城郭探訪

yamaziro

向山城 近江国(伊吹)

2013年10月14日 | 陣城

田の畔道から、攻め込むが切岸のよう3m。

お城のデータ 

所在地:米原市甲津原(旧伊吹町甲津原)   maphttp://yahoo.jp/ThWOGg

現 状:森林

区 分:山城

築城期:南北朝期

築城者:京極氏?浅井氏? 

遺 構: 土塁・竪堀

目標地:甲津原交流センター

駐車場:甲津原交流センター駐車場

訪城日:2013.10.13

植栽林で、コアジサイが蕾を付けてました。

お城の概要

向山谷の城郭遺構は残る、土塁は低く直線的に横矢歪みも洗練された治山城対面の200mくらい離れた位置にあり、【治山城を攻撃するための陣城「向城」であった可能性もあり、土塁竪堀も配置は治山城と対峙する臨戦態勢を伺わせる構造、頂部は未完成で。治山城とは全く異なる異質の城郭遺構】と解説された。居住性のない、陣城。

杉木立に囲まれたところが向山城(農道から遠景)

画像 

 縄張り図・鳥瞰図:長谷川博美氏作図(内諾)

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!


「秋一番 あざい ほっと 城郭見学会」

2013年10月14日 | 平山城

近江中世城郭調査委員会主催の「秋一番 あざい ほっと 城郭見学交流会」が参加しました。
講師は、城郭研究家 長谷川博美氏です。
午前11時、小谷城戦国歴史資料館前駐車場画像に集合し、

「旧伊吹町 甲津原の治山城郭遺跡、向山城郭遺跡」へ向かう前に

小谷城本丸を見学しました。小谷城 近江国 2013.10.13治山城郭遺跡、向山城郭遺跡」へ向かう途中に小室城 近江国 2013.10.13

甲津原交流センターで昼食・講座

鎮守の森のような!杉木立が治山城(遠景)

 

田の畔道から、攻め込むが切岸のよう3m。

植栽林で、コアジサイが蕾を付けてました。

杉木立に囲まれたところが向山城(農道から遠景)

せんめん橋と治山城

 

本日も訪問、ありがとうございました。


治山城 近江国(伊吹)

2013年10月14日 | 平城

お城のデータ 

所在地:米原市甲津原(旧伊吹町甲津原)   maphttp://yahoo.jp/vURmll

現 状:城山・田地

区 分:山城

築城期:南北朝期

築城者:広瀬氏

遺 構: 土塁・曲郭・切岸・犬走り・狼煙s

目標地:甲津原交流センター 

駐車場:甲津原交流センター駐車場

訪城日:2013.10.13

鎮守の森のような!

これが城址?

お城の概要

草が覆い茂った城【切岸】を見ながら、刈り取られた稲株の上を腰郭右回りに歩いていく。腰郭が「田んぼ」として利用されている。水は豊富で平削された腰郭すぐに田んぼとして西利用・・・棚田を開墾するより楽だ!・・・半周回った。

甲津原の昔は不便で、近年少しでも田畑を増やすために郭を田んぼとて利用したもの。

歴 

 「大洞弁財天当国古城主名札」に坂田群室村屋敷主 廣瀬兵庫頭とある。

甲津原区有、天正十年六月十九日付け 羽柴秀吉・秀勝 連署書状 [所在不明・坂田郡志・東浅井郡志に所蔵]に

 明智軍が長浜城を攻め、広瀬兵庫介らが城中にいた女房たちを避難させた。その恩賞として甲津原内35石を賜る。

所付

一、四百弐捨石    高山

一、三十五石     かうつはら(甲津原)

一、四十五国     すいの(東浅井郡杉野)

合五百石可有知行也

今度女房共相越候処、袖馳走条、喜悦候、為忠恩五百石令扶助軍、可有全領知状如件。

天正十  六月十九日     越前守 秀吉   秀勝 花印

広瀬兵庫助殿

   浅井歴史資料館蔵/写し

長浜城にいた、秀吉の母「なか」と妻「おね」は避難の避難ため、美濃国坂内村出身の土豪広瀬兵庫助の先導で、称名寺(浅井軍尊勝寺)の僧性慶の随行で、伊吹町上野の三ノ宮神社を通り、東草野谷より曲谷、甲津原をへて、坂内村に隠れたと。

狼煙穴

ささゆりの実

唯一の石積

何故かカワラナダシコ(大和なでしこ)1輪

杉木立が治山城(遠景)

 

せんめん橋と治山城

甲津原は猿楽演能が盛んで、近くの天満神社に所蔵されているようです

 

縄張り図・鳥瞰図:長谷川博美氏作図(内諾)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、 日本城郭大系  

              本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!