高尾城跡と鮎河城跡の間にピークが仮称【中ノ尾城】
所在地:甲賀市土山町鮎河 map:http://yahoo.jp/k4IA2z
遺構等:土塁、横堀、竪堀、虎口
現状:高尾城跡と鮎河城跡の間にピークが仮称【中ノ尾城】山林
築城年:南北朝期
築城者:頓宮弥九郎
歴代城主:頓宮氏
区 分:山城(詰め城・出城)
訪城日:2014.4.13
現地踏査図:長谷川博美氏作図
南北朝時代に南朝に属していた頓宮弥九郎(鮎河弥九郎)が南朝軍反撃の拠点とした城です。
建武5年(1338)、頓宮弥九郎は兵を挙げ鮎河城に立て篭ったが、北朝軍の佐々木秀綱に従った山中橘六、小佐治右衛門、美濃部兵衛三郎らの軍に攻められ落城した。
鮎河山城の北にある【仮称 中ノ尾山城】そして西に鷲尾山城(砦)
近江には中世の城館跡が大変多く、約1300ヶ所以上といわれていますが、
特に甲賀郡はそれが密集している地域で約300ヶ所もあります。 これは甲賀五十三家と呼ばれるように主家、分家、親戚などからなる同名中惣(地侍の運命共同体のようなもの)が多数存在したからです。土山町には現在判っている城館跡だけで土山城址、音羽野城址、山中城址、頓宮城址、黒川城址、鮎河城址、それに大河原氏砦址と7ヶ所もありますが、そのうち鮎河地域に3ヶ所もあります。山中城址以外はいずれも頓宮氏の同名中惣と思われます。
城といっても、近世の天守閣をもつ大きなものではなく、土塁のようなもので石垣も一部使われていたようです。
鮎河の東端の山すそにあります。南北朝の頃、南朝に属していた頓宮肥後弥九郎が反撃の拠点として築いた要塞跡で、ここで二度にわたり北朝側と戦いましたが、いずれも武運つたなく敗れ去ったそうです。
中ノ尾城・・・ウグイ川より遠景
大河原城・・・鮎河館より遠景
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、長谷川博美現地見学会(説明・レジュメ)
本日も訪問、ありがとうございました