城郭探訪

yamaziro

管山寺 近江長浜市余呉坂口

2015年09月28日 | 探訪「大地の遺産」

山上駐車場の説明板(管山寺城の説明はありません)   

          

歴代住職の墓

余呉湖の東にあり、菅山寺が350m付近にある。余呉町のウッディーパル余呉から林道が延びて終点に駐車場がある。

 菅山寺への案内板がある。ここは尾根の最高部であって、アカマツとブナが混生した珍しい景色である。西の余呉町坂口から表参道が上がってきて合流する。不思議なことにここから参道は東中腹に向けて下っていく。参道に坂口から始まる四国八十八ヶ所巡りの石仏が並んでいる。石仏はやや小さく頭が壊されたものが多く無惨である。

 分岐があり直進すれば菅山寺である


 菅山寺は天平宝字8年(764)僧照檀開基し、寛平元年(889)道真中興と伝え、盛時には3院49坊があった。
 建治3年(1277)銘の梵鐘(国重)には、道真が寺院を建立し不動明王を安置したと彫られている。そして、このときから龍頭山大箕寺から大箕山菅山寺となった。賤が岳の戦いで焼失したが、再興された。現建物は江戸時代の建築である、と説明してある。

 都で政治の中心にいた菅原道真が、寂しい山中の寺院を再建している。これには次のような伝説がある。
 余呉湖には天女伝説がいくつかある。湖畔に住む漁師桐畑太夫は天女と恋に落ち一子をもうけた。天女が去って子はやむなく菅山寺に預けられた。やがてここを訪れた菅原是善の養子となり、後に道真となった。
 美しい湖がこうした伝説を生んだのだろうか。なお案内看板にも道真は余呉湖畔川並の生まれと書いてある。
 本堂背後に五輪塔や無縫塔、墓碑がたくさん並べられている。墓であろうが、整理されて明るくて、石造品の展示場のようである。山門も残っているようだが回らず、最初の分岐のところに戻る。
 一帯はブナ林がよく残っている。菅山寺は暗く陰鬱な印象を受けなかったのは、芽吹きを始めたブナのせいだと気が付いた。これがもっと葉を茂らせて暗くなる夏の頃であれば違った印象を受けるはずである。いい時期に来たと喜ぶ。
 尾根道に中部自然歩道の標識があり、田上山へ長い歩道がある。田上山はこれから登るつもりだが、距離が長いので一旦下り、下から登ることにする。散策に訪れる人がある。

ケヤキ門

大箕(だいき)山中にある、真言宗豊山派の古刹。奈良時代、孝謙天皇の勅を受けた照檀上人が開山、龍頭大箕寺と称し、平安前期に菅原道真が宇多天皇の勅使として入山、3院49坊を建てて大箕山菅山寺と改名しました。

 江戸時代になって徳川家康の強い要望により、鎌倉の中期に専暁上人が唐から持ち帰った教典約7000巻(国宝)のうち、5714巻を芝の増上寺に譲ったことから、徳川幕府から50石の寺領が与えられました。

 明治以降は衰退し無住となったが、大正元年(1912)に保勝会が組織され、残る堂宇の改修と保存がなされています。山門の左右には、菅原道真御手植えと伝えられる樹齢千三00年の欅がそびえ、ヒシの自生する池やブナの原生林などの自然に固まれています。鬱蒼と茂る樹林の間に本堂、護摩堂、経堂、鐘楼などが建ち並び、鎌倉中期の作銘を持つ銅鐘は大正15年(1926)国の重要文化財に指定されています。他にも、本尊の不動明王や十一面観音、木造の狛犬、石灯籠など寺宝は多くあります。

護摩堂

『管山寺』

山号は大箕山。
近江湖北二十七名刹巡礼第一番札所。
管山寺は当初、龍頭山大箕寺と呼ばれ、天平宝字8年(764年)に照檀上人が孝謙天皇の勅命を受けて建立されたと伝わる。当時は法相宗だったが、のちに真言宗となり今に至っている(真言宗豊山派)。
その後、菅原道真により中興した。道真公は余呉湖辺の川並村に生まれ、6歳から11歳まで本寺で勉学し、寛平元年(889年)から3院49坊の寺院に復興、名も管公の一字を採り大箕山管山寺と改められたと伝えられている。藤原時代から鎌倉時代に最も栄え、僧房105末寺70余の極めて大きな寺であった。

管山寺に現存する建物は全て江戸時代の建造物である。現存の本堂は元禄5年(1692年)の建立。天正10年(1582年)の大地震、賤ヶ岳の戦い等で大破したが、一山の衆徒の手厚い志により再建された。

明治以降は衰退し、現在まで無住となっているが、大正元年(1912)に保勝会が組織され、残る堂宇の改修と保存がなされている。

宝物は・官山寺 弘善館(里坊)

本堂

やがて神秘的な池に着く。折から小学生数十人が遠足でやってくる。それがなければ怖いようなところである。
 池畔は広がり近江天満宮の鳥居と社がある。菅山寺守護神で、菅原道真を祀る。道真は菅山寺を中興したとされている。
 五所権現を過ぎて池を半周すると、苔むした僧坊跡の石垣が続き、菅山寺への真っ直ぐな参道となる。堂々とした本堂と鐘楼がある。少し上に如法経堂がある。

        近江天満宮    

この寺の伝承では、天女が産んだ男子を寺で養育していましたが、それが菅原道真その人であるといい、境内の近江天満宮には、道真の自作と伝わる像が祀られています。

  

  

  本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!


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