大河原氏城は巨大壮観。
大河原氏城は巨大壮観。音羽野城高度な技術の大型城館 大河原氏城と音羽野城見学会(大図面で学ぶ中世城郭) 大河原氏城 ★★★★★5 強烈な堀切のある大型城郭 大河原氏城出丸 ★★★3 大河原氏城出丸を発見図面化 内 容:現地城郭学習会 図面資料A4P12大図A3P1 内 容:河原氏城大図附 講 師:長谷川博美氏 (愛知中世城郭研究会・元滋賀県中世城郭分布現地調査員) ストレッチ:ウォーミングアップ・クールダウン 田中修氏(JNFA公認インストラクター予定)宮本 集合 ※土山歴史民俗資料館(丘陵上駐車場/トイレ有) 時間 10時〜16時 各自弁当水筒・健康保険証 持参
主催 米原市文化協会 教養部 城歩会 Eメールwwmy29831@maia.eonet.ne.jp 長谷川
1 城址は民間監視された施錠の私有地で入山許可が必要(事前に交渉済)
2 大河原氏城は従来の規模の2倍の面積。甲賀屈指の巨大堀切が圧倒的です。
(新たに作成した迫力大図面を作成是を用いて城址を丁寧に解説)
3 桝形石垣や石垣築地痕あり、隆々と続く巨大な櫓台の景観には驚くばかり。
4 山岳山城ではありません、身近な里山で遺構見学を十二分に堪能します。
4月6日組
A3踏査図で概要説明・・講師:長谷川氏4/6記念(祈念)写真(土山歴史民俗資料館(丘陵上駐車場/トイレ有)にて)
4月7日組
A3踏査図で概要説明・・講師:長谷川氏
所在地:甲賀市土山町鮎河 map:http://yahoo.jp/TJBaIL
別 名 : -
築 城 :長享年間(1487~91)
初城主:大河原源太
区 分 :平山城
遺 構 :土塁・堀切・空堀・石碑・
城 域 :100m×100mか
訪城日:2014.4.7
主曲輪は東西35m、南北40mほどの広さで、南側斜面には石段の跡が認められ、ここが大手虎口か。
主曲輪の西~北~東には土塁が築かれて、西側土塁には土塁の内法を石垣で固めたのであろうか、15~20cmほどの石が散乱している。
また主曲輪の周囲には南側を除き、空堀を廻らせ、西,北,南に延びる尾根には堀切を入れるなど、主曲輪を取り巻く縄張りは黒川氏城と非常によく似ている。
甲賀においては単郭方形の館城が多い中、この大河原氏城は黒川氏城と共に求心性の高い縄張りがされており、甲賀武士とは権力構造の異なる勢力が改修しているのではないかと感じた。
歴 史
大河原家・黒川家ともに、近江守護職六角氏(観音寺城主)との繋がりは深く長享・明応の乱(1487~1501)に戦功をたてた。六角氏が9代将軍足利義尚に攻められた長享の乱 「鈎の陣の戦い」に参戦しての勲功により感状を与えられた甲賀二十一家の一で両家ともに「地域連合惣」の北山九家の一です。 大河原源太が鮎川を、 黒川久内が黒川・黒滝の地を領有し以後代々子孫が世襲していますが、六角氏が衰退により甲賀五十三家も弱体化していく中、天正13年(1585)羽柴秀吉によって解体されて共に滅びます。
現地へ
桃色すみれの出迎え
平成?昭和?の横堀?城道
新発見(仮称)出丸後方から攻め込む。最初の土塁最初の石積
主郭へ
4月7日組記念(祈念)撮影
小休止・・・復習?
登城記念に・・・主郭にて
登城口の門兵石仏
甲賀の城より・・・縄張り図
長谷川氏:踏査図
長谷川氏:大河原氏城出丸を発見図面化
長谷川氏:踏査図【大河原氏城】は黒川氏城にも勝る大城郭、城構え・
大河原城(遠景)
参考資料:長谷川氏:現地見学会資料・説明、滋賀県中世城郭分布調査(甲賀)、近江の城郭、淡海の城、甲賀の城、甲賀郡誌
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!