城郭探訪

yamaziro

小谷城  近江国(甲南)

2014年10月10日 | 丘陵城

お城のデータ  

所在地:甲賀市甲南町池田字奥ノ谷       (旧甲賀郡甲南町池田字奥ノ谷 )      map:http://yahoo.jp/4WtQBr

現 状:山林

区 分丘陵城

築城期:室町期

築城者:池田大和守

城 主:池田大和守

遺 構:曲輪・土塁・堀切

比高差:20m

目標地:中野倉庫バス停

駐車場:中野倉庫前に駐車場 

訪城日:2014.10.9

お城の概要

細い道を登る、平坦地があり、さらに右手に登ると主郭です。主郭は東側斜面を削りこんだ形で、西側は削り残し部分が5mほどあります。郭内は藪状態ですが、菱形に近い形の郭で、意図的なのか?後世の改変なのかはわかりませんが、東側には2m弱の土塁は切れ切れに残ります。

歴 史

池田東城が本城で、ここは支城のようです。

室町期築城

『佐々木南北諸士帳』に、池田城主 佐々木随兵清和源氏 池田太郎定信。

                池田城主 後に信長随兵トナル 池田庄三郎亘輝。

                池田城主 其後備前北方住国主トナル 青木筑前。の名が見える。

鈎の陣夜襲 長享元年(1487)9月、足利義尚六角攻めのため近江に進発。湖南湖東で高頼軍と合戦。義尚、同年10月1日鈎の安養寺へ陣を移す。その日の夜、甲賀武士が攻撃する。(第1回)同年12月20日の攻撃で義尚負傷。(第2回 これも疑問) 延徳元年(1489)3月26日、義尚(義煕)25歳で病死。(手傷が死因とする説があるが、間違いであろう。

甲賀21家の1つ、池田家 池田大和守

大原源三  望月出雲守   和田伊予守   美濃部源吾   池田大和守   山中十郎   鵜飼源八   服部藤太夫  芥川左京亮        神保平内   佐治河内守   上野主膳正   伴播磨守   高嶺蔵人 大河原源太   隠岐左近  多喜勘八   頓宮四方介   内記伊賀守   岩室大學介   大野宮

 

センチュリーゴルフクラブのクラブハウスの西が城祉

センチュリーゴルフクラブの駐車場手前に、右林道、すぐ左からの城址・郭へ

アケビの実

左端が城址・・・中野城近くから遠景

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、日本城郭大系 、 佐々木南北諸士帳  

   本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!! 



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