お城のデータ
所在地:甲賀市(旧甲賀郡)甲南町磯尾字堂坂 map:http://yahoo.jp/xiTXOC
区分 : 丘陵城
築城期:
築城者:
遺 構 :曲郭(削平地)、土塁、虎口状開口
標 高:240m 比高差:20m
目標地:上磯尾バス停
駐車場:上磯尾バス停
訪城日:2016.131
お城の概要
伊賀国阿山郡(現三重県伊賀市)と境界を接する、甲南町上磯尾集落の西側を丘陵部に立地しているが、城址の丘陵は開削され牧場に。
伊賀からの侵入の物見廓か? 丘陵の西先端に土塁・物見廓・櫓の削平地が残存して平坦面をっている。その東側は大きく牧場平坦地で、北隅の下部に、北側が土塁にでなっている。街道の物見廓か?磯尾城の出城?支城?。 全体として削平が甘く、切岸は低く、丘陵城郭遺構と断定できていないが。開削が激しく構造も甲賀にはあまり見られないものである。
歴 史
「江戸名所図会」巻之一(天枢之部)愛宕山権現社
同(真福寺)南に並ぶ。 世俗、城州愛宕山に同じといへども、おのづから別なり。 本地仏は勝軍地蔵尊にて、行基大士の作なり。 永く、火災を退けたまふの守護神なり。
[中略]
【家康公伊賀越え】 しかるに、天正十年壬午の夏、台旗泉州を発したまひ、大和路より宇治を経て、江州信楽に入らせたまふ。 このとき多羅尾四郎右衛門といへる者の宅に、舍らせられける頃、あるじこの像を献ず。 その節、同国磯尾村の沙門神証といふを供せられ、この霊像を持して東国に赴きたまふ。 しかりしより御出陣ごとに、神証をしてこの勝軍地蔵尊を祈念せしめらる。 つひに、慶長八年癸卯の夏、台命によつて同庚子年、石川六郎左衛門尉、当山を闢き、仮に堂宇を造建したまひ、その後、同十五年庚戌、本社を始めことごとく御建立あり。・・・云々」
地元に何らの伝承もなく、ほとんど削平されておらず、城郭遺構か不明である。
参考資料:遺跡ウォーカー
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