あまりに調子が悪い為に、今回から、また5〜7日間程、更新を休むと思うので過去記事とか皆さん見て下さいね。如何せん、薬の後遺症だと思いますが。調子が悪すぎです。また暫く休んでから更新致します。コメントの返事は書きますので。皆さんコメントは何でも良いので書き込んで貰えると励みになりますので、宜しくお願い致しますね。身近な事とかでもいいですから。それでは宜しくお願い致しますね。。。。
此間の記事で、私はパーマ代と染色代で貯めていた2万円が無くなったと言った。お金は茶封筒に入れて他の書類の茶封筒と一緒にしていたのだが、此間全部の封筒を調べてお金が入っていない事を確かに確認した。それで一体誰かが盗っているのか、なんで最近は前にも3万円を封筒に入れて机の前に於いて置いたら人が来て、その人が帰ってから確かめたら2万円しかなかった事があったのか。私は確かにその日に確かめていて3万円あると思っていたから。誰かが盗んだのだろうと思っている。よしんば100歩譲って。私が3万円あると考えていて2万円しかなかった事も考えられるが。そんなに耄碌しているとは考えられない。そして今回だ。私は全部の封筒にパーマ代と染色代の2万円が入っていないか慎重に調べた。しかしどの封筒にもお金は入っていなかった。それから2日程して。封筒は全て処分した。机の上にも置いてなかったはずだ?処がだ。此間、封筒が机の端に置いてあるのだ。私は「なんだぁ、封筒は全て捨てたのに。なんで此処に於いてあるんだ?」と思い中を確かめたら2万円が入っていた。私には訳が解らない?
前にヘルパーのおばさんからこう言われた事がある。私が「パソコン買い替えようと思っているんだよ.....。ハッカーからも狙われている様だしね?」と言ったらニヤリと笑みを浮かべて、こう言われた「買い換えたって無駄だよ!!やられているのは止まらないよ・・・。」私はこの人は何でこう言う事しか、言えないんだと思っている。悪意がなければ普通は「そうねパソコンが変わればハッキングも止まるかもね?」と言うはずだ。私は以前。或人からこう言われた事がある。「統合失調症なんて病気は無いんだよ。国の政策で目を付けられた人が病気にさせられてるんだ。精神病院なんか、皆んな国とグルで患者としてそう言う狙われた人に、一服持っておかしくさせているんだよ」私はなんて事をこの人は言うのか?と思って聞いていた。そしてヘルパーのおばさんはこう言うのだ。「へぇ〜生活保護で15万円近く貰えるの?それはそれは良い事で!!」この人は前に私が大家さんからコロナ給付金で5万円も貰ったと喜んで言ったら。こう言われた「不動産屋に私行くわ。そして大家の住所教えて貰って、あんたの事を大家に言いに行かなくちゃ!」だから私は言った。「不動産屋に行くのは勝手だけども。大家に私の病状だとか言わないでくださいよ!!私は大家さんに何も話していないんだから?」そう言ったら次の週に来た時にこう言うのだ。「大家の名前なんて言うの?」だから適当な名前を言ったら。「私は知ってるよ!!大家の名前は〇〇と言うのだろう!!私は大家と友達だよ!!」
なんでこう言う皮肉しか言えない。私の何が気に喰わ無いのだ。自分がヘルパーをしていて。人に引け目があってもそれが自分の仕事だろう?私はヘルパーも訪問看護師も信用はしてはいない。自分らはちゃんと給料が貰えているのだろう。ヘルパーでも数十万円。訪問看護師に至っては30万円から多い人で37万円は貰っている。この事は何遍も言うがヘルパーも看護師も旦那が幾ら薄給だと言っても最低でも35万円ぐらいは貰えているはずだ。自分の給料と合わせて幾らになる?現にヘルパーのおばさんは最近になってiPhone12を購入した。現金でだ。私などはiPhone8をまだ使っているし。まだ1年半は月賦が残っている。だから私は思っている.....。金を此間は1万円誰かが盗んだのだろうが、今回は嫌がらせなのだ。2万円入りの封筒を取って行って困らせた処で持って来て机の端に於いたのだ。なんでそう言う真似をする?要するに統合失調症になると。そう言うバカには嫌がらせをしてやろうと言う事なのですね。私の主治医からして此間こう言った。「へぇ〜身長170センチに要約届くぐらいしかないのか(笑)」私は黙っていた。この主治医は何遍も言うが。私が初めて罹った初診の時に、「私は大学2年の時に発病したか・・・・」と言い掛けたら。そうしたら罵声で言われた「大学では無いだろう!!」「途中で発病したんだから大卒とは言うな高卒と言え!!」そうしたら付き添いで来ていた区役所の職員の女性が「この人は、身内からも誰にも相手にされていないわよ!!」
私は怒りが込み上げて来た。一体なんて言う仕打ちだ!!こんな事をこの2人から言われる覚えは無い。そう言う事を言って置いて。此間は私にそう言った主治医の医師がこう言うのだ「怒りは湧いて来ないの??」だから私はこう言った「怒り(イカリ)はしませんよ。怒り(オコリ)はありますがね、、」「怒り」は我慢ならないラインに相手から踏み込まれるもので、そのラインは自動的に決まってしまう。一方で「怒る」は実際に我慢出来る事でも、そこに自らラインを引いて能動的に起こせる。「怒り」は受動的で感情的なもの。「怒る」は理性的で自制的なものの事です。私が怒りを持ったのは計4回ある。従兄弟のけんじ、ゆきかずの嫌がらせとバカ親父の事とこの事だ。金を盗まれてたのも怒ったが怒りには及ばなかった。私が怒れば相手を殺す!!それから皆さんに言って置くが。精神科医は同じ医者仲間から物凄く差別をされている。此間は私は心臓外科で、心臓外科医にエコーを掛けて見て貰ったがその老先生が、「精神科医なんてな!!馬鹿しかいないわ!!わしゃ精神科医は認めないねぇ〜。」そう言っていた。私もある本を読んでいたら「精神科医が俄然注目され始めたの抗精神薬が出来てからだ」と書いてあった。「それ以前は何も精神科医は出来ずに無能だった」と書いてあった。そう言う風に昔から嫌われているのですよ。弟も言っていた。「薬で人格を変えたり出来るから面白いと精神科医になる医大生もいるが、大体が、皆んな精神科医になるのは最後の手段としてだなぁ」まあ、私はフロイトだとかユングだとかアドラーだとか好きだから。よく彼らについての本を読みますが・・・・。
ユングはスイスの精神科医で心理学者です。フロイトと共に精神分析学を発展させますが、意見の相違から決別し、ユング心理学とも呼ばれる独自の分析心理学を創始しました。ユングは「集合的無意識」といった新しい概念を創出し、無意識の領域をあきらかにしました。また、独創的な「元型論」を用いて夢や神話などの研究も行い、その専門領域を超えて芸術や文学の分野にも大きな影響を及ぼし、20世紀を代表する思想家として知られています。
タイプ論
ユングは人間の気質について、意識が内部の世界に向かう傾向の強い人を「内向型」とし、意識が外界の世界に向かう傾向の強い人を「外向型」とする2タイプに分類しました。さらに、対象を捉えたり判断するときの傾向から、「感覚型」「直観型」「思考型」「感情型」に心の機能を分け、人間の自己実現の過程をタイプごとに分析しました。ユングはフロイトと決別して8年後に、人間の心理的なタイプを探求した『タイプ論』を刊行し、独自の理論を体系化しています。
ペルソナ
「ペルソナ」とは、元来は古典劇において用いられた仮面の事ですが、ユングは人間の外的側面に現れる心理的な仮面をペルソナと呼びました。例えば本来の自己とは違うパーソナリティの仮面を被って周囲に適応しようとしたりする事を「ペルソナ」の言葉を用いて説明します。
ユングはペルソナについてこのように述べています。「ペルソナはわれわれが外界とつきあう為の適応の方法である。たとえば、すべての職業はそれにふさわしいペルソナを持っている。ただ危険な事は、人々がそのペルソナと同一化する事である。」
アニマ・アニムス
「ペルソナ」とは逆に、自己の内界に現れる側面として、男性的な側面を「アニマ」、女性的な側面を「アニムス」と呼びます。
身体的な性では無い自分のもう一方の性が普段は無意識を構成しており、それが恋人や永遠の男性・女性のイメージ、すなわちアニマ・アニムスとなって夢に現れるとユングは考えました。
影(シャドウ)
ユングは人間が統合された人格として生きるとき、必ず「生きられなかった側面」が存在すると考え、それを「影(シャドウ)」と呼びました。また「影」には個人にとって特有の「個人的影」と、人類共通の「普遍的影」があり、普遍的影は殺人などのような「悪」の概念に近いものだとしました。
コンプレックス
心理学・精神医学用語の「コンプレックス」とは、衝動や欲求などのさまざまな心理を構成する要素が無意識に混ざり合って形成された観念の複合体の事を指します。普段は意識の下に抑圧されていますが、現実の行動に影響しているとされます。「コンプレックス」はユングによって一般的な言葉となりました。
『アドラー』
フロイトの精神分析においては、幼児期における父親や母親にむかう心理の抑圧を表す「エディプス・コンプレックス」が中心に置かれました。
アドラーの人格心理学においては、当初「劣等コンプレックス」を理論の中心に置いており、劣等コンプレックスの克服を通じて人格が発達すると言う理論が日本に受け入れられました。その為、「コンプレックス」が「劣等感」を表す言葉として定着しています。
アドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーは、オーストラリア出身の心理学者・精神科医です。心理学を専攻している人なら勉強するのは、フロイト博士やユング博士が有名ですが、アルフレッド・アドラーもその二人と並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した一人です。1870年にウィーン郊外で生まれ、ユダヤ人の両親の間に生まれました。アドラーが生まれた家庭は、ユダヤ人の中産階級に属しています。
1916年、彼が40代の頃に第一次世界大戦がありました。軍医として召集されたアドラーは負傷者の治療、なかでも神経症患者の治療を行う中で、人間同士の心の結びつきの大切さを実感します。この心のつながりがアドラー心理学における共同体感覚です。大戦後はこの考え方を元として、アドラー心理学という流派を創始し、研究を続けます。そして1937年、心臓発作の為に67歳で亡くなりました。
アドラーの名言
アドラーの残した有名な言葉に、『人は過去に縛られている訳ではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。』と言うものがあります。その人らしさや個性は、その人がどんな人生を送って来て、どんな過去を持っているかと言う事では無く、未来に何をしたいのか、どんな目的があるのかによって決まると言う事です。
アドラーは、『やる気が無くなった」のではない。「やる気を無くす」と言う決断を自分でしただけだ。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。』とも述べています。自分の気持ち、目指すもの次第で行動も未来も変わって行くと言う考え方は、勇気づけられる人も多いでしょう。
アルフレッド・アドラーが残した主な考え方
フロイトは人間の本能が制御不能なものとして扱ったのに対して、アドラーの考え方はまったく逆で、「人間は決断の自由を持っている」と説いています。そんなアルフレッド・アドラーが残した主な考え方をご紹介します。
目的論
目的論は人生の全てには目的があると言う考え方です。トラウマなどは「トラウマがあるから○○ができない」と捉えますが、目的論の考え方は「○○が出来なのは、傷つきたく無いと言う目的のために〇〇をしない」と言う考え方です。私たちはどの様な目的なのかによって思考や行動が変わって来ます。
課題の分離
課題の分離とは相手の課題と自分の課題を分けると言う事です。例えばですが、「仕事が出来ないから相手に嫌われる」と言う課題がある場合、「仕事が出来ない」のは貴方の課題ですが「相手が貴方を嫌いだと思う」のは相手の課題です。また貴方の課題は貴方の努力で変える事も出来ますが、相手の課題は貴方の努力で変えることは不可能です。ですので、相手の課題に対して貴方は必要以上に気にする必要はないのです。
劣等感
劣等感度は、自分の理想に達していないと感じる事です。私たちは劣等感を抱く事で、今の自分では理想の自分に達していないと感じます。それによって自分を理想の分に近づけより良く生きるための刺激にする事が出来るのです。ですので、感じた劣等感を理想が現実化する為にどうやって活用するのかと言う事が大切なのです。
共同体感覚
共同体感覚とは、私たちが共同体の一部であると言った事を感じる感覚です。私たちは一人では生きては行けません。ですので、共同体の一部である私たちは、周りの仲間を感じて関心を持つ事がとても大切なのです。また共同体感覚を抱く事が幸せを感じる事にも繋がります。
ライフスタイル
ライフスタイルは、考えや行動のクセを言います。性格を変えようと思って頑張ってもなかなか難しいですが、考えや行動のくせを変える事はそこまで難しくはありません。例えば、「引っ込み思案で人と話すのが苦手」だと思っている人でも、性格を変える事は難しくても考えや行動のくせを変える事が出来ます。緊張しても相手と話せるように、人が興味を持つ知識を増やすようにしたり、自分が話す事が難しい場合でも相手の話に興味を持ってしっかりと聞く様にしたりすれば、「人と話すのが苦手だ」と言う事も感じなくなるのです。
アドラー心理学は、現代人に即した自由な考え方が多いです。だからこそ、今注目されているのかも知れません。また、アドラー心理学は「人は幸せになれるのか」「幸せとは何か」「自由とは何か」を説いています。また、人の心の本質に迫る心理学でとても魅力的です。ぜひ、興味を持ってアドラーの書籍を1冊で良いから読んで見て下さいね。
めぐりあい (feat. GLIM SPANKY)
前に私のケア・マネージャーが来た時に言って居たが。私のBoomBoxを観て、笑いながら言って居た。「デカいラジカセですねぇ、今時こんなアンティークなものがあるのですか?」そして私がこの「BoomBoxにはBluetooth機能が改造でついて居るから。スマホのストリーミングも聴けますよ」と言っても。与太話にしか思って居ない。要するに「こんな古いものを購入して何が楽しいんだ?」と言いたそうだった。若い人だけでは無いヘルパーのおばさんも。「こんなものよく購入したわよねぇ、最新鋭の家電製品が沢山あるのにさぁ、」まあ、普通はそうでしょう。今はスマホのストリーミングでなんでも聴ける時代だから。でもカセットテープ専門店「Waltz」の角田太郎さんが言って居たけど。ストリーミングは水道水。レコード。カセットテープは沢の湧き水だと言う。まあ、今のステレオと言うかステレオももう無くなって仕舞って居る。本当に今はスマホ一つにヘッドフォンがあればイイのですね。音の調節はスマホで出来るのでして。ヘッドフォンでも6千円も出せば可成りな重低音が出るし。またイヤー型ヘッドフォン (イヤフォン)でも一万円もかければ重低音が鳴るものも売って居る。私は去年ぐらいにオンキョーがステレオ製作から撤退したと書いたが。過去のステレオという形態が最早古いのだ。私は聴いて居る音楽はブルースとロックとジャズだ。そして持って居るパソコンはiMacだ。だから音楽を聴くのもラジカセとカセット・デッキに。レコードプレーヤーそしてそれを繋げたCDレシーバーにスピーカーを繋げて居るのです。私はそれでイイと思って居るし。スマホからのストリーミングはBluetooth搭載機のBoomBox(ラジカセ)で聴くのです。今の流行も追っても居る。
ただ電車の中や歩きながら。また病院の待ち時間に音楽は余り聴か無い様にして居る。通勤中やら通学中しか時間の無い人はそれでイイだろうとは思うが。私は時間はあるからです。自宅でゆっくり聴けますから。私は体調がずぅーっと悪く入退院を繰り返して居たのでステレオを購入したのは5年前だ。そしてはじめのラジカセを購入したのは3年前。しかし中古で古く壊れて居たので。カセットデッキを購入した。それが2年前、そして今年念願のBoombox(大型ラジカセ)を購入した。そして音も良く重低音も程々出る。そして4ヶ月前にオーレックスの重低音が結構出る。CDラジカセを購入した。音楽に付いてはこれで充分です。自分への投資なのですよ。そして最近は服に凝っても居る。夏だが今年は冬服。例えば秋口に丁度良いデザインコートやら。冬に着るロング・コートなどが今、売って居るのですよ。私は一昨年からコート類を買い求めてきた。デザイン・コート。アート・コート。チェスター・コート。ロング・ジャケット。スプリング・コート。20年前から持って居るロング・マキシ・コート。レザー・コート。デニム・コート。トレンチ・コート。そしてジャケット6着とまあ、これだけ持って居ればもう何も必要とはしないだろう。ヘルパーのおばさんは言う。「あんた。服に埋もれるよ」確かに6畳一間ですからね。それに此処の処、本を7冊も購入した。今は要約、その内。4冊は読んで居る。勿論金は僅かしかもう無い。可成り無理をして居ると思う。カードで購入して居るのが殆んどだから。5万円の請求が続けて来て居る。こないだのコロナ給付金はこれに当てたのですよ。
私は前はお金は慎重に使って居ました。欲しいものも買わずに居た。そして毎日自分の運命を呪って居た。しかし、昔の自分を思い出した。昔は自分に労働の対価をもたらして居たじゃ無いか?歳を取った訪問看護師が、「〇〇さんは贅沢だ!。生活保護になるのだから自粛しなければいけません!!」と言うから。その気になって居た。しかし、生活保護費は持ち金がゼロで無ければ貰えないのですよ。確かに節約生活を送れば、それだけ生活保護を受ける時期は遠ざかる。しかし....。私は使って居る様で居て、ちゃんと計算して使っては居ますよ。モノと言うものは後で買うにしても今買うにしても同じなのですよ。要するに買って仕舞えばそれで終わるのです。それを先延ばしするから、何時迄経っても終わらないのですよ。勿論金が無い場合は買えませんよ。私は過去。月3万円の小遣いでも自分の好きなレーザーディスクとビデオソフトを購入して居ました。私はまず旅行に行きません。そして最近はよく入りますがジョナサンやらデニーズなどのファミリーレストランには滅多に行きません。それはうちではそう言う習慣が無かったからですよ。私の学生時代は殆んどが音楽喫茶で過ごしました。午後1時に行って。3時頃に腹が減っては380円の焼きそばです。それと後はコーヒー1杯です。食事は家に帰れば夕食がありましたからね。だから太らなかった。大学時代は学食です。きつねうどん。やら、たぬきうどんが30円でした。カレーライスが100円ぐらいでしたよ。1976年当時でしたからね。学食は安いのですよ。これは大学に行った人なら解ると思います。
考えてみれば当時から、ジャズ喫茶やらブルース喫茶などでレコードをレンタルして居て良く。新宿の「サムライ」ではジャズのレコードを借りて居ましたっけ。それをカセットテープに録音するのです。私はこの頃に伊勢丹の裏方で働いたり。東京出版で働いたりして居ました。後。紀伊国屋書店でしょうか。どれもバイトでしたが。ああ、隣町の古本屋で少しバイトした事もあったかな。記憶が定かでは無いけど。だから会社で働いてた時には給料もボーナスも親に其の儘挙げて居たしね。前にヘルパーと訪問看護師にそのことを話したら、「見かけによらず、信じられない」と言って居ましたよ。私の部屋を見て、こんなものだろうと思う人と、贅沢だと思う人とが居るんですよ。贅沢だと思う人は若者ですか?こないだ。デリバリーを取ったら、品物を受け取ってドアを閉めた途端に、「くそっ!!俺なんかより良い暮らしをしやがって!!」と怒って居るんですよね。歳考えてくれと言いたかった。そいつはまだ20代。私は60代だ。私はこの6畳間と5,5畳の台所に入るものしか持ち物がないのですよ。普通はどうでしょうか?家を持って居て。借り家でも。車は最低1台はありますよね。そして子供が居ますよ。私の歳ならもう大学生ぐらいですね。いや、もう成人して孫が居ると思います。私は確かに一見若く見える。だから最近では自分の歳を人に教えて居ますよ。
確かに私の知能レベルは30代止まりでしょうね。それは自覚して居ますよ。私は43年間を棒に振った人間です。nothingですよ。何も無い。若い頃は恋愛もしたし。ミュージシャンか絵の方面で生きて行こうとしました。散々言ってますからお分かりかと思いますが。でも障害者になった。すべてが無くなりました。私の前からチャンスは消えて行った。いつも泣き言しか言わないと思うでしょうけど。私にはもう何も無いんですよ。最近若い夫婦を見ると話がしたくなる。子供が可愛くなる。歳なんでしょうね。それに、此間はまた障害の発作が起きた。幻聴と幻覚の両方が現れたんです。幻聴は私を罵倒する言葉の数々。丁度。近所でも私の事を言って居る人達が居て。2重に聞こえて来る。苦しかった。そして、ぼうーと二つ折にした布団に寄り掛かって宙を見て居たら、そこに人の上半身が2箇所に8秒間ぐらい見えた。しかしどんな状況下に陥っても自分は無くさない自負は持って居ます。それがなければ本当の狂人だ。統合失調症と狂人とは違いますよ。よく人は結びつけて言うけど。それはあまりに医学の知識がなさ過ぎる。最近では統合失調症の書籍は大きな書店に行けば可成りの冊数が置いてありますよ。もはや現代病ですからね。ただ差別をされるのが嫌なだけです。口を聞か無くなったり。軽蔑の目で見られたり。此間見たいに買い物をして居たら。「ほら、あいつよ!!おかしいの。」と言われたりね。嫌うのは構わないですが。本人に解る様に言わないで貰いたいです。もし立場が逆だったらどんな気がしますか?解ってやって下さいね。馬鹿にしたいのは分かりますよ。人は自分より劣った人間を見ると本能的に攻撃したくなったり罵声を挙げたりしたく為るものです。それから最後に、ヘタクソな漫画やらハーモニカ。ギターソロをblog に挙げて居ますがご容赦を。気に喰わなかったりしたら聴かないで下さいね。私は皆さんと上手くやって行きたいのですから。。これからもよろしくね。。。。
Freddie King - Hide Away (Live)
今日は調子が悪いので頓服の薬を飲んだ。。。。
新しいiMac。通称「ヴァイオレット」です。よろしく。。。
今日の昼ごはん「東秀」のタンメンと餃子です。。。
カッコイイ原田芳雄さんです。。。彼がまだ40代の頃かな、、
再び、kiyasumeが高校生の頃に描いた、下手くそな漫画です。。。。
ー映画ー
最近はあまり映画を観ていない。この間、久々に樹木希林主演の河瀬直美監督作品「あん」を観たが、矢張り、いい映画は何遍見てもいいものだ。
【あらすじ】ある日、千太郎(永瀬正敏)が雇われ店長として働くどら焼き屋に、徳江(樹木希林)が自分をアルバイトで雇ってほしいと訪ねてきた。最初はあっさり断った千太郎だが、徳江が置いていった手づくりのあんが絶品だったため、雇うことを決める。徳江のあんが評判となり、一時、店は行列ができるほど繁盛したが、元ハンセン病患者である徳江の指の変形が人々の噂になり、急に客足が途絶えてしまう。客が来なくなった理由を自ら悟った徳江は店を辞めるが、千太郎には納得できない思いが残り……。
映画『あん』予告編
この映画はドリアン助川さんの原作もいいが、何と言っても樹木希林の演技がいい。そして過酷な運命を背負った、千太郎と徳江さんの魂の語り合いが泣かせてくれる。方や自分では不可抗力だった傷害罪を起こして、服役して人生草臥れて居る、どら焼き屋の雇われ店長。また、方や、ハンセイン病患者として世の中から隔離され差別されて生きて来た老人。そして、母親に愛情を掛けて育てられて居ない中学3年生の女の子。この3人の人生模様が映画の中で絡み合う。監督の河瀬直美はその人間模様を、ドキュメンタリー・タッチで描いて居る。私は流石、河瀬監督だと思った。ハンディ・キャメラによるブレた映像。ただ、黙々と語られるストーリー、まさに1級品だ。数年前の「東京タワー、オカンと僕と、ときどきオトンで」で感じた。演技達者が集まっていい演技をして居るのに映画の作りが平凡すぎてイマイチ人生模様の襞が描かれてなかった失敗作に比べたら、遥かにいい出来だ。樹木希林の演技は神々しくもある。もう故人だが、彼女の様に演技できる役者が、どれほど、貴重な存在だったか。そしてハンセン病患者への差別問題はこの作品の大きなテーマだが、『あん』にはもう1つ、重要なテーマが示されて居る。
それは「『働く』とは何か?」と言う問いだ。千太郎は、過去に罪を犯し、そのために生じた借金を肩代わりして貰った代償としてどら焼き屋の雇われ店長をして居る。彼にとってどら焼き屋はやりたい仕事では無い。仕事は自分を縛りつけるものであり、あの狭苦しい店は彼にとってはもう1つの監獄だ。対照的なのが徳江さんだ。長年、社会と隔絶された施設内だけであんづくりをしてきた徳江さんがはじめて社会に出て実に楽しそうに働く様子が生き生きと描かれて居る。千太郎と徳江さんのこの違いは何だろうか。人は、「自己肯定感(自分で自分を認めること)」「自己効力感(自分には何かを成し遂げる力があると感じること)」「自己有用感(自分が誰かの役に立っていると感じること)」の3つが合わさって、自己を確立し、自信を抱くことが出来る。徳江さんにはおそらく自己肯定感はあったのだろう。しかし、自己有用感を味わったことがなかった。いくら丹精を込めておいしいあんをつくっても、それを施設の外で誰かに味わってもらう機会がなかったのだから。自己有用感が得られなければ、本当の意味での自己効力感も得られ無い。
つまり、徳江さんにとって、社会に出て自分の能力を生かして働くことは、自分の人生を、自分の幸福を完結させるために欠けて居た最後の希望だったのだ。私たちは「働く」と言う事を「何者かになるための手段」として捉えがちだ。しかし、「働く」事は決して手段では無い。エモンズが指摘するように、「働く」行為自体が幸福の因子なのだ。
店を辞め、その後に亡くなった徳江さんは千太郎と店の常連だった中学生のワカナ(内田伽羅)に向けて次のようなメッセージを残した。「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても私たちには生きる意味があるのよ」じっと鍋のなかの小豆を見つめ、小豆の声を聞き、小豆を炊く湯気の香りの微妙な変化を感じ取る徳江さんは、あんづくりと言う仕事を通して世界を見て、聞いて居た。私たちは働く事によって、世界に自分が実存して居る事を感じ、自己を完結させる事が出来る。徳江さんが楽しそうに働く姿が私たちに伝えるのは、まさにそれだった。「何者かにならなければ」と言う焦燥感に追われて居る私たちは、そのような仕事の本質、働く事で得られる幸福感を見失いがちだ。働くすべての人たち、そして人を雇う側のすべての人たちもこの本質を見つめ直さなくてはいけない──。作品のラストにかけて、千太郎の仕事への意識は明らかに変わる。徳江さんと共に働いた経験、徳江さんの楽しそうに働く姿が彼を変えたのだ。素晴らしい仕事をする人と同じ職場で共に働く事の大切さも、この映画は教えてくれる。2015年この映画はカンヌ映画祭の「ある視点」部門で上映された。この映画を観たフランス人は、トレボン、トレボンと何時迄も拍手をして居たそうだ。この映画は有名な映画だが、もし、まだご覧になって居ない方が居たら観られる事をお勧めする。。。
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さて恒例の自撮りです。。。毎回こうやって撮って居ますが。自分でもチョツト驚く事があります。それは毎回撮ると、取っただけ雰囲気が違うと言う事です。この事は鏡を見て居てもあるのだろうけど、矢張りこうやって自撮りの写真をblogに挙げて居て居て初めて気がつく事です。年齢も写り方によって年寄り臭く見えたり、反対に若く見えたりします。私は此処2年で可也太ってしまいましたが。顔だけ見ているとそんなに太っては見えません、まあ、いい事なのか悪い事なのか・・・💦
しかし、とぼけたつらしてぇ〜〜。
調子悪いので、ヘタな演奏で毎回同じですが飽きたかも知れませんが。また聴いてやって下さい。
ブルースバンドでのヘタクソなギターソロです。kiyasumeが17歳から18歳当時の音源です。。。
Everyday I Have The Blues / kiyasume - SD 480p
Stormy・Monday
Jazz・blues。
以下ハーモニカ・ソロ。どれも一発取りです。だからミストーンとかありますがご勘弁を。。以前に何遍も挙げて居ますが。よろしく。まだ聴いた事が無い人はよろしくね。
ヘタクソ・ブルースのソロ
ヘタクソな、ハードバップ・ブルース見たいなソロ
ヘタクソなマイナーなソロ
ヘタクソなマイナーソロ。考えながら吹いて居るので纏まっては居ませんが、お聴き下さい。
バロック風ソロとクラシック・メドレー
追伸.....。『レーザーディスクの処分』(_過去記事からの話で参考になる話かも)
2日前から、どうしても、DVDで売っては居なくて、売るのに勿体無いと思うレーザーディスクだけをBlu-rayに焼いて置いた。明日売らなければ成らないので、時間も無かったのだが、数枚を焼いた。思えば、此処30年位、自分を楽しませてくれた。購入の際の記憶が蘇って来る。私はレーザーディスクは、ほとんどが新宿の西口にあった、「ビデオ・マーケット」で購入していた。その店は雑居ビルの一角にあって、初めはビデオ・マーケットという名の通り、ビデオテープを売っていた。アメリカからの輸入ビデオやら中古ビデオを主に取り揃えていた。その後、1983年位からレーザーディスクを置く様に成り、勿論、輸入版も置いてあった。私はほぼ20年間位、要するにレーザーディスクが無くなるまで、購入を続けた。レーザーディスクと言っても、最近では知らない人の方が多いだろう。レーザーディスクの寿命はほぼ20数年間だと思う。日本ではパイオニアが製品化し、1981年(昭和56年)10月に第1号機LD-1000を発売。
日本市場では当初はパイオニアのみが製品を販売し、日本ビクター(現・JVCケンウッド)の開発したVHD陣営と販売競争を繰り広げた。
ビクターはビデオデッキ市場でVHS方式を広めた実績があり、採用メーカー数では13対1と圧倒的に不利だった。映像ディスクはビデオデッキと違い再生専用で録画が出来ない事から、当初はビデオデッキよりも高画質を求めるマニア向けの規格となった。そのため、水平解像度が240本程度だったVHDに対し、レーザーディスクは400本以上と画質面のアドバンテージがあったことに加え、ピックアップがレーザーによる非接触式のため、プレーヤーで再生した事が原因のディスクの劣化が無いことから、レーザーディスクの方が圧倒的に優勢だった。さらに、コンパクトディスク(CD)とのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットによって、一般層にも普及した事から、結果的に規格争いに勝利した。VHD陣営のメーカーも参加して開発した音楽CDの量産技術が、同じ光ディスク方式であるLDの技術とコストの問題を解決させ、LDを勝利に導いたと言う。まあ、私は1980年代の終わり頃から購入し始めた。2000年代にDVDが登場するまで買い続けた。しかし時代には逆らわれず、レーザーディスクの時代は終わった。明日、愛蔵していた、レーザーディスクとはお別れです。。。
処分したレーザーディスクの数。約640枚ほどでしょうか、、、
そして次の日、業者がレーザーディスクを引き取りに来た。随分と横暴な50代の男だった。大体が段ボールを送り付けて来て全てその中にレーザーディスクを入れて置けと言うのだ。段ボールは全部で30枚程送り付けて来た。そして電話で頼んだ際にこう言うのだ。「あんたさぁ、、レーザーディスク・プレイヤー壊れてないの持っているの?」続けてこう言った。「壊れていたら引き取らないよ?」だから「壊れていませんよ、ああ、2台持っているから1台は壊れていますけどね?」そう言ったら、ニヤ付いた声で。「それからさあ、最低限100枚単位じゃないと引き取らないよ!!」私は言いました「640枚は持っていますけど。」そうしたら、「それじゃあ、ダンボール30枚位送るから、それにきちんと入れて置いて!!」そして引き取りの日に息子と共に来て、ロクにレーザーディスク・ソフトは見ずにレーザーディスク・プレイヤーを再生するからと言って息子に、箱に詰めてある映画のソフトを1枚持って来させて、再生し20分ぐらい観ている。その映画ソフトは稲垣 浩監督作品のピカレクス・ロマンの映画で、あの宮崎駿が「ルパン三世/カリオストロの城」で真似た映画だ。
主演は三船敏郎の冒険活劇だった。そうしたらレーザーディスクの帯に円谷英二特撮と書いてあったら。息子に「お前よく知って置けよ。この映画はな、あのウルトラマンの円谷英二監督作品だぞ!!」と言うので。私は「違いますよ。監督は稲垣 浩監督で黒澤明と一緒に山本嘉次郎監督に弟子入りした監督さんですよ」と言ったら。憮然として黙っている。そして、こう言った「この機種はDVDも見られる様だから何か1枚貸してくれ!!」私は適当に選んで渡したら30秒ぐらい再生して、こう言う「処で壊れているレーザーディスク・プレイヤー、あるそうだけども....。それ持って行くので寄越してくれない?」だから渡すとこう言った。「リモコン1台500円になります。2台あるから1千円。そしてプレイヤーが壊れてない方が2千円。壊れている方が1千円。そして、レーザーディスクソフトが640枚で全部で4千円ぐらいになります」だから合計8千円になります。ですが、、出張費と手数料が込みで8千円掛かります。」
「だからどうでしょうか、私は売り手に金出させたくないから。チャラにしませんか?」私は「この野郎!!初めから金など払う気なんざ無いのだろう!?」と思ったが。仕方が無いと思っていたら。こう言うのだ。「お客さん。私らが引き取らなかったら、粗大ゴミで出すしかないよ!!」だから私はこう言った。「そのレーザーディスク・ソフトもプレイヤーも大切に使っていたものだから。誰か欲しい人の元に渡って。その人が大切に見てくれればいいのですけども?」そう言ったら「このプレイヤーは私の店で中古として売るし。壊れているレーザーディスク・プレイヤーも私が直して、それも中古で売るしねぇ。レーザーディスク・ソフトは買いに来る業者がいるんだ」だから言った「と言う事はまた誰かのもとに行くと言う事なのですね?」そうしたら「まあねぇ〜〜!!」と言うのだ。
私はクリーニング・キッドも渡したらこう言う「要らねえよ!!そんなもの!!」その時に私は言った。「あなたが要らなくても。このソフト購入した人が必要でしょ」そうしたらニヤ付きながら。それも息子に代車に乗せて、エレベーターでマンシヨンの1階まで行き。台車からワゴン車に乗せていなくなった。嫌な野郎だった。最近はリサイクルだとか言われても絶対に連絡は取らない方がいい。ただで持って行かれるか、反対に引き取り料を取られるから。ろくな商売じゃないな。まあ、人の足元を見ている様な野郎どもは死んだ後。どうなるかなぁ、と言うよりも生きているうちでもどうなるか?年取ってから良い事は起こりはしまい?人を足蹴にしている野郎はいずれは誰かに殺されるとかロクな死に方をしないものです。メルカリで売るのが一番ですよ。後はYahooオークションかな。DVDなんかやCDですら売る段階になったら1枚よくて200円ぐらいですから。
この話は2019年の暮れの事です。。。。
さあ、今回は殆んど過去記事からの転載です。一度読んだ人もまだの人も読んでくれましたか?それではまた次回更新出来たらお逢いしましょうね。それでは、また。でわでわ.....。