菅山寺城
管山寺城 (寺院城郭・山砦)
北近江戦国史を塗り返る異形の中世城郭、菅山寺城
- 所在地:長浜市(旧伊香郡)余呉町坂口 http://yahoo.jp/UZirqx
- 築城期:室町期
- 築城者:佐々木京極高清
- 戦 い:坂田京極高清 × 犬上京極政軽との合戦のため城郭普請
区 分:山城(砦) 未完成城
遺 構:土塁・堀切・竪堀・郭跡
現 状:寺院・・山林
標高:460m 比高差:190m
訪城日:2015.9.25
歴 史
・近江国余呉荘は交通の要害のため、文和元年(1352)、将軍足利義詮は、佐々木京極道誉を地頭職に補任(任命)「佐々木文書」
・京極高詮は、応永元年(1396)足利義満より余呉荘を安堵「佐々木文書」
・京極氏の余呉支配は六代将軍足利義教の時(1428~1441)に断絶。永亨七年(1435)まで、能登守護 畠山満慶が余呉荘の地頭職に。
・余呉荘、応仁・文明の乱時、文明年間(1469~1487)に将軍足利義政は比叡山延暦寺に寄進。「佐々木文書」
・足利義政の指示で、畠山氏から京極氏『京極持清』に与えられた。
『近江名所図会』には、木之本北に管山寺城と記されて、佐々木道譽の城と書かれている。
『日本城郭体系』に、伊香郡木之本北 佐々木佐渡判官入道阿弥(アミ)=京極道誉の居城と。『近江名所図会』を引用
城郭研究家:長谷川博美氏が1990年(平成2年=25年前)『滋賀県中世城郭分布調査7 伊香郡・東浅井郡 P46』。
その後、踏査し古城塞を確認した。
城郭フォーラム(余呉城郭研究会主催)で2012年6月17日に発表、解説された。
今回2015年9月25日見学会に参加。
近江名所図会
1815年(文化12年)の刊行。秦石田と秋里籬島が編集、蔀関月と西村中和が画を担当したとされているが、実際は、『木曽路名所図会』『伊勢参宮名所図会』『二十四輩順拝図会』から近江関係の記事を抜粋してまとめたもの。全4巻。別名として「琵琶湖勝概全覧図会」とある。
当時の習俗・風俗が詳細されており、民俗学・歴史地理学の格好の資料である。
山上駐車場から、ブナ林の山道を進む
堀切
小土塁
管山寺の南側標高:459mhttp://yahoo.jp/UZirqx
南第3堀切
南第2堀切
南第2堀切
南第1大堀切の岩盤
南大1大堀切の岩盤
現地で解説:長谷川講師(城郭研究家)
南第大堀切の土橋
管山寺超え遺構
標高460m地点には、低土塁を伴う二重堀切と二重木戸を設けてる。
重要な管山寺の閑門を監視や物見台の役割果たしていた。
二重木戸は南北の稜線を南から北に向かう兵力をするために作られた砦!
管山寺城(出構え・山砦)
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!