応仁の乱(1467〜77)に始まる戦国時代は、室町幕府の権力が著しく低下する中で、全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が出現して、戦いを繰り返しました。
その中で近江は東国からの京の都への玄関口という立地条件から歴史の表舞台になってきました。中世を通じて近江を領した佐々木一族の六角氏と京極氏、京極氏の被官から台頭した浅井氏、さらに京をめざす戦国大名などが、在地の土豪たちを巻き込んで近江の地で戦いを繰り広げました。その結果、近江には全国でもっとも多い約1300箇所に城や館・砦などが築かれることになります。
彦根も例外ではありませんでした。
特に、南の六角氏と北の京極氏・浅井氏の境目に位置することから、佐和山城をはじめと高宮城・山崎山城・肥田城など市内全域におよぶ60箇所の地に城や館・砦などが設けられ、幾多の戦場となりました。
「天下布武」を揚げて天下人をめざした織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの戦国大名も彦根を重視し、彦根の地に足跡を残しています。