城郭探訪

yamaziro

堂木山砦 近江国(伊香・余呉)

2014年04月22日 | 平山城

賎ヶ岳合戦 進め余呉城郭研究会 堂木山砦

堂木山砦は城郭愛好家には、非常に人気の高い城郭です。

日 時 2014420日(日)13:001600

集合場所 長浜市余呉町下余呉1938 はごろも市

交 通 JR北陸本線「余呉駅」下車 徒歩5
内 容 織豊系傑作陣城堂木山砦を詳細現地解説  

講 師 愛知中世城郭研究会 長谷川博美氏

会 長 田畑喜久弘氏 挨拶 ※雨天決行

定 員 20名(要申込)主催 余呉城郭研究会                                                                                                                                            

 堂木山砦へは余呉町の火葬場の東へ小川沿いの道から山中に入る山道がある。

 堂木山砦は余呉にあって、賤ヶ岳から行市山へと連なる稜線から派生した尾根が、北国街道(国道365号線)付近まで張り出した舌状尾根上、比高150mほどの位置に築かれている。この砦は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに際して、羽柴秀吉軍の木村隼人等が布陣した秀吉軍の最前線の砦であると共に、北国街道を押さえる重要な砦である。

とっかかりのない急斜面を登り切る。 ここから砦までは傾斜の緩やかな尾根筋を辿るが、道は無くなり登り難いことこの上ない。

入城前に、西の堀切で・・・講師:長谷川博美氏より概要説明中!

歴  史

 天正11年2月28日(太陽暦では3月21日)、北庄城の柴田勝家は雪解けを待ちきれず、前田利長を先鋒として江北に向けて出陣させ、3月3日には佐久間盛政,前田利家を、3月9日には勝家自ら諸将率い、除雪をしながら北之庄を発進した。

 勝家軍が越前を発進するのに先んずること約2ヶ月、天正10年(1582)12月下旬、秀吉は美濃・岐阜城攻めの帰路に柳ケ瀬付近を巡視し、翌年1月には柴田勝豊の部下である大金籐八郎と山路正国に天神山に砦を築かせていた。

 北国街道を南下し、江北に着陣した柴田軍が行市山を中心とした山麓に展開して砦を築くと、羽柴軍の天神山砦は標高も低く、羽柴軍の他の砦からも突出した形となり、秀吉は天神山砦を捨て木村隼人等に堂木山砦、蜂須賀正勝に神明山砦を築かせて防御ラインとした。

登ること約20分、植栽人口林の中に堀切と土塁の壁が現れる。

所在地:伊香郡余呉町堂木 maphttp://yahoo.jp/3bzoGP                                                                             築城期 :天正11年(1583)
初城主:大金籐八郎,山路正国
区 分:山城(陣城・砦)
遺  構:土塁、
堀切
城 域:150m×50m
標 高:238m 比高差:120m 
訪城日:2014.4.20

 
 砦は4つの曲輪で構成され、主曲輪を中心に尾根の北側に1つ、南に2つの曲輪を配置しているが、柴田軍の布陣する山並みと尾根で繋がる北の曲輪と主曲輪は、周囲に高い土塁を廻らせ堅固な守りとしている。
両曲輪とも東側(羽柴陣側)に平虎口を設け、二つの曲輪を食い違い虎口で接続している。

 通常、城砦の縄張りがされる際、曲輪には外部と繋がった2つの虎口が設けられるものであるが、ここ堂木山砦の中核をなす曲輪にはその虎口が1つしか設けられていない。
 こんな所にも堂木山砦が最前線に位置する危機感とともに、賤ヶ岳の戦いでは羽柴軍が守りに徹していたことが窺える。

 

堂木山砦(遠望)・・・余呉湖岸より

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、現地説明板、講師:長谷川博美氏の現地説明・見学会レジュメ

本日も訪問、ありがとうございました


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