散策で見つけた、喫茶店「ig」
Eric Clapton - Double Trouble
或日、母が「〇〇大変だよ!」と慌てて私の部屋までやって来た。何と弟が私の銀行の口座から私になりすまして200万を引き出したと言うのだ。母には「いやぁ〜〜銀行員に、あなたは本当にこの通帳の持ち主の〇〇さんなのですか!?と厳しくってなかなかお金を下ろすのに手間取ったよ。」と言ったと言う。私は、まさか信じて居た弟に、200万もお金を取られるとは夢にも思って居なかった。やはりバカ親父の血筋が成せた事だろう。弟は悪びれる様子もなくその後も実家に来ては世間話をして帰って行った。勝手に人になりすまして降ろした金の話は一切しなかった。此処で少し詳しく弟の経歴を言って置く。弟は杏林大の医学部を卒業した。そして義理の兄貴の推薦もあり医局は眼科に入局した。しかし弟には合わなかった。教授やらの兼ね合いやら義理の兄貴との軋轢などで、とうとう弟は家出をして医局を辞めてしまった。
それから、家族、皆んなで弟を探した。そしたら品川の病院に居る事が解った。弟の友人たちはもしかして新興宗教にでも入ってしまったかと慌てて、空港などの飛行機の搭乗名簿などを調べて、乗って居ないので私の職場まで電話を掛けて来て知らせてくれた。私は安堵し、つい口から「飛行機には乗っていないようだな・・・。」と呟いたら側の机に座っていた。菅原留五郎という男が「けっ!飛行機だなんて贅沢しやがって、大体がボンボンブリやがって気に食わない!!」と絡んで来た「旅行の話をしているんじゃないんだ!!」と言ったら要約黙った。その男は東北から歌手を目指して東京に出て来たとか言って居て、この手のバカが如何に多いか、音楽業界の仕組みも知らずに。。。まあ、それ止まりの男だ。
私が以前に「マカロニ・ウエスタンのすべて」と言う本を机の上に置いて読んで居てトイレから出て来たら、破いてあった事がある。そいつがやった事は明白だった。そう言えば親父も石原裕次郎が嫌いだった。矢張り理由は「ボンボンブリやがって」と言う事だった。私はこう言う事を言う人間を見ると無性に腹が立つし軽蔑する。そう言う事を言う人間を正直言ってぶん殴ってやりたく成る。人間誰しも良い環境に辿り着けるとは言えない。だからなんだ!!辿り着けないのは自分の努力が足りないせいだろう。親が金持ちだったからそこのボンボンだから、それが自分と何が関係して居る。人は持って生まれた血筋と言う物もあれば、頭一つで、または体一つでのし上がって行く男も居る。「ボンボンはきれえだ」という言葉は、たんに悲願で居るだけの男としては最低な人間だ。
親父の会社に入った時に駄菓子屋からこの会社に入ってきた人間に「〇〇ちゃん、大学さはどう言った事を教えるのか、おらさに教えてくれや?」と言うので「いろいろ複合的に勉強しますよ。経済学から。思想から。金融論から。外国語から」と言ったら。「おらさはそんな事聞いても解らない、具体的にどんな話を聞くのだ」と言われ、、殆困り。「まあフォード社での工場での車の作り方とかね、、いろんな話、経済、経営に関して幅広く聞きますよ」と言ったら「そんな車のしかも外車の作り方なんて学んでも専務に言って見ろや相手にされないぞ!!」と言うので「たとえでしょう?」と行ったら「おらさはあんたが大学行って居て乙に済ましているから嫌いなんだ!!」と言うので「解らない人にな!!大学の話を聞かせても解らないんだよ!!。あんた小学校もまともに出ていないんだろう!!」「せめて中学まで行けて居ればあの当時は金の卵と持て囃されて職もあっただろうに・・・。」「おらさは勉強が嫌いだった」「だ、か、ら、それが俺とどう言う関係がある!!」と言ったら「そうさ、どうせ〇〇ちゃんは大学行ったんだ、、」と言うので・・・こっちが怒りが込み上げて来た。
顔は大分太って居ますね・・・・パーマが取れて来て居るなぁ。。。。
結局弟は実家に帰って来て品川の病院に勤務しながら順天堂大学の麻酔科と昭和医大の大学院を出たのだが、その時、大学院で論文を通す時に教授に金を渡さなかった為に、なかなか論文が通らなかったらしいのだ。教授は論文を通す時に必ず賄賂を要求して来る。それで200万円の金が必要だった見たいだ、でも弟は一言も理由を言わない。私が「そうなんだろ?教授に渡す金だったんだろ」と言うと「必ず全額お返し致します」としか言わなかった。
私は「返さなくてもいいよ。ただ、残念なのはな、何で一言貸してくれと言えなかったんだ。貸さない俺では無いだろうに」と言った。そして弟は名古屋の病院に勤務になった。当時はパソコンがブームになって来て居た。その頃、私はウインドウズ95やらマッキントッシュ・パソコンの隆盛をただ黙って見て居るしかなかった。所詮自分にはパソコンは使えないし、縁の無い物だと思って居た。すると或日、大きな箱が宅急便屋から送られてきた。「何なんだ?」と思い開けてみると当時の最新鋭のゲートウェイのデスクトップ型のしかも高級機種のパソコンだった。私は驚いた。差出人を見てみたら弟からだった。するとその週の病院が休みの日に名古屋から実家まで来てくれて、パソコンをセットしメールアドレスなんかもプロバイダーと契約してくれて居て。「これで使えるよ・・・」「これからはパソコンが出来ないと後れを取るよ」と言ってくれた。私は感激した。
そのパソコンは当時60万近い金額の機種だったからだ。音声はスーパーウーハー付きのサラウンド仕上げだった。「お前、無理してこんなに高級なパソコンをくれるのか?」と言ったら弟は微笑んで居た。そして、それから6年後、パソコンも型崩れを起こして最新鋭のOSがインストール出来無くなって困ったな?と思って居たら。また、名古屋から宅配便で大きな箱が届いた。中を開けて見ると、今度は当時最新鋭のデルの据え置き型パソコンだった。これも60万ぐらいはする最新鋭の機種だ。また、弟が病院の休みに実家まで来てくれて、セットアップしてくれた。私は弟に聞いた「パソコンをただで貰えるのは嬉しいけど。こんなに高スペックなものは必要ないよ?」と言ったら、
弟は「兄貴は映画とか好きなんだから動画を取り込んだり、CGを勉強すれば良い」と言う。しかし、私は病身の身だ早々思い切っては出来ない。まあ、弟はやる事が派手だったのだ。その後、新宿の紀伊国屋書店の哲学書売り場で本を立ち読みして居たら、後ろからポンと誰かが肩を叩く、振り向いたら弟で、食事に行こうと言う。インド料理を食べながら話して居て、私はふと弟に「お前、先生になりたいんだろう。せめて大学の助教授か講師に・・・」と言ったら「実はそうなんだ。今、母校の杏林大学の名誉教授とその事で話して居る」と言う。「矢張りな、お前らしいよ」と言ったら、「近直、結婚を考えて居るから」と言って名古屋に帰って行った。
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う〜〜〜〜〜む。何故か乱雑に見える写真.......。
そして結婚した。相手は広島の女の子だった。看護婦さんだった。笑顔が気に入ったと言って居た。そして芸能人が経営するマンションで暮らし、ミニチュア・ダックスフンドを飼い。免許は取っては居たが。嫁さんが車の運転がうまかったので、何時も嫁さんが運転して居た。しかし、その芸能人が経営するマンションは舞台の稽古場にするとかで、出なければ成らなくなり。田園調布に家を買った。そして子供が3人生まれた。しかし母はその頃から認知症特有の冗談を言う様に成って行った。一時は弟も考えて実家は3階建の基礎工事が入った家だったから3階を立てて、そこに私と母を住まわせて1階と2階を自分らが使うと行って居た時期もあった。処が嫁が反対した、「お母さんの食事は作れても、なんで私がお兄さんの食事を作らないといけないの!?」と言い出したのだ。その話を聞かされてやはり他人は他人だよなと思った。
私と母は2人で十分に自活する気で居たからだ。まして私の食事を作るのが嫌だ?そりゃそうだろうよ。私と結婚した訳では無いのだし、しかし嫁にはもう少し利口に成って貰いたかった。元来私は女性が好きになれない。いや正確に言えば男だから女性は素敵に見えるし魅力も感じる。でも一緒に生活するのとは別物だ。よく楽しいのは恋愛中だけと言う諺があるが、私もなんかそんな感じがする。しかし最近、私には妹が出来たけどね。現に弟は離婚をした。離婚をして、フランスの学会に行ったら、そこに同じく出席して居た女医のフランス人の女の子と気があったらしい。婚約を約束して居たらしい。そして弟は私が発作を起こすと姉さんと2人して私との縁を切った。
私に母が貯めて居てくれたお金をくれた事が理解出来ずに、「貴様が親から何であんな大金貰えたんだ。ぶん殴ってやろうか、バカヤロー」と殴り込みの電話が弟から掛かって来た。母がくれた金額は1千万円だったが。そのうち開けは760万円は、私が財形貯蓄で貯めたお金だった、母はそれに240万を足したお金を私にくれたのだった。それから3ヶ月後弟は死んだ。姉さん達はただ死んだとしか言わないので私がキレて「一体死因は何だ!!信じられるか!!」とケア・マネージャーを通して言ったら。葬式での祭壇を写した写真と死亡診断書のコピーと遺影の写真とそれを入れるケースが送られて来た。弟はもうこの世には居ない。最後になって、私を姉夫婦と共に統合失調症と言う事で毛嫌いして。まさに怒声の電話を掛けて来て死んで行った。48歳の人生だった。。。
処で、ボンボン育ちは嫌いだと言った菅原留五郎はある日私にボンボンぶりやがってと言って首を思いっきり絞めて来た。もう少し強かったら、金タマを蹴り潰してやろうかと思ったぐらいだ。しかし、こいつは結局会社の集金の金を盗んでクビに成った。そして以前にも書いたが、従兄弟側に着こうと画策した小学校しか行って居ない男は。意地汚く人が食べて居る食べ物を、食い散らかして居たせいか。筋萎縮性側索硬化症に罹り、彼もまた病気が悪化して死んで行った。親父も死に。
共同経営者だった親父の兄貴も多分死んで居るだろう。ゆきかずはもう70代だ。けんじは頭にゴルフのボールが当たって痴呆状態だ。だから一体私は誰を恨めばいいのだ。私が何をした・・・。主治医は最近は言わなくなったが。たまに私を試すのか、揶揄うのか、此間だも「へっ。身長が170センチも無いのか、、」「ああ〜診断書書いてやるよ〜。それ持って生活保護課に行ってみればぁ〜ケッ!!」と嘲笑う。此間来て、流石におとなしくして居たが「何よ、そんな弟なんかの、遺影飾らないでよ!!」と言った訪問看護師さん。私はあんたの事は一生忘れないよ。
何故、人は、自分と他人を比べるのか、人は人、自分は自分と何故思えない?私は今の処。訪問看護師の女の子たちやら、ヘルパーのおばさんと話して居る。何時も私から積極的に話す。しかし考えて見てくれれば解ると思うが、相手は仕事なのだ、恋人でも姉妹でも無い赤の他人なのだ。あくまで私は病人として観察されて居るに過ぎない。そんな事は解って居る。だからお互いにカチンと来る事がある。でも前の訪問看護センターの看護師たちよりはいい。前はいい様にやられた。まず初めに来た人が近所の人でゆきかず、けんじが近所に嘘をばらまいて居て。それを信じてうちに来て、何もしなかった。ただ来て1時間半コーヒーを飲んで世間話をして居るだけだ。私が怒ると、「な〜にが、けっ!」と言うのだ。そして隣の部屋に脱いであったパーカーなどの服なども盗られたし、、、
6万8千円かするお気に入りのブレザーも盗られた。次にその女が連れて来たのが、子連れの女の子で来た早々「どこの銀行に金預けてんの!!」「支店名は!!」と叫ぶのだ。最後に来たのがまだ20歳そこそこの子で。話して居て萩尾望都の「ポーの一族」の単行本を貸してやったら破いて返して来て「カバンの中に入れてんだから破けるの当然でしょ、何か文句あるのか!!」と謝る処か開き直る。私は又しても若い女が大嫌いに成った。その子に高校時代のバンドの演奏のテープを聴かせたら始め音がずれたら「あははははは!!」と大声で笑われた。私は若い女の子は大嫌いだ。しかし、これは今もだろう。私は話す事ももう無いのでよくバンド時代のテープを聞かせるが大方はよく思って居ないに違いない。それに私がBluesharpを吹いたりして居る事やら。ロックの話をするのも恩着せがましく思えて嫌な様だ。
彼女らは私が自分らと数十歳も歳が離れて居るという自覚がまるで無い。普通は年上はそれなりに見るものだが、何故なら、学業はともかく、生きて来た年数を重ねた重みがあるからだ。20代後半やら30代、40代初めの女と60歳代になる男とは生き方もライフスタイルも物の考え方も違うのは当たり前だ。私はもう話す事など何も無いのだ。人が昔の事を話しても聞いて居るのか居ないのか。あくまで患者としてだけとしか見ない。だから私も自分の調子の事しか最近は話さないようにして居る。しかし、今度はそれはそれで嫌がるのですよ。処置無しだ。
そのくせ、私がコートやら上着を買って鴨居やらに掛けて居ると「又買ったんですか?」と聞いてくる。所詮他人だからね。しかし私は歳成りきの格好は一切しない。若作りで行くつもりだ。生きてもあと14年ぐらいだ。せめてお洒落にして死んで行きたい。。。姉に6年ぶりに電話をかけた時、「あのねぇ!!。電話は掛けないでよ、あんたなんかより私の方が先に死ぬわよ!!。こっちは毎日、旦那とおばあちゃんの入居費の事で喧嘩よ!!40万も払ってるのよ!!」と言われた。普通、死にかけた弟から電話が掛かってきたら、具合はどうだと聞くのではないか?今更心配してくれとも言いたくは無いけど。しかし何で入院費とか?施設代がそんなに掛かる処に入れて居るのだ?事情は私には何も言わないではないか!?
処でショーケンは最後にあんなにいい奥さんを貰って居たのですか・・・・
内田裕也は樹木希林に連れて行かれたと思うが。。。。。
それから毎日眠くて仕方がない。1日眠たい。大体が訪問看護師が来ない日は昼の12時まで寝て居る。さっきも12時頃に、まだ眠たかったが、いい加減に起きないとと思い起きたら。頭はフラつくは 、足がもつれて転びそうになるは、この間は近くのコンビニまで歩いて行ったら横を走って居た車と接触しそうに成り、クラクションを鳴らされて、要約、踏み止まったぐらいだ。今もだるくて眠い、すべて薬が強すぎるせいだ、診察日は一昨日だったので、睡眠薬を全部外して貰った。薬剤師が今回の睡眠薬が処方された時に、「物凄く眠くなるので気を付けて下さいね」とは言っては居たが、一日中眠くなるとは思わなかった。
前にもこの薬物凄く太るからと言った。薬剤所の私担当の薬剤師が他の薬剤所に左遷になったが。今回、物凄く眠くなるので、気をつけて下さいと言ってくれた子も居なくなった?医者は患者が飲む薬を医大時代に飲まされては居るが、症状があって飲むのと何も症状が無くて飲むのとは違うのだと思う。私は大学受験の時に地理を塾から派遣された先生に教えて貰って居たが、その人曰く、アメリカでマリファナとコカインを吸ったそうだが、マリファナはいい気持ちになったが。コカインはすごい効き目で自分には何でも出来ると思ったし、現実に途方も無い事が出来たそうだ。
また病院に入院中にコカインをやって入院して来た男が居て、その男はバンドをやって居るボーカルで、またライブハウスで働いて居た事があったそうだが。ある有名バンドがライブ打ち上げで、ケーキの中にコカインを大量に入れて食べて居たそうだ。そいつが言って居たが、今はライブハウスでは立川から向こう方面は麻薬で全滅だと言って居た。最近も前にあるミュージシャンが此間保釈されて頭を下げて居たが、一度麻薬をやるとその効果を持続したく成り、辞められなく成る様だ。しかし、これもだらしがない話だ。薬でしか作曲やら楽器演奏が出来ないとはね。
あのGACKT君は「僕なんか薬なんか飲まなくても脳内麻薬はただ漏れだぞ?」と言って居たっけな。そう言えば私の同級生だった友人で、ヘビメタのバンドでリードギターを弾いていた男は。麻薬をやっておかしくなり、数年間も精神病院の独房室に入って居たらしい。年が私と同じなのだから、もう今は60歳代に成るのでバンド活動はして居ないだろうが。その男はライバル心が強く、私がバンドでビバップ調のブルースを演奏したのを聴いて。自分は負けたと家出をしたらしい。当時のベーシストから聞いた。私は私だ、誰に胡散がられようが邪険にされようがバカにされようが私は私なのだ。ただ、今の状態、生活保護がどうなるのか?。調子が悪すぎるでは二進も三進も行かないから困って居る。
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「ケインズとハイエク論争」
ケインズとハイエクは、一般にはそれぞれが景気対策としての財政・金融といったマクロ経済政策による市場への介入を是とするか否とするかを唱えて対立したライバルとみなされて居る。またもう少し現代の主流派経済学に通じた言い方では、両者の相違は異時点間の資源配分にかんし、合理的な選択を行うと言うミクロ的な基礎付けを無視するか直視するかと捉えられる事もある。さらには両者の資本理論と金融政策を知る人であれば、不況時に裁量的な金融緩和を認めるか金本位制のルールを厳守し企業の閉鎖も看過すべきかで対立したと言うかも知れない。
けれどもそれらは両者の一時期の議論に焦点を当てた理解であったり、経済人の合理的選択と言う新古典派経済学に過度に引きつけた解釈である。今回はそうした観点から、ケインズとハイエクがそれぞれ初期から晩年までに辿った思想的な挫折や転換といった経緯を辿り返し、そこから共通点と相違点をさぐり、「自由」をどう捉えたかを論じるものである。
ケインズとハイエクにとって、容認する「政府の大きさ」は副次的な問題である。両者には、不確実な将来に向けて貨幣を投資ないし消費しようとする意思決定をマクロで論じ、景気変動を裁量的な政策で平準化させようとしたケインズと、ミクロで扱おうとして、市場経済だけでは自律性を論証出来ない事から、慣習法の必要性を悟った後半生のハイエクと言う様に、市場経済をマクロで捉えるかミクロから理解するかと言う違いがある。ハイエクからすれば、「マクロ」を市場の分析単位とする事そのものが市場への介入の第一歩である。
彼らはともに将来を新古典派のようにリスクではなく不確実性で捉え、それゆえに物々交換ではなく貨幣が媒介する市場経済を考察した。貨幣で商品は買えるが、商品は必ず売れるとは限らない。将来に何が起きるか分からないと言う意味での不確実性が高まると、貨幣を売れるかどうか分からない商品と交換しようとする人が少なくなるのが「流動性の罠」であり、ケインズはそうした危機において政府が財政政策によって商品を購入すべきだとした。一方ハイエクは、金本位制、後には民間銀行が通貨を競争的に発行すると言うルールおよび慣習法のもとでは、そもそも流動性の罠は生じないとした。両者は対立したと言うよりも、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したと言う解釈である。
ケインズとハイエクは社会政策全般を様々に説いて居るが、それは以上様な市場経済像を前提とするもので、そこから慣習と変化、政策と自由のあるべき組み合わせ方、すなわち保守主義・自由主義・民主主義を展望して居る。
ケインズVSハイエク
政府介入は是か非か
大経済学者が大げんか
J.M.ケインズ(1883~1946年)流の財政・金融政策で効果を出すには、「ハーヴェイロードの前提」と言う大きな条件が必要である。名付け親はケインズの弟子のロイ・ハロッドだ。
ハーヴェイロードはロンドンの上流知識人が多く住む街だ。つまり、裁量的な財政・金融政策は、民間の一般人より賢明で合理的な判断ができるエリートが行うことが前提条件だと言うのだ。
こうしたケインズ経済学に対して激しく論争を仕掛け、長年にわたって反論を続けたのがF.V.ハイエク(1899~1992年)である。
ハイエクは急進的な自由主義、つまり完全自由主義者(リバタリアン)である。三つの経済思想で言えば、右側の新古典 / 派・新自由主義からさらに右へ突き出た存在だった。
ウィーンの貴族出身で、第1次世界大戦の兵役後、母校ウィーン大学講師を経て1931年にロンドン・スクール・オブ・エコノミックス教授となり、約20年間勤務する。この間にケインズとの論争が続いた。三つの経済思想の真ん中に位置するリベラルのケインズと、右に振り切れたリバタリアンのハイエクでは激突するばかりで、殆んど大喧嘩である。
坪井賢一 著
(ダイヤモンド社 1600円)
2人の論争はハイエクの著書『ケインズとケンブリッジに対抗して』にまとめられて居ます。
ハイエクのケインズに対する論点ははっきりして居た。ハイエクは基本的に、合理的では無い人間が合理的に経済を計画する事は出来ないと言う。経済は自生的に形成される秩序であると語り、公益のために中央政府が介入し、統制する集産主義を批判した。
ハイエクは長命で、ケインズ没後の1950年にシカゴ大学教授、62年以降はドイツ、オーストリアの大学に勤務し、74年にノーベル経済学賞を受賞。92年に92歳で天寿を全うして居る。
老朽下宿で四畳半の部屋を借りて極貧生活を送る大山昇太を主人公とし、彼を取り巻く人々の生活を描いて居る。昇太の「上手くいかない、情けない若者の姿」が笑いと共感を呼び、本作は松本にとって初の大ヒット作品となった。
世界各国で出版されている同作者の主力となって居るSF作品とは異なり、日本の集合住宅である四畳半部屋の住人を扱った『大四畳半シリーズ』の1作品である。本作は作品に描かれて居る人々の情や主人公の意気込みを描いた、人情味あふれる描写が特徴である。
また、この作品は、本郷の山越館に下宿して居た松本零士本人の回想録であるとみなされる場合も多く、作者の人間観を強く現わして居る作品と考えられる事もある。スター・システムを採用して居る為、よく似た・もしくはほぼ同一キャラクターが他作品にもしばしば登場する。その結果、貧しいながらも誠実で、大抵は空腹ながらもエネルギッシュな、しばしばボロゆえの乱暴さとバイタリティーをもったキャラクターが各々の作品に登場して居る。
松本が本郷三丁目の下宿生活中にインキンタムシを患い、薬局のすすめで「マセトローション」と言う薬を使うと嘘のように完治した事から、「これを皆んなに知らせるべきだと。それまではただ『面白い漫画を描こう』とそればかりで、『何のために』が抜けて居た」と気付き、本作を執筆するに至った。のちにマセトローションを製造販売する湧永製薬(当時は薬品)の依頼により製品パッケージイラストを担当。昇太とトリさん、女性キャラの横顔が描かれて居る。
若い読者からの反響が大きく、男性のみならず女性読者からも手紙が届いた。その中に森木深雪という名の女性がおり、宇宙戦艦ヤマトのキャラクター・森雪のネーミングに由来する。
松本によると「正直こんな漫画が売れるとは思わなかった」と言う。なかなかヒットに恵まれず、しかし週刊マガジンと言う大きな舞台で描く事になり、半ば開き直って執筆を開始した。主人公が久留米出身の短足眼鏡であったり、ラーメンライスを好み、インキンタムシに苦しめられ、押し入れのパンツにキノコを自生させるなど、自身の体験談を元に描かれた自叙伝的な漫画であるが、ギャグとペーソスを交えた昇太の姿を執筆するうち「自分もこの様な体験をして居る」と多くの読者から似たような情けない男の体験談が寄せられ、それが多くのエピソードのヒントになったとインタビューで述べて居る(デートでオーケストラのコンサートに行った際に眠くなり、隣の彼女にばれない様に片目だけ閉じ、次に席を入れ替わってもう反対側の目を閉じていた等)。
ただ執筆を続けて行くうちにどんどん話が広がって行ってしまい「話が無限大になってしまった」事から、「ケジメが付かなくなる」として松本の方から編集部に「連載を辞めさせてくれ」と打ち切りを申し出たという。松本によれば自分から連載打ち切りを申し出たのはこの時が初めて。
80年代に一度実写版映画化の話があったが、主演の予定の配役が「郷ひろみ」だったため、原作者の松本が「郷さんに恨みはないが」と前置きした上で、「昇太はいつも郷ひろみのような二枚目を『ちきしょーちきしょー』とくやしがって居たのにそれじゃあ、あまりに昇太が可哀相だ」と納得しなかった為中止となった。しかし、同じく『大四畳半シリーズ』の1作品である『元祖大四畳半大物語』が1980年に実写映画化されている。
時は1970年代、場所は日本の東京、文京区本郷。
「無芸大食人畜無害」を信条とし、貧しくも概ね正直に浪人生活を送り続けるチビでガニ股・ド近眼・醜男・サルマタ怪人とまで呼ばれる大山昇太の周囲には、なぜか様々な女性があらわれては通り過ぎてゆく。彼の部屋の押し入れにはパンツが山積みとなっており、ろくに洗濯もしないため、雨が降ればサルマタケと称するキノコが生えるほどの状況で、あまりの貧困ゆえにサルマタケも食用にされる。珍しく親密になりかけた女性が現れても寂しい結末が待って居る。新しいバイトが決まればことごとく失敗し失業を繰り返す。悲惨極まりない日々を過ごす不器用な昇太だが、案外前向きで逞しく、狭い自室を「大四畳半」と形容し、大家の老婆に叱咤され、同居する謎の鳥「トリさん」に愚痴をこぼし、好物のラーメンライスにありついては世話になるラーメン屋の夫婦に励まされ、いつか故郷に錦を飾らんと自身を奮い立たせる。
大山昇太(おおやま のぼった)
- おいどんという一人称をつかう主人公。下宿館の2階の西向き四畳半の部屋に住む。はっきりとした年齢は分からないが、物語終盤で「おいどんももう若くない」とされている事から、作中では十代後半~二十代後半くらいまで進行していると考えられる。故郷は九州。中学校を卒業した後に東京に移り、アルバイトをしながら高等学校の定時制の課程の夜間部(夜間高等学校)に通って居たが、勤務先の工場をクビになった際、中途退学してしまう。それでもめげずに学校に戻ろうとして居るが、状況は日々の生活を送る事で精一杯の様だ。
- ストーリーの最後にほぼ必ず「トリよ、おいどんは負けんのど!」と言う。それにたいしてトリさんは「なーにか」と返事をする。トリにしか心情を吐露する事が出来ない彼の孤独感を強調しストーリーを締める。生活に困窮すると馴染みの中華料理店「紅楽園」でアルバイトをさせて貰う事もあるが、決まって丼に親指を入れて配膳してしまうため、店主からも客からも訝しがられて居る。
- 下宿館には風呂があるが殆んど入浴せず、自身がインキンである為に水虫の治療薬に詳しく、自他共に認めるインキンのオーソリティであるが、それが生活の足しになった事はない。夏場は蒸れてインキンが悪化するため、下宿内ではランニングシャツとサルマタだけでうろつく事があり、新しく入った若い女性下宿人には些か不評だが、しばらく住んで居る女性下宿人には殆んど気にされて居ない(むしろ同情される)と言う「人畜無害」ぶりである。作劇の都合上、多くの美女と接点がある。
- 作中では明言されていないが「ぴーぷる最前線松本零士」(福武書店)でのインタビューによれば漫画家志望とある。また、『ハーロック』などに登場するトチローは、遥か未来の子孫とのこと。なお、「男おいどん」9巻に収録されているエピローグ読み切り「遥かなる前世紀」では子孫として大山降太が登場して居る。
- 下宿館のバーサン
- 下宿館の所有者(家主)であり、管理人でもある。ほうきや包丁を振り回したりと、かなりパワフルな老婆であるが、人情家でもある。死別した夫(風邪をこじらせたらしい)が居る。また、姪である沖野奈美が作品後半に下宿館に入る。大山昇太の家賃の支払いは滞って居る様であるが、追い出そうとはしないで、逆に空腹や風邪で倒れた大山に卵酒や食べ物を与えたりもして居る。
- 人の頭ほどと言う、凄まじい大きさのステーキを焼いた事もある(大山のリクエストによる「タテだかヨコだかわからんビフテキ」)。
- 紅楽園のオヤジ
- 妻と中華料理店「紅楽園」を経営して居る。大山昇太の好物は、この店のメニューにもある「ラーメンライス」。なお、この作品のあと、同名のインスタント食品が複数のメーカーから発売されて居る。人情家であり、しばしば大山昇太にはアルバイトを提供したりもする。感動したり同情させられた場合には、オゴリと称してラーメンにライスや卵を付けるなどして居る。同店の経営状況は「繁盛せず、しかして潰れもせず」だが、近所の労働者(ブルーカラー)層にも人気がある。
- トリさん
大山昇太の部屋にいる鳥。松本零士の漫画によく出てくる特徴的な姿をした鳥である。下宿館の住人だった浅野さんが海外の船乗りから譲り受け、大山昇太に譲られた。オウムや九官鳥の様によくしゃべるが、かなりがらが悪い奇声を発する。飼い主の本音の代弁(本人の独り言の真似)をしたり、雨漏りに濡れた飼い主のパンツを見て「寝小便」と騒ぎ立てる事もあった。飼い主の当初の目論見は「非常食」であり、頻繁に「食うど」と脅される。サルマタケとインキンの薬が大好物と云う悪食で、しばしば飼い主と食べ物の奪い合いをする。この他にも大山昇太はしばしば「非常食」と称して野良猫を飼うなどして居たが、交通事故で死なせるなどしており、作品を通して飼われ続けたのはこのトリさんだけである。
作品には入れ替わり立ち代りヒロインが現れる。大山昇太は必ず新しく登場して来たヒロインを好きになるが必ずふられる。第1話から最終章までこの種のエピソードが大半を占める。ヒロインたちの容姿や性格はどれも似通っており、エピソードの後半になると見分けるのが難しいほどである。おおまかにその特徴をあげると、1.スラリとしたスタイル(作者の好み)2.腰巻のようなミニスカート(当時の流行)3.性格はクール(作者の女性観)。以下第1話から順に登場したヒロインたちを紹介する。
なお、これ以外に森木雪子、沖野奈美(下宿館のバーサンの姪)も容姿や性格の似通った下宿人であるが、この二人は出番が少なくおいどんとの関係もないため、ヒロインとは言い難い。
- 伊藤朝香
- 昇太が働いている工場で事務をしている。昇太に好意を持っていたが、故郷へ帰って結婚した。結婚して子供が出来てからも、二度ほど下宿館を訪ねて来て居る。
- 秋山さん
- 昇太が通って居る夜間高校の同級生。昇太を膝枕してくれたり旅行に誘ったりしてくれるが、男として全く相手にして居ない。
- 紺野由紀
- 昇太の下宿に引っ越してきた女子大生。昇太に彼氏のグチを聞かせておいて、よりが戻った途端引っ越して行った。
- 浅野さん
- 紺野さんに代わって下宿館に越して来た。北海道釧路出身。会社勤め。彼氏あり。トリさんのもとの飼い主。昇太が心を寄せている事を知って、引っ越す時もなにも言わずに出て行った。後に妹が下宿館の別の部屋に入った。
- 西尾令子
- 浅野さんに代わって越してきた下宿人。練馬美大生。彼氏あり。七人兄弟の末っ子で、家の経済事情により大学も辞めて、田舎へ帰った。
- 黒田美代子
- 西尾さんに代わって越して来た下宿人。神田大学の学生で、同級生の彼氏あり。実家は自由が丘の高級住宅街にあり、親に見合いをすすめられて困って居る。
- 中原薫子
- 黒田さんの後の下宿人として森木雪子が入って居る時期に、一階の部屋に入った下宿人。東京の下町に実家があり、男兄弟が多数いる模様。やがて下宿を出て彼氏のいる京都に引っ越した。なお、中原さんが下宿館に来る以前に、自殺しようとして居た「薫子(のぶこ)」と言う女性を昇太が助けるエピソードがあった。
- 川口京子
- 昇太の斜め向いの部屋(森木雪子の隣)に入って居た川口さんの妹でスケ番の高校生。集団乱闘で車道に転び、車に轢かれて死亡した。
- 岡田蛍子
- 森木さんに代わって越してきた下宿人。薬屋のひとり娘で婚約者が居る。下宿館の近くに新しいアパートが建った時に、そちらへ引越し、下宿館に住んで居た緒方さんと結婚して養子に迎えた。
- 清水さん
- 岡田さんの紹介で、浅野さんの妹及び、恋人である菊本さんと一緒の時期に下宿館に入った。後に菊本さんを、昇太の夜間高校の同級生である北村さんに取られ、昇太に寄り添って泣いた。
- 三萩野弘子
- 昇太が珍しく旅行に出かけた時に、列車の中で出会って一緒に泊る事となった女性。子供(赤ちゃん)が居る。青少年精神救済協会と言う処で、自殺志願者の保護をして居るが、売春まがいの事も行っている模様。以前、下宿館のような下宿に住んでいたため懐かしく思って、下宿館まで昇太を訪ねに来た。
サルマタがたき(パンツがたき)
林厚子
西田邦子
男おいどん.....
私はおいどんの真似をして、、
よくラーメン・ライスを食べてました(笑)
私が好きな映画監督の押井さんは五目ラーメンと
ライスを注文して、五目ラーメンの野菜をおかず
にしてご飯を食べて居たそうですよ・・・・・
それからラーメンをじっくり食べたそうです。
私も、この作品では。下宿のおばさんに、縦だか横だかわからない程の、大きさのビフテキを作って貰って、「野菜も食べなさい」と言われたら、「クジラが野菜を食べるか?」と言いながら食べて居たシーンを覚えて居ます。
「男おいどん」は松本零士が本郷の下宿屋で暮らした日々(周りには大学生やら、美術学校に行って居た女の子とか色々参考に成る人達が居た見たいです)を漫画にして居るので、描けた漫画ですよね。。。
私は最終回が辛かったですが・・・・
結局蒸発ですからね・・・。多分その後、自殺したのでしょうね、、、
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- K07William Clarke Band Educated Fool
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Led Zeppelin - How Many More Times Live Danmarks Radio HD
Tea For One/Jimmy Page & Robert Plant_13.Feb.1996@Tokyo Budokan
Rory Gallagher. Barry Richards Rock Show, [1973]
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- 「手塚治虫が描いた大人の漫画」
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小説家・美倉洋介は耽美派の天才として名声を得ていたが、異常性欲の持ち主であることに日々悩まされていた。ある日、新宿駅で彼はアルコール依存症のフーテン娘・ばるぼらと出会い、彼女をマンションに居候させることとなる。ばるぼらはことある毎に美倉のマンションを出るが、そのたびにまた彼の家に居ついてしまうのだった。やがて美倉は、ミューズの末妹かつ現代の魔女である、ばるぼらと、彼女の母ムネーモシュネーを通じて、黒魔術世界とかかわりを持つようになっていく。
ばるぼらの魅力を認識するようになった美倉は、黒ミサ式の結婚式を挙げようとするが、儀式の途中で警察に踏み込まれて美倉は逮捕され、ばるぼらは行方不明となる。大阪でばるぼらを見かけたという話を聞き、会いに行くが、ばるぼらそっくりの女は美倉を覚えておらず、ドルメンと名乗った。
5年が経ち、結婚して子供もできた美倉だったが、小説のほうはさっぱりだった。ついには、画家の元にいたドルメン(ばるぼら)を誘拐し逃走するが、ばるぼらが交通事故にあってしまう。瀕死のばるぼらを連れ、作家仲間である筒井の別荘に姿を隠すが、ばるぼらはそのまま死ぬ。美倉はその状況で長編「ばるぼら」を書きあげる。
更に数年が経ち、美倉が残した「ばるぼら」は大ベストセラーとなっていた。 しかし、美倉の姿はどこにもなかった。
当初は風俗漫画の予定であったが、結局は大人のためのメルヘンとして構想された。 『I.L』という謎めいたタイトルは、もともと手塚自身がI'll(私は~であろう)とするつもりだったにもかかわらず、出版社のミスでこのようになり、手塚がヒロインの名前に「I.L」を使って難を切り抜けたという。 手塚作品の中では、失敗作として挙げられることも多いが大林宣彦により「天才の失敗作は、凡人の成功作よりも遥かに魅力的である。」として評価された。
実験映画の全盛期に反発する伊万里大作は、やけくそで実験映画のパロディーを作って廃業に追い込まれる。 面白くない気分で街をぶらついているうちに、怪しい家屋に引き寄せられ、その中でアルカード伯爵と名乗る怪人物(実はDraculaのアナグラムで吸血鬼)から、現実社会がもっと神秘的なものとなるように、この世の陰の演出家を勤めてほしい、と強引に言い渡される。 そして姪だという不思議な乙女、I.Lが委ねられる。 I.Lは棺桶にこもって、誰にでも変身する事の出来る女だった……。
ばるぼら。。。
流石に手塚さんらしいですよね。。。
私は余り詳しくは知りませんでしたが、、
ただ、ばるぼらは芸術家にインスピレーション
を与える、女神・ミューズの化身と言う事は解って居ましたが・・・
あとカニバリズムを彷彿とさせる。死んでいる、
ばるぼらの乳房を切り取って食べようとする、
妄想シーンには(あくまで妄想)驚きました。。。
読んだのが高校生の頃だったもので・・・
よく中間テストやら期末テストが終わると、
翌日に本屋に行って漫画本を買う習慣があったと言うか....
それで買った漫画です。。。
他には石ノ森章太郎の「佐武と市捕物控」やら
永島慎二の「漫画家残酷物語」などを買い込んで居ましたよ・・・
処でblogを書くにあたって読み返そうと思って探して見たのですが、どこ探してもなかったです。映画は見ました。贅術的で素晴らしかったですよ。
どこ行ったのだろうか???★R-15 手塚治虫、大人向け漫画の実写化「ばるぼら」<映画予告>
『クレオパトラ』
弟は色んな科を渡り歩いてまして、、、
最終的には外科医でした。多分、麻酔も自分でやろうと
したのでしょう。だから麻酔科にも行って麻酔医の資格を取りました・・・
体重はようやく2、3kg落ちた見たいです。。。
私は漢方薬の防風通聖散という薬を食後と何か完食した
後に飲んでいます。漢方なので直ぐには効きませんが徐々に効いて来た見たいです。。。
お勧めですよ・・・
手塚治虫が作った「クレオパトラ」のアニメは1970年頃に海外でもヘラルド映画配給で公開されました。
しかし内容はどちらかというと成人向けです。。。
でもクレオパトラの哀しみは伝わってくる映画ですよ。下はヘラルド映画配給で世界的に公開された。手塚治虫氏の「クレオパトラ」
キャスト
クレオパトラ:中山千夏
シーザー:ハナ肇
アントニウス:なべおさみ
リビア:吉村実子
ルパー:柳家つばめ
イオニウス:塚本信夫
カルパーニア:今井和子
カバゴニス:阿部進Cleopatra No Namida
一般的に手塚治虫氏は「鉄腕アトム」やら「リボンの騎士」、やらで子供向きな漫画ばかりを描いて居ると思われがちですが。近親相姦を扱った「奇子」「人間昆虫記」やら上の二つの漫画やらで、かなり濃厚なセックスシーンを描いて居る作品もあります。まあ、1970年代ですが。あの時代はウーマンリブやらフリーセックスやらの時代背景に、日活ロマン・ポルノ。若松孝二やらのピンク映画が流行っていた時代ですから。少年誌でも、永井豪の「ハレンチ学園」などがマンガ界でもブームでしたしね。まあ、今もまた、当時と似た状況下でコミケなどで「エロ漫画」は多数売られて居るのですし、ポルノ産業も盛んですしね。時代は変われど人間の欲望は変わらず同じと言う事でしょうね。