城郭探訪

yamaziro

清水山城(日高山城・比叡谷城) 近江国(新旭)

2013年10月29日 | 戦国山城

清水山城の縄張り図

お城のデータ 

所在地:高島市新旭町安井川   (旧:高島群新旭町安井川)      map:http://yahoo.jp/zGEUze

別   名 :日高山城、比叡谷城

現 状:森林

区 分:山城

築城期:南北朝期 嘉禎元年(1235)

築城者:佐々木信高

城 主:佐々木信高

 

標 高:220m 比高差110m

 

遺 構:土塁・竪堀・畝状竪堀・曲郭・堀切・説明板

城 域:1000m×800m

 

2004年(平成16年)2月27日、「清水山城館跡」は、国に史跡に指定

 

 

目標地:新旭スポーツ公園

 

駐車場:新旭スポーツ公園駐車場

 

訪城日:2013.10.23

お城の概要

  森林スポーツ公園から山林に入り、林道を経て約25分で山頂の主曲輪に着く。

この間、清水山遺跡屋敷跡や林道脇に堀切に観られ、ただひたすら登る山城と違い、楽しみながら登ることができる。
(林道の為に遺構が壊されており、残念!)

 清水山城遺跡は、佐々木越中氏の本城と伝えられています。発掘調査で城の主郭(中心地)から、住宅風の大型礎石建物跡が確認され、生活をうかがわせるような遺物が出土しています。

発掘調査後、公園整備され、礎石建物跡を身近に見ることができます。 この山城の南側に広がる丘陵には、城主、一族衆、家臣などの屋敷跡が残っています。(清水山遺跡) また、山麓には、館跡である井ノ口館(本堂谷遺跡)や館跡であったと考えられる御屋敷や犬馬場の地名が残っている地域があります。 

これらの地域をすべて含めると東西0.8km、南北1.0kmを測る広大な範囲となり、滋賀県下でも有数の一大ゾーンが形成されていたものと思われます。

 鎌倉時代から室町時代にかけて高島郡の中・南部を支配していた高島七頭の惣領家にふさわしい規模といえます。

 主曲輪はきれいに整備され、天気の良い日には琵琶湖に浮かぶ竹生島や対岸の湖北、湖東を一望できる景色は素晴らしいの一言に尽きる。

 主曲輪を中心に三方に延びる尾根筋には、南東尾根の曲輪群、南西尾根曲輪群、および北尾根曲輪群と曲輪が配されている。
 また、主曲輪の東側斜面には虎口部の守りを強化するように配置されている畝状の竪堀が非常に特徴的である。

 この清水山城は山頂部だけでなく山麓にも多くの遺構・曲郭群が残されている、往路は林道を、復路は林道と交差しながら残っている山道を、清水山城の規模の大きさを実感できる。

 なお、清水山城を訪れる際は、南山麓の井ノ口館を同時にみられることをお薦めする。 

  

大手道

畝状竪堀

歴 史

 清水山城は、別名日高山城とも比叡谷城ともいわれ、嘉禎元年(1235)に高島郡田中郷地頭職佐々木高信が築いたと伝えられている。

 その後、高信の嫡流高島氏(一名越中家)が、高島七頭の総領としてこの城に拠って高島郡を統治した。その後、高島氏は、高島、平井、朽木、永田、横山、田中、山崎(能登)の七家に分かれ、高島七頭(たかしましちがしら)と呼ばれるようになった。
また、清水山城の南東斜面には加賀殿、越中殿といった地名が残されている。
 清水山城は平成16年2月27日、国史跡に指定されている。

嘉禎元年(1235年)佐々木高信が築いた。子孫は高島氏(高島越中守)を称し、代々治めた。元亀3年(1572年)織田信長の高島郡攻略により落城したと推定されている。

畝状竪堀

畝状竪堀

主郭の虎口

コイワカガミ!オオイワカガミ!

二の郭

三の郭の間の大堀切

一部紅葉が!

主郭と二の郭の堀切(主曲輪南西尾根の堀切)

参考資料;滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、説明板

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。


山口城(外村城) 近江国(愛東)

2013年10月29日 | 平城

のすぐ西側に

お城のデータ 

所在地:東近江市愛東外町  map:http://yahoo.jp/Ns6EuQ

別 名:外城

築城期:南北朝期

築城者;小倉氏

初城主:小倉氏

区 分 :平山城

遺 構 :土塁、石積、堀

目 標:愛東外集落センター

訪城日:2013.10.28

西郭の入り口(コンクリートの橋)、獣害ネットは鍵有りません!(猿に注意)

近江 山口城(外村城)

10mも行くと郭跡狼煙台のようです!

西郭の土塁。

狼煙台のよう!です手水鉢のように、10cm程の窪む(30cm×15cm 深さ10cm)東郭の石積!西の郭の石垣西の郭の石垣西の郭遠景

東の曲郭へ

松茸シーズンも忘れて、獣害フェンスを開けて入山。切岸30mを必死に登り林道へお地蔵さんの前の道を約10分ほど登ったところに高圧線の鉄塔の手前の林道、この山手に曲輪跡がある郭跡・土塁

空堀林道から、植栽林は綺麗に手入れさて、郭・土塁(2m)は、はっきり確認できる

2段目の郭跡ブッシュでした

 

どうも、東も郭跡・・・西の郭跡は?

愛知川右岸の切岸斜面の曲輪

西の曲郭・・・主郭へ

お城の概要

県道217号線を紅葉橋に向かって走ると、"外"の町並みが切れた辺りに左手(山手)に入る道があり、道なりに進むと、お地蔵さんが祀られている。この裏手の山が山口城址である。 

歴 史 

小倉城や青山城、鯰江城などと共に、南北朝期から戦国期にかけて愛知川流域を支配した小倉一族の城である。

県道脇に3台位の駐車スペース

近江 山口城(外村城)

西郭遠景東側郭の遠景(左鉄塔下)

 

ここからは、古墳の一部のようです・・・。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!