城郭探訪

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丁野館  近江国(湖北)

2016年03月11日 | 居館

浅井氏発祥の地 丁野へ

お城のデータ

所在地:長浜市(旧東浅井郡)小谷丁野町 map:http://yahoo.jp/g5b9IW

現 状:宅地・畑地

区 分:居館

築城期:室町期

築城者:浅井氏

標高:104m 比高差:-

目標地:岡本神社・小谷丁野自治会館

駐車場:小谷丁野自治会館

訪城日:2016.3.11

 集落の中心にある小谷丁野町自治会館。

イメージ 8
イメージ 9学校跡に建っている。
お城の概要
浅井家産湯の池跡がある、「五反屋敷」といわれ、宗家浅井氏の屋敷があった所。隣りには岡本神社が鎮座。丁野は小谷城浅井氏の発祥の地。
集落には、岡本神社や観音堂の浅井氏の誕生地、産湯の井など碑・説明板、神社の由緒書きにも詳しく記されている。
 
丁野山城も永正十五年(1518年)に浅井備前守亮政によって築城とされます。天正元年(1573年)の織田信長の小谷城攻略時に、ここには浅井氏を加勢に来た越前朝倉氏が立て籠もりましたが、織田勢に攻められ落城しました。 <現地案内板より>

 三条公綱お手植えの銀杏。

 三条公綱の屋敷地との伝承のある岡本神社の境内

 浅井亮政(浅井長政の祖父)生誕地説明板

お城の歴史

【岡本神社由緒】

当社は延喜式内神名帳所録、近江国浅井郡十四座の一にして元岡山に鎮座せり
往古より大門の地に祭供田と称する祭田あり。
是、京極持清の奉納する所にして免除地なり。
嘉吉2年(1442)三条大納言公綱卿丁野に配流の際、当社に祈請する所ありて、拝殿一棟献納せらる。 又舞楽堂は藤原公の寄進なり。
中古浅井氏代々の祈願所なり。
天正元年(1572)織田氏兵乱の際、朝倉義景勢(堀甚助・久保十郎・玉泉坊等)此所岡山に立籠る。
玆に戦利あらず、拝殿一棟を残し、社殿その他古文書等悉く焼失す。
同年12月神官、脇坂和泉尉霊夢を感じ、現在の地に再建遷座す。
豊臣氏よりも祭供田奉納あり。 徳川氏検地の際も免除地となれり。


丁野村絵図【縦73.2㎝×横130.0㎝】

平成22年(2010)の合併以前は東浅井郡湖北町に属していた。『近江輿地志略』によると古代の仕丁に村名の由来を求めている。二ノ坪、六ノ坪など古代の条里と関係がある字名が残る。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、『江北記』『日本城郭大系』11、『滋賀県中世城郭分布調査』1、『滋賀県中世城郭分布調査』2「旧野洲・栗太郡の城」『滋賀県中世城郭分布調査』3。

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