城郭探訪

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岡田館    近江国(八日市)

2016年05月02日 | 居館
お城のデータ
所在地:東近江市(旧、八日市市)岡田町  map:http://yahoo.jp/M9QKAS(遺跡ウォーカー)
現 状:神社・水田
区 分:居館
城 期:室町期
築城者:岡田平部少輔
遺 構:圃場整備で消失か?
目標地:八幡神社・岡田会館
駐車場:岡田会館に駐車
訪城日:2016.4.13
お城の概要
 愛知川も右岸の井元城の対岸に、位置した平城で、遺構は圃場整備で焼失か?。現在は、国道307号線沿いの田園地帯である。
中世には柿御園庄で八風街道の旧道の添いで、近江守護佐々木六角の根幹地に近く、又鯰江城攻めの井元城・青山城も対岸に位置する。 

お城の歴史

柿御園の由来

  古来 、奈良・平安時代初期、 当地は、 奈良大安寺等の荘園であり、. 柿の 多い地域であったことから柿御園と呼ばれていたと伝えられいた。平安時代にが惟高親王は当地住民の庇護を受けて、鈴鹿の山深く木地師の祖となったと伝承が残る、

『淡海国木間攫』には、神崎郡 岡田村 「岡田兵部少輔応仁乱物頭ナリ、岡田介左衛門永禄二年尾州ヘ行、信長公ニ属ス、又曰、岡田団兵衛・岡田大介ハ蒲生家ニ出、高畑石見守モ此所ヨリ出ル、太閤記ニデタリ、」と記す。

 遺跡ウォーカーの比定地(八幡神社の西隣の圃場)

  

集落の勘定縄(魔除け)

神社前の道路を横断して吊り下げます。この大綱には、注連縄とお札が飾り付けられ、【悪霊】が町内に入ってこないように「村中の安全」を祈願します。

起源は定かでありません。又、勘定縄は滋賀県でも、湖南・湖東地方だけにあるそうで、村の入口にある道路に吊り下げられる ことが多いと言われてます。

八幡神社  鳥居の奥左側が岡田会館     

岡田会館前のバス停

 応仁の乱は、

 室町時代の応仁元年(1467)に発生し、文明9年(1477)までの約10年間にわたって継続した内乱。8代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府官領の細川勝元と室町幕府侍所所司(頭人)の山名持豊(出家して山名宗全)ら有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった。十数年に亘る戦乱によって、主要な戦場となった京都は灰燼と化し、ほぼ全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。

応仁元年(1467)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱とも呼ばれる。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査4(旧蒲生・神崎郡)、遺跡ウォーカー、淡海国木間攫、Wikipedia

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