絞めて来た。私は「この野郎!!これ以上絞めたら金玉蹴り上げてやろうか!!」と思ったくらいだ。その事は社長と親父の耳に入ったらしい。そうしたら、それから少し経って「気が触れたら会社辞めて貰うと言われた....。」と言って居る。私は倉庫番の仕事柄、社員たちとは良く話した。倉庫の電話番号を言って居ると見えて、倉庫には「〇〇商事のザバイバル佐藤と言う者だが、菅原さん居ますか」とヤクザ物のサラ金業者から電話が掛かって来る。私は処置なしだなと思って居た。

もう一人の社員で高橋と言う社員が居た。自称バンドマンで何とブルースギターを演奏して居ると言う。しかし私は距離を置いた。ある日私がブルースハープを吹いて居たと言ったら、彼は何を思ったか、マリンバンド(ハーモニカ)を持って来て、ピッキングで外に居た私の処にやって来て、「え〜〜と、此処から吹いて...。」と言いながら吹き始めた。私は「貸して見て、、」と言ってそのハーモニカを借りてアドリブを吹いた。そして言った「下手だけど、昔ね、吹いて居たからね。もう一線では吹いて居ないから・・・。」と言ってハーモニカを返した。すると彼は「一線で活動して居ないからと、言って居たけど今だって通用するよ」と言って居たら。その菅原という男が倉庫から飛び出して来て。「ねえ、今、オカリナの音したよ!。オカリナの音したよ!!。」と血相を変えて言って来るのだった。ブルースハープの音とオカリナの音の区別がつかないのだ。

私は「何だかねぇ...。」と思って居たが。高橋はバンクーバーにバンド仲間が居ると言い出した。そして、こう言った。「一緒にやらない」しかし私は黙って居た。私は、ピッキングの時には、何時もラジカセで音楽を掛けて仕事をして居た。何でも聴いた。ブルース。ジャズ。ロック。クラシック。演歌。ボサノバ。シャンソン。そして曲名を英語で書いたカセットテープのケースを、荷物の脇に置いて居たら、その高橋がビックリして見て居て言った。「この英語は誰が書いたの?。」私は黙って居た。するとこう言った。「俺は高校中退ですよ。〇〇さんもそうでしょ」私は言いたくは無かったが「俺は一応大学に行ったよ」と言った。すると黙って居る。それから、彼が何日か経ってこう聞いて来た。「〇〇さんの弟って、何仕事して居るの土方?(笑)」私は「とっくに働いて居るよ.... 。」そうとしか言わなかった。

私は何故学歴コンプレックスを持つのかと思う。自分の意思で高校を中退したのだろう。僻むのは筋違いだ。その後、彼は先輩の社員に私の弟が何仕事して居るか聞いた見たいだ。そして「医者だけど...。」と聞かされた。あとはもう言うまい。彼は黙り込んで仕舞った。歳だって彼は当時まだ30代だった。私はすでに40代だ。勉強が自分には足りないと思うのならば。本を読むとか放送大学を聞くとか。または社会人として、推薦を会社から出して貰って専門学校に通うとか。または受験して働きながら夜間大学に行くと言う手もあるはずだ。スクリーミングだって良いし。市民大学もある。身内の事で申し訳無いが弟は杏林大学の医学部を出たが。その後、医者として働きながら昭和医大大学院と順天堂医大の麻酔科で博士号を取った。私は夜間大学で経済学を学び。独学で映画のシナリオを学んだ。弟は行かなかったが。弟の高校の母校である成蹊大学では市民大学を開いて居て社会人の人たち。サラリーマンやら、お年寄り。大学の授業を受けたい人達がたくさん午後になるとやって来ると言って居た。

確かに高校の授業はつまらない。前に言った事があるが、司馬遼太郎は高校の授業を聞かずに図書館ばかり通って丸一日、片っ端から本を読んで居たそうだ。彼は決して優等生では無かった。しかし、あれだけの小説を書いた。まあ、大学は外語大を出て居るが、中学、高校は劣等生だったそうだ。要は本人が何時やる気になるかだ。確かに記憶力は若い頃の様には行かないけども。勉強は何時やっても良いと思う。所詮勉強とは独学なのだ。それに人間、一生勉強だと思うのだが。その後。菅原留五郎は会社の集金を使い込み会社を首になり。高橋は引っ越したのに前の街のレンタル屋から借りた、レンタル・ビデオを1年も返さずにいいんだと思って居たら。店が雇ったヤクザものにアパートまで踏み込まれて、レンタル料金1年分100万円を請求されて社長に泣き付き。財形貯蓄から特別に出して貰ったが。気まずくなって会社を辞めて行った。

そんな中、岡本がまた会社を3ヶ月ほど休んだ。そうしたら。社長が「自分の友達が食えなくなって居るから助けるんだ」と、井口と言う男を倉庫番に雇った。その男は横暴な男で歳は68歳だった。口癖は「てめえ。バカ野郎。ぶち殺す!!」と年柄年中言って居て。仕事は何も覚えずに「おい、てめえ!!俺は早稲田大学、出だぞ!!てめえはどこの大学出たんだ!!」と言い。社員は皆んな「早稲田大学を出たなんて凄いなぁ」と恐れ慄いて居る。私は早稲田の学生では無かったが、拓大時代に早稲田大学のR&B同好会に所属して居た時期があって早稲田の気質は知って居る。しかし哀れな爺様だった。毎日、私に「早稲田で習った授業の講義をしてやる」と話すのだ。人生68年も生きて来て、大学の事しか言えない哀れなジジイだ。そして40年前の雑誌を虫干ししたと言っては見せて来る。言う事と言えば「おい、てめえ!!今は良い家電がねえなぁ〜〜」と言うだけだ。私は「家電製品は。最近はビデオデッキがあるじゃ無いですか?DVDデコーダーとか出て来たし、パソコンもあるし。」と言うと、しどろもどろに「何だか分からねえんだよ、最近の家電は・・・」と言いだす。1990年代も終わり頃の事だから。私は「これからはパソコンが主流になって行きますよ。CDやらDVDはパソコンでも見る事が出来ると言うと。怒り出して言う「パソコンなんてあんな物は駄目だ!!」

 

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だから私は言ってやった。「井口さんぐらいの方でもパソコンをやれる方は結構いますよ。嫌だなんて言って居たら時代に取り残されて仕舞いますよ。」そう言っても毎日、「今日は経済学の事を教えてやる。ケインズをてめえは知って居るか?」と言うので私は反対に「ケインズとハイエクの論争を知って居ますか?」と言ったら黙って居る。だから続けて言ってやった。「30年代の「世界恐慌」。その原因や対処法をめぐりケインズとハイエクは論争を繰り返しましたよね。それ以後の「世界的経済危機」の核心を探るため、経済学史に偉大な足跡を残した知の巨人の共通認識と対立点を徹底比較する為にも2人が戦わせたこの論争は為になる。資本主義に社会主義的な計画経済を導入したケインズ、自由主義経済の擁護者ハイエク。「貨幣・価格・生産」「慣行と模倣」「便宜と法」などの論争は現代的示唆に富むのでは無いですか?」。そう言うと、黙って仕舞って何も言えないのだ。そして言う「あめえは早稲田の教授見たいな事を言うな...。」

そうすると今度は自分を会社に入れて給料を出して居る社長の事を言い出す。「てんぷら野郎が!!。かしろうはな!!あいつは、てんぷら野郎だ!!早稲田を出たなんて言ってるけど、嘘なんだ!!あいつは高校の時に早稲田塾と言う塾に行っただけだ!!バカ野郎が!!」と社長の秘密を暴露する。そんなその男に、かしろうの息子の従兄弟のゆきかずは、或る日、本を片手に持って来て「井口さん。私はこう言った本を読んで居るのです。どうですか。」と聞いて居る。そして彼に「そうか、おめえが次期社長だ!!」と言われると「そうです。私が次期社長です!。」と胸を張って言い。そして冷凍品を冷凍庫に詰めて居る私の処にやって来て、、「〇〇ちゃん。あの早稲田を出た井口さんが。私を次期社長だと言ってくれたんだよ?」そして本を見せる「私はこんなにも難しい本を読んで居るのだよ!!」差し出した本は1千6百円の「マーケテング・リサーチ」だった。私は「何だかねぇ....。」と呆れた。

そうこうして居たら、ある日。その井口と言う男が「なんか血が逆流して居る様な感じだ・・・」と、胸を押さえて居う。私が薬局に行って「救心」を買って来て飲ませて、様子を見てみろと言ったら、飲んでもおさまら無いと言うので帰れと言った。その時に私は言ってやった。「井口さん。あんた、この40年間。女房子供を泣かせて来たんだろう!!あんたもう寿命が無いんだよ。死ぬ前にな!!せめて奥さんに寿司桶の一番上等なものでも取って食わせてやるんだな!!」そう言った。すると、ただ黙って居た。そして、病院から帰った次の日。奥さんに一番上等の寿司を桶で取って食わせたらしい。そして社員同士で見舞いに行くと、近くの病院に通って治療をして居たが。5日後に「老兵はただ消え去るのみ」と言って。息を引き取った。葬式の時に彼の嫁さんの姉さんが言った。「あの男は最低なロクデナシだった、お陰で妹は散々苦労しました!!。」

 

薬師丸ひろ子 - Woman "Wの悲劇"より (Live)

 

それから暫くすると、あの岡本がやって来た。今度はこいつが「おらさは、筋肉が固まって縮む病気だそうで筋肉が痛くて仕方がないんだ。」そう言うと私に軟膏を背中に塗り込んでくれと言う。仕方がないので軟膏を背中に塗り込んでやった。そして倉庫番を二人でやり始めた。しかしある時にその岡本が私にニヤリと笑みを浮かべて言うのだ「常務はバカだよなぁ。そう思うだろ?」私は無視をした。するとそれから暫くしたら、ゆきかずに呼び出された「もっちゃんから、話は聞いたぞ。お前!俺の悪口を言い触らして居るんだってな!!」私は言った。「もっちゃんがそう言ってるんでしょ。私はあんたの悪口なんか言って居ませんよ。皆んなに聞いて見れば良い。」すると皆んなに聞いた見たいだった。

それなのに岡本は「さっ!!ゆきちゃん。けんちゃん。おらさがこの会社の倉庫番を取り仕切るから・・・」と二人に付いて廻ったが。二人は怪訝そうな顔をして相手にしなかった。それから1ヶ月後。彼は筋萎縮性側索硬化症が悪化して死んで行った。お通夜の時に奥さんが「会社の若い衆皆んなで棺桶を担いでくれ!!」と電話をゆきかずの処に掛けて来て。会社では大いに困って怒ったらしい。何しろ皆んな、スーパーのいなげやの配送だ何だで居ないのだから。怒ったゆきかず達は、橋本が個人で掛けて居た保険の保険金を退職金だと言って奥さんに渡した。奥さんも小学校中退だった。奥さんは喜んでゆきかずを拝んだ。何故なら渡した金は保険金3千万だったからだ。そして数年が過ぎて行った。私は一人で倉庫番をやって居たが。身体の不調が酷く、休みがちになって居た。だが丸々一日は休めないので。午前中パソコンで自分の用をやったり。身体を休めて居ると。

母が階段をドンドンドンと音を立てて2階まで上がって来て扉を開けて叫ぶ!!「会社に行きなさい!!」そう言うのだ。私は怒声で怒った。「会社に行けって言ってもね、体の調子が悪いんだよ!!」すると、「だってお父さんがそう言って居る」と言う。私は昼時になって出掛けて見ると父が席に座って居て競馬のノミ屋やダフ屋と話をして居る。そして私を見ると言うのだ。「おめえは出ていけ!!向こうに行って居ろ!!」私はそう言われながら、次の日も次の日も昼から通ったが、父は「これからは俺が倉庫番をやる。お前は会社を辞めろ!出てうせろ!!」と言う。そして色々あって私は会社を辞めた。父は会社の50代の男の社員を運転手として得意先回りをして居たが。72歳の父はある日「ジジイ!!よたって来るんじゃねえ!!」と言われたと言って。外回りはしなくなって居たのだ。それから暫くして今度は親父が亡くなった。

最初親父は私を会社に入れて給料だけは出させて面倒を見て居たはずだった。それが自分が働けなくなるとそう言う名目で入れた私が邪魔になり。仕事が無くなった自分が倉庫番を仕出したのだ。そして私は出て行けと言われた。死んだ弟や姉さんからも実家から出て行ってくれと言われ。私は止む無く。マンション暮らしを始めた。弟はそれでもマンション代は持ってくれては居たが。ある日。姉さんから怒鳴り込みの電話が掛かって来た。「お前!!何で弟からマンションの家賃出して貰って居るんだ!!あいつはな!!別れた嫁にな。月70万の慰謝料払って居るんだ!!何でお前なんかが金出して貰えるんだ。バカヤロー!!」凄まじかった。恐らく弟が姉さんに愚痴を溢したのだろう。そしてそれから5ヶ月経って弟は心不全で死んで仕舞った。慰謝料を払うのに働き過ぎたのだ。それ以降。私はマンションの家賃。8畳間と5畳間で月11万を払って弟が死んだ後3年暮らした。金が無くなったら。仕方が無いので生活保護で暮らせるかと思ったが。現実は可也厳しい物の様だった。生活保護者の住居費は5万2千7百円までと決まって居る。それ以上の部屋は借りられ無い。だから、金も底を付きそうだから、この今の、アパートを見つけて引っ越して来た。そして金はなくなり生活保護受給者になった。

その間のトラブルは私は散々書いて居るので、此処では話さない。私にもう姉弟は居ない。姉さんとは思いたく無いのです。向こうも私とは縁を切ったと言って居る。私の人生はこうだった。私は勝手元気だった頃の母に言った事がある。「俺は良くヤクザな道に行かなかったと思うよ。音楽が救ってくれたんだな...。」すると母親は大粒の涙を浮かべて「ごめんね...。ごめんね...。」と泣いた。その母も認知症が悪化し施設送りになって仕舞い。今はその費用は姉さんの旦那が持って居る。月40万だそうだ、何でそんなに金が掛かるのかはよく解らない。そして医者である旦那と毎日大喧嘩だそうだ。私は姉さんとの最後の電話で母の容態を聞いて見た。姉さんは一言「もう何も言わないよ!!。黙って口を聞かない!!」そう言って最後に言った。「もう2度と電話を掛けて来るな!バカヤロー!!。」私の人生を掻い摘んで話して来たけど。ろくな物では無かったですね。話は此処までです。皆さん。自分の身に何かが起きる時は起きるのです。それは運命です。逃れる事は出来ない。

 

 

 

「エッセイ2」

私が実家で暮らして居た頃、丁度、中学生ぐらいの時に、うちに親父が連れて来た。猪狩と言う男が居た。そいつはブローカーであり宝石商でもあった。私の古い実家の家では学生を間借りさせて居た手前、玄関は開けっぱなしになって居た。私が大学の頃も同じ年代の大学生を置いて居たのだが、、そいつらは門限までに帰らなかった。何時も12時を廻ってから、帰って来て、私が寝て居ても、隣の家の庭に入り私の部屋の窓を勝手に開けて、竹竿で寝ている私の顔を突いて起こした。そして言うのだ「玄関開けてくれない!!」毎回なので私が怒って「あんたら、ちゃんと門限守れよ!!」と怒るのだけども。そうすると「ハハハハハ!!」と笑って、2階に上がって行くのだった。大体が私は人から「ハハハハハ」と笑われるのが大っ嫌いだ。要するに人をバカにして居るから笑うのだろうが。それから「へっ!!」だとか「ケッ!!」と言われるのも大嫌いだ。要するに人を愚弄する奴らは、はっきり言って殺してやりたくなるのですよ。怒り(おこり)よりも怒り(イカリ)が湧いて来るのです。まあ、バカだから言うのですけどね。利口な人間はただ黙って居るだけだ。そして人は、私が自分よりも脳のある事を言うと突然不機嫌になる。要するに私は統合失調症の丸バカと言う認識で居るから。脳のある事を言われると認めたく無いのですね。

言っとくけど、私に以上の様な事を言う人間が来たら私は躊躇わず。此れからはぶん殴ろうとさえ思って仕舞います。男女限らずね、、皆んないい気になりすぎだ。金は盗むは本は盗むは、それで居て人を見て「ケッ!!」とはどう言う事だ。まだ同じバカにして来るなら態度で示された方が納得が行く。と言うか、気にならない。単に私は無視をするだけだからだ。それから人をすぐに批判する人も大っ嫌いですね。自分はどれだけ偉いのか?大したものでは無いだろう?人を批判する事はバカにも出来る。私は自分の事と人の事を混同して、考えた事は今までに一度だって無いですよ。人は人の旗の下で生きて居るし、自分は自分の旗の下で生きて居る。物事の考え方、要するにその人の思想とか生い立ちは自分と比べて非難出来ようも無いのですよ。ただ自分の筋だけは通しますけどね。筋を通すのと批判は違う。よしんば、あなたに哲学の素養があるとしよう。そして確かに哲学に付いては知って居るとして、それでも、相手が自分寄り知識が無いからと、批判するのは道理が通って居ない事になる。真の賢者とは黙して語らないものだ。そして相手がその事について、ある事について悩んで居たり、困って居たりした時に初めて適切な助言をするものです。確かに外国では違う。論理だって物事を言えないと海外では相手にされない。日本では曖昧な事でも通るが。外国ではそうは行かない、白黒はっきりと結果を出さないと相手にもされない。昔から、プラトンの昔からアカデミアで蘊蓄を習う者達は沢山居ました。アカデミアの由来を、説明すると、、

古代ギリシァの都市国家アテナイ(アテネ)。町を囲む城壁の外、北西の郊外に、アカデモスという名の英雄神(英霊)を祀る土地があって、英霊の名にちなんで「アカデメイア」または「アカデミア」と呼ばれ、プラタナスが美しく繁る公園として、古くから人びとに親しまれて居た。紀元前387年ころ、哲学者プラトンがこの地に学園を創設し、それ以来「アカデミア」(アカデメイア)は、このプラトンの学園の名前となりました。

プラトンはどの様な経緯で、この学園アカデミアを創設したのであろうか。アカデミアの精神とは、何であったか。

 

復讐の用心棒  Due Once di Piombo

 

紀元前399年、プラトンの敬愛してやまなかったソクラテスが、ギリシァの世界大戦であったペロボネソス戦争終結後の政治的混乱のあおりを受けて、国の法廷に告発され、死刑に処せられた。この出来事は、それまで政治の実践を志して居た当時28歳のプラトンに、大きな衝撃を与えた。同時代の誰よりも正義の人であったソクラテスが、国法の名のもとに処刑された事への憤り。この様な不条理を根絶する為には、政治的党派の間の争いと言った次元を突き抜けた、抜本的な国家社会の変革しか道はないと、プラトンは考える様になる。

だが、その抜本的な変革とは、どの様なものであるべきか。プラトンはその方途をさぐり求めて、あらためて亡きソクラテスの哲学の教えを省みて噛みしめながら、12年間にわたる思索と旅の遍歴時代を過ごす。考察のすえ、根本的には此れしか道はありえないと思い定めた原則は、政治的権力と哲学的(学問的)精神との一体化、すなわち、国の統治に当る者は、知を希求してやまない哲人(philosophos)であるべきだと言う、のちに主著『国家』で表明された哲人政治の思想であった。

この理想の完全な実現は――特に、「哲学」がまだ一人前の仕事と認められて居なかった当時のアテナイでは――不可能かも知れない。しかし少しでもこの理想に近づく努力を続けないかぎり、人類は永久に禍いと不幸から救われないだろう。そう心に決めたプラトンは、遍歴時代最後のシケリア(シチリア)への旅からアテナイに帰ると、自分の理想と目的にかなった教育を行なって有為の人材を育成するために、上述のように、学園アカデミアを創設したのである。時にプラトンは40歳。

夕陽のガンマン テーマ

 

アカデミアは何人もの政治家や立法家を世に出したが、その教育方法は、哲学的精神にもとづいて真理そのものへと「魂の目を向けかえること」を目ざす。純理想的な学問――数学・天文学・音階理論・哲学的問答法など――の学習と研究であった。こうしてプラトンの学園は、ギリシァにおける学問研究の一大センターとなる。エウクレイデス(ユークリッド)の幾何学も、その基礎はアカデミアにおいて形づくられた。

紀元前4世紀前半の時点に創立されたアカデミアは、プラトン亡きのちも代々の学頭に継承されて、紀元後の529年に東ローマ皇帝ユスティニアヌスの勅令によって閉鎖されるまで、約900年間存続した。そして学園は閉鎖されても、「アカデミア」(アカデミー)の名は今日まで、大学などの教育研究機関や、学問上の組織体を表わす普通名詞として、生き続けて居る。

名前だけでなく、大本にあった精神も、時代を超えて不朽である。政治家は、真の意味でのすぐれた知性をもたなければならないこと、教育とは、魂の目を向け帰る事は仕事であること。その事によってのみ人間は、確かな幸福に与かりうること。――こうした理念は、今の世にこそ生かされなければならないと思います。そうなのですよ。論理を武装して、処構わず相手に挑み掛かり。相手より自分が上だと虚勢を張るのは。それはただ単に物事を知って居るに過ぎないのですよ。本当の賢者は自ずとそれが滲み出て居る人の事を言うのですよ。要するに物事を理解して血肉にして居るのですよね。そしてそう言う人は自分の旗の下に居るが。他人の旗も認めて居るものです。批判はしないものですね。要するにソフィストになってはいけないと言う事だと思います。 ソフィスト、とは「知恵ある者」の意味で、前5世紀ごろ、アテネなどのポリスの市民に、弁論術や自然科学などを教えて報酬を受ける、いわば家庭教師たちの事を言います。

 

「真昼の用心棒 Massacre Time」セルジョ・エンドリゴ SERGIO ENDRIGO

 

彼らは真理の探究よりも、いかに相手を論破するかと言う事に力を注いだので、詭弁に陥る事が多かった。代表的なソフィストとしてプロタゴラスがいる。プロタゴラス(前500年頃~前430年頃)はトラキアのアブデラ出身であるがペリクレス時代のアテネに来て、ポリスの有力者に授業料を取って弁論術を教授し、ソフィストの最初の成功者となった。その思想は「人間は万物の尺度である」という著作の一節がよく知られており、絶対的な真理は存在せず、価値は人間=個人によって異なると言う相対主義と言えるものであった。ソフィストの相対主義的な思考を厳しく批判して、徹底した対話の方法によって絶対的な真理を目指したのがソクラテスであった。しかし、喜劇作者アリストファレスが『雲』でソクラテスをソフィストの一人としてからかって居る様に、当時はソクラテスもまたソフィストの一人と思われて居た。ソクラテスを主人公とした多くの対話編で、ソクラテスの口からソフィスト批判を展開したのがプラトンである。

なんか話が本筋から離れて、締まったけど。話を戻します。その猪狩と言う男だが。私の母親は嫌って居た。何時も勝手に玄関を上り部屋に入って来て、座り込んでは、自分の自慢話をする様な男だった。そしてブローカーとして暗躍し、彼は学業ブローカーであった。要するに裏口入学の斡旋業者だ。そして口だけは立った。詭弁で人を弄するのだ。そいつは何時も言って居た。「お宅のお嬢さんと弟さんを私に任せれば。早稲田や芸大などには行かせる事が出来ますよ。何ね、私は300万円程貰えればそれでいい。」だから母は物凄く嫌って居た。しかしそいつはある日、キャバレーで大金を使って遊び。酔っ払ってタクシーから降りて道を歩いて居たら、意識が無くなって倒れて仕舞ったのだそうだが。なんと顔が、前の日の大雨でくぼみに水溜りが出来て居て....。そこに顔を突っ込み、要するに鼻と口を当てて意識が無くなって仕舞い。水深わずか4センチ未満の水溜りで溺死して仕舞ったそうだ。詭弁が幾ら経っても自分の命一つ救えなかったらしい。私は何遍も言うが。高校の時の担任に、日大の芸術学部に30点も取れば入れる事が出来ると、言われた。私は断り続けたが。あまりに煩くしつこかったので。一応は日大の芸術学部を受験したが、

結果は落ちた。すると私にテストの点なんざ30点も取れて居なかったんだろうと言い張ったが。自分でも先輩の体育の教師から誘われて言って居た事なので、日大に行き自分は教師だといい。この生徒のテストの結果を見せてくれと言って、見たがテストは69点だった。自分では30点も取れれば御の字だ。と言って居た手前引っ込みが付かなくなった。車を運転してその教師と私を日大まで連れて来た親父に話があると言って、私に車で待って居てくれと言い張った。あのバカ親父はそいつの詭弁に翻弄されて。私は何時の間にかテストの点は10点ぐらいしか取れては居なかったと嘘を付かれて、その話は立ち消えになった。私は「惚れ見た事か.....。」と思った。姉もやられた。有坂というブローカーだった。姉はある大学を受験したが。そのブローカーが母の元に来てこう言った。「お嬢さんは合格ギリギリの処に居ます。だから、私に任せて下さい。その代わり300万円用意して下さい。すぐに!!」

 

「南から来た用心棒 Arizona Colt」ラオール、Raoul

 

処が母は姉からテストの感触を掴んで居たから。大学に自ら出向いて試験の結果を聞いたら、大学側は「お宅のお嬢さんは合格圏内に居ますから安心して下さい」と言われたと言って。金を急いで欲しがったブローカーの有坂を無視して試験の合格発表まで待った。有坂はヒステリー気味に「あなたは、お嬢さんがこの大学に入れなくていいのですか?私に任せれば今ならなんとかなる。さぁ、早く300万を!!」と言ったが、合格発表の日に、合格して居る事を確かめて有坂に言った。「あなた、嘘つきましたね。私の娘はちゃんと合格点を取って合格して居ますよ。」有坂は黙りこくって仕舞った。弟は私立小学校に入学したが。母の知り合いだった教授が学校側に聞いた処「お子さんは立派に成績を取って合格ラインに居ますからご安心を」と言われたと言って。また弟も、テストでどんな問題が出たかと、テストを受けた後に母に言って居たので。周りのお母さん達が自分の子供が何も言えないので、弟に詳しく聞かせてくれと言って来た程だった。弟はちゃんと合格して居た。

ソフィストという言葉は、「詭弁家」などの訳語に見られるように、悪い名前として広く用いられて居る。納富氏の『ソフィストとは誰か?』はその様な偏見を払いのける好著であるが、氏も触れて居る様に、ソフィストの本来の姿、あり方に迫った日本人哲学者が、すでに戦前に存在して居た。田中美知太郎が1941(昭和16)年に発表した『ソフィスト』である。同書は戦後の1957年に改訂出版され、1976年には講談社学術文庫にも収められたので、読む事が出来る。田中氏は、「むかしソフィストの悪名を負わされた人たちが、事実どの様な人たちであって、どんな時代に、どんな仕事をしたのかと言う事を、根本史料にもとづいて、直接に著者が見たままを明らかにした」のが本書であると語り始める。氏に拠ればギリシア語の原語「ソピステース」の意味は、ただ「智慧のよくはたらく人」と言う意味であったが、紀元前5~4世紀にはすでに悪い意味の言葉となって仕舞って居た、

「ソフィスト」とは「知者」と言うぐらいの意味だが、その多くは、イオニアやシチリアなどのギリシア世界の周辺部からやって来て、一定の報酬を受け取る代わりに、政治の術や法廷弁論などを教えた知識人であった。民主制アテネにおいては、従来の政治体制とは異なり、家柄や財産の多寡に関係なく、「言論」を支配するものこそが国政に参画することが出来た。この時代に政治的野望を抱く青年たちは、政治の中枢部に入って行くのに必須の言論の力を養成してくれる物を求めた。この要望に応えて登場したのが、アブデラ出身のプロタゴラス、レオンティノイ出身のゴルギアス、さらにケオス出身のプロディコスやエリス出身のヒッピアスなどのソフィストたちであった。

 

荒野の1ドル銀貨 Un Dollaro Bucato

 

ソフィストと同時代の人であるが、ソクラテスだけは生粋のアテネ生まれであった。彼自身が当時はソフィストの一人とされて居た事は、アリストファネスの喜劇『雲』で。最も悪どいソフィストとして笑いものにされて居る事で分かる。しかし、次第にソクラテスは、ソフィストとの議論を重ねるうちに、決定的にその違いが明らかになって行く。そして『雲』が上演された前423年から約24年後の前399年にソクラテスは国家の手で殺されてしまう。<参考文献。山川偉也『古代ギリシアの思想』1993 講談社学術文庫>

知識と言うものは、ただ知って居ただけでは何の役にも立たない。生活の上で役立てないとすぐに忘れて仕舞うものだ。そしてその知識を振りかざすバカ者が居る。表面上の知識なら何とでも言える。今はYouTubeを見ても。ラジオを聴いても、テレビを観ても。本を読んでも、際限なく情報は溢れ返って居る。私の知り合いと言わせて貰いますが。詩人の、「にのみや・あきら」さんと言う方が居ます。最近。彼の詩集「人間・人生・生きる」をAmazonから購入したが。その分かり易く思索に溢れた、詩篇は彼が若い頃に演劇人であったと言う事もあり、心に響いて来る詩です。こう言った分かり易く。誰にでも分かる様に書いて、しかし思索に溢れて居る詩を書くと言う事は、奥深い人生経験が無いと書けないと思います。そして私は言いたいが勉強とは、何も学校で教わる事が全てでも無いし。また学問と言っても何にでも学問はありますよ。私が好きなブルース。ジャズ。ロック。漫画。これらも学術的に観て。勉強するに足り得るものだと思って居ます。私はよく、ドキュメンタリー番組を観ます。人生の裏街道を歩いて居る人たちやら、アパレル・メーカー、もしくは、食品業界の話。ITソリューションの話。何でもが、勉強になります。ドキュメンタリーの語り部たちの言う事は芯を突いて居て。私は励まさられ、そして共に目頭を熱くします。アニメだってそうです。日本には海外とは、比べ物になら無いくらいの質のいいアニメが沢山ありますよ。小説にしたってそうですよね。

それらを知らずに一生を終える事は、どんなに勿体ない事でありましょうか?私は残念ながら障害の身ですから。薬によって頭は半分は塞がれて居ます。そして、私は鬱病の薬の副作用だとは思うのですが、最近多弁です。人から見たら「何?此のハイな人?」と言われて仕舞う事が儘あります。だから人から疎まれます。私にはもう時間が残って居ませんよ。もう63歳です。あと生きて10年持つかどうか?それまでに成し遂げたい事があります。それはハーモニカを吹く事を完成させる事です。私はそれに賭けます。残りの人生を費やして上達させて、そして音源をパソコンに残したいのですよ。もちろんYouTubeにも今まで通り挙げます。そして足り無い知識を増やす事に力を注ぎたいです。と言っても毎日、寝て仕舞うのですけどね。だから思いはあっても何も出来ませんよ。薬の後遺症で、直ぐに寝て仕舞いますから。人はそんな私を。多分、水車小屋がドラゴンだと思って立ち向かった。セルバンデスの「ドンキ・ホーテ」だと言う人もおられるかと思います。そうですね。私は病と言うドラゴンに翻弄される「ドンキ・ホーテ」ですね。旗から見たら滑稽なだけでしょうね。しかし、この事やら哲学の思索などはおこなって行きたいですね。今日は此処までに、しときます。読んでくれて有難う御座いました。

 

 

 

コメント一覧

Unknown
kiyasume様、kiyasume様に直接関係ないコメントを書くことをお許し下さい。

下のコメントの方、学歴は関係ないと話していますが、ブログ界で有数の家族の学歴や他のブロガーの学歴、様々なお話の中で家族でもなんでもない方までの学歴を際限なく書き連ねています。
中には学歴に関する誹謗中傷短歌を芸術は自由と話して書いたことも。

このような矛盾するコメントを書いて恥ずかしくないのが本当に不思議です。

kiyasumeさんに関係ないコメント、大変失礼しました。
ご本人のコメント欄が閉じているので、こちらに書き込ませて頂きました。

自分が間違っていないと思うなら、自身のコメント欄を開けることが道理ではないでしょうか。間違っていないなら、正確な反論も可能だと思いますが、都合の悪い話は隠したり、日付を変えて再投稿している所を拝読すると、自信が正しいだけではないのでしょう。
kiyasume
そうですね、私もそう思います。
学歴は関係無いですね・・・・。

もともと勉強は江戸時代の昔から、
自分で本を写して製本し、それを朗読して、
勉強したのですよね。だがら勉強とは独学である
と私は思います。

なんだって勉強に成りますよ。
漫画でも、何でも、漫画ですら私小説のものも
ありますからね・・・・・・。

私も一生勉強だと思って居ますよ。

また来て下さいね。宜しく、、♪( ´▽`)
1948219suisen
今日も良いことを書かれていますね。

人は他人に余計なことをする暇があるのであれば自分に投資したらよいと思います。人はいくつになっても勉強です。私は、人は死ぬまで勉強だと思っています。勉強さえしていれば、人に余計なことをすることがバカバカしくなるはずです。

そこが人としての分かれ道になりますね。

基本的に学歴などは関係ありません。
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