遺 構:郭・堀切・土塁・石垣
標 高:245m 比高差:150m
目標地:国道8号線脇の【ヒラタ機工】の東側に「小堤山城の案内板」ある、小堤山城から尾根を東へ案内板ある
駐車場:林道ゲートの前に駐車場ある
訪城日:2013.4.15
古城山(ふるしろやま)と岩倉城・桜本坊と桜本池
小字岩倉にあり、西方は小堤、辻町に接し、東は立石山に接している。昔、馬淵氏がここに城郭を築いたため古城の名があるが、今は石垣の一部が残るのみである。頂上近くに池があり、明治時代の記録では、「桜本の池」と称し、干ばつの時も水が枯れたことがないと言い伝えられている。山頂への参道は、古くから表坂と裏坂と呼ばれる二つのルートがある。表坂は光善寺川を越え、ほぼまっすぐに尾根を伝い、屏風岩を通って山頂に至る。
一方、裏坂は光善寺川の源流となる谷の一つに沿っており、途中で大きく左手に向きを変え、山頂直下の桜本池に達する。
桜本坊は応永年間(約600年前)に岩蔵寺(がんぞうじ)が再興されたときに造られた六坊の一つで、古城山山頂に位置する。桜本坊は他の坊が荒廃し消滅する中で最後まで続き、明治新政府の神佛分離令によって神道化し、桜本社と称することになった。明治二十七年には瓦葺の小さな社殿が建立され、例祭行事(古城祭)の他、大干ばつ時には雨乞い祭りも行われた。
しかし、第二次大戦の頃、その例祭行事が断絶してしまい、その後は古城山山頂周辺に石積、社殿の瓦、それに石灯籠を残すのみになった。 (大篠原郷土史会)
たとされる。『小堤城山城』は永原重秀、古城山には『岩倉城(桜本城・弥勒寺城)』に馬渕泰信、鏡山星ケ峯に『星ケ崎城主』鏡久綱が城を構えた。立石岩倉城は古城山と同一とされている。弥勒寺城も馬渕高昌が城主と明治30年ころの村誌に記載されている。https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1309612055868033&set=a.123291404500110&type=3&theater