「探訪 六角家臣の山城 大森城」・・・参加者約70名(内女性5名)
座学が始まった!「六角氏の被官と城」・・・講師の仲川 靖主幹
大森城の主郭・曲輪・土塁・虎口の配置
いよいよ大森城に向かって、案内・説明版に
お城のデータ
所在地:東近江市(旧八日市市)上大森町 map:http://yahoo.jp/y3BPvy
別 称:上大森城
現 状:山林
区 分:山城
築城期:室町期
築城者:布施淡路守
遺 構:土塁・堀切・堅堀・枡形虎口・物見櫓・井戸
標高:206m 比高差:35m
目標地:大森神社
駐車場:大森城の登り口に駐車
訪城日:2011.1.15
お城の概要
大森城へ登り口は大森神社の駐車場横の林道を数百m走ると、右手に山道があり、山道横に大森城址(本丸跡まで200m)の石碑が建っている。
山道を10分ほども登ると尾根に出るが、道は自然と堀切へ導かれる。いわゆる堀底道である。
この堀切から西へ数10mほどのところにも堀切があり、西の防御ラインとなっている。
尾根道を東へと歩くと幾つもの曲輪が確認できる。段高い主曲輪(本丸)へは土橋を経て登るルートと尾根筋から廻るルートがある。
主曲輪は北方に開いた形で周囲に土塁を巡らし、東と西の3ヶ所に虎口を設けている。北側虎口は切り出しの土橋を介し、3折れで主曲輪に至る構造となっている。また虎口を見下ろす位置には櫓台が配置さられており、実に巧みな縄張りである。
大森城の虎口がいつの時代に改修されたのか、また、大森城の南斜面には8条の竪堀が配されている
城域一帯は雑木が茂っているが、木々の間から北に大森町と八風街道、南に蒲生町を眺望することができる。
お城の歴史
日本城郭大系によると、布施淡路守の子藤九郎公保が在城したと伝えられ、
「大洞弁天当国古城主名札」に上大森城主布施淡路守の子藤九郎公保としてその名がみえる。
倒木から枝が格子戸の様に空に向かって、自然の城壁か?
すぐに土塁に・・!
現場説明は 杉浦氏(ブルージャケットにショルダーマイク)
虎口から入ったら中央に「井戸」2m位深さ
信長の負けず鍔の永楽通宝旗印
その由来は桶狭間の合戦前夜、熱田神宮へ戦勝祈願した信長が、永楽銭を一握り投げ上げるとすべてが表を向いた事から皆が勝利を確信。
今川義元を敗死させ、戦利品として取得した「義元左文字」の鍔の表・裏に全て表を向いた永楽通宝をあしらったという、信長のげん担き。
大森城の主郭・曲輪・土塁・虎口の配置
山の神 お供え餅はイノシシのお腹の中へ
お勉強の終了証を頂きました・・・!
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。