お城のデータ
所在地:米原市甲津原(旧伊吹町甲津原) map:http://yahoo.jp/vURmll
現 状:城山・田地
区 分:山城
築城期:南北朝期
築城者:広瀬氏
遺 構: 土塁・曲郭・切岸・犬走り・狼煙s
目標地:甲津原交流センター
駐車場:甲津原交流センター駐車場
訪城日:2013.10.13
鎮守の森のような!
これが城址?
お城の概要
草が覆い茂った城【切岸】を見ながら、刈り取られた稲株の上を腰郭右回りに歩いていく。腰郭が「田んぼ」として利用されている。水は豊富で平削された腰郭すぐに田んぼとして西利用・・・棚田を開墾するより楽だ!・・・半周回った。
甲津原の昔は不便で、近年少しでも田畑を増やすために郭を田んぼとて利用したもの。
歴 史
「大洞弁財天当国古城主名札」に坂田群室村屋敷主 廣瀬兵庫頭とある。
甲津原区有、天正十年六月十九日付け 羽柴秀吉・秀勝 連署書状 [所在不明・坂田郡志・東浅井郡志に所蔵]に
明智軍が長浜城を攻め、広瀬兵庫介らが城中にいた女房たちを避難させた。その恩賞として甲津原内35石を賜る。
所付
一、四百弐捨石 高山
一、三十五石 かうつはら(甲津原)
一、四十五国 すいの(東浅井郡杉野)
合五百石可有知行也
今度女房共相越候処、袖馳走条、喜悦候、為忠恩五百石令扶助軍、可有全領知状如件。
天正十 六月十九日 越前守 秀吉 秀勝 花印
広瀬兵庫助殿
浅井歴史資料館蔵/写し
長浜城にいた、秀吉の母「なか」と妻「おね」は避難の避難ため、美濃国坂内村出身の土豪広瀬兵庫助の先導で、称名寺(浅井軍尊勝寺)の僧性慶の随行で、伊吹町上野の三ノ宮神社を通り、東草野谷より曲谷、甲津原をへて、坂内村に隠れたと。
狼煙穴
ささゆりの実
唯一の石積
何故かカワラナダシコ(大和なでしこ)1輪
杉木立が治山城(遠景)
せんめん橋と治山城
甲津原は猿楽演能が盛んで、近くの天満神社に所蔵されているようです
縄張り図・鳥瞰図:長谷川博美氏作図(内諾)
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、 日本城郭大系
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!