日 時 2015年10月24日(土)10:05〜16:00
城郭研究家の長谷川博美氏から「堂木山陣城・神明山陣城の縄張り図」について説明があり、郭・虎口・堀切などの位置を詳しく解説。
両陣城とも賤ヶ岳合戦の羽柴秀吉軍の陣城で、羽柴秀吉軍の最前線で、柴田勝家軍とにらみ合った古戦場。
お城のデータ
別 名: 堂木山砦
所在地: 滋賀県長浜市余呉町東野 map:http://yahoo.jp/N0YpPd
現 状:山林
築城期:鎌倉期 改築:織豊期 天正11年(1583)
築城者:東野越前守道義
改 築: 羽柴秀吉
初城主:東野道義 合戦時城将:山路正国,木下半右衛門
区 分:山城・陣城(砦)
遺 構: 主郭・出郭・虎口・土塁・横堀・堀切
標 高:283m 比高差:130m
駐車場:旧余呉町火葬場に駐車
訪城日: 2015.10.24
堂木山陣城・明神山陣城見学会 2015.10.24
当日見学会、一緒の近江ノ国米ちゃんのWEBブログの【見学ルートをGPSトラックで取った図】をお借りしました。
堂木山陣城(遠景)
東野山陣城・今市上砦(久太郎小屋)・菖蒲谷砦・東野山砦(遠景)
旧余呉町火葬場跡地に車を駐車。
火葬場前の農道を約100m西進し山裾脇に神明山砦・堂木山砦の登城口があり、小さな案内看板がある。
獣除柵沿いに登って行き、獣除柵の扉を開け入ること2回、神明山砦と堂木山砦の分かれ道にある堀切に着く。獣除柵沿いに登って行き、堂木山城概要図
お城の概要
神明山砦と堂木山砦の分かれ堀切を、右側に登ったってすぐに小さな出郭があり、尾根伝いに進むと土塁に上がる。
堂木山砦は余呉湖の北岸にあり、北東へ伸びた丘陵の先端頂部、標高238mの山頂に築かれている。同じ尾根の南東部には新明山砦、茂山砦がある。
堂木山砦は北東から南西に伸びた山頂に南北に二郭を設けている。主郭は北側で、土塁が巡る南北二つの曲輪があり南北両端に空堀を配して遮断する。内部は食い違い虎口によって繋がって南北二つの曲輪となり、南側の曲輪は中央部東側、北側の曲輪は北東部と南西部にそれぞれ虎口を開いている。この主郭部は西側に犬走があり、南の二郭から主郭部の外の犬走を通って北曲輪の虎口より入るようになり、この虎口は南北両側から横矢が掛かるようになっている。
南の二郭は削平状態は良くないが、周囲には土塁が巡らされ、東西二段となり、西下の段は南西尾根に堀切と土塁を設けている。
神明山砦と堂木山砦の分かれ道にある堀切に着く。
歴 史
浅井氏の家臣で在地の土豪であった東野越前守道義の居城であった。この「堂木」の名称も「道義」からきたものだとか。
天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦で羽柴秀吉方の砦として築かれた。調略によって秀吉方に寝返った長浜城主:柴田勝豊(病床の為)の代理の重臣で長浜衆と呼ばれた山路正国、大金藤八郎らが堂木山砦に布陣していた、山路正国は砦を脱走して柴田方へ走った為、その後には木下半右衛門が入った。
先ず、堂木山砦に向かう。
急坂を登り、尾根道を進むと【出郭の土塁】に着く
小堀切に土橋
西郭の土塁
主郭
主郭喰違い虎口(写真では、分かりにくい)
昼食【賤ヶ岳弁当】
昼食後、明神山陣城へ
明神山陣城へ
参考資料:城郭フォーラムレジュメ・現地縄張り図(長谷川博美氏 作図)、近江ノ国 米ちゃんのルート図
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!