今日は、福祉事務所の生活保護課に行って来た。1時に待ち合わせなので、12時半にバス停に行ったのだが。今日は暖かいので、長袖は脱いで半袖を着て、ロングベストを羽織って出掛けた。今日に限ってバスに乗ったら、道が空いて居るのか12時45分には福祉事務所に着いて仕舞った。15分しか、掛からなかったのですよね。生活保護課に行って見ると、まだ私相手のケースワーカーさんは食事から帰って居なくて、「連絡取って居ますか?」と聞かれたので「はい」と言うと。「帰って来るまでお待ち下さい」と言う。なので、待って居たら。ちょうど1時になったら帰って来て「すみません。お待たせしました」と言うので早速。持って行った「不動産屋からの更新書類」と「保証人会社の更新書類」を見せた。すると「コピーを取ります」と言って持って行った。そして、「23日にお金を、用意しますから取りに来て下さい」と言う。私は「この子は何か勘違いをして居るかな?」と思い。「来月の保護費の支給日は何日ですか?」と聞いて見た。すると「6月2日です」と言うので。「その時に一緒にお金貰えませんか」と言ったら、「しかし期限が差し迫って居るので、、それでも良いですが。今、振り込むお金は自分持ちに成りますよ?」と言うので「期限は6月10日までに払ってくれれば良いと不動産屋は言って居るし。保証人会社の方は6月15日が期限ですから。間に合います」と言って・・・・。
「それに僕は、統合失調症で薬の副作用で毎日寝て居るんです。だから早々来れません」と言ったら。「それではそうします」と言うのですよね。そして、資産申告書の書類が届いて居たから、それを渡して、「その書類に書いてあったけど。全預金通帳を1年間分コピーして来て下さいと書いてあったけど。今日、通帳持って来て居ますから?」と言ったら「そうですか???」と言って居る。そして書類を見て「なるほど、そう書いてある」と言って「ちょっとお待ち下さい」と言って10分くらい居なくなった。そして年配の職員さんと来て。通帳を見せて下さいと言うので。「全部で通帳は6冊あります。うち3冊はもう使っては居ません」と言って見せたら、使って居ない3冊は良いと言うので残りの3冊を渡した。そして言った。「銀行は何時も八幡山のATMで出し入れして居るので、通帳記入が出来ないんですよ。だから、此間、郵便局から下ろした。保護費を銀行の通帳に入れた時に明細書を取って居るのでそれ渡します。」と言って渡したら。「銀行には普段行かないんですか?」と聞かれたので「ええ、銀行は笹塚に支店があるので、中々そこまで行き着けなくて何時も、駅前のATMを使って居ますから」と言ったら。「それもコピーします」と居なくなった。そして最後に「此間、年金事務所に行って年金の手続きをして来たので、書類貰って来たので。それも見て下さい」と渡したら。それもコピーを取ると言ってまた居なくなった。そして色々と細々とした事を話して、用事は終わった。
私はこのケースワーカーさんとは会うのが初めてだったし。彼女はまだ配属になったばかりで良く解って居ない様に感じた。歳の頃、26歳ぐらいか?私は今日は、自分の生い立ちやら、葬式。墓の事。そしてもし自分が死んだら、恋人だけに知らせてくれと言おうと思って居たが。そう言う事は話せなかった。まあ、そのうちに、家庭訪問でアパートまで来るだろうから。その時に、話せれば良いなと思って帰ろうとしたら、「此れから、お願いしますね」と言うので「此方こそお願いします」と言って帰りはバスにまた乗って帰って来た。処が帰りにうっかりして居て、降りるバス停を通り越して仕舞った。仕方が無いので次のバス停で降りたのだが、アパートまで帰ろうとして道に迷って仕舞った。ちょうど雨も降って来たので。カバンに入れて持ち歩いて居る、折り畳み傘を広げて歩いて居るも。どこ歩いて居るのか全然解ら無く成って仕舞ったので、通り掛かりの主婦に聞いたら「歩いて居る方向はいいですよ。その儘、まっすぐ行って下さいね。頑張って!!」と励まされた。歩いて居たら。馴染みの通りに出たのでホッとしたが。40分も歩いたので腰が痛くなって仕舞った。嫌はや、飛んだ災難だったです。
昨日はヘルパーが来た。しかし、話があると言う。何だろうと聞いて見たら。看護事務所とヘルパーの事業所の方で、私が風呂に入らないものだから。此れからはヘルパーが来た時に入らせると取り決めをしたと言うのですよね。だから、一昨日、風呂には入って居ましたが。昨日またシャワーを浴びた。今日は福祉事務所に行くのでちょうど良かった。昨日はヘルパーが帰った後に映画を久々見た「君の瞳が問いかけて居る」と言う映画だった。まあ、2度目なのですが。いい映画ですよ.....。
吉高由里子と横浜流星がダブル主演を務めた純愛映画。チャールズ・チャップリンの名作「街の灯」にインスパイアされて製作された2011年の韓国映画「ただ君だけ」を、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」「僕等がいた」の三木孝浩監督のメガホンでリメイクした映画です。不慮の事故で視力と家族を失った明香里は、小さな楽しみを糧に毎日を明るく生きていた。ある日、明香里は管理人の男性と間違えて塁という青年に話しかけてしまう。彼はかつてキックボクサーとして将来を有望視されて居たが、ある事件をきっかけに心を閉ざし、現在は日雇いのアルバイトで食いつなぐ日々を送って居た。その後も時々やって来ては屈託なく話しかけてくる明香里に、塁は次第に心を開いていく。やがて塁は自分の過去が明香里の失明した事件と接点があったことを知り、彼女の目の手術代を稼ぐため、不法な賭博試合のリングに立つことを決意する。泣ける話です.....。良かったら、ご覧に成って見て下さいね・・・・・・・。
【公式】『きみの瞳が問いかけている』吉高由里子×横浜流星 恋愛映画史を涙で塗り替える、最高純度のラブストーリー/10/23(金)/本予告
それから、NHKのドキュメントを見ました、、親の介護をする子供達「ヤングケアラー」に付いての番組でした。中には18歳の時から30年間も母親の面倒を見て、、進学も恋愛も諦めて、、母親に死なれてから、抜け殻の様な人生を送り、死んで仕舞いたい。と思って居る男だとか、高校生で脳性麻痺のお母さんの面倒を、、自分は修学旅行も友達との付き合いも無くして、して居る子だとか、見て居て言葉を失いました・・・・・・・。
その子は学校に午後8時まで居てそれから家に帰って来ると、、掃除洗濯、炊事。そして小学生の弟の面倒を見て寝るだけの毎日、まあ、親ですからね、、身内ですからね、面倒を見るのは、当たり前だと言えばそうだろうけど。子供らですから・・・・・。政府が対策を講じようとして居ますね。。。
孤立する"ヤングケアラー" 18歳未満の子どもが家族の"介護・世話"する現実 求められる支援とは? (21/08/14 10:00)
【特集】「もっと子どもでいたかった」 家族を介護・ケアする“ヤングケアラー”の現実
"ヤングケアラー"理解広がらず孤立も…「相談したくない」難病の母親介護の子も 北海道は支援条例制定へ (22/03/16 20:30)
高校の頃、1975年頃。私は軽音楽部の部室でバンドのメンバーとセッションをしたのだが。ブルース・ナンバーを皆んなでギグして居たら。同級生の男の学生が突然入って来て。「何やってんだ。皆んなして、変な音出して!!」と乱入して来たので。演奏しながら皆んなで、「バカなこと言ってないで部室から出て行け!」と言っても出て行かず。「ロックだなんてやってるのは皆んな麻薬やってるんだ!!」と訳解らない事を言うので。強引に外へつまみ出した。こう言う御仁が大人になると厄介なオヤジになるのだ。自分の預かり知らない事は理解が出来ない。物事を偏見で見るバカオヤジになる。15、6歳にしてこの程度だと今頃、其奴は大層なバカジジイに成って居る事だろう、処で、其奴は私の隣の机で勉強していた奴で、コンタクトレンズを嵌めていて、しょっ中授業中に、レンズが落ちた探してくれと大騒ぎをしていた。そして探してやると、「あれ目の奥に入って居た」と言うのだ。処置無しだった。
或る日、私もよせばいいのに、其奴を虫プロ映画祭に連れて行ったのだった。私としては手塚治虫作品が上映される事は勿論。目当ては当時既にカルト的な作品と成って居た「哀しみのベラドンナ」が上映されるので、そいつにその映画を解らせ様として、連れて行ったのだが。始めの方は手塚作品のアニメ「展覧会の絵」「或る街角の物語」だとかが上映され。あとTVアニメから「ワンダー・スリー」「ジャングル大帝」などから2話ぐらいづつ放映されて、最後が「哀しみのベラドンナ」だった。私は上映前にそいつに如何に「ベラドンナ」が素晴らしい作品かを力説して居たのだが、そいつは観ながら「なんだ、ジャンヌ・ダルクと同じじゃないか」と文句を言い出した。
ベラドンナ予告編
映画が終わると女の子の客が多かったのだけども。皆んな立ち上がり、スタンド・オベーションをしたのだが。其奴は何だか解らずただ突っ立って居た。私は「ああ、バカに、何、藝術的な物を見せても解らないんだ・・・」と連れて来た事を悔やんだ。当時は丁度TVアニメとしては「宇宙戦艦ヤマト」が放映されて居て、それが切っ掛けで第2時アニメブームが起こる直前だった。その後、アニメブームは第3次アニメブーム。第4次アニメブームへと続いていった。そして日本では1990年代後半から深夜帯の青年向けアニメが広まり始めたのだが。1998年頃から特定の層に需要を見込んだ深夜アニメの採算性が注目されるようになり、テレビアニメの放送形態として一般化していった。この動きには、1990年代に製作委員会方式がアニメでも採用されだしたことが一因であると言われている。
2000年代半ば頃には少子化で子供向けアニメの需要が低下する中、アニメファン向けの映像ソフトなどの販売や世界展開などを見込んで製作側が時間帯を買い取るという形での深夜アニメが数多く作られ、アニメバブルとも形容された。その結果、2006年には全日帯のアニメ製作分数と深夜帯のアニメ製作分数がほぼ互角となるほどにまで深夜アニメが広がる事となった。また製作本数の観点では、2006年には深夜帯アニメが全日枠アニメを越えていると分析しているものもあった。放送数には地域によって差が見られ、2012年には独立局で放送の深夜アニメを含めると最多の東京都(および、近県のTV局、東京MXTVが視聴可能な地域)では145本が放送されたのに対し、地方を中心に全く放送されなかった地域もあった。
しかし、インターネットや衛星放送により地方での格差は是正されている傾向にあり、各種動画サイトやBS 11では積極的に深夜アニメの放送、配信を行っていた。特に『魔法少女まどか★まぎが」(2011年)は地方での地上波放送が無かったにも関わらずネットなどの口コミにより深夜アニメとしては異例の高視聴率、続く劇場版では深夜アニメ映画で初めて興行収入で20億円を突破するなど深夜アニメの大衆化が進んでいた。『進撃の巨人』(2013年)などもキー局ではない深夜放送だが、コミックの売上が2013年上半期総合1位になった他、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどにもアトラクションが設置されている。主題歌も月間カラオケランキングで総合1位になり、CDも売れ『ラブライブ!』(2013年)も興行収入20億円を超え、紅白歌合戦に出場している。最近では「進撃の巨人」は実写映画化された。
進撃の巨人ファイナル|エレンは再び祖先の巨人ベルトルトの死の力の恐怖に直面した,Eren faces the deadly fear of his titan ancestor Bertolt
そしてその男の話だが。其奴は、或る日私を映画に誘った。私はお返しだなと思いどんな映画を観に連れていくのだろうと考えて、多少期待をして居たのだが。其奴が連れて行ったのは銀座で映画のタイトルは「フットボール・グラフィティ」?と言う、B級映画だった。私は嫌な予感がして「他の映画はないのか。」と言ったら、映画館の招待券のタダ券だと言う。映画を観て居たら アメリカン・フットボールをやっている学生の青春もので、やたら女のヌードが出て来て。学生の悪ふざけが続く、そして乱行パーティー。私は観てられなくなり「いい加減にしろよ!!お前はなんでこんな映画を俺に見せに此処まで連れて来たんだ!!」と言っても黙って映画を観て居る。私は途中で出る訳にも行かず最後まで観て。「今日はサイテーな1日だったよ!!」と言ったら銀座でも指折りな蕎麦屋に連れて行くと言い。私を帰さない。蕎麦は食べたが頭に来ていて、おいしさなど分からなかった。まあ、これが映画を知らない人間の映画の見方だ。タダ券なら何でも良いのだ。ふとそんな事を思い出した。
最近は映画館で最後に映画を見たのは、十数年前の若松孝二監督作「11、25。自決の日、三島由紀夫と若者たち」だった。ああ、2年前に「続・荒野の用心棒」のリバイバル・ロードショーを見たが。此処の処、映画は何も見ていない。エリック・クラプトンの伝記映画「12小節の人生」もクイーンのボーカリスト。フレディー・マーキュリーの生涯を描いた「ボへミアン・ラプソディー」も観に行けなかった。本当は両方とも観たかったのだが、年配の訪問看護師から「生活保護になったら映画など見られません!!」とものすごい口調で言われて、殆、嫌になってしまったからだ。でも、押井守の低予算映画「血ぃ友達」とか。今年封切られるであろう、同じく押井監督の新作アニメは見に行きたく思っている。しかし「メトロポリス」は弟の嫁さんが観たいと言って、弟と3人で見に行ったのだが。映画自体も良い出来ではなく。弟と私はこんな映画のどこが良いのだろうと思いながら観ていたが弟の奥さんは一人で興奮して観ていた。映画自体も客の入りは散々だった。この後、りん・たろう監督は干されたらしい。
メトロポリス(予告編)
弟たちと言えば。一緒に映画をその他、2本観に行った。1本は「カウボーイビパップ・天国への扉」もう一本は敬愛する押井守の「アヴァロン」だったっけ・・・その二人ももう居ない。弟は急死し。弟と奥さんは離婚している。今思えば、あの頃が自分にとってもよかった時代だったのかも知れない。しかしまあ、「カウボーイビパップ・天国への扉」は弟も嫁さんも解って観て居たが。「アヴァロン」は弟は解って観て居たが。弟の嫁さんはよく理解出来なかった様だった。
Cowboy Bebop Knockin' on Heaven's Door 'Clean ED'
Avalon
その他、映画と言えば。母と観に行った押井守監督の2本の映画。「人狼」と「イノセンス」と若松孝二監督の「11・25、自決の日、三島由紀夫と若者たち」が思い出に残っている。母はアルツハイマー型認知症が進んでしまって居て、もはや今や駄目出し・・・「人狼」封切り当初は一般の映画に比べたらそんなに知名度はなかったのですが。しかし上映してみると凄い客が押し寄せて。私が母と観に行った初日などは、映画館に長い列が出来て居て並びました。そして上映時には立ち見が出来て、それでも客が映画館に入り切らないので映画館側が急遽、座布団を床に敷き詰めて客に観させる程で、私と母は床に座って観て来た憶えがあります。映画館の関係者は「こんなに客が来るとは思わなかった」と言って居ました。
また、「イノセンス」も若者で大盛況で、何故なら、スタジオ・ジプリのプロデューサー鈴木敏夫がプロデュースして居て、確か宮崎駿も影で協力して居たみたいです。まあ、この「イノセンス」はカンヌ映画祭にも出品されて、当時のカンヌの議長クエンティン・タランティーノが押井監督が所属して居た「プロダクションIG」で彼自身の映画「キル・ビル」のアニメパートを無理を言って作って居たこともあり。繋がりがあったので、パルムドールが取れるかもと、淡い期待をして居たのですが。議長のタランティーノは推薦したのですが。エマニエル・べアールとニコール・キッドマンの二人の女優が反対して、賞は逃しました。当時監督の押井守が「まあ、女優にとってアニメは敵だからね、仕方がないよね」と言って居ましたね。何遍も言いますが「11・25、自決の日。三島由紀夫と若者たち」は母に取って最後の映画と成りました。
Jin-Roh: The Wolf Brigade 人狼 (1998) HD trailer
Innocence - Trailer
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」予告編 若松孝二監督作品
しかし話が元に戻るが、其奴はクラスで浮いていた奴で。だいぶ、可笑しい人間だった。友達がいるとも思えず。だから私が虫プロ映画祭に連れて行ったのだが。未だに其奴が私を連れて行って観た、最低に下品で下らない映画に付いては何おか言わんやだろうか。大体がタダ券だから映画を観に行く。私も幼き頃。家に映画のポスターを貼らせてくれと来て、貼らせてやったら近くの映画館で見られるタダ券を貰ったが。見た映画は「七人の侍」だった記憶がある。其奴は主体性が何も無いのだ。しかし映画を詳しく知らない御仁にとって、映画はタダ券で映画館で見られるものを見るという風な時代でした。本来映画館が特殊な場所でそこに行かなければ映画を見ることができなかった時代から、今は本と同じように封切(新刊書)+ライブラリーという時代になったのです。でもその様に大きく受容環境が変化したのに、見た映画を自分の中のどの位置にどういう順番で刻んでいくか、つまり自分の「映画感」をどのように構築するかについては、あまり模索されてこなかった様に思います。 しかし、受容環境が変われば見方も変わります。 そこで現在の受容体験を考えてみると、 ある方向が見えてきます。それは「膨大過ぎ、自由過ぎ」です。
現在は過去の作品でも、めぼしいものは DVD化されています。そのすべてを見る訳には行かないし、主だった映画だけ見たとしても、全体像を把握するのが難しい時代です。映画館だったら新作が次々と公開されて行きますし、名画座ではある種のテーマがあります。何年か映画を見続ければ、同時代の映画を感じ、それを手がかりに受容体験を深めることができます。 しかし、ライブラリー化したビデオ店では分類方法が定まっておらず、連続性が絶たれてアイウエオ順に並んだDVDからは監督やジャンル以外には「手がかり」が見えないのです。そしてさらに問題なのは、 それで不便かというと不便ではないと言う事です。検索エンジンが優秀なので情報はすぐに調べることが出来ます。つまり、 自分はあたかも映画をたくさん見て自分なりの映画感を持っている人間の様に振る舞えるのです。しかしこれは記憶中枢がネット上に出て行ってしまった人間の様な状態です。「感じるだけで良い」と言う様な扱いをされている訳です。これでは、それぞれの人が、自分の出会った 乏しい映画を並べて狭い映画感を作るしかないでしょうし、実験映画のような情報化されていない映画に出会うと、はみ出してしまうでしょう。
もう一点の「自由」で言うと、今の映画評の多くは、文脈から離れて観た人が自由に価値を作り出すのだという考えです。この「受け手による再構築」という視点は、 映画に限らず音楽や文学など今の受容体験と仕手はむしろ主流でしょう。 この考え方は、いわゆるポストモダン以後、つまり、一通り知っている人たちがそれまでの価値を否定するという形で出てきたものです。この見方は、無知の輩とインテリが同じ土俵で語りあえるという、とても便利な一面を持っていたので、メディア などで多用されて定番となりました。 しかし、これではいつまでたっても子供っぽい受容体験、感受性はあるが理解力や記憶力がない、という地点から抜けられません。つまり、面白い、怖い、笑った、とは 言えるが、どのように評価していいか解らないという観客が増えるのです。 そこから出ていくには、まずは初歩的な処から、見た映画の関係性を考えるあたりから始めることです。
たくさんの映画同士の関係性をとらえる為には昔から2つの視点、時間軸にそった視点と、空間的な視点がありました。 時間軸に沿った視点では、ある作家の作風の変化や作品同士の関係を見ます。また、 ある作品が過去の別の作家に影響を受けて居るという関係もこうした通時的な視点から考えられます。クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見た後、過去へとたどって「ハートブレイク・リッジ」や 「許されざる者」へと戻していくといった感じです。また別の作家との関係では「ハ ートブレイク・リッジ」と、同じ設定・展開の「特攻大作戦」をネットや文献などで 発見するのも楽しいです。実験映画好きの人としては、マヤ・デレンの 「午後の網目」もDVD化されていますの で、そのあたりと作品を比較するなど面白いと思います。 もう一つの空間的な視点は、時間軸のある一点で横のつながりを見る視点です。同時代の作家同士が影響しあったり、近いテ ーマや作風の映画を作るという現象です。 ヌーベルバーグなどのムーブメントがそうですが、時代や社会状況など幅広い分析が出来ておもしろいです。そういえば、そう言ったムーブメントが見えにくくなって居る、というのは逆に今の時代の特徴とも言えるのではないかと思います。しかし、時代は変わって便利な世の中になりましたね。
Unforgiven (1992) Official Trailer - Clint Eastwood, Morgan Freeman Movie H
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2kg痩せたと思って居たら。4kgも太った。プラス2kg増だ。痩せるとお腹が減る。するとコンビニで何か買って来る=太るといった図式だ。所詮、薬で太っているもので痩せられないのか・・・主治医に言わせると、食パンが太るとの事。しかし、食パンは安い。6枚切りで180円ぐらいで買える。若い時は代謝がいいからすぐに痩せるが。60歳にも成ると駄目なのか。誰か良いダイエットの方法を知っていたら教えて下さい。切に願う。これ以上ブタに成りたく無い。80kgを超えているのです。
また、お見苦しい、ジジイのブタ写真をお見せしまして申し訳ない。しかしこうやって定期的に上げていることで自分の容姿を客観的に見れて良いのです。しかし我ながら年取ったなぁと思いますよ、50歳から60歳までの10年間が空白です。何やって来たのだろうか。殆どが調子が悪く寝ていたか、病気で入院して居たなぁ.......
最近になって15年ほど前の自分に戻りたく思い。下が15年ほど前のkiyasumeです。
この頃だって体重は65kgぐらいはあったけど....しかし、自分がこんな人生を送るとは思っても居なかった。皆さん、健康にはくれぐれも気をつけて下さい。私みたいに成ったらお仕舞いですよ。しかし3年前の夏退院して来た時には体重が60kgだったのに・・・最近、アイスクリームだとか食べるからだろうか・・・・前に高倉健さんがTV番組に出て来た時に、ごちそうを出されたら、「すみませんが、私は役者だから何も食べられないのです。今日は特別にカレーライスだけ頂きます。何年振りかなぁ、美味いなぁ」そう言って食べてましたね。役者は辛いですよね。体型を維持するために何も食べて居ないのです。バレニーナなども何も食べて居ないのでしょう?私はもう歳だけども、精神年齢は30歳で止まって居ます。でも人からバカにされようと私は年寄りみたいなことを言いたくないし。変に若者にジジイの説教みたいなことは言いたくありません。私は思うのですが、青春って10代、20代だけのものとは思って居ません。幾つに成っても青春はあります。時間と金があればライザックみたいなトレーニング・ジムに通いたいぐらいですよ。着いて行けるかどうかは別ですが・・・
高倉健さんの映画を観終わりました。
此間と言っても、もう1年ぐらい前ですが、最近の若者のバンドで「グリム・スパンキー」と言うバンドが居るのですが。女性シンガーの嗄れた歌い方と言い。ブルースの影響を受けた相棒のギターと言い最近のバンドでは非常に良いバンドなので。聴いていたら。若い20代の看護師の女の子が「〇〇さん、この子ら20代ですよ。〇〇さんの子供の年の人たちですよ!!」と言うのです。なんかねぇ〜〜。その子はパンク・ロックが好きで。最近のバンドは聴いているのだろうけど、ロックの歴史を知らない様でした。だって私がブルース・クリエーションの「悪魔と11人の子供たち」というハード・ロックのバンドのCDを聴いて居たら、誰だと聞くので、「竹田和夫だよ。」と言ったら、まあ、知らなかったのだけども、若いから知らないのですよ。どうも音楽に歳は関係ないと言う事を解って居ない見たいですね。
でもね、70代とかジジイだとか馬鹿にする若者が居るけど。彼らは学園紛争で荒れた大学を出て、一番ロックが華やかだった頃の時代を生きて来たのですよ。1960年代にフラワームーブメントだとかヒッピー文化を体現している世代です。勿論日本人はビートルズの影響が強いですが。私などは遅れて来た全共闘世代だから。後追いでロックを聴いていましたが。1970年代はブリティッシュ・ロックの全盛期でしたしね。しかしその下地を作ったのは1960年代のバンドでしたしね。例えばブリティッシュ・ブルースで言えば。アレシクス・コーナーだとかが後にエリック・クラプトンを育てる事に成る、イギリスの田舎でブルースマンとして活動していたジョン・メイオールをロンドンに来させてメジャーにして。
グラハム・ボンド・オーガニゼーションなどで活躍していた、ジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースらがクラプトンとあの歴史的スーパーバンド「クリーム」を結成する事になったのだし。その元のアレクシス・コーナーが優れたギタリストで、また優れたブルースマンであったと言う事を、最近の人たちは知らないから。だから、私が「グリム・スパンキー」にその時代の音楽を重ね合わせて聴いて居て応援しても、ごく自然な流れな訳ですよ。先ほど映画のことを言いましたが。ロックも歴史が今や集積していて。音楽の文脈で聞いて居ないと最近のロックだけでは解らない事が出て来る訳です。何故、大学生だった「グリム・スパンキー」が世間から評価されたのか?それは彼らがロックの王道をちゃんと歩んで居るからですよ。
GLIM SPANKY「ダミーロックとブルース」
Alexis Korner - Stump Blues
John Mayall & The Bluesbreakers with Mick Taylor - Oh, Pretty Woman
Graham Bond, Dick Heckstall Smith with Jack Bruce and Ginger Baker.
Cream - White Room ( Farewell Concert 1968)
Kazuo Takeda 2018 .2.25. Slow Blues
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私の母は親父の仕事をいつまでも続くと思って居た。製菓材料の卸問屋などいつまでも続く訳が無い。最近は卸問屋が軒並み無く成って居る。親父の会社は大手の不二製油と旭電化という2大メーカーの材料を扱って居たが。一時期、不二製油のチョコレートを醍醐というメーカに卸して居たのだが。その時は数億もの取引があったが。ある時に不二製油の工場が爆発しチョコレートが醍醐まで行かなくなった。工場の稼働を止める訳には行かないので、親父が大阪まで出向き、大阪工場から千葉にある醍醐まで届けさしたのだが、日に数十トンのチョコレートが行く為に、不二製油は取次店である親父の会社を省き自ら直送をして醍醐と話を付けてしまった。うちは一瞬にして億と言う利益が消えた。私はそんな事に成る予感がしていた。母と親父が利益の札束をほおって数えて居たので「母さん、そんなお金の扱いをするとお金が入って来なく成るよ!!」と言って居た。母は「お前は何、馬鹿なこと言ってるんだい。お金はこれからも儲かるさ」と言って居たが。その工場の爆発事故、以来、醍醐からのお金は途絶えた。毎月入って来た数億円のお金が入って来なくなったのだ。親父の給料は月数千万だったがそれも貰えなくなった。親父は落ち込んで「おりゃ〜もう駄目だ」と絶句して泣いた。親父はなんだかんだ言って後継にはゆきかずを考えていたが、ゆきかずを親父の後継の為に醍醐に連れて行って社長に会わせたら。「こんな馬鹿は二度と連れて来るな!!」と言われてしまい。ゆきかずを怒っていた。当のゆきかずは頭に来て、車に私を乗せると仕返しにイビリ出した。
呆れた私が「あんた、自分が今、会社から何と言われて居るのか解って居るのか!!」と怒鳴ったら両耳を塞ぎ「言わないでくれ!言わないでくれ!!」と泣き出した。私は呆れていた。そのゆきかずだが、私が呆れてしまう事が他にもあった。前にも話したが。倉庫番としてやって来た、一応は早稲田を出たジジイにある本を見せて、「〇〇さん、私はこう言う本を読んでいるのです」と差し出した。するとそのジジイが「そうか、おめえが次期社長だ」と言うと「そうです。私が次期社長になります!!」と言って敬礼をするのだ。そして冷凍庫に冷凍品を入れていた私の処に来て。「〇〇ちゃん。私はこう言う本を読んでいるんだよ」と得意そうに見せたその本は「マーケティング・リサーチ」の本だった。定価1800円の本だ。私は笑うに笑えなかった。ゆきかずは得意げに「ねえ、〇〇ちゃん。私が次期社長だとあの早稲田を出た〇〇さんが言ってくれたんだよ。此れからは如何にお客様の身に成って商売をするかだよ」と言うのだ。私は怒る気力も無かった。私はこれ以上この会社に居るのは辞めようと思い出して居た。親父はこの頃から痴呆に掛かって行ったのだろう。言う事がおかしく行動もおかしくなり息子の私が邪魔だと言い出した。私はこれで会社を辞められると思った。それからの行動は私のblogを読んで居る方なら解る筈だ。
私が倉庫番をしている時に、哲学書を数冊、持って行って読んで居たら、中学を出てからケーキ職人に成り、うちの会社に社員として入って来た男が居たのだが、会社が相手にしているのはケーキ職人やら和菓子職人なので下手に大卒よりは同じ感覚を持ったそう言う経歴の男の方が話が通じる。それでその男は会社でも良い位置に居たが。或る日、「〇〇さん、何エロ本読んでるの」と言うので「これがエロ本に見えるのか?」と言ったら「だってさ!さっき〇〇さんが席外した時にさ!見てみたけど、何が何だかわからないよ!!」と言うのだ。私は呆れて黙ってしまった。その男は映画の話をして居て、ロシア映画の名作「戦艦ポチョムキン」と私が行ったら全然解らず。「ソビエトが映画なんか作っているの?」と聞くのだ。ゆきかずもやって来て私が知らない間に読んで、「〇〇ちゃん、あんな哲学書なんか読むのやめようよ」と言う。私は「自分の勝手だ」と言ったら矢張り「私も読んでみたけどさ、何書いてあるのかチンプンカンプンだったよ!!」と言うのだ、そりゃあ、哲学書だ。私だって全部が全部解って読んでいる訳では無い。読むことが哲学の基礎なのだと思っている。私だってハイデッガーの「存在と時間」を読んで居て、頭がこんがらかる。でも哲学に必要なのはその読みなのだ。自分で思考をすると言う事なのだと思う。
病院に入院中だった18年前、立教大学を出たと言っている50歳の男がいた。自称映画通だと言う。私がマカロニ・ウエスタンとフィルム・ノワールが好きだと言うと「マカロニの大傑作で「花の火」と言う映画があるのです。音楽が素晴らしく綺麗なのです」と言う。そんな映画は聞いた事も無い。私は蔵書で過去1964年から1990年間に制作されたマカロニ・ウエスタンのリストを持って居る。或る日、それを持って来ていたので。その男に見せるとそいつはページをパラパラとめくって、青ざめて、それ以来私に映画の話はしなくなった。そして当時流行っていた「エヴァンゲリオン」を見た事が無いけど、どんな映画か周りに入院して居る若者に仕切りに聞いていた。その男は宇宙戦艦ヤマトでアニメは止まって居る様だった。私は一様は見たが。何しろ弟が自分が務めて居る、病院の副院長が「エヴァンゲリオン」が好きだと言って居るから、今度テレビでTVシリーズが再放送されると言うので是非録画してくれ、レーザーディスクで劇場版2作品がボックスで発売になるから買ってみればと仕切りに言うのだ。ボックスを買ってみたら、やたら大きくて、なんだこれはと思って、中を開けて見たら、ヒロインの綾波レイちゃんのフィギュアとかなんか一杯入っている。
私は「なんだかなぁ〜」と思い。弟に言ったら。そのレーザーディスクをすぐにダビングして送ってくれと言う。送ってやったらそれを「エヴァンゲリオン」オタクの副院長に挙げたそうだ。そういう事なら自分で買えばいいのにと私は怒った。それで見てみたのだが、今までのロボットモノにしては斬新で確かに哲学的ではあった。しかし私はアニメオタクでは無い。正直言って面白いことは面白いのだが、ついて行けないとも思った。もう少し若ければ付いて行けたのだろうけど・・・・そのTVシリーズは会社にいた自称ブルースマンと言っていた高橋という男に貸したら2ヶ月経っても返してこなくて。或る日「〇〇さん、あれどうするの!!」と叫ぶのだ。私は呆れてしまって何も言わなかった。それ以来、そいつは私に返さなかった。以前、業者にレーザーディスクを引き取って貰う事に成って、業者がホクソ笑んでいたが。そりゃそうだろう、需要があるからねぇ。こちらはタダで持って行って貰う訳だから。タダで仕入れて、そこそこの値段で売れて業者が儲かるのだと思う。仕方がない。私はいつも諦めさせられる。忍耐の人生だ。それに私は装甲騎兵ボトムズの方がしっくりとくる.......
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告【公式】
装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ 予告編集.flv
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会社で働いて居た時、従兄弟のけんじが「〇〇ちゃん、日本は核爆弾を持って居るんだよ。」と突然言う。私は「非核3原則というものが日本にはあるのを知らないのか?」と聞いた。そうしたら「「比較3現素」って何? 」と聞いてくる。私はもう、笑うしかなかった。何にも知らないのだ。一体、けんじはゴルフボールが頭に当たってからどうなってしまったのか。そして、いつも私に嫌がらせを仕手居るものだから、忘年会の時に年取った社員に連れられて私の家に、専務である親父を迎えに行くと。「あれ、おばさんが出てきちゃう!!。私はここで降りる〜〜。」と言う。年取った社員は「何言ってるの?けんちゃん?いいじゃない」と言って居た。自分が日頃、私に嫌がらせを仕手居る手前、何言われるかと、おどおどしているのだ。けんじが会社に入って来たのは。元々はけんじは山一證券に勤めて居たのだが。昔は切れ者で通って居たのだが。山一は部長が部下に灰皿を投げ付けたり、机の上を歩いたりと奇行が目立つ様に成り。そんな噂が流れ始めたら会社は倒産したのだった。まあ、けんじは倒産前に何遍も言うけど上司とゴルフをしていたら。上司の打ったゴルフボールが頭に直撃し。病院に数ヶ月も入院する騒ぎに成って、つくづく嫌になり自分の親父が弟の私の親父と共同経営しているこの会社で働くことになったのだが。よほど当たり処が悪かったと見えて、まるで痴呆の様な事を言い出す人間に変わってしまったのだ。
会社は親父が作ったのだが、兄貴のかしろうが、九州で働いて居たのだが。結核に成り、もう一家心中をするしかないと、手紙をおばあちゃんの元に寄越して兄弟が集まり。弟の親父が会社を立ち上げるので一緒にやろうと誘ったのだった。それなのにあいつらは恩義も忘れて、会社は自分が作った。食えなかった弟を養ってやっていると真逆の話を近所に広めて居たのだ。ゆきかずは親父のコネで会社の親会社の旭電化の子会社で働いて居たのだが、何せアレだけバカだ。上司からいつもきつい事を言われて、挙げ句の果てに胃に穴があき唾も飲み込めなくなり、会社を辞め、親父が経営して居る会社に入って来たのだった。そういう意味では私も同じだった。しかし、ゆきかずは私を極端に恐れた。自分が会社の社長になる夢を私が壊すと、まあ、強迫神経ですね。思い込んで、弟のけんじと共に私をずっとイビって居たのだ。私は前に何回も話した通りに20代ぐらいで障害を持つ様に成ってしまったから、やむなく親の会社に入ったのだが奴らは、それを許さなかった。そして私の親父が突然自分勝手に成り、おそらくは痴呆が始まったせいだろうが。私はつくづく嫌に成り、今から20数年前に会社は辞めた。私が働いていた頃は給料は30万は貰えていたが。最近会社のHPを見ると給料は25万位に成って居る、ゆきかずが大学を出たのかどうかは・・・だ。
私に卒論は何を書いたのかとか、しつこく聞いてきたが、私が逆に聞くと話をはぐらかして言わないのだ。あんだけバカだと恐らく大学(明治学院大学)を卒業するのに大金を教授につかませたに違いない。何せ会社は学歴不問だ、何故なら過去に大卒を雇ったが、殆どの人が辞めて行ったのだ。大体がうちの会社は職人と話をする。大卒は職人達の話についていけない。大抵喧嘩に成る。だから学問は要らないのだ。だから、うちの会社には色々な経歴を持つ人間が居た。高卒とならまだ良い方だ。殆どが高校中退。もしくは中卒、小卒だった。まあ、ゆきかずは大卒が入ると喜んでいたが。大卒からは常務は一体何考えて生きているんだと言われて反旗を翻されて、中にはこんな会社はトロいものだと会社乗っ取りを画策する者も居た。何せ、ゆきかずは見た目は立派に見える。しかし1週間一緒に行動すると、皆んな、この男はバカかと言い出す。ゆきかずとけんじの母親は、だらしがない親だった。私が子供の頃にゆきかずたちの家に行くと。冬はこたつが置いてあるけど。こたつ布団に味噌汁やら醤油、ソースが媚びり付いて居て、とてもではないが、そばに寄っただけで汚くてこたつなぞには入れない。また、砂糖が家の中にドバッと落ちていてそこに蟻が集っている。私は遊びに行った時におばさんに「砂糖が溢れて、蟻が集っていますよ?」と言うが、ゆきかずの母親は「いいのよ、〇〇ちゃん。蟻が片付けてくれるわよ」と言うのだ。
まあ、そんな親に育てられたから、けんじは道に落ちたものも大丈夫だと言って拾って食べた。反対にゆきかずは親の反動か何時も格好は身綺麗にし、ゆきかずの部屋は綺麗だった。処で音楽だが、ゆきかずは、ド演歌しか聴かなかった。けんじはアリスしか聞かないのだった。前にも書いたが、私が初めの実家で、1階のうなぎの寝床に居たのだが、バンド関係の音楽やら、自分のバンドの録音テープを聴くと、いつも隣の倉庫で聴いて居て、難癖を付けて居たのだった。そしてけんじはギターなぞは到底、弾いた事も無いのに「ギター弾けるぜ!!ええ〜〜〇〇ちゃん」と大嘘をつく。私がなら3コード弾いてみてよと言うと、意味が解らないのだ。「3コード」を簡単に説明すると、音階の「ドレミ~」にあたる記号をアルファベットで表すと「CDE~」となりますが、要はCがドになる訳です。で、これをその曲のキーとすれば、そこから使える音が決まってきます。まあ、ジャズなんかでは「すべてのキーに対してすべての音が使える」としている見たいですが、それは「経過音」という「入れなくてもいいけど、サッと通り過ぎざまに入れておく音」も含んでの話で、キーを無視するといわゆる「不協和音」って事に成って、それを好む人も居ない事も無いでしょうが、随分と落ち着かない音の塊になります。ギターという楽器の特徴というか、その音が「心地良く」耳に聞こえてくるというベースにこの「3コード」がある。
いわゆる「日本のフォークソング」や「ブルース」は殆どがこの「3コード(大雑把に言えば、キーとその4度、5度上のコード)」で作られ、古き良き日本のフォークソングで一番多いのは「Am→Dm→Em」の組み合わせではないでしょうか(ちょっと暗い感じ)。故に、多くの曲が似たような雰囲気に聞こえます。「ブルース」ですと「E→A→B7」(メジャーコードの場合は何も付かない。マイナーと同じmなんで)ではないでしょうか。もっと簡単に言うと、全てのコードにはそれぞれ役割があります。例えばKEY=Cで、C F G Cというコード進行があったとします。この3つはスリーコードと呼ばれるもっとも基礎的なコード群ですが、C=トニック(T)・・・ 安定。F=サブドミナント(SD)・・・ やや不安定。G=ドミナント(D)・・・ 不安定。という役割になります。まあ、基本ですね。ブルースは此の3コードで出来ています。非常にシンプルなんです。そして、けんじに3コードを弾いて見てと言うと丸で解らないのです。これが楽器を弾ける人でしょうか?弾けると言うのは丸嘘なのです。けんじは会社に入ると丸嘘を言うようになり狼少年と言われていました。けんじやらゆきかずは当然年齢的にはロックの洗礼を浴びたはずですが。何も知らないのです。ピンク・フロイドと言うと「あっ!ピンク・レディー???」と聞き返す程だった。
【Live】原始神母2016「Atom Heart Mother」(pinkfloyd tribute)@161027Chicken George
初めての3コードブルース進行 ギターレッスン
さて、此処まで自分の事を書いて来ましたが。この辺で今回は終わりにします。皆さん此処まで読んでくれてありがとう......。
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