今日、食事をしようとして、冷蔵庫を開けたら。さとうのご飯2個がどこにも無い。冷蔵庫に入れて於いたはずで。昨日見た時にはあったのに無い。私は今来て居るヘルパーに買ってあると言った。何故なら、昨日、食事は、こうしてご飯が冷蔵庫に入って居るからと。開けて見せたんですよね。そしたら今日無いのですよね?さっき鍵開けた侭で郵便受け見に行ったので隣の人とか。出て行ったなと思えば。すぐにお勝手に入って来て冷蔵庫のあるもの物色して持って行けるし。もう帽子が4個。食糧品は食パンが2斤。菓子パンが5個ぐらい複数に分けて無くなった。いずれも食品が無く成る割合が高い。取って居る人間は俺が統合失調症だから分からないだろうと思って居るし。大体が人の事を私が何も言わないのに勝手に恨んで行く。「どうせ、あたしらとは違って大学行ったんだ!!」とか。訪問看護師のバカ女もそうだった。私のblogのアドレスを教えろと言って。教えたら「何気取って書いてるのよ!!」「何の本を写して書いてるのよ!!」「私はIQ低いから!!」何で勝手に僻んで居るのだ?。もう其奴は来ないから良いが。私はこの様な事が頻繁に続くので警察に言いに行こうか?電話を掛けようか今迷って居ます。もう警察沙汰にしようと思う。黙って居れば良い気に成って居る。まあ、サトウのご飯は、嫌がらせだろう。この文読んでるあんただよ!!良い加減にしろ。私が何時あんたを馬鹿にした。自分で勝手に僻んで居るのだろう。
それで窃盗か。帽子でも食料品でも盗めば窃盗罪なんだよ。サトウのご飯2つ盗みやがって、、警察にはもう今話した、此れから観に来るそうだ。blog書き換えて居たのはgoo・blogの会員の女だったし。解らないとでも思ったか。良い加減に人が大人しくしていれば良い気になってやりたい放題だろ。訪問看護師さんよう。「小佐野さんは来ないんだろう?」とか「小佐野さんが来るって言って居るよ?」とか。俺が何時、小佐野さんを悪く言った。私が如何にも不満みたいに言って居ると小佐野に言ったな。私が寝て居て、ネックレスが嵌めて居たものが無くて、「何で寝て居る間に無いんだ?」と思ったら。トイレに床に捨ててあって。それ言ったら訪問看護師が「あらぁ〜何故かねえぇ〜不思議よねぇ〜」と言うし。今日も。鍵をちゃんと鞄の中に入れて於いてあるのに。手提げ鞄のポケットを何気なく観たらそこに入れてある。何でそう言う嫌がらせをする。これ読んで居るあんたに言ってるんだよ!!今、警官が来たので。全て警官に疑わしい事やらおかしい事は言った。誰が此処に出入りして居るかも言った。それから訪問看護師たちへ。俺は主治医にあんたらの言動を全部話してあるんだよ。あんたに言ってるんだよ!!これ読んで居るんだろう。俺が更新する度に!!。ブチ殺すぞ!!良い加減に舐めんな!!。俺がトイレに入って居る隙に、blogのアドレス控えて暗証番号書いて行きやがって。分からないとでも思って居るのか。それとヘルパーにも教えたか?ヘルパーも調べたな?。このblogのアドレスをな。どれだけ醜い心を持って居るのか?あんたに言って居るんだよ!!来る度に聞いてるだろ「最近blogはどう?」ってさ。なぜ聞くの?この前は誰かが「いい加減にしやがれ。このすっとこどっこいやろう」って書き込んだよなぁ。
例えば、このblogに私はギターの音源とハーモニカの自分で演奏して居る音源を、今は調子が悪いので同じ音源を複数回上げて居るが。同じ楽器をやって居る人は。プロ、アマ問わずそれなりに評価をしてくれる。下手だと思って居てもおせいじでも「上手いですね。」とか「良いですね」とか言ってくれるが。捻くれた人からは「下手なんだからさっさと辞めれば良いのに....。」とか。「上手いとでも思って挙げて居るのか!!」とか言われましたよ。そしてblogの改ざんを散々やられた。気に喰わないなら観に来なければ良いのにね。GACKT君が「人の汗の掻き方に文句を言う奴が居る」と言って居たけど。なるほどそうですね。私見たいな者でもこれだけやられるんだから。お金があって有名人のGACKT君なら嫉妬だらけでしょう。彼は身長もあるし体も鍛えて居て筋肉質だし。ルックスはいい男だしね。僻む奴らが沢山居るでしょう。芳雄さん(原田芳雄/ブルース・シンガーで俳優)とかウィーピング・ハープ・セノウ(妹尾隆一郎)さんとかも生前。僻まれるのに悩んで居ましたね。彼らは音楽家としての才能があったから。それに芳雄さんは皆んなから「ヨシオ」と慕われて居たし。妹尾さんはブルースハープ奏者の権威だった。しかし二人とも「自分は全然ダメだよ....。」と言って居た。決して偉ぶらなかった。音楽家とはそう言うものですよ。私がこのblogで知り合った素晴らしいクラシック畑の2人の女性たち。二人は偶然、名前が同じだったのですが。素子さんと言う方たちが居ます。方や、イタリア古典歌劇を歌って居るソプラノ歌手の素子さん。もう片方はフルート奏者の素子さん。2人ともプロですよ。そんな方達と私はお話しさせて貰って居ます。私はクラシックには疎いから何時も勉強させて貰って居ますが。2人とも清々しく優しい女性たちです。他にも、演劇をやって居る年配の女性だとか、ピアノ教室のピアノ教師だとか色々な女性の方たち。年配の男性、女性の方とかとも幅広くこのblogで話をして居ます。どの人たちも私の友人で宝です。自分の周りに居る現実の人たちに言いたい。もう少し心を開きませんか?人に敵意を向けて。一体自分の何の得になるのでしょうか?「どうせblogは〇〇さんには必要でしょうよ?」とか何故皮肉しか言えない。それでは一旦話は此処まで。。。。

『ばるぼら』会見に手塚監督、伊で受賞発表
同作は、手塚治虫が1970年代に「ビッグコミック」(小学館)に連載し、禁断の愛とミステリー、芸術とエロ、スキャンダル、オカルティズムなど様々なタブーに挑戦した大人向け漫画「ばるぼら」の実写映画化。独特な世界観から“映像化不可能”と言われて来たが、手塚治虫生誕90周年を記念し、日本・ドイツ・イギリスの合作で実現した。出演は稲垣吾郎、二階堂ふみ他。稲垣演じる男が、二階堂演じる新宿に佇む謎の女に出会う場面から物語は始まる。
同作は、第32回東京国際映画祭コンペティション部門での上映を皮切りに、世界の映画祭で好評を博している。この日、15日までローマで開催された「ファンタ・フェスティバル」で最優秀作品賞を受賞したことが発表された。会見で監督は、「この作品にとって最初の賞で、イタリアのファンタスティック系の映画祭と言う事が、大変嬉しい。何故なら、『白痴』という私の過去作もヴェネチアに招待され、その後沢山のイタリアの映画祭に招待されて居ると言う思い入れがあるからです」とイタリアでの受賞を喜んだ。
20日(金)よりシネマート新宿、ユーロスペース他全国公開される。私はコロナが酷く流行ってきたので見に行くのを辞めましたが。断腸の思いです。この「ばるぼら」は傑作だと思って居ますから。こうやってイタリアで賞も獲ったしね。。。



アドラー心理学の特徴は、「すべての悩みは対人関係の悩みである」とした上で、フロイト的な原因論を根底から覆す「目的論」の立場を取る処にあります。たとえば、「子どもの頃に虐待を受けたから、社会でうまくやって行けない」と考えるのがフロイト的な原因論であるのに対し、アドラー的な目的論では「社会に出て他者と関係を築きたくないから、子どもの頃に虐待を受けた記憶を持ち出す」と考える。つまりアドラーによれば、人は過去の「原因」によって突き動かされるのではなく、いまの「目的」に沿って生きて居る。こうしてトラウマを否定するアドラーは、人生(生き方)とは何時でも選択可能なものであり、過去にどんなつらい事があったとしても、此れからどう生きるかには関係が無い、と唱えました。人は変われないのではなく、ただ「変わら無い」と言う決心を下して居るに過ぎない。いま幸せを実感出来ない人に足りないのは、能力でも無いし、お金でも無いし、恵まれた環境でも無い。変わる事(幸せに成る事)に伴う「勇気」が足りないのだ。それがアドラーの主張だった。
そのシンプルにして深淵な思想は「勇気の心理学」とも呼ばれ、デール・カーネギーら自己啓発のメンターたちにも多大な影響を与えた。ちなみに「劣等感」という言葉を、今日われわれが使う様な意味で最初に用いたのはアドラーである。欧米での評価に比べて日本では知名度が低かったものの、近年になって伊坂幸太郎氏が小説『PK』で、石田衣良氏が小説『美丘』でアドラーの教えに言及するなど、多方面からの支持を集めつつあるらしいです。。。
しかし私の様な精神疾患者は、トラウマを持って居るのは明白な事で、このアドラーの論理は健常人に対する論理だと思って居ます。確かにトラウマを払い除けられないのは。自分が変われないからだが。それを変わる意思が無いからだと決めつけるのは言いすぎて居ると思いますよ、アドラーの言うことは半分ぐらい。う〜ん、私にはやはりあって居ない考え方だと思えますね。人間とはもっと複雑な生き物ですからね。確かに変われないのは自分に変わる意思が無いからだと言うことは理解は出来ますが。これも健常人なら当て嵌まりますが。私の様な精神疾患者には当て嵌まりませんよ。
統合失調症についての見解。
本格的な抗精神病薬療法による精神病の薬物療法が可能となる前の1950年代前半の頃から、クラインの直接の指導を受けた精神分析家のパイオニア達、つまり、シーガル、ローゼンフェルト、そして、ビオンといった人たちが、クラインの1946年の論文「分裂機制についての覚書」を理論的な根拠として果敢に精神病者の精神分析療法に取り組みました。その成果は、現代の我々精神科医にとっても、決定的な影響を今でも及ぼし続けています。その要点をお示しします。それは、パーソナリティの中の精神病部分と言うものの存在が明らかになった事です。パーソナリティの中の精神病部分の働きが活性化すると、パーソナリティは一時的、ないし部分的に精神病水準で機能する様に成ります。
研究の端緒は、精神分析操作によって、それまでは神経症と診断されていた病者に精神病が顕在化する潜伏精神病と呼ばれる病態でした。又、精神分析療法に対する陰性治療反応の研究から、特殊な自己愛性抵抗の存在が推測される様に成りました。それはパーソナリティの一部が破壊衝動を中心にして、快・不快原則つまり一次心的過程に従って高度に組織化された、いわゆる病理構造体である事が解明されました。これが後にBION WR(1993)が統合失調症の精神分析を通して解明した、パーソナリティの中の精神病部分と呼ばれる人格構造と共通した認識だったのです。一方、アメリカではKERNBERG O(1996)がパーソナリティの全体が精神病水準で機能する精神病的人格構造を想定して居ます。
パーソナリティの中の精神病部分の働きがパーソナリティ全体を支配する様に成ると精神病状態に成ります。統合失調症性、統合失調症型、妄想型の人格障害はもちろんのこと、重症神経症、身体化障害などはパーソナリティの一部が精神病部分によって支配されて居ると言う意味で、部分精神病と呼ぶ事が出来ます。パーソナリティの中の精神病部分は具体的にはどのような現象をもたらすのでしょうか。それが治療者との関係の中で顕在化すると、現象記述的には転移性精神病と呼ばれる事態が起こります。これは、強烈で、固執的で、表層的で、急激な進展性と言った特徴を持ち、通常の臨床的な精神病状態となんら変わるところはありません。病者は、現実認識に必ず伴う苦痛な抑うつ的な体験での言語性思考や抑うつ不安感情をその苦痛ゆえに破壊せざるを得なくなります。つまり、精神病の目的は羨望という破壊的な憎しみによる、思考・情緒と言った意味の連結を攻撃する事にあるのです。そのため、治療者の中には激しい眠気、思考麻痺、自己解体感、迫害感などといった逆転移感情が特徴的に生じます。
神経症水準の治療は、病者が信じている誤った概念化の修正を目的とします。しかし、精神病の治療の目的は、明確で具体的な言語を用いた詳細で徹底した解釈により、未だ心的な内容となって居ない具象思考(ベータ要素)を象徴化して行く事にあります。
この様に、狭義の精神病のみならず人格障害や重症神経症の病態理解と治療にとって、パーソナリティの中の精神病部分という概念は精神病性転移、病理的な分裂機制と排泄性の投影同一化と言った概念と共に最も重要な基本概念となって居ます。
統合失調症は、幻覚や妄想という症状が特徴的な病気です。
幻覚とは、実際には無いものが感覚として感じられる事で、最も多いのは、誰も居ないのに人の声が聞こえ来る、ほかの音に混じって声が聞こえて来ると言う幻聴です。幻聴の内容は、本人を批判・批評するもの、命令するもの、監視して居る様なものがあります。幻聴に聞きいってニヤニヤ笑ったり(空笑)、幻聴との対話でブツブツ言ったりする(独語)ため、周囲からは奇妙だと思われる事があります。
妄想とは、明らかに誤った内容であるのに信じてしまい、周りが訂正しようとしても受け入れられない考えの事です。代表的なものとして、「街ですれ違う人に紛れている敵が自分を襲おうとして居る」「道路を歩くと皆がチラチラと自分を見る」などの被害妄想があります。時に、「自分は高貴な家柄の生まれである」といった誇大妄想を認める場合もあります。
統合失調症では、この様な幻覚・妄想と共に、生活に障害が現れ、日常生活や社会生活において適切な会話や行動や作業が出来にくくなります。陰性症状とも呼ばれますが、幻覚や妄想に比べて病気による症状とは解りにくく、周囲から「社会性がない」「常識がない」「気配りに欠ける」「怠けて居る」などと誤解されるもととなる事があります。親父の会社に勤めて居た頃はこの事で「ゆきかず」を始め色々なクズ人間どもに皮肉もしくは嫌がらせを受けました。
○治療
統合失調症の治療は、薬物療法と心理社会的な治療を組み合わせて行われます。
治療に用いられる薬物を抗精神病薬と呼びますが、幻覚・妄想などの陽性症状に対する抗精神病作用、不安・不眠・興奮・衝動性を軽減する鎮静催眠作用、感情や意欲の障害などの陰性症状に対する精神賦活作用があります。
心理社会的な治療とは、精神療法やリハビリテーションなどで、デイケアや作業療法を取り入れて居ます。日常生活での苦痛が強く、休養を希望して居る場合や、幻覚や妄想によって行動が影響され、通常の日常生活をおくる事が困難な場合には入院治療を行う事もあります。
抗精神病薬による治療で幻覚や妄想がいったん改善しても、薬物療法をその後も継続しないと、数年で60~80%の患者が再発して仕舞いますが、治療を継続すると再発率が減少する事が分かって居ます。毎日きちんと薬をのみ続けると言うのは困難な事ですが、飲み続けなければ行けません。副作用が例え酷くても.....。しかし、物が無くなるのは私が悪い訳では無いですから。ご了承を。今回は此処までとします。此処まで読んでくれて有難う御座いました。。。