今日は病院に行って来た。一ヶ月振りです。診察は10分ほどで終わりました。ただ急患が入って来て居て。担当の主治医が担ぎ込まれた患者を診ているので。40分程、時間が掛かった。番号を呼ばれて診察室に入って行ったら、私を見るなり「あれ、もしかして髪染めた。」と言うので、「白髪が出て来たので染めました」と言ったら、「長髪にしているのだから、返ってお洒落でいいよ」と言ってくれた。まあ、この先生とは5年越しの付き合いだから、気心も知れているけど・・・帰りに病院の近くにある啓文堂書店へ行ってみた。買う本は無かったけど・・前に新宿の紀伊国屋書店で嫌な目に遭ってから、書店員を見る目が変わってしまったのだけれども。この書店は何時も店員の態度が良いので、安心して見ていられる。薬剤所で40分ほど待たされるも、早めに帰って来れた。と行っても夕方に成ってしまったけど。。。しかし啓文堂はどこにでもありますね。私の隣町にもあるしね。自分の町の駅前にもあったのだけども、店舗の縮小とかで無くなってしまった。それ以来、雑誌を買うときは隣町まで行って居る。。。
今日は暖かった。自分の全体像を見ていた鏡が3年前に壊れてから、全体像は見られていないのだけども、今日は薬剤所の鏡で写してみた。太ったなぁ、とつくづく思う。主治医もなんとか痩せろと言って居た。お見苦しいけど全体像を把握するためにもこのblogに挙げて置きます。
また、皆さんに怒られるかな・・・お許しを....
新宿の紀伊國屋書店の雑誌売り場で、ある映画関係の月刊誌を探して居ても見つからなかったので会計に居た、アルバイトとおぼしき、女の子に「すみませんけど、〇〇の月刊誌どこにありますか?」と訊いた処、「その辺にあるよ!バカヤロー!」と言われた。そうしたら、隣で立って居た男の若いアルバイトが「おまえ〜それはねえんじゃね?」と言って居たが.....それで正社員の若い女の子の店員に「〇〇の月刊誌どこに置いてありますか?」と訊いたら、「少しお待ち下さい」と言って隣の50代ぐらいの男の店員に「高橋!トトっと探して来い!!」と言って、その50代の男の店員さんが、「お客様、此方で御座います。バックナンバーも棚の方にありますのでご覧に成って下さい。」と教えてくれた。思うに、今は女性が活躍する時代と言えども、この二人の女どもは同じ穴の狢だ。私は、昔、伊勢丹の裏方の仕事をやっていたことがある。次々にワゴン車で運ばれる、荷物を服とかだけども、ハンガーに掛けて、女性服売り場の倉庫まで持っていくのだが、持って行って、若い女性の店員に引き渡すと「あんた、ちゃんと値段の高いものからハンガーに掛けてないじゃない!ちゃんとしろよバカ!!」と言われた。私はただ売り場まで持っていけばいいと言われただけなので、「何怒って居るんだこの女・・・」と呆れていた。でも、歳をとった年配の女性の店員が「気にしないでね。頑張って!」と声を掛けてくれた。また、或る時、仕事をしていたら、山住み書類の上に若い女の店員がウイスキーのボトルを置いて行ったら、案の定落ちて割れてしまった。そばで作業をしていた中年の男が気にして「俺のせいかなぁ・・・」と言って居たら、暫くして、私がマネージャー室に呼ばれた、「君はまだ若い、だから君がウイスキーのボトルを破ったのではないだろう。隣で作業して居た男が破ったのか?」と訊いて来たので、「一番悪いのは、書類の山の不安定な処の上に置いた女性の店員さんでは無いのですか?」と言ったら。「そうか・・・」と言って職場に戻れと言われたことがあった。
また、中年の現場責任者(チーフ)が伊勢丹の社員食堂に私を連れて食事に行った時の事、前の向かい合ったテーブルで若い女の子の店員が食事をしていたのだが、何とだらしが無くと言うか、ミニスカートの制服のスカートを履いているのに、足を広げて居る....下着が丸見えだ。
私はカレーライスを食べながら、「食事中に見たくも無い!」と思っていたら。どうやら、自分はそんな格好なのに私たちを睨み付けて居た。こう書いて居ると女性の店員、特に若い人たちは散々だな。と思われるかもしれないけど。最後に良い話を、それは紀伊国屋書店で昔、哲学書売場で労働者階級の哲学者セルジュ・モスコヴィッシ、トプリス・ラロンド。ルネ・デュモンの3人の対談集の「エコロジストの実験と夢」という本を探して居たら、メモを手に持って哲学書籍の書棚を見て居たのだけれども、若い女性の店員が急いで寄って来て、「お客様、そのメモ見せて下さい」と言い、売場で在庫を確認して、「在庫は御座いませんが、まだ、廃版には成って降りませんので、お取り寄せできると思いますが。」と言ってくれて、それで気持ちよく取寄せて貰った事がありました。でも、昔から、若い店員の方が威張って居て、歳を取った店員の方が親切ですね。そう言えば、紀伊国屋書店にあったDVD売り場で、若い、凄い美人の女優さんか、と思える店員にアンドレイ・タルコフスキーの「「惑星ソラリス」発売だと訊いて来たのだけども、ありませんか?」と訊いたら。「すみません。あれ入荷と同時に売れちゃったの。在庫ありません。」と言うので、他のDVD店に行っても無いものだから此処にあるかと思って来たんだけども・・・」と言ったら「ごめんね。メーカーが早々に打ち切っちゃったのよ。一応、オーダーは掛けてはありますから。来月か再来月には入荷できるかと思います。ごめんなさい」と実に親身になって対応してくれた人も居ました。。。
丁度、伊勢丹の裏方をやっていたのは、1980年代の初頭だった事もあり、そのチーフが「新宿も、見るところがないなぁ、」とボヤいて居たので、南口近辺にあるジャズ喫茶「サムライ」を教えたら。後日、「サムライに行ってきたよ。話して居たらマスターに怒られたよ。」と言うので。「ああ、言うの忘れて居たけど、ジャズ喫茶はあくまでジャズを聴きに行くところで、会話はダメなんですよ。」と言ったら「君はかなりなジャズ通だねぇ・・・」と言って居た事があった。
そして、父親の会社に入って仕事をして居た時の話。或る日、パートの女の子が来て「あたし、バンドやってっから。」と言うのが口癖で、訊けば渋谷のライブハウスで演奏していると言うので、「どんなバンドなの?」と聞いたら、「「ゲス・フー」みたいなバンド」と言うので、ゲス・フーか、女性のバンドにしてみれば妥当かな?と思って居たが、その子は仕事をちゃんとやらない。何故、パートのアルバイトを雇っていたのかと言うと、当時、スーパーのいなげやに、商品を納めて居たからだけども、商品を倉庫内でピッキングするのに人手が居るからです。毎日、東京、埼玉、千葉のいなげやに納品する為、社員とアルバイトで手分けをしてピッキングをしていた。何故かその子は、私の机の脇に、セサミ・ストリートの人形を置いていて、、なんだかな・・・と思って居たが。或る日、ピッキングが終わった5時半に成ってからやって来て、仕事がしたいと言う。従兄弟のゆきかずはいいよと言ったが、私が断った「〇〇さん、明日の午後早くに来なよ。今日の仕事はもう終わったよ。」と言ったら不満そうだったが、帰っていった。見え見えなんだよ。仕事が終わった後に来るなんて・・・
ちなみに会社にはもう一人30代の音楽をやっている男がいた。ブルースが好きで、ライトニン・ホプキンスの曲をギターで弾いて歌って居ると言う。しかし、若いのだ、「永井さんやら、妹尾さんやら、吾妻さんやら知ってるだろう?」と訊いたら、「誰、それ、知らない」と言う。今挙げた人たちは日本のブルースを背負って立って居た人たちだ。私は、ああ、今時だな、知らないんだ、と思い。黙っていたが、その男はCDは、タワー・レコードで購入すると言う。しかしディスク・ユニオンに比べたら、タワー・レコードはロックは結構ストックがあるが、ブルースは少ない。私がバンドをやっていたと言ったら。或る日、ブルースハープを持ってきて、「ええと・・・」と言いながら吹き始めたので、「貸してみて」と言い私も吹いてみたら驚いていて、「昔ね...バンドで吹いていたからね」と言ったら、それ以上、挑戦的な事はして来なく成った。処が、私を見返したかったらしく、「〇〇さんの弟って何仕事しているの、トラックの運転手?それともドカタ?(笑)」と言うので。「とっくに仕事しているよ・・・」と言ったら、後で親父に訊いたらしい、医者だと言われて黙って下を向いて居たそうだ。しかも、レンタル・ビデオテープを1年間返さなくて、取立てに会い、100万円請求されたと聞いた。親父が言っていたが会社に泣きついて財形貯蓄から出してもらって返済したそうだ。ちなみに会社を私が辞めた後、例のパートの女の子が「〇〇さんは最近なんで会社に来ないんですか?」と訊いて居たと親父が言っていた。なんだかねぇ、そんな思い出があります。
ザ・ゲス・フー アメリカン・ウーマン The Guess Who American Woman
Lightnin' Hopkins - Woke Up This Morning
ジャズ喫茶、「サムライ」には1970年代から1980年代に掛けて通って居た。当時のマスターは黒澤明の「影武者」に武将の一人として出演していて。壁に映画の写真が貼ってあった。当時はジャズとブルースの融合的なことを考えて居て、まあ、飽く迄もブルースバンドなれども、ジャズの匂いがすると言う様な感覚を持ったアレンジでブルースの曲を演奏して居たのだが。バンド名は「ボトム・ライン・バップ・ブルースバンド」と名付けて居た。まあ、手っ取り早く言えばジャズ・ブルースのバンドなのだけども。最近になって結成当時のオーディオテープが出てきたので、聴きたく思い。昔のナショナルのラジカセを復刻したサンスイのラジカセで訪問看護師の若い、ロック好きの看護婦さんに聴かせたら、案の定「これジャズ?」と言って居た。ビパップの形式で「Every day I Have the Blues](カウント・ベイシー楽団の専属歌手としても人気を博したご存知ジョー・ウィリアムスの代表作。BBkingバージョンで有名な曲)を演奏して居たからだ。元はメンフィス・スリムが作り1949年にローウェル・フルソンが大ヒットさせた。その後、いろんなブルースシンガーが歌っています。
BB King - 01 Every Day I Have The Blues [Live At Nick's 1983] HD
Every Day I Have the Blues - Eric Clapton - Live In Hyde Park 1996
Everyday, everyday I have the blues
Everyday, everyday I have the blues
When you see me worried baby
Because it's you I hate to lose
毎日、俺はブルーになっちまう。
毎日、俺はブルーになっちまう。
俺が慌ててるのをみたら、
それは君を失いたく無いからさ。
Oh nobody loves me, nobody seems to care
Yes nobody loves me, nobody seems to care
Speaking of bad luck and trouble
Well you know I had my share
誰も俺を愛さないし、心配してくれない。
誰も俺を愛さないし、心配してくれない。
悪運と苦しみを話してる、
嫌な事がありすぎるよ。
I'm gonna pack my suitcase, move on down the line
Yes I'm gonna pack my suitcase,move on down the line
Where there ain't nobody worried
And there ain't nobody crying
俺は荷物をまとめて、この道を行くんだ。
俺は荷物をまとめて、この道を行くんだ。
誰も慌てたりしないし、
誰も泣いたりしないよ。
また「Stormy Manday 」などをジャズ風なアレンジで演奏して居た。もともと、T Bone Walkerのバージョンはジャズの香りがする。T Bone Walkerは、1910年生まれのブルースのギタリストで、ブルース・シンガーだ。オールマン・ブラザーズ・バンドが、フィルモアのライブでやっていた「ストーミー・マンデー Call It Stormy Monday」は有名だ。「ストーミー・マンデー」は、1947年に発表された曲だ。ジミ・ヘンドリックスがギターを背中で弾いたりしていたのは全て、T Bone Walkerのモノマネです。
B.B. King, "Stormy Monday Blues," ACL 1996.
T-Bone Walker - Call It Stormy Monday
They called it stormy Monday,
but Tuesday is as just as bad
They called it stormy Monday,
but Tuesday is as just as bad
Wednesday is worst, and Thursday's so sad
月曜日は荒れ模様
火曜がまた悪い
月曜は荒れ模様
火曜日がまた悪い
水曜日は最悪
木曜はとても哀しい
The eagle flies on Friday,
Saturday I'll go out to play
The eagle flies on Friday,
Saturday I'll go out to play
Sunday I'll go to church,and I'll kneel down to pray
金曜日に鷲が飛び
土曜に遊びに行く
金曜に鷲が飛び
土曜には遊びに行く
日曜には教会に行って
祈りにひざまづく
Lord have mercy, Lord have mercy on me
Lord have mercy, My life is in misery
You know I'm crazy 'bout my baby
Lord, please send my baby back on to me
ああ神よお慈悲を
俺にお慈悲を賜え
神よお慈悲を
俺の人生は惨めだ
あの娘のために気が狂いそうさ
神よ どうぞあの娘を俺に返して
Sun rise in the east, it set up in the west
Sun rise in the east, it set up in the west
It's hard to tell, it's hard to tell, it's hard to tell,
which one,which one a little bad
陽は東に上がり
西に沈む
陽は東に上がり
西に沈んでいく
どちらが少しはましなのか
俺にはわからない
まあ、2曲ともブルースの定番の曲です。
「ジャズ喫茶、バー、サムライの歴史」
・1968.7 初代が「新宿ピットイン・ティールーム」開業。
当時の店主は龍野氏、通称怪物さん。
・1974.3 店名をジャズ喫茶「サムライ」に変更。
・三代目店主の現店舗は、
1979.5に移転して緑川氏と共に再開店した。
約20坪35席
・70年代のジャズ喫茶から、80年代にJazzBarとなり、
天の声が聞こえてから、3000体以上の招き猫の巣窟となって現在に至る。
・招猫博物館改め招猫秘宝館JazzBarとしても
一世を風靡した隠れパワースポットでもある。
・願わくは、文化人らが集う文壇バーに。
(店主は自称万能俳人兼天狗仮装趣味。
詞藻か思想は尾翼、最善の日本主義主張)
・80年代、Y.成美主演のTVドラマのロケ利用。
(90年代中略)
・2004.7~ 女優・奥山眞佐子の樋口一葉と
太宰治作品の朗読シリーズ始まる。
・2007、オダギリジョーの「時効警察」のロケに使われた。
・2007秋、NHK「美の壺―招き猫」(故谷啓ナビ)に、
42体の招き猫たちが遠征した。
・2008.6、オランダの公共TV「NPS」の取材が入った。
(テーマ:パリ、NY、東京のジャズスポット)
・2009.9.18、TheWallStreetJournalに掲載された。
「All That's Jazz」
・2009.12、テレ朝「お願いランキング」で怪しい店第二位にランクされた。
2010元旦深夜の総集編で再編再放。
・2010.5.13、TIME誌に日本代表として掲載された。
・2011.3.11、巨大地震で店内散乱被害、お客様遠ざかり瀕死状態。
・2011.4、故・若松孝二監督「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の
ロケに使われた。中程の東大論争の次の、
新宿の喫茶店カトレアで、 日学同から盾の会へ移る
学生らの意志表明する場面が当店。
・2011.10.20、米国のテレビ局の動物番組
「アニマルプラネット」に取材された。
・2012.5.24、The Japan Timesに掲載された。
「Wi-Fi, Facebook and all that jazz」 BY JAMES CATCHPOLE
Milt Jackson & Benny Golson & Art Farmer & NHØP - Whisper Not
MAL WALDRON & JACKIE McLEAN/Cat Walk
UNT Jazz Faculty: Sonny Red - Bluesville (1960)
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『カフカ』
チェコスロヴァキアのユダヤ系作家で、人間の存在の不条理なあり方などを象徴的に描いた、(Franz Kafka, 1883-1922。代表作:短編「変身」、長編「城」など)、短い人生も相まって寡作であったカフカですが、『変身』に代表されるような、シュールな世界観はそれまでの文学に類を見ないものでした。生前こそ十分な名声に恵まれなかったカフカでしたが、カフカ独特の空気感は、文学者のみならず、一般読者の心を瞬く間につかみ、死後ほどなくしてカフカは20世紀を代表する作家としての評価を確立しました。現在では、英語としてKafkaesque(カフカ風の)という形容詞が使われるなど、カフカは文学の垣根を越え、日常生活にまで進出しているといえるでしょう。 日本でもカフカの評価は高まるばかりで、なかでも村上春樹は、カフカに影響を受けた一人で、『海辺のカフカ』という作品を書いています。「海辺のカフカ」は,2002年9月に刊行された村上春樹の長編小説です。この作品は様々な意味合いにおいて話題作と呼び得るものであるでしょう。だが,カフカ研究に多少なりとも携わってきた者にとっては,単なる話題作以上の作品であるらしい。正面切って表題の中に「カフカ」という固有名を取り入れ,主人公に「カフカ」を名乗らせたという点だけからでも,日本のカフカ受容史において歴史を画する作品であると言い得るかもしれない。いずれにせよ,『海辺のカフカ』とフランツ・カフカの関わりについて真正面から論じる必要性がある大平洋戦争以後の日本の作家たちに対してフランツ・カフカの諸作品は様々な影響を与えた。1985年に刊行された『カフカと現代日本文学』では,カフカの影響を受けた主要な戦後作家として,島尾敏雄・安部公房・倉橋由美子・小川国夫・花田清輝の5人が取り上げられている。これらの日本の戦後作家たちに共通しているのは,彼らがカフカの諸作品からモティーフもしくは小説技法に関わる何らかの影響を受けた作品を書いているということである。同書においては名前を挙げられていないが,上記の5人のほかにも後藤明生・黒井千次・三枝和子等に対する影響も検討してよいかもしれない。さらにカフカの影響力はその後も持続しており,『カフカと現代日本文学』刊行後に登場してきた作家としては,たとえば80年代末から90年代前半にかけて共に芥川賞を受賞した新井満や室井光広の名前を,何らかの形でカフカの影響下にある作品を発表した作家として挙げることができる。2002年における『海辺のカフカ』の刊行は,日本におけるこうしたカフカの影響力が未だに衰えていないことをあらためて証明していると言ってよい。 だが,『海辺のカフカ』は,カフカの影響を受けて書かれたこれまでの日本の小説とは本質的に異なる要素を持っている。それは,すでに冒頭でも触れたように,『海辺のカフカ』という表題そのものに端的に現れている。安部公房をはじめとする村上春樹以前のカフカの影響を受けた日本の作家たちは,カフカからの影響を否定することこそむろんしてはいないが,それをみずから喧伝するような素振りを見せることはあまりなかった。有村隆広は「日本の作家たちは必ずしも全面的にカフカに心酔しているわけではない」と述べ,日本の戦後作家たちにカフカに対するある種の屈折した感情が内在していることを示唆している。
ガベルは、精神分析の用語を用いて、カフカと彼の作品をマルクス主義的な観点から解釈する。 フランソワーズ・ドルトなどの精神分析の著作を援用しつつ、「疎外」や「物象化」といったマルクス主義特有の語彙を用いながらカフカの作品が論じられている。カフカがユダヤ人として疎外された状況にあったということから、ユダヤ人問題について思索していた青年時代のマルクスと重ね合わせ、物象化という概念がカフカの作品理解の鍵となると考える。『城』のKは失業者であり、 『アメリカ』のカールは移民であるという状況は、人間は世界に異質な者として存在しているとい うライトモチーフとなり、そうした条件のもとに、カフカの作品は「人間による人間の搾取と不平等に基づいた社会を完璧にリアルに表したイメージ」を描いているとガベルは言う。作品を社会批判の手段に還元する意図はないとしながら、『城』において官僚と労働者の間の階級格差が現れて いる箇所を物象化を示す例として挙げ、ガベルの読解の力点は、プロレタリアートの側からみた不平等な社会を象徴するような描写をカフカの作品に見いだすことに置かれている。例えば『城』 において村で一番の宿屋は城で働く官僚たちにあてられているといったことや、クラムという名の労働者と主人公のKの間、村と城の間にコミュニケーションがないといったことである。こうした立場から、ガベルは、城に恩寵を見るマックス・ブロートの宗教的な解釈に疑問を呈し、城に法体系の物象化を見るルカーチの説に与して、城を官僚機構の象徴として解釈する。他方で、ガベルは、 フランス社会学の知見を援用する形で宗教的な要素が作品に現れていることを認め、カフカは、人間を破壊する存在を前にしてヌミノーゼ的とも言える宗教的な感情を抱いているとし、同時にそうした存在に対して反抗を試みていることを解釈している。
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さてと、映画です。今回は「冬の華」です。
横浜に本拠を置き関東に勢力を張る暴力団・東竜会幹部の加納秀次は、兄弟分の松岡幸太郎をあの世に送らざるを得なかった。松岡は組を関西連合に吸収させようと画策していたからだ。加納は、松岡殺しの罪により北海道の旭川刑務所で長期の服役を強いられる。
15年後、出所して横浜に帰ってきた加納は、舎弟の南幸吉が用意してくれていた山手の高級マンションに落ち着いた。東竜会に挨拶へ出向いた加納は幹部たちから温かく歓迎されるが、金満振りを誇る彼らの変貌に困惑する。親分の坂田良吉はヤクザ稼業に疲れて絵画の収集と制作に夢中になっており、加納にもシャガールの絵画の良さを説く。幹部たちは高級外車を乗り回してナイトクラブで豪遊するなど、贅沢な暮らしを満喫している。加納に尽くしてくれる南も自動車販売会社を経営し、普段は組と距離を置いていた。加納が世間から隔絶されている間に、彼らから渡世人の面影は消えていた。
一方で、加納は、15年前に殺した松岡の一人娘である洋子のことが気がかりであった。この15年間、加納は南を介して洋子の援助を行っており、自らは、「ブラジルにいるオジさま」として文通をしていた。洋子は全寮制の女子校で学ぶ17歳の高校生になっていた。加納は手紙に出てきた馬車馬の喫茶店「コンチェルト」でチャイコフスキーの『ピアノ・コンチェルト』を聴き、洋子をそっと見守る。
加納は実兄・一郎の忠告もあり、ヤクザの世界から足を洗って木工職人になるつもりでいた。親分の坂田も加納に傘下の組を任せたいとの思いを封印し、堅気になることを黙認していた。
その矢先、坂田はシャガールの絵画の出物があると連れ出され、だまし討ちの形で関西連合に殺されてしまう。坂田の息子で陸上自衛隊幹部の自衛官の坂田道郎は復讐心を燃やす。しかし、生前坂田は息子が堅気の自衛艦であることを慮り、加納に「息子を組の抗争に巻き込ませるな」と遺言していた。
東竜会の構成員たちが坂田の死の真相を調べるうちに、東竜会幹部の山辺による裏切りが判明する。加納は坂田の遺言を守るため、自らが鉄砲玉となって山辺を殺す決心をする。ただ、洋子のことだけが心残りになっていた。加納は、洋子へ「当分日本には帰れない」とだけ電話で伝え、洋子と恋仲になっていた竹田に堅気となって添い遂げるよう約束させる。
加納は、親の仇を取るつもりであった道郎を自宅に留めさせ、山辺を自ら刺し殺す。加納は、再び会うことはかなわない洋子の幸福を願いつつ、15年前の浜辺での出会いを思い出すのであった。
冬の華(プレビュー)
Fuyu no Hana 冬の華
〝冬の華〟高倉健 『昭和ブルース』天知茂
〝冬の華〟高倉健
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押井守の最近のインタビューがあったので、抜粋して載せておきます。押井監督は1980年代の終わり頃からリスペクトしている監督さんです。新宿のビデオマーケットで、押井守がチーフ・ディレクターと脚本を担当した「うる星やつら」のTVシリーズのLDを購入して、観てみてから、TSUTAYAで押井守の映画をレンタルしまくり、その魅力に魅入られて仕舞い。彼が監督した全作品を購入しました。実写映画「アヴァロン」は今は亡き弟夫婦と一緒に渋谷まで観に行き、アニメ映画「イノセンス」は母と一緒に観に行きました。また、押井守・原作脚本の沖浦監督の「人狼」も観てみたいと言う母と一緒に観に行きましたよ。母はアニメも好きで歳の割には進歩的な人でした。 どの作品も当時は立ち見が出るほどでした。特に「人狼」は映画館の席が一杯に成って仕舞い。座布団を映画館側が用意して、地べたに座って観て来ました。しかし、それでも、一部の人しか知らない監督さんですね。働いていた時に、会社の社員たちに「攻殻機動隊」を凄い映画だよ。と言っても誰も解りませんでした。この文を読んでいる人たちも押井守の映画は知っていた方がいいですよ。あの「タイタニック」のジェイムス・キャメロンも押井監督をリスペクトしています。まあ、二人は親友同士ですが。あとジプリの宮崎駿とは喧嘩友達ですよ(笑)宮崎駿が「ルパン三世・カリオストロの城」を作った後に、押井守を東宝に推薦して次回作を取らせようとしたのですが、脚本が難解で訳が解らんと言う事で却下されて、宮崎駿の家で残念会のやけ酒を二人で飲んだのは有名な話です。。。
それではインタビュー記事からです。長いですが読んで見て下さいね。
――『押井言論』が出版されることになった経緯は?
押井守(以下、押井):メルマガの内部でやったインタビューというか対談が2年分ぐらいの量になってたので、それを出しませんか?という話があって。まあ今さら出してもどうなの?とは思ったんだけど、契約した人間しか読んでないし、出してくれるんならもちろん嬉しいので。簡単に言うとそれだけ。メルマガってようするに、言ってみれば私信だから。特定の相手にお手紙を月2回出しますという。だから不特定多数の人間の見る世界じゃないということを前提に、まあ普段しゃべってるような、絶対媒体に載らないような話をしようかなっていうことで始めたので。それをまとめるのは、自分が2年間何をしゃべってきたのかをもう一回読み直すいい機会だし、もしかしたらまともなこと言ってるのか、あるいはたいしたこと言ってないなっていう反省材料になるのか、とにかく確かめられるし。だからいいのかなって思った。
――押井さんの語り口の面白さには以前から定評がありますね。
押井:なんか知らないけど僕の本って、自分でパチパチキーボード叩いて一生懸命書いたものはさっぱり売れないんだけど、しゃべり散らしたものに関してはそれなりに売れてるんで。そういう需要があるのかなっていう。たぶんひとつには、対談という形式が読みやすいということがあると思う。論文みたいに書かれちゃうと、2~3ページ読まないと主旨が取れなかったりとかね。今はそういうの読みたがる人なかなかいないし。まあでも、対談相手による。この本でもいろんな人間としゃべってるんだけど、たとえば辻本(貴則)という、大阪から出てきた映画監督ですけど、たしかにしゃべりやすいもんね。文字に起こしても読みやすい。それはちょっと発見だった。つまり、関西人だからツッコミが多いんですよ。1分もしゃべらせてくれないわけ、必ずツッコミが入るから。そうするとね、文字に起こした時にテンポがすごくいい。短く切れてるから。相手が遠慮してたりすると、2ページぐらいずっと一人でしゃべったりするから、僕は。その逆に、神山(健治)と対談したものを読んだらえらい疲れた。あいつ素直じゃないから。
――神山さんとの対談は、映画『009 RE:CYBORG』を巡ってのもので、テーマもシリアスでしたよね。
押井:まあシリアスということもあるんだけど、元々真面目な男だから。必ず自分のロジックで切り返す。だからなかなか話が先へ進まない。あと微妙に結論が出るのを避けたがるから、どういうつもりかわかんないけど。でも辻本は、別に最初から何も考えてなくて、勢いだけでしゃべってるから。むしろその方がテンポが出て、話題に関しても先に進みやすくなる。思考の回転が早くなるというかね。真面目にじっくり考えながらしゃべればいいってもんでもないなっていうさ。ときどきスッ飛ばさないと、話が先に全然進まないということがあったりする。やっぱりおしゃべりは関西人に限るわ、というのは思った。好評だったしね。それと、この本の大半は居酒屋で山下(卓)や大塚ギチとしゃべったものだけど、話の振り方、適当に話の腰を折ったりとか、合いの手の入れ方がなかなかうまいなっていうか、それは感心した。
――昔にやった対談で、この人とは相性が良かったという人はいたりしましたか?
押井:個人的に面白かったのは、『月刊サイゾー』でやった二世対談。よしもとばななは面白かったですね。やっぱり人間的に面白い人のほうが話は弾むね。でも(宮崎)吾郎くんのときは、なんとか挑発しようとしたんだけど乗ってこなくて(笑)。あんたが刺すしかないじゃんという話をずいぶんしたんだけどさ、乗ってこないんですよ。やっぱり性格的に、親父(宮﨑駿)を見て育ってるからすごく慎重な人なので。親父があれだけの男だとやっぱり息子は慎重な男になるんだっていう典型だから。
「エヴァは観る価値無いなんて、そんなこと一言も言ってない」
押井:この本を読み返して思ったのは、人の悪口が多いなっていう。ちょっと考えたほうがいいかなとは思ったけど(笑)、でも同時に、人を誉めるのもけっこう好きだし、ずいぶんいろいろ誉めたと思うんだけど。でもそういうふうには思われてないみたいだね。年がら年中悪口を言ってる男だと思われてるみたいだけど。けっこう誉めてるんだよ。
――メルマガ中の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』についての押井さんの発言が、ネット上で話題になったことがありました。
押井:エヴァは観る価値無いなんて、そんなこと一言も言ってないんだからさ。自分にとって観る意味が無いって書いただけで。アニメーションにいわば自意識を持ち込んだのは評価している。やってることは古いけど。ようするに自然主義だから。いろいろ小技を繰り出してるわりにはやってること自体は本質的には古いっていうさ。だから観る意味が無いと思った。何を言ってるかすぐわかっちゃったし。どの辺から引っ張ってきてるのかも、観れば一目瞭然だから。ほとんど全部が引用で作られてることは間違いないので。それであっても、なおかつ、あれだけ大胆不敵に自意識丸出しにして作ってる奴はたしかに今までいなかった。だから誉めてるんだよ。なんで怒るんだよって。明らかに主旨がトンチンカンだったりする。メルマガってさ、頭の部分だけはタダで読めたりするんだよね。でもここから先は有料だ、みたいなさ。たぶん察するに、全部読んでなくてさわりだけ見て怒ってるのかもしれない。
僕はフェイスブックもツイッターも一切やってないけど、メルマガだけにしようと思ったのはそういうこともあるね。お金を払ってる人間だけが読めるというのは、なかなかいいかなと思ったの。全部読んでないんだったらそもそも口出すなっていう話。私信なんだから。それがそもそもわかってなくてさ。ネットってそういうところ杜撰だよね。2ちゃんねるみたいなものにしても、僕はまったく意味ないと思ってる。あるとすればゲームの攻略法だけ。これはよく見に行くから。
――最近の押井さんは『ドラゴンクエストビルダーズ』にハマってるそうですね(笑)。
押井:どうしてもドツボにハマったときはそれしか手がないから。周りにゲームやる人間いなくなっちゃったし、電話してちょっと聞くわけにはいかないから。ビルダーズはずいぶん助かりましたよ。ただ、今はもう役に立たなくなった。というのは、ビルダーズについては完全に本質からズレてやってるので。いわゆるミッションにまったく関わらず、自分勝手にやってるだけで。YouTubeにユーザーがアップしてる動画も見たけど、自分とは違うなあ、というさ。みんな建物を作りたがるんだよね。でもレゴ遊びじゃないんだし、自分は全然興味ない。
――じゃあどういう遊び方をしてるんですか?
押井:風景を作ってるんですよ。自分が思うような景観に変えていくっていうさ。でっかい廃墟作ってみたり、山を削ってみたりとか。向こうのシルエットが綺麗に出るように手前の山を全部削ったりとか、ようするに土木工事系ですよ。建築じゃないんだよ全然。それをやるゲームとしては本当によくできてる。運河引っ張ったり、草原だったところを全部水没させたりね、そんなようなことですよ。素晴らしい光景が出てくる。プレステ4の描画の凄まじさを存分に味わってる。たいしたもんだよあれ。そういうゲームって今まで全然なかったし、自分には合ってる。自分が思うような世界観、まあ基本的には廃墟だけど、それを思うさま作れる、トンカチ一本で。
――そういう風景を作るゲームっていうのと、映画制作において風景や世界観を作っていく作業というのは、つながるところがあったりするんですか?
押井:直接はないけど、やっぱり綺麗なレイアウトを取りたいとかさ、そういうのは本能的にはあるから。この辺だと夕暮れになったらどういうふうに見えるかな、とかさ。設計図を作らないというか、ビジョンでやってるわけじゃなくて、その場に立ったときの雰囲気で考えるというか。こういう建物が作りたいというわけじゃなくて、この山のてっぺんに立ったときに、あ、こういうふうに変えたらきっと面白いなとかね、そういうことなんですよ。そういう意味で言えば、映画に近いっちゃ近いかもしれない。違うのは、自分が作り出した世界観の中を自在に動き回れるっていうことじゃない? しかも人いないから。水没した庭園の中をスライムが泳いでたりとか、ドラキーがパタパタやってたりとか、なかなかいいなこれ、って。自分の好みの世界ではあるんですよ。人がいないっていうのがいい。無人の世界だよね。
宮さん(宮﨑駿)の『千と千尋の神隠し』は、完全に三途の川を渡る映画」
――最近のアニメ界のヒット作だと『おそ松さん』というのがあって。制作が押井さんの古巣のstudioぴえろですが、ご覧になったりはしましたか?
押井:いや観たことはないです。ただそういう噂は聞いてる。ぴえろは元々おそ松くんやってたから、その関係なのかなって思ったけど。まあおそ松さんっていう発想自体は面白いと思ったけどさ。大人になったおそ松たちで、6人兄弟みんなプーだって話を聞いたときに、ああなるほどってさ。そういう発想は面白いなと思った。ただまあ、じゃあ観てみようかってならないよね。というか、ようするに、アニメを観る気分じゃないんですよ。
――他の作品でも最近観たものはないんですか?
押井:ないですねえ。最近これをどうしても観たいと思うのは、アニメに関してだと、ゼロですね。そもそもさ、65歳も過ぎた人間に、若い人が観ているアニメに興味持てっていうほうが無理だよ。アニメに限らず、いま公開されてる内外の映画で、60過ぎたオヤジが価値観持てる映画、観るべき映画ってあると思う? いま作られてる日本映画の大半は、若い観客のために作られてるんで。
――高年齢層向けの映画ということでは、北野武監督の『龍三と七人の子分たち』がありましたね。
押井:あれは僕はね、あんまりシニア向けだって気がしなかったけど。若い人が観たらきっと面白いんだろうけど、実際に60過ぎた人間があれ観て痛快かっていったら、そんなことないと思うよ。たけしが面白がって、若い人のために作ったんだなという気がする。本当にオヤジやジジイが面白がる映画って、ああいうものじゃないと思う。何かっていったら大体想像がつくんだけど。とにかく、デストロイですよ。破壊。オヤジはなかばヤケクソになってるから。どうでもいいと思ってるし。オヤジが感心するようなドラマなんて、そんじょそこらに転がってないから。人生の実相に迫ってるようなすんげえやつとかね、まずないですよ。それだったら歴史関係の本を読んでるほうがはるかに面白い。人間の営為として、スケール大きいし。僕が戦争の本しか読んでないというのはそういうことなんだよね。
やっぱり映画っていうのはね、基本的には若い人のためのもので。年取った監督が作るものは、あっちの映画。川を渡った向こう側を目指すんですよ。死生観にしか興味ないから。だからアニメ系の監督は必ず作るじゃない。宮さん(宮﨑駿)も『千と千尋の神隠し』を作った。あれは完全に三途の川を渡る映画だからね。高畑(勲)さんも『火垂るの墓』を作った。まあ私もそういう意味で言えば作った、『イノセンス』を。あれは冥土の世界みたいな話だからね、出てくるのは全員幽霊だから。
スターチャンネルとかCSでやってれば、暇なときは観るけど。サッカーやってなければ。でも今はビルダーズやっててテレビがゲームモニターと化してるから、サッカーすら観なくなっちゃった。自分で映画館に行って観たいと思う映画って、ほとんどないですよ。
――映画を観るインフラとして、映画館に行って観るという形以外にも、テレビ放映だったりとか、あるいは定額制のサブスクリプション・サービスみたいなものも出始めてますが。
押井:配信でしょ。たぶん、そっちに行っちゃうんだろうねきっと。僕はそれでも、年に数回は映画館に行くんですよ。嫌いなんだけど。人混み嫌いだし、シネコンの甘い匂いが大嫌いでさ、ポップコーンの。なぜ行くかっていうと、シニア料金で入れることが判明したので(笑)。1100円で観れるんだ、なるほどってさ。今週も一本観た、『バットマン vs スーパーマン(ジャスティスの誕生)』。楽しく観てきましたよ。1100円だから全然惜しくもなんともないからさ。もちろん一人じゃ行かなくて、適当に知り合いのお姉ちゃんと観に行ったりするんだけどさ。そういう意味だと充分楽しめるし、逆にそういう基準で選んでる。だから007とかね。『スカイフォール』とかなかなか面白かった。でも『スペクター』はまるっきりお話にならないぐらいつまらなかった。だから、誰かと観に行って、帰りにそれを肴に酒呑んで帰ろうかっていう、体験になるんだよ。結局、映画館に行くってことは。
楽しく時間を過ごしたいということであれば、『アナと雪の女王』で別にいいんじゃない。観たけどさ、テレビで。全然つまんなかったけど(笑)。たしかにあの歌はね、歌ったらスカッとするんだろうね、きっと。あの場で合わせて歌いたいというのはよくわかる。それが許されてる回があるというのを聞いて、ああなるほどそうだよなと思った。最近だと、例の光ってる棒を振り回して、みんなで応援して観るアイドル映画があるとも聞いたけど。それはね、別に新しくもなんともないじゃんってさ。昔、オールナイトでヤクザ映画観て「異議なし!」とか言ってたのと同じじゃんそれって。警官が出てくれば「ナンセンス!」だし、主人公がドスを抜けば「異議なし!」だしさ。やってること一緒だよ。そういう体験を求めて観に行ってるだけだもん、みんな。
――映画をじっくり観たいという人は、映画館ではない別の場所で観てるんでしょうね。
押井:DVD買うか借りるなりしてきたり、録画しておいて観ようとかね。かつての映画館は、若い人がそこであらかじめ人生とか恋愛とかをシミュレーションする世界だったけど、いまは全然お呼びじゃないっていう。ある種の人間にとっては、そういう映画との付き合い方は絶対に必要だから。映画を観てものを考えたり、自分の考えの訓練をしたりだとかさ。僕らは若いころさんざんやったんだけど、それは今でもやってる人はいるはずだよ。映画館じゃなくてTSUTAYAに変わっただけで。で、これからはきっとそれが配信になるでしょ。一番簡単だもん。一回契約すれば何度でも観れるしさ。ハードディスクに貯めこむ意味すらないじゃん、観たいときに観れるんだから。言ってみれば巨大なハードディスクが向こうにあるんだからさ。昔は一生懸命観て覚えてたけどね。忘れまいと思ってギンギンに観てたから、レイアウトやカット割りまで。アニメの監督になったばっかりの頃は、記憶があるうちに帰ってからコンテに切っちゃう。大体レイアウトはこんな感じだったよな、とかさ。ずいぶん勉強になりましたよ。それしか方法がなかったから。映画との関わり方がね、決定的に変わったことは間違いないんですよ。
――そういった映画のインフラとはまた別の話で、映画自体に3D、さらには4D(体感型)の要素が加わりつつあります。
押井:5年ぐらい前、もっと前かな、これから3Dが出てくるから開発をやってくれって言われたことがある。4Kのときも来たし、実際8Kの話も来たから。8Kの話は、NHKでやる予定が流れちゃったけど。3Dのときは、3Dモデルじゃなくていわゆる立体映画ね、サンプルも作ったけど、結局やるに至らなかった。というかそもそも3Dって日本じゃダメでしょきっと、って途中で気がついた。劇映画に全然向かないし。編集できないもん。三池(崇史)さんもやってたけど、さすがわかってらっしゃるっていうさ、奥行き以外で何もやってないよね。奥行き感出すためだけにやってる。カメラをゆっくり動かさないと、カメラ揺るがしたら頭パンクするから、情報が多すぎて。演出の制約がむちゃくちゃ激しい形式だから、劇映画、ましてやアクション映画なんて絶対に無理。
僕の知り合いが言ってたけど、『アバター』観に行って、3Dメガネを外して全編観たら、予想した通りだったよって。なにが?って訊いたら、戦闘シーンが始まった途端に2Dになったって。(ジェームズ・)キャメロンもわかってるんだよ、やっぱ。あの激しい戦闘シーンを3Dでやったら頭おかしくなる。何が起こってるかわからない。だから戦闘シーンになった途端にただの2Dになってるんですよ。メガネかけてると気が付かない。そういうようなもんだから、成熟する形式ではあり得ないんですよ。
自分が映画を観に行くときでも、あえて2D版しか観てない。『バットマン vs スーパーマン』もちゃんと2Dで観ました。そのほうがはるかに映画としてはいい体験だから。レイアウトもしっかり観れるし。ああいうアクション系の映画を3Dで観るっていうのは、若い人には刺激があっていいのかもしれないけれど、半分ジジイになったような人間は、刺激なんかどうだっていいんだからさ。綺麗なものを観たいわけ。綺麗なものの中には、戦闘とかアクションも入るんですよ。綺麗な風景を観たいって言ってるわけじゃなくて、いい画を観たいわけだから。
(取材・文=ピロスエ)
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