城郭探訪

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勝部火屋城 近江国(守山)

2015年03月27日 | 平城

 

お城のデータ

所在地:守山市勝部町 map:http://yahoo.jp/wMwRLPi

目標地:守山市勝部神社

区 分:平城・陣所

比高差:0m 

現 状:墓地

遺 構:明治期の地籍図に小字「城ノ越」

築城期:室町期

改築期;戦国期

築城者:永原氏

改築者:佐久間信盛

城 主:永原氏・佐久間信盛

訪問日:2014.12.22

歴 史

『近江與地誌略』には、勝部古城は永原右近介 在城と記す。

織田氏の湖南統治の陣所のひとつ。
勝部神社を城域とする勝部城とは別物だが、落城後に移築されたともいわれる。

元亀年間の金ヶ森御坊との抗争の際に、佐久間信盛・稲葉一鉄・稲葉貞通が入城した。

城域は市街地に埋もれ、現在は墓地と駐車場になっている。

 勝部城の歴史は明応・大永年間(1492~1528)に永原筑前守重頼が築城したとされ、この永原氏は、冒頭で触れたように佐々木六角氏の力で再建されている神社の境内に築城しており、佐々木六角氏の重臣に当たる一族であったそうです。

日本城郭大系でも城主について様々な説があることだけは触れていますが、あまり永原氏の歴史や、またこの城の歴史については深く触れておらず、現地の神社由緒書にも、この城のことは触れられていませんでした。

織田信長が上洛した後は、稲葉伊予守・佐久間信盛が在城したとされますが、いつごろ廃城になっていったのかなどは定かでないようです。

現在の勝部神社付近は都市化が進み全く往時を窺がい知ることは困難な状態。神社の裏側には水路と、土盛りが見られますが、これが濠の名残か、また城の土塁なのかは不明です。

地形は戦国期の城塞を築くのに適した位置とは思えませんが、恐らくは永原氏の居館程度の規模で、守山駅周辺には同じく佐々木六角氏に従った武将の城跡が多いため、それらと連携を取りながら街の治安にも当たっていたのではないかと想像します。


勝部古城(勝部神社)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査

本日も訪問、ありがとうございました。


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