今日は訪問看護師に対して怒りつけてしまった。彼は1996年生まれの28歳の男の看護師だ。私が「フラワー・トラベリング・バンド」のジョー山中」知って居る」と聞いたら「知らない」と言う。「記号論は解るよね?」「一応は」「丸山圭三郎だとかソシュールって知っている」「知りません」「フロイトの理論は?」「フロイトって誰ですか?」「無意識の領域を発見した心理学者でしょう?」「知りません」「アラン・ドロンって役者知っている?」「今スマホで調べています!!出て来ました!!」「彼は今88歳だけどね」「そう書いてあります」「きみらはさ、なんでもスマホって言うけど調べたこと忘れて覚えてないだろ?」「そうですね」「きみはそんな事だと何時か大恥かくよ!!」「まさかスマホしか持って居ないなんて事はないよね?」「MacBook」を持って居ます。「だったら昔のことは少しはパソコンで調べて勉強しときなよ」「本を一杯お持ちですが、あっ?GACKTの本がある見せて貰っていいですか」「ああ、その本は名著だよ」「これいいなあ、これ買う!!」「なんでその本が目についたの」「他の本の著者は誰も知らなかったけど、「GACKT」はすぐ解ったから。」こんな具合です。最近の若者はスマホを何時も手に持って居て何か聞くとすぐに調べてこう書いてあると見せる!!自分で覚えて居ることが何もない頭が空っぽだ。私は危惧をして居る書物を読んだり本で無くとも、スマホでもいいからきちんとした情報を選んで観て覚えないと、スマホに表示させてそれを一時的に読んで解ったふうな口は聞かない方がいい。自分が知って居るんじゃないんだから?今時の28歳はこんなものかと思うと国の行く末を悲観してしまう。少なくとも私の18歳ぐらいの時にはすでに自分で知って居る事が可也あった。全部自分で会得した事だった。そしてその看護師は25分居たら次があると帰って行った。最近の若者の無知さ加減にはほとほと驚いてしまうのです。な〜〜〜んにも知らないですからね。知ってる物とはマーベルヒーローものの映画だけ。そしてよく観察して居ると一応のことはやれるが読解力がない。私謎は給料もボーナスも親に渡して自分では何も買えなかったから。今思えば物凄い損をして来た。家電が買えないのだから・・・・本も買えなかった。21歳から47歳まででしたよね。人はね、ただ物を買ってもくれないし、物事を教えてもくれないのが普通ですよ。全部自分で身につけるんです。僕は小学生の頃にラジオが欲しかったが買えなかった。だから笹塚の「エンドウ」と言う玩具屋で鉱石ラジオ380円の物を買ってそれでラジヲをノイズの入った電波に紛れて聞いて居た聞き方はアンテナ線を電話線にはめるのです。そしてイヤフォンで聴く当時の深夜放送やらロックの番組をだ。それでも知識にはなって行った。私がラジカセが変えたのは小学3年生の頃だった。母が質流の物を買って来てくれたのだった。それは中学3年生まで使った。ステレオは中学3年の頃にサンスイの4チャンネルステレオを購入した。それでレコードを何枚か買い揃えてコレクションの格好を覚え出した。そして2代目のラジカセを何とか購入した。今はスマホ一つあればストリーミングを聴けばいいからそれでいいらしいが。私もApple Musicに入っては居るがストリーミングは流して聞く音楽しか流れずに居てはっきり言って聞くに耐えない物だと思う。Netflixもだ、最新鋭の映画はバンバン流すが昔の古い映画は流れない。みんな画一化されてしまって居る。着るものもそうだ私はモードの格好をして居るが。普通はユニクロかGUでみんな統一されてしまって居る。それ以下の服もあるスーパーの衣料品売り場にあるイトーヨーカードーなどで売って居るバーゲンの服だ。だから街を歩いて人の服装を観察して見ればいい。皆同じような格好しかして居ない。これが人民の画一化なのか、個性が特に若者にないのですよ。中年になるとお金に余裕が出来るからかデザイン的に素敵な物を着て居る人たちも僅かだが見られるがほんの僅かだ。個性がないのだ。そして皆最新鋭のス・マ・ホを持ち、そうして人にぶつかりそうになりながら見て歩いて居る。勝手、三島由紀夫がこう言った。「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」今がそうだ。しかし、資本主義経済では、どの国でも、どの時代でも企業の金もうけ動機が幅を利かせ、企業人はニュートラルで抜け目がないのが普通だから、戦後日本だけがそうだとは言えない。それでも、経済の思想というものは別である。
経済思想とは、国家の経済を引っ張っていくエリートが主として担う。まずは自国民を富ませる。他国から不当な手段で富を収奪されることを防ぐと同時に他国の経済発展に貢献するという考え方である。政官財学の指導層は本来、こうした責務を負っているはずである。指導層がその責任を果たさないのなら、三島の予言にある「からっぽの極東の一経済大国」にすら、とどまるのが危うくなる。皆さん、スマホを持って喜んで歩きながら見て居る場合じゃないんですよ今はね。
大国の盛衰は、歴史の必然である。過去の歴史を見ても、永遠に栄光の座についている国などない。栄光の座についていた西欧は、やがて来るだろう衰退の運命を恐れた。栄光をつかんだ国は必ず亡びる。だからこそ、だれしもその栄光が長く続くことを望む。
そのためには、過去の帝国の栄光がどうやって滅んだのかという理由を知ることだ。こうして、18世紀から19世紀に「文明の衰退論」が一種のブームとなり、さまざまな著作が現れた。
18~19世紀「文明の衰退論」ブーム
その先駆けが、シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(1689~1755年)の『ローマ人盛衰原因論』(1734年)である。モンテスキューは、こう述べている。
しかし、いつの間にか国は崩壊していった。それはなぜか。それはそうした優れた人々がいなくなり、腐敗が国中に蔓延したからである。
19世紀西洋諸国は、産業革命と資本主義という武器によって世界を制覇したが、このローマ帝国の衰退を語るモンテスキューの言葉に、幾分かの不安を覚えたと思われる。しかし、19世紀により強化される帝国主義的な西欧支配の前で、やがて不安ではなく、慢心へと進んでいった。
19世紀の政治家兼歴史家であったフランスのフランソワ・ピエール・ギョーム・ギゾー(1787~1874年)は、『ヨーロッパ文明史-ローマ帝国よりフランス革命にいたる』(1828年、安土正夫訳、みすず書房、1987 年)の中で、西欧文明の優秀さを、物質文明とキリスト教的精神文明だと主張しているが、まさに向かうところ敵なしの西欧の力は、この2つを持つ限り非西欧に対して盤石であると考えていた。
イギリスの歴史家であるヘンリー・トーマス・バックル(1821~1862年)も『イギリスにおける文明史』(Hitory of Civilization in England、1857年)の中で、自然環境の苛酷さに打ち勝った西欧の力を誇示し、それが人間の想像力を生み出し、自由を生み出したのだと述べ、西欧文明の輝かしさを褒めたたえている。
福沢諭吉の『文明論之概略』
福澤諭吉(1835~1901年)はこの2人の書物に影響され、『文明論之概略』(1877年)を執筆する。福澤は、日本が西欧の列強と対等に戦うためには、西欧のたどった道を学び、その文明を習得することが緊急の課題であると述べている。
明治維新の日本は、日本の未来に危機感をもつすぐれた人物が多く登場した時代といえる。ローマの繁栄がそのすぐれた人物が統治したことから生まれたように、日本がアジアの中で西欧に対して少なくとも独立し、アジアの雄として一矢報いることができたのは、こうした先見の明をもつ人々が、当時次から次へと登場したからである。
最近フランスで出版された中東出身でフランス・アカデミー会員のアミン・マアルーフ(Amin Maalouf)の書いた『迷える者の迷宮―西欧と対向者』(Le Labyrinth des égarés. L’Occident et ses adversaires,Grasset, 2023)という書物は、日本の栄光と衰退を考えるために興味ある内容を示唆してくれる。
この本の中で紹介されている非西欧とは、西欧に挑戦し、非西欧に大きな刺激を与えた国である。その非西欧の中で成功した国とは、日本、ソ連、中国、アメリカであるが、なんといってもその筆頭に来るのが日本なのである。
本書は、日露戦争(1904~1905年)の勝利がアジア各地に与えた強烈な印象から始まる。ロシアは西欧ではないのだが、白色人種であることで、有色人種日本人の勝利の衝撃は大きなものであった。マアルーフは語る。
それは日本という国が到達した栄光の時であった。だからこそ、非西欧地域で日本の勝利に、人々は勇気づけられたのである。
非西欧で成功した国の日本
しかし、その日本はやがてその非西欧に背を向け、アジアを侵略し、非西欧の希望の星であることを突然やめてしまう。そして1945年に、第2次世界大戦で西欧に決定的に敗北を期す。マアルーフは、この成長と発展、そして突然の方向転換を問題にする。
これと同様の栄枯盛衰を、日本は再びたどる。アジアで唯一の経済的先進国となった日本が、また突然、成長と発展に逆噴射し、失われた30年を経て衰退し続けるのである。
確かに、これはとてもミステリアスに見える。それは、恐ろしいスピードで発展すると同時に、恐ろしいスピードで衰退もするという、容易には理解しがたい謎の行動を日本がとっているからである。
最近フランスで出版された中東出身でフランス・アカデミー会員のアミン・マアルーフ(Amin Maalouf)の書いた『迷える者の迷宮―西欧と対向者』(Le Labyrinth des égarés. L’Occident et ses adversaires,Grasset, 2023)という書物は、日本の栄光と衰退を考えるために興味ある内容を示唆してくれる。
軍事と経済、その内容は異なるが、日本は戦前と戦後この2つの分野で世界を驚愕させてきた。それはその成長のスピードだけでなく、その衰退のスピードにおいても、まさに世界にとってこの成長は脅威であった。しかし、そこにある種の問題が含まれている。
明治維新からの国家衰退
この問題に対して、マアルーフは、こう述べている。
ローマ時代のように、明治の初めには優れた人材が豊富にいたというのだ。彼らは世界に目を開き、野心的であった。
ところが大正時代になり、明治維新から40年経つと、そうした人々がことごとくいなくなる。すると、そこに空虚な空間が生まれてしまった。この40年後の日本の状況は、今のわれわれからすれば遠い過去の話かもしれない。
しかし問題なのは、1945年から40年後、すなわち1985年以降の日本に関しては、今の問題である。まさに、失われた30年の言われる時代はこの時代に始まるからである。
1970年代の高度成長期の真っただ中で、自動車や電機製品などの生産で破竹の勢いをもって世界を凌駕していた日本。それはおそらく、戦争直後青年期を迎えた世代による創意工夫と野心が生み出した大いなる成果だといえる。当時の日本は世界に目を開き、野心をもっていた時代だったのだ。
ローマがそうした優れた感性を持つ指揮官を失ったことで衰退したのだとすれば、こうした世代が鬼籍に入ってしまった今の日本が衰退するのは合点がいく。
戦後西欧へ追いつき追い越せというフレーズが、経済的成長という目標につながったのだとすれば、新しく取って代わった世代は、もはやその目標を失ってしまったといえる。
学ぶべき西欧を見失い、なおかつ自分で考えることもできなくなった世代は、大正時代の新しい世代にも似て、もはや野心も指標をもたない世代かもしれない。それが衰退を速めているのかもしれない。
モンテスキューによれば、ローマは技術だけが残り、当面の間はそれだけでなんとか勝利を維持できたが、最後には腐敗が生じ衰退の一途をたどったという。
いかなる方向へ国の舵を取るべきか
1990年代まではなんとかそれまでの余韻で維持できたものが、2000年になって次第に衰退しはじめ、今や腐敗によって完全衰退モードに入っているのだろうか。政治や経済の分野で起こる不祥事や事件は、この衰退のほころびをより広げ、今や佳境に入っているかに見える。
日本は驚異の成長の後、脅威の衰退に進み、そして破局へ至るしかないのか。
もちろん、これは今や日本だけの問題ではなくなっている。日本の衰退の問題とは別に、数世紀世界を支配してきた西欧それ自体の衰退も進んでいるからである。
西欧においても、すぐれた政治家が排出しているとはいいがたい。むしろエリート層の能力の衰退が顕著である。そうしたエリート層では、未來へのかじ取りができるはずもない。
もう一度、福澤諭吉のあの警告を読み直してほしい。それは、「いやしくも、一国の文明の進歩を謀るものは、議論の本位を定め、この本位によって事物の利害得失を談ぜざるべからず」。
福澤は危急存亡の日本の中で、日本の人々に議論の本位、すなわちいかなる方向に舵をとるべきかを、われわれに問いただしたのである。もって知るべしなのだ。